運営コメント【グループS・T】

「ライルの旅・アンダンテ号との出会い」山崎朝日

句読点を使わずに一気に駆け抜けるやり方は、読みの速度に干渉するために私もよく使う方法だ。しかしこれだけの分量でそれをやるとなるともはや一気に読み抜けるのはほぼ不可能で、次第に文章から「読めやオラ!」と尻を蹴飛ばされ続けているような気さえしてきて、そのうちに何を読んで、いや読まされているのかわからなくなってくる。その時、イグなのは作者でも作品でもなく、他ならぬ読者なのである。

「磨きたてティンバーランド」ニイボユウスケ

いやすみません、ヒップホップのことよくわかんないんですよ。でも造り酒屋とヒップホップとかヒップホップと爺とか、そのギャップが妙におかしい。なんかそういう小技系のイグかと思っていたら最後に「自爆するしかねえ!」的最終兵器が唐突に現れて、もうなんか体勢崩してないけど力ずくで一本背負い決めたるわい!みたいな強引さがイグい。でもわからん!

「踏切」じゅーり

本当に開かない開かずの踏切はもはや踏切ではないのではないか、とか、いや歩道橋あるじゃんこの人たちはここで何をしているのか、とか、当然の疑問を笑顔でブロックする優しい世界。ここで「いや待て、ここで言う踏切とは何かの比喩なのではないか」などと考えた人は金魚鉢に頭を突っ込むくらい反省しなければならない。意味を求めた途端に見えなくなる大切なものがこの作品にはあるのだ。

「現代・異世界論争」雨屋涼

たとえフィクションであってもそこには現実を投影した問題が語られなくてはならない、みたいなしたり顔の主張を見るたび、私は柴田恭兵の顔マネで(いや微塵も似てないけど)こう言うのである。「関係ないね」そんなものは勝手に投影されたり見出されたりするものであって、現実の問題から組み上げたフィクションにはどこかしら胡散臭さが漂うのではないか、などと言うとたぶん怒られるのだが知ったことか。つまり現代だろうが異世界だろうが純文学だろうがエンタメだろうが、そこに境界線を引こうとする者に抗う姿勢はイグそのものであるのだ、という認識を新たにした作品であった。

「おちんちんらんど」曾根崎十三

前述した通り、このイベントを通じて私の破滅派に対するイメージはそれこそ破滅的になった。このタイトル、もうリンクを開く前から「出たな破滅派!」と身構えてしまうというものだ。そして作品はといえば、警戒していたレベルよりも数段ヤバかった。おまわりさんコイツです!この一作の参加を許したということだけで私に司直の手が回ったとしても、おそらく私は素直に罪を認めざるをえないだろう。途中ファンタジーぶっている部分は特に許しがたい。

「昭和怪獣酒場」海音寺ジョー

決して私が読者を選ぶと言われ続けているからではなく、10人中9人の「普通の」評価を求める無難さを捨て、たった1人の熱狂的な支持をこそ求める道を選ぶならば、その創作態度はイグの鑑と呼ばれるべきであろう。本作を最初から最後まですべて理解できたという人は、年齢を問わずかなりヤバい人である。だが理解できた者は、この作品が自分に向けて自分のために書かれたのではないかと感じ、決して1人ではない、わかり合える人がいるのだという喜びに打ち震えることだろう。素晴らしい。運営特別賞ものだ(あげるとは言ってい)

「怪奇都々逸」倉阪鬼一郎

倉阪氏の参加がイグBFC2最大の事件であったことに異論を唱える者はいまい。だって「あの」倉阪鬼一郎である。待て、本当か、よく見ると「倉坂」だったり「鬼一朗」だったりはしないかと何度確認したかわかりませんよ。その大御所が言い訳の効かない専門分野で、だが都々逸という変化球で挑む。さすがにわかっている。それだけで読む前から感動ものだ。しかし都々逸である。もしお座敷に白石加代子みたいな芸者さんが現れてこんなの歌い出したら、我々はいったいどうすればいいのだろうか。そこはイグに支配された異空間であろう。

「とうもろこし畑のキャッチボール」馬死

さりげなさの中にもイグの予感がひしひしと伝わる冒頭から、何を言っているのかわからなくなってくるほど偏執的な記述を経て、犯罪の匂いすら漂うヤバめの展開を通り、そして辿り着くのはやっぱそこかい!!!もう、思わず!を2個追加してしまったわ。とはいえ結末に対するこだわりはなんとなく希薄な感じがして、スタートから山あり谷あり、ラストの心臓破りの坂を登り切った先のゴールに「お疲れ様でした」の看板が立っているだけのような、放り出される感覚もあるのだがそれもまた悪くない。



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