運営コメント【グループC・D】

「速習西洋論破哲学 ひろゆきからマルクスまで」幸村燕

そもそも哲学はイグである。なんかその概念的なものをなんかこうこねくり回してなんかそれっぽい結論をなんか真理っぽく見せちゃうところなんぞは「え?哲学だったのですか?私はまたずっとイグかと思っていました」と言いたいほどだ。本作は明らかに思想に詳しい作者が、概念の粘土細工で作られた「どうだ美しいだろう」と言わんばかりのオブジェを踏んで潰してもう一度こねてウルトラ怪獣に作り直したような趣である。見事だ。

「小指の指輪」龍一クライマー

巧妙なイグである。いや、イグと呼ぶには巧妙に過ぎるかもしれない。この作品、一見書く必要があるとは思えないことばかりが羅列されていて、一方普通なら書くであろうことが一切と言っていいほど書かれていない。だがそれは見かけに過ぎない。なぜなら書く必要があるとも思えないことどもの一つ一つが、読み進むにつれて語り手の輪郭や背景を形作っていくという仕掛けになっているからである。書くべきことを書かなくてもいいことで代弁させる、これはもう技巧的イグとでも呼ぶしかない。

「自由への飛翔」今村広樹

初めて作者の作品を目にしたという人はその極端な簡潔さに面食らったかもしれない。だがこれは作者のオーソドックスなスタイルであり、その多くは秋月国なる世界の物語の一部として語られているのだ。もとより作品一つを取り出してみても、読者はその簡潔すぎる記述の向こうに、その前後左右に付随する物語を想像せずにはいないだろう。つまり作者の作品世界は読者を共犯者として取り込むようにできているのだ。作品以前に作者の創作スタンスがイグなのである。

「『疼愀嗄蠢』俳句四句」田中目八

こう言ってはなんだが、一読して「卑怯じゃねw」と思った。だってあなた、スケキヨに猪木に左とん平ですよ。これはもうNHK「きょうの料理・本格中華シリーズ」のラストで毎回先生が創味シャンタンを取り出すようなものである。卑怯である。そしてもちろん、その桁外れの卑怯さゆえにこれらの句は桁外れのイグなのである。

「オペレッタ寂寥軒」苦草堅一

これを書いている時点で本作は優勝候補の一角に残っているわけだが、この作品に限らず、作者の場合はどこがどうイグだというのではない。発想がイグであり、方法がイグであり、展開がイグである。イグの総合芸術と呼んでいい。ちなみに私は演劇関係者の間でよく言われる「舞台は総合芸術」という考え方がどことなく他を下に見るようなニュアンスを感じて死ぬほど嫌いなのだが、そうとしか言いようのないものはあるのだ。たぶん作者がイグなのであろう。頑張って生きていってほしい。

「アイの手紙」冬憑

普通にサスペンスであり普通にホラーである。後半、鳥肌の立つような記述に続いて最後には予想外の大外刈りで読者を畳に叩きつける。一本!いや待てーい!何がイグやねん!ということになってしまうわけなのだが、そもそも日常や常識を揺るがすもの、世界の輪郭を曖昧にするものはイグなのである。取ってつけたような説明だが、私が言うのだからそうなのである。何とも言えない気持ちの悪さが後を引く傑作だ。

「ヴァンパイア・レタスと」エンプティ・オープン

本作を読んで「なんじゃこれは」と思わない人がいるだろうか。いやいやそれはないだろう、を、そうなのだと言い切る強引さこそがイグの爽快感である。冒頭の深刻さはどこへやら、世界何だってありじゃんYahoo!な展開は明日を生き抜く勇気さえ我々に与えてくれるだろう。前向きなイグである。素晴らしい。

「スケッチ」クラン

あのねえ、えーっとですね、何を言っているんですかw としか言いようのない、つまりはもうどうしようもなく救い難いイグ。通常の文芸的価値観を持つ読者なら、最初から最後まで、あらゆる箇所にツッコミを入れずにはいられないイグな技法「のみ」によって書かれている。イグの教科書があったなら間違いなく掲載される作品と言えよう。




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