「男女の友情は成立するか」について考えたりする会を作ります。

こんな感じのくだらない活動を行いたいと考えております。協力者求む。

【無意味無教訓クラブの活動】
 無教訓倶楽部は、「無意味」でありかつ「無教訓」のことを「研究」する。私たちは研究しても役にも立たないことを「研究」テーマに設定する。目標は、役に立たないことである。役に立たないことをテーマにするのは「研究」と言えるのかという疑問については、後述する「「研究」という言葉について」を参照していただきたい。

【最近の研究】
私が最近行った「研究」を一つ紹介する。「お姫様願望」の研究である。これは私の友人(男性2人女性3人)で行った研究だ。「お姫様願望」はここでは、女性が持つ、行動やプレゼントなどの目に見える形で、尽くされている/愛されていると感じたいという願望と定義した。「研究」を続ける中で、自分もそういった感覚を持っているけれども、うまく彼氏に表出する方法が分からないといった語りに出会った。さらに、男性からは、自分に対して「お姫様願望」を向けられると怖くなってしまうという語りが立ち現れた。私たちはこれに「お姫様願望フォビア」という名前を付けることにした。
私たちは「お姫様願望フォビア」の男性は、体育会的な男性性に憧れをもっているのではないかとまず考えた。彼は、彼女を守るという力強い男像に憧れを抱く一方で、それが出来ない自分に負い目を感じていた。「お姫様願望」は、彼の負い目を刺激し、彼が自覚している弱さを彼に発見させる引き金になっていると考えられた。
 次に、対処法を検討した。「お姫様願望フォビア」は、「お姫様願望」が引き金になっているので、彼女に「お姫様願望」を表出しないようにお願いしてはどうかという提案がなされた。私は、それは関係性を抑圧してしまうだろうと考えた。その後はみんな「うーん」と唸っていた。私も「うーん」と唸った。そんなこんなで、対処法は発見されなかった。

【「研究」という言葉について】
無意味無教訓クラブにおける「研究」とは、「自らの固有の体験を振り返り、観察、整理をしながら、専門家の見解や一般的な通説を乗り越えた解釈や考察を加え、有用な経験として新たな意味や可能性をさぐるスタイル(注1)」のことだ。
一般論を踏まえつつ、個々人の経験を拠り所に新たなモデル・理論を構築しようという試みを「研究」という言葉で表したい。「研究」は、エビデンスに基づくものではなく、あくまでもその人の体験や、自伝的な語りをもとに構築されるため、決して一般化できるものではないだろう。しかし、一般化が出来なくても参加者が個人的に納得できるモデル・理論を構築することが、無意味無教訓クラブにとって大事だ。なぜなら、「自分が納得できる」とモデル・理論を発見することは何より楽しいことだからだ。多くの人の役には立たないモデル・理論であっても、「無意味」「無教訓」を標榜する私たちにとってはどうでも良いことである。
注1:『当事者研究とは-当事者研究の理念と構成-(向谷地生良)』

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