【感想】HO6LAさんの『トーキョーマイウェイ』について

はじめに

 HO6LAさんの『トーキョーマイウェイ』リリックビデオを拝見しました。
 本来であれば先んじて公開頂いた『ピリカリラ』についてきちんと考察をさせていただいて、その上で連なるものを書きたかったのですが、リリックビデオを見ている自分の頭の中で考えが巡りすぎて、一度楔を打っておかないと流されてしまうような気がしていますので、公開をさせていただきます。

 感想という範疇を越えた解釈が多分に入り込んでいるため先に注意書きだけさせていただきます。
 まず、とても長いです。全文字換算で2700字ほどあります(なのにほとんどチャプターがないです……)。もしも読んでいただければそれは大変ありがたいことですが、お時間を取らせてしまっては申し訳ないですので、ご覧いただく際はお暇なときにでも取り留めなく飛ばしながらでお願いいたします。
 そして、万が一読んでいただいた方がいらっしゃって、コメントをしたいなと思ってくださる方がいらっしゃいましたら大歓迎です。筆者に対するコメントに関しては、整合性の指摘をくださるようなご意見・批判・批評から、感想、誹謗中傷までを含めて真摯に受け止めさせていただきます(読んでいただけるということ自体が、まさに至上の喜びですので)。
 一点だけお願いがございます。
 例えば、「この作品はそんなとこまで考えてないだろう」といった、対象作品を主体としてマイナスの要素と考えることのできる可能性がある言葉だけはこの場で紡がないでいただきたいのです(「MVひとつに考えすぎだろキモww」のような批判の対象が筆者に向いた感想は問題ないです)。
 自分の書く文章において「解釈」とは「答え探し」ではありません。どちらかというと「答えを広げ」、大袈裟にいえば作品の豊かさを更に発見していこうという試みに近いかと存じます。そのような意味において、やはり作品の解釈を狭めることだけは遠慮いただきたいのです。
 HO6LAさんのファンの皆さんが、それぞれ素敵な解釈をお持ちになっていて、それらを共有されることは豊かな行為であるかと存じます。
 ですが、我を通すために作品の幅を狭めてしまうことだけは無いよう何卒よろしくお願い申し上げます。
 楽しくポジティブにHO6LAさんへの解釈を広げて参りましょう。

本文です……。

 まず、リリックビデオであるにもかかわらず映像作品は非常に意義深い構成要素であると感じました。
 (最初のシーンは鳥居から始まるわけですが)「学校」、「東京の街並み」という、当たり前のものばかりで創られた、一つも当たり前のない世界。歌詞の中でひたすら訴えられる「普通」の「外」の世界が体現された「幻想」のような世界は、「想像上の世界」とも捉えることが出来そうです。

 歌詞については一見すると、「想像外へ」「はみ出し続け」る彼女たちは、「これが私だ」とそのことを肯定しているわけですから存在意義と「はみ出し続け」ることが同義のようにも取れますが、そうではないのだと思います。
 「想像」という言葉の意味は辞書によれば「知覚に与えられていない物事を心の中に思い浮かべること」であるそうです。つまり、彼女たちが「想像外」へ「はみ出」すことは、「知覚に与えられていない」存在(≒「想像上の世界」)から「知覚に与えられ得る」存在(≒現実)へと昇華する行為であると捉えることが出来るのではないでしょうか。
 つまり「トーキョーマイウェイ」は圧倒的な存在感と意志の力でHO6LAさんが虚構から現実へと超越し顕現する”始まり”の歌なのです。

 「想像」に関してはもう一点触れておかなければいけないことがあります。
 「ありふれている一緒でいいの?」と自身に問うた彼女たちは「いつのまにかぼやけていた」「わたし」を、そして、「今にある」「未来」を、「想像」を通じて獲得していきます。
 これまでライブにおいて後ろに流れる映像を拝見していただけなので気づくことが出来なかったのですが、“創造”ではなく“想像”なのです。
 となるとここで思い出されるのは、作詞をされている苺りなはむさんがCY8ERさんを解散されたのちに発表された「思い出して、未来を」というショートムービーです(本来であれば一度はその作品内だけのことを考えるべきだと自分でも思っているのですが、ここでは感想ということで、敢えて書かせてください!)。
 まさに思い(想い)出すことで見えてくる「未来」が、灯された意志の炎が、ここに垣間見えるのではないでしょうか。
 そして、加えて考えなければいけないのは、HO6LAさんが更にその「想像」を突破して「想像外」へと歩を進めていくということ!
 HO6LAさんと苺りなはむさんの描く未来は一体どんなものなのか。
 今後の活躍が楽しみでなりません。

 このように、「想像」を巡って考えてみるだけでもHO6LAさんは“特異”なグループであると考えることができると思います。
 「想像外」で「変梃舞ウェイ」(“へんてこまい”という言葉はなさそうですが、音が“天手古舞”とかかっていたり“変梃 my way”と読むことができたり、“舞”の部分をHO6LAさんの歌舞伎をモチーフにしたような踊りと掛け合わせることができて何とも素晴らしいです!)を貫き通すHO6LAさんはまさに唯一の、有り体な言葉を言わせていただくのであれば“オリジナル”なのだと思います。
 このようなグループはどこにもなく、更に輝きを増していかれることでしょう。

 正直なところ、まだまだ読み解きたいことは沢山あります。
 時計を絡めて、作品を越えて『ピリカリラ』の回転のモチーフ(後日noteに投稿する予定です)との関連を考えることが出来るのではないか、「時間」概念についての疑問、二つの作品が同時にリリースされることの意味や作品同士で接続していそうな「フィクション」の世界のこと。
 「あの場所へ迎えに行くよ」の「あの場所」とはどこなのか。そして、「答え」のある「ここ」とはまたどこなのか。
 頭はフル回転です。

おわりに

 本来は『ピリカリラ』の解釈を公開させていただいた際に書こうと思っていたのですが、ここに書かせていただきます。
 HO6LAさんに元気も活力もいただいているのに、解釈可能な領域として在り続けてくださる皆さんがもう素敵すぎて今の自分の力では表現しきることが出来ていません。
 楽曲が、映像が、パフォーマンスが、全て強すぎて供給過多の状態です。
 遅筆な上に拙い文章を馬鹿の一つ覚えのように長文で並びたてる最悪の応援方法ですが、これからもどうか陰の端の端から応援させていただければと考えています。
 なるたけ無理はせず、これからも頑張ってください。

 最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、お時間を取らせてしまい申し訳ないです。
 ありがとうございました。


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