【感想と考えたこと】Serial experiments huez vol.2 HO6LAさんのステージについて

はじめに

 huezさん主催のSerial experiments huez vol.2に登場されたHO6LAさんのバーチャルライブを拝見しました。
 ここでは圧巻のステージの感想について書き連ねつつ、バーチャルライブというもの、XRというものの可能性についても徒然に書き綴ってみたいと思います。

注意書き

 感想という範疇を越えた解釈が多分に入り込んでいるため先に注意書きだけさせていただきます。

 まず、この文章は自己満足に溢れたとても長い文章です。
 書くこと自体を楽しんでいるので、ご覧いただく際は目に附いたところだけを読んでいただければ幸いです。

 そして、万が一読んでいただいた方がいらっしゃって、コメントをしたいなと思ってくださる方がいらっしゃいましたら大歓迎です。筆者に対するコメントに関しては、整合性の指摘をくださるようなご意見・批判・批評から、感想、誹謗中傷までを含めて真摯に受け止めさせていただきます(読んでいただけるということ自体が、まさに至上の喜びですので)。
 一点だけお願いがございます。
 例えば、「この作品はそんなとこまで考えてないだろう」といった、対象作品を主体としたマイナスの要素と考えることのできる可能性がある言葉だけはこの場で紡がないでいただきたいのです。(「MVひとつに考えすぎだろキモww」のような批判の対象が筆者に向いた感想は問題ないです)。
 自分の書く文章において「解釈」とは「答え探し」ではありません。どちらかというと答えを「広げ」、大袈裟にいえば作品の豊かさを更に発見していこうという試みに近いかと存じます。そのような意味において、やはり作品の解釈を狭めることだけは遠慮いただきたいのです。
 HO6LAさんのファンの皆さんが、それぞれ素敵な解釈をお持ちになっていて、それらを共有されることは豊かな行為であるかと存じます。
 ですが、我を通すために作品の幅を狭めてしまうことだけは無いよう何卒よろしくお願い申し上げます。
 楽しくポジティブにHO6LAさんへの解釈を広げて参りましょう。
 それでは、感想を失礼いたします。

本文です……

 初めてバーチャルライブというものを拝見したのですが、まずはその壮大なスケールに圧倒されました。

 パフォーマンスをされるHO6LAさんのライブへの熱量が強く伝わりました。
 バーチャル空間にも爆炎族さんは登場していたようですが、必ずしも皆さんからは見えてはいないその存在に対して全力のライブを届けてくださったことに感動しました。
 配信というコンテンツで何度も拝見できるからこそ、改めてHO6LAさんたちが楽曲のパフォーマンスにどれだけ入り込んでいらっしゃるかということも感じました。ご自身のパートでないところも含めて精一杯に気持ちのこもった表情、手足の先の動きにまで込められている細やかな意識、画面の向こうから見ている視聴者へ向けられた丁寧な気持ちなど、沢山の要素から紡がれたライブを体感することが出来たように思います。
 普段ライブを拝見する時に感じる楽しさを画面越しに感じつつ、まるで画面の中の映像作品として完成されているような印象ももちました。

 HO6LAさんを主演として引き立たせてくださる演出についても目を見張るものがありました。
 無数のライトにドーム全体がライトアップされる演出、床までが映像を映し出し、バーチャル空間にふさわしく仮想的な画面がいくつも浮かぶ未来的な空間の中で、その全てがHO6LAさんを意識して意図的に動いている光景に衝撃を受けました。
 『トーキョーマイウェイ』冒頭でHO6LAさんを包み込んだ真っ赤な光の演出や、パフォーマンス中HO6LAさんの周りを舞うもの(一見紙吹雪のように見えますが、光の反射から立体物であることが分かります)は曲調を具現しているようでもありました。
 自己紹介コールMCでは後ろの巨大な爆炎族がメンバーカラーにライトアップされているだけなく、メンバーの皆さんの後ろでそれぞれのカラーに発光する爆炎族さんもいらっしゃいました。そして更にドームの天井に映し出される映像にはライブの始まりでも映されていたHO6LAさんの始まりの映像をサンプリングしたかのような和のテイストが挿入されていて更にボルテージが上がりました。
 続く『常夏ココナツ』でも楽曲のイメージを意識されてか、海と太陽のようなブルーとオレンジのライトが水平のラインで演出されます。
 『Boooost!!』では始まりが足元からの光だけとなり、ドームの外側に作り込まれた星空がHO6LAさんを映し出すという幻想的な演出を拝見しました。ステージ全体が盛り上がる楽曲であり勢いの良い演出がされながらも、冒頭のゆったりとしたリズムを大切に彩り最後のシーンも柔らかな色の光の球がHO6LAさんを包み込むという風な曲調を捉えた演出を感じました。
 『タイムカプセルガール』でも曲調を意識されてなのか、シンプル光の配色でした。冒頭の歌い出しのところのHO6LAさんを足元から優しく包み込むようなホワイトはとても素敵でした。
 続く『光』も綺麗なパフォーマンスの印象的な楽曲ですが、冒頭ライトのない所から始まり最後の「カチッ」という音に併せてバックライト以外の光が消える演出にはタイトルの印象をうまく表されているなと感じました。楽曲一番の笑瑠さんが「頼りないもんなんてさ 一つもないのに……」と歌われている所でドーム全体を雨のように伝う光、八光さんの「今ここにあるの」から変化する曲調に併せた幾何学的なライトアップ、そして、二番の同じメロディのところではドームの中心に光が集まり、複雑なパフォーマンスをされるHO6LAさんを影で見せるという演出をされていて、痺れました。
 『ピリカリラ』は、HO6LAさんのファーストシングルの表題曲でもあるわけですが、多くの部分がメンバーカラーに併せた配色となっていました。もちろん他の部分でもメンバーカラーを意識した演出は沢山されていたのですが、『ピリカリラ』ではHO6LAさんを照らすライトの多くがより意識的に配色されていたような気がします。ラストサビの花火の演出も素敵でした。
 全体として、ライトの切り替わりはメロディだけでなく時にはベースラインやリズムに合わせてされており、あのような壮大な空間において数多のライトの全てが演出の要素となっている点に圧倒されてしまいました。

 音響もライブという空間を意識されたものになっていました。低音の聞いたステージサウンド、『タイムカプセルガール』冒頭のオルゴールを巻くかのような音が会場に響き渡るような演出など、画面の外側からライブを見ながらもまさにそこに自分が存在しているかのような感覚になりました。

 また、リリックビデオとの融合も目を見張るものがありました。『トーキョーマイウェイ』ではリリックビデオが画面で流れるだけでなく、HO6LAさんをアップで映し出すカメラワークでは、彼女たちの前面にリリックビデオのテキストアートが重なってまさに一体となっているようでした。これは現実世界のライブ会場で再現しようとすると違和感を与えかねない演出ですが、作り込まれた映像作品の中で見ると違和感は脅威となって自分の眼に突き刺さってくるようでした。

 カメラワークについても触れさせてください。
 HO6LAさんが公開くださっている他のライブ映像についてまだ文章にできずにいるのですが、やはりライブを映像で見るという行為の中にある優位性を感じました。
 ライブをしているHO6LAさんたちの最高の表情を本来現場では見ることのできない距離感で切り取ってくださる点、その姿を技術(見せ方)によって更に魅力的に映してくださっている点は、まさにライブを映像とする際にある種昇華させることが出来ていることの顕れであると思います。『トーキョーマイウェイ』最後のサビ、ローアングルから全員を引きで映す映像はHO6LAさんのパフォーマンスを最高に”魅せる”映像であると感じましたし、全体を通じて映像作品としての完成度の高さを感じました。
 十分な知識がなく恐縮ですが、カメラワークについてはバーチャルライブならではのものもあったように思います。
 壮大な会場の外から一気にHO6LAさんへと切り込む映像や、ドーム全体の映像を挿入することで壮大なスケール感を見せている点など、技術でもって幻想的な空間を強固にしていく様子はリアルのライブの映像化では成し得ないものであると感じました。バーチャルライブの特質的な映像性が表れているようでした。

 そして更に驚いたのはライブ会場を彩るオブジェクト一つひとつの完成度の高さでした。
 ドーム内に設置された花々のリアリティ、カメラに一つひとつが鮮明に映し出されるわけではないのにそれぞれの花弁はしっかりとした構造を持っていて、かつ色までが異なっていました。そのようにして命を吹き込まれた花々が、パフォーマンスをされているHO6LAさんの周囲を包み込むようにして咲き誇っています。
 加えてドーム外、会場が浮かんでいるのは水上で、周囲には巨大なリング状のライトが浮かんでいます。それらのライトやライブ冒頭の映像を反射する水面の様子まで再現されているのです。また、ドームの外側の空もただの夜闇ではなく星々が輝いており、前述の通りドーム内のライトが消えている時でもHO6LAさんを照らして美しい景色を見せてくれます。
 他にもドームの周りに存在する岩のオブジェクトそれぞれに光が当てられているなど、細やかな点まで作られており、“見る”ものではなくて“見えるもの”全てが演出の対象として考え抜かれているのだと感じました。
 純文学において無駄に見える文章が小説内世界のリアリティを形作るのと同様に、ずっと見えているわけではない部分が作り込まれているからこそ、空間そのものの現実味が増していき、その作用が逆説的に空間の幻想性を強固なものとしていく様がまじまじと見て取れます。

 幻想的で素晴らしいライブでした。ありとうございました。

もう少しだけ踏み込んでみます


※不勉強ながら、ここからさらに踏み込んでメディア論や映像論のような話(のようなもの)をしています。苦手な方はこれ以上は進まないでくださいね。

 ここまで見てきたように、「HO6LAさんたち現実の存在が虚構の中で存在しているかのように振舞っている(溶け込んでいく)事実」と、「バーチャルライブ空間という虚構が(オブジェクト一つひとつのリアリティの意味で)さも現実かのような振る舞いをしているという事実」がテーゼとアンチテーゼの役割を果たし、2つの境界でありながらより高位なものとして立ち現れるジンテーゼ的世界を生みだしているといえるのではないでしょうか。
 “serial experiments”というその名の通り、まさに現実と虚構の連続性の中からより高次元の何かを生み出す実験として成立し得る作品でした。
 ライブの名前を拝見したとき、当然ながら『serial experiments lain』を想起したわけですが、かのゲーム・アニメのような虚構と現実の侵食行為ではなく、双方の側から融合し親和する形で高位の世界を生みだしているという点は特筆すべきポイントであると考えます。

 また、映像を拝見し、XRのなかでもとりわけMRについてはVRやARと根本的に違う概念なのではないかという気がしてきました。
 何か、それらよりも根源的に先である(あるいは高位なものである)という気がします。単なる現実と虚構の複合として存在するのではなくて、固有のオリジナルな世界として確かな存在性を持っているのではないでしょうか。

 そのように考えを進めていくと、アイドルという言葉を語源の部分から改めて問う時、この映像作品は一つの正解では?という気までしてきました。
 映像作品の中で輝くアイドルは、現実に生きていて確かに存在するのだけど、映像化(記録としてではなく作品に組み込まれる形として)されていくことで、後発的に虚構性を獲得しているといえるのではないでしょうか。
 完全な映像となってしまってはメディアの残滓として立ち現れるフィクションですが、このライブに登場する方々はフィクションでありながら、見ている人たちと同位相に確かな存在性をもって立ち現れてくる。これこそがまさにアイドルという言葉の根源的な要素として新たに定位することのできる一つの概念なのかもしれません。

 絶賛勉強中のため現状深みをもって語ることができないのですが、映像という複製技術のメディアでありつつも、一回性にも似たような経験を与えてくれる存在である“SERISL EXPERIMENTS”におけるHO6LAさんたちは、「何度見ても新しい発見がある」というレベルではなくて、「何度見ても感動する」という理屈を超えた次元の何かを持っているのです。
 そのような経験が同時多発的に経験されることは、何かアクチュアルな個人的体験を超越した力として立ち現れてくるのではないでしょうか。

 永遠で儚くて、フィクションで現実で、同じ世界にいてまるで同じ世界にいなくて、境目にありながらどちらも超越した存在。
 やっぱりHO6LAさんはアイドルなんだ、ということを身に染みて感じました。

おわりに 

 ライブの感想を書きつつも、後半は不勉強ながらに映像の可能性についても言及をしてしまいました。
 素晴らしい映像作品を拝見し、その可能性の広がりを見せ付けられて、体の内側から鳥肌が立つような興奮を覚えましたし、この感覚を何とか形として書き残しておかなければならないという気持ちが湧いてきて書いてしまいました。
 楽しくて綺麗で幻想的で、更に沢山考えさせてくれる素晴らしいライブでした。
 改めてありがとうございました。

 なお、ここまで書いた文章はきちんとした文献に当たることができていないためただの日記のようなものとご理解ください。
 知識が足らず、知識を得るための努力が足らず、何より自分自身の知性が足らず、本来であればもっと勉強を積んでから形にしなければいけないものを形にせずにはいられずに残しているという非常に情けないものです。
 何卒ご容赦ください。

 もしも最後まで読んでくださったかがいらっしゃったのでれば、大変長い文章を申し訳ないです。ありがとうございました。

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