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#019「協調性とは不協和音の調律」~弁証法で最大公約数を目指せ~

皆さんこんにちは。井戸です。

「私は協調性がある人間です」


ESや面接の自己PRでよく聞くアピール。
本日はこの協調性という言葉が持つ意味と、真の協調性について深く考えたい。
一般的に協調性とは「自分とは異なる環境や立場にいる人と、協力しながら物事を進めていくことができる素質」のことを指す。ところが就活市場ではさらに単純化され、「相手の立場に立って意見に同意を示し、物事を進めていく力」のように解釈されていることも多い。(特に事務職志望者に多い)

  • 波風を立てないこと

  • 対立を避けること

  • 相手の感情を逆撫でしないこと

  • 反対意見を通すことに固執しないこと

協調性ってそういうことだっけ?
今一度、真の協調性について考えてみよう。

1.ビジネスとは”合意形成”

そもそも就活ってなんのために行われるのか?から遡って考えてみる。
それは「会社・企業という枠組みの中で活躍できる人材を採用すること」が主目的だ。じゃあ企業ってなんだろう?企業とは一言でいうと「ビジネスを通して利益を上げるという共通目的を持つ人の集まり」である。企業の本質であるビジネスってなんだ?ビジネスとは「ヒト・モノ・カネ・ジョウホウを介して価値を提供し、合意を形成して対価を得ること」と定義できる。

最後にすっごく単純化すると、我々は対価を得るために集団で働いている。その対価を最大限高めるため、日夜あーでもないこーでもないと、修正改善を繰り返している。商品企画、マーケター、インサイドセールス/フィールドセールス、マネージャー問わず、日々対価を最大化するため、特に「品質・価格・納期」の顧客価値創造をビジネスにおいて実現しようとしている。それが企業であり、ビジネスであり、チームで働くということだ。就活はここに向かっていると言える。

正直、時間が無限にあるならば、協調性なんて必要ないかも知れない。それぞれが好き勝手、分散的に動き回り、失敗しても何度もやり直して、いつかたどり着くゴールを向かっていれば良い。ただ、ビジネスに割り当てられる時間は有限だ。限られた時間(納期制約)の中で、「その時点で考え得る限りの最大公約数」を叩き出すことが、対価や利益の最大化に繋がる。

となると、冒頭で論じた協調性は、ビジネスの文脈においては協調性ではない。図左側の”元々協調性がない人”は言わずもがなだが、言語化すると「相手の意見に異を唱え、自分の意見を変えようとしない姿勢は、限られた時間内での合意形成を阻む」ため、協調性があるとは言えない。いつまでも自分の意見に固執し、反対意見を出され続けると、どんどん時間が奪われていくだけで、対価最大化のための施策は煮詰まったままになってしまうわけだ。
一方で図右側の”一見協調性があるように見える人”はいかがだろう。「短絡的に相手の意見に乗っかりその場を丸く収めようとする姿勢は、対価を最大化するための施策検討の機会を阻害する」ため、こちらも協調性があるとは言えないのではないだろうか。ただの思考停止のイエスマンだ。イエスマンが職場にいると、対価最大化のための施策をより良くするための建設的な議論が生じない。結果、多くの機会損失が起こる。

では、真の協調性とはなんだろう?ビジネスにおいて、限られた時間の中で成果を最大化させるための建設的な協調とは?次章で詳しく見ていこう。

2.弁証法こそが協調の第一歩

1)弁証法とは

結論、その場に生じている矛盾を超越し、現時点で出せる最適解までたどり着く力こそが「協調性」である。
そもそも会社には様々な価値観を持つ人たちが集まっている。考え方や見えてる世界、見てる角度がまったく違う人もいる。そこから意見の対立や感情の葛藤が生まれる。企業でビジネスをする上では、そうした矛盾は避けて通れない。というかすべての物事には矛盾が含まれていると思ってていい。そして人類は、矛盾を超えることで進歩してきた。矛盾こそが物事の発展の原動力だ。

この矛盾を超え、最適解までたどり着くためのコミュニケーション手法を「弁証法」と呼ぶ。

弁証法とは、ある命題(テーゼ)と対立関係にある命題(アンチテーゼ)を統合し、より高い次元の命題(ジンテーゼ)を導き出す止揚(アウフヘーベン)の考え方を土台とした思考法。

グロービス経営大学院

例えば、自分からは「円」のように見えている物体があるとする。これを「正(テーゼ)」と呼ぶ。一方、その物体は相手からは「長方形」として見えているとする。これを「反(アンチテーゼ)」と呼ぶ。このままだと、両者の意見は一向に折り合いがつかず、膠着状態になり、双方が矛盾や葛藤を抱え続け、終いには怒り出すだろう。正と反の対立が起きている状態だ。

この状態を解消するのが「弁証法」なのである。

自分が見ている方向からは円に見えているもの。いったん自分の立場は置いといて、相手の立場や視点に立って見直してみると、「確かに長方形だな」と新たな認識を獲得することもあるだろう。長方形だったものが円に見える逆もあるだろう。物事を平面ではなく立体的に見ようとすることで、それが円でも長方形でもなく「円柱だった」という最適解・絶対知にたどり着くことができる。互いの視点が違うから、違う図形として見えていただけ。このように高次な認識にたどり着くことを「止揚:アウフヘーベン」と呼ぶ。このように弁証法とは、モノ(事物)やコト(命題)が「否定」を通じて、新たな、より高次のモノやコトへと「再生成」されるというプロセスのことである。

難しいことは抜きにして、世の中ってこういうこと結構起こってないか?と思い返してほしいのだ。自分はAの案が正しいと思っている。相手はBの案が正しいと言って一歩も引かない。A案にはA案なりの正義が、B案にはB案なりの正義があり、どちらもメリットを含んでいるし、デメリットもある。A案を推す自分だが、あえてB案を推す相手の視点に立ってみる。B案なりのメリットを考えてみる。すると、「A案とB案それぞれの良いとこを取り入れた、新たなC案」を発案でき、先ほどまでB案側で対立していた相手を納得させられる可能性が出てくる。
なんならそのC案に対し、別の側面やメリットを補完した新たなD案を対抗馬としてぶつけ、そのC案とD案双方のメリットを享受できてデメリットも少ない、究極のE案が生成されるかもしれない。

「今ある限られた時間の中では、品質・価格・納期的にこのE案がBestだ!」とチームの合意が取れれば、そのチームで働く人みんなハッピーになれるし、自分のやるべきことに100%没頭して全力を出せるのではないだろうか。
協調性って、こういうBestな状態を作るための建設的な議論ができるスキル・姿勢や、個人の思惑より組織としての成果の最大化を優先して事を運べる人のことを指すんじゃないかって思う。

2)真の弁証法は争いをなくす

このように弁証法とは、さまざまな議論において「もしかしたら別の角度で見れるんじゃね?」と、常に相反する意見の第三の見方を探るコミュニケーション手法のことである。これを使いこなせると、争いもなくなる。昔からの典型的な対立構造としてやり玉に上げられる阪神ファンvs巨人ファンを例に挙げてみよう。
阪神ファンにとって、阪神タイガースは絶対的な正義だ。巨人ファンにとっては読売ジャイアンツが同じく絶対的な正義だ。両者は長年、交わることも分かり合うこともできなかった。骨肉の争いを繰り広げてきた。
でも、メタ視点で考えてみたらどうだろう?両者に共通しているのは「野球というスポーツを心底愛している」ということだ。勝敗に一喜一憂できる。人生の大半の時間を注いでも後悔ないと思えている。自分の応援するチームが勝ったら嬉しい。これは紛れもなく「野球ファン同士」として完全に一致しているという素地を秘めているのではないだろうか。
仮に阪神ファンと巨人ファンが分かり合い、無類の野球好き同士で結託できたところに、サッカーファンが殴り込みをかけてきたとする。「野球なんて古臭いしダサい!時代はおしゃれで洗練された戦術が光るサッカーだ!」なんて小馬鹿にしてきたとしよう。ここでも争いが勃発してしまいかねないが、一歩立ち止まって弁証法のプロセスを辿ってみよう。「ちょっと待てよ?俺たちどっちも集団スポーツ、特に球技種目を愛する者同士じゃないか!分かり合えるかもしれない」とメタ視点で考えることによって、些末な争いをなくせるかもしれない。

このように、どこまでもメタで考えていくと、目の前の争いがなくなり、共通の目的に向かって別々のルートから駆け上る良きライバル・戦友になることができる。
富士山を登ろうとするときも同じだ。静岡県側の登山口にたくさんの人が押し寄せてしまうと、我先にといういがみ合いが生じてしまう。そこで無理に自分の意見だけを押し通したりせず「あなたが静岡県側から登るなら、自分は山梨県側の登山道から登ってみます。それぞれ考え方やスタンスは違うけど、富士山の頂を目指す者同士という共通点はありますね!お互い全力で駆け上りましょう!」という共通の目的を見つけることで、争いの牙を引っ込められる。

「自分の意見を通すために意固地に主張し続ける」こと、「波風立てないように、安直に他人の意見に同調し事なきを得る」こと、どちらも協調性ではない。真の協調性とは、人と人とは完璧には分かり合えないと理解した上で、それでも活路を見出すために自分と相手との意見を統合し、双方が納得でき、より高次な最適解に辿り着こうとする姿勢が発現したものだと考える。

3.さいごに

人は複雑だ。それぞれ個性があり、価値観や抱えている課題もバラバラ。
単純化して画一的に接するのは困難である。人それぞれには、個性という”音色”がある。協調性とはこの音色の調律を協力する姿勢に似ている。ただそれは相手の音色を優先し、自分の音色を抑えることではない。それは相手に気を使い、仲良くするしかできない逃げの選択だ。調律とは、互いの音色(個性や主張)が強くてぶつかり合い、不協和音が生じているときでも、相手と自分の音色がぶつかり過ぎず、かといって抑え合うわけでもない最大公約数を見つけ、そこにたどり着くまで互いを統合し、より高次の新たな和音を奏でようとする力のことである。
不協和音を恐れて、音色を抑える努力はすべきでない。不協和音に自ら飛び込み、その中で最大公約数を見つけて最高の和音を見つける、そんな協調性を発揮できたら最高だ。

「協調性とは、自分とは異なる環境や立場にいる人と、協力しながら物事を進めていくことができる素質」

この意味を改めて咀嚼し、就活などでの自己アピールに使っていってほしい。
それではまた!

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