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2024.5.1 雑記


この春、大学四年生になった。

大学で教職を取っている私は、今月から始まる教育実習の事前打ち合わせの為に数年ぶりに母校の門を叩いていた。
校舎に足を踏み入れ、廊下にでかでかと貼られた全校標語を見た瞬間に、メンタルが終わった。全てが最悪になった。10年前、この校舎に置いてきたあの頃の記憶が流れ出した。


地方都市の中でも特に進学熱の高い地域にある母校は、公立ながらもほとんどの生徒が塾に通い、県内トップ高校への進学を目指していた。生徒達が一生懸命、成績上位20%を狙って切磋琢磨する。一聴すると聞こえは良いが、未熟な子供たちが無理をすると別のところで歪みが出てくるものだ。
高い進学実績とは裏腹に、学校内の空気は最悪だった。
成績の悪い子・内申の低い子は、つまり努力をしていない子なのだから。平気で馬鹿にしても良かったし、基本的に同レベルの成績を誇る生徒同士としか連まない。内申に響くので、目立つようないじめはなくても、陰口や、陰湿な嫌がらせは至る所にあった。

友達は学校での居場所を得るために作るもので、心の内を明かす相手じゃない。誰もがその踏み台からずり落ちないよう必死だった。私も、必死にしがみついていた。
良い成績を取りたいというよりも、何より惨めな思いをするのが嫌だった。家に居場所が無かったので、そうする事でしか自分の居場所を見出せなかったのもある。



脂汗をかきながら実習ガイダンスの冊子を開く。「偉大な教師になるための心得」が長々と書かれていた。

『平凡な教師にならない為に、相応の努力を。』





今読んでいる本の中で、とある精神科医が「トラウマティックな出来事というのは、時制が狂ってくるものだ。」と言っていた。

『10年以上も前の事なのに、まるで昨日のことのように感じられたり。昨日あった出来事が、まるでもっとずっと昔から存在していたかのように思える事もある。だから僕らはその時間の渦に飲み込まれないようにしながら、その絡まった時間を、一緒に解いていくような作業をしているのかも知れない。』



学校が嫌いだったのは覚えていたけれど、10年も経てば「なぜ嫌いだったのか」は忘れてしまうものだ。

いや、無意識のうちに忘れようとしていたのかも知れない。

ああそうだ、ここから逃げ出したかったのだ。私はあの時、この地獄から。






上の空でガイダンスを聞きながら、私は中学卒業から今までの数年間、特にこの4年間くらいのことを思い出していた。


中学卒業後、逃げるように県外に進学した後も、あまり人と関わらないように生きていた。昔から家庭環境も良くなかったので人を信頼しない癖が付いていたし、漠然と全てが怖かった。


そんな私が、なんだかここ数年変わってきている。


それは主に大学に進学した事が大きいのだが、同じくらい、アイドルを通して得た変化がある。(大学の話はここでする事じゃないし長くなるから割愛。)


大学受験とコロナの真っ只中、逃避先としてTwitterアカウントを開設してからいくつかのアカウントと繋がった。
アイドルが好きという共通点だけで繋がっているffたちは、年齢も、住んでいるところも、職種も学歴もバラバラだ。それなのに、アイドルという共通項を通して中高にいた時より色んな話が出来る。何より、この世界には色んな人が生きていて、私と同じように何かを好きになったり辛くなったりしているという、まあ、とても当たり前の事を知った。自分の悩みがいかにありふれていて、恵まれているか。そして同時に、誰もがかけがえのない個人であり存在であるという事。同じものが好きでも、考え方や感じ方が違う事も。その難しさも知った。
間違いながら、戸惑いながら。当たり前の事を当たり前に知って行ったように思う。
そんな中で少しずつ、自分を取り巻く絡まった糸が解れていくように感じていた。
懐の深いTLで、私は皆んなに育ててもらっていたのかも知れない。
そしてその懐の深さにはなんとなく、SixTONES自身から伝播するものもあった様な気がする。

所謂推し活論争(笑)真っ只中の最中で、例に倣って私もよく考えた。異性のアイドルを好きになるって、どういう事なんだろう。自分の人生と照らし合わせて考えてみたり、それをffと話したり。
それはそれは都合よく、利用させてもらっていたと思う。


そんな時期を経て、気付いたら四年の月日が流れていた。



去年は何人かのオタクと一緒に、SixTONESのカレンダー撮影地を見に熱海に旅行に行った。頓知気大名行列みたいで楽しかった。SixTONESがYouTubeの企画で行っていたわんこそばも食べに行った。食べ過ぎでお腹が痛くなったけど、楽しかった。MVの撮影地になった喫茶店にも行った。遠征先で、現場近くに住んでいるオタクと話す。今年は福岡公演で、最初にツアーに誘ってくれたffに会えて嬉しかった。現場が無い時もたまにオタク友達と会って、アイドルの話、就活の事、これからの事……色々話す。
神戸に住むffがくれたコップでコーヒーを飲みながら、これを書いている。
その全てが、数年前の私には考えられない事だった。

実際に会った事がなくても、毎日T Lで誰かを見掛けるだけで、少し嬉しい。
なんでこんなにフォローしてくれているのか正直分からないけど、フォローして下さっている皆さんにも、漠然とそんな事を思っています。


これから先、ずっと彼らを追いかけていられる保証は無いし、そもそも彼らが活動しているかも分からない。私自身、今の学校に進学してからは日々の生活に追われて気もそぞろになりがちだ。当時学生だった人が社会人になっていたり、フォローした時は中学生だった子が、今年はもう大学生になる。現にもう居なくなっているFFも居て、この先、みんなバラバラになって、それぞれ違うものを好きになって、今を懐かしむ時が来るのかも知れない。
それはそれで、自然な流れなのだと思う。


アイドルオタクである私たちは「永遠」などないという事を痛いくらい知っている。永遠はないけれど、それでもこの一時の楽しかった、幸せだったという事実は残る。それが一時的なものであっても、時制を超える記憶が、過去のトラウマが。それを証明してくれる。


過去のトラウマが、尾を引いて今の自分に影響を与えるように。この数年の記憶が未来の自分に希望を与えるかもしれない。そうやって、未来を予めお祝いしておく。そういうことにしておく、と少しだけ、未来が明るくなるような気がする。
少しだけ、明日が怖くなくなるような気がする。

メンバーの新しい仕事が公開される度に、この時までは生きていよう!と思うように。まあそれは大袈裟だけど笑

つまりは来たる未来に向けて「予め」おまじないを送っておくということ。Good Luck!ですね。
いつだって不幸は突然やって来るのだから、今のうちに、未来にお土産を送っておこう。

だから最近は、覚えておこう、と思っている。
今楽しい事も苦しい事も。

ここ数年、ここで出会った人たちと私生活の友人と、そして彼らの音楽のおかげで、やっとそう思えるようになった。


そんな訳で私は、色んな意味でアイドルに、SixTONESに感謝をしなければならない。


彼らがいなければ出会えなかったものが、あまりにも沢山ありすぎる。




!自分の話ばかりでなんなので、彼らの話もしておきたい。


彼らの音楽もビジュアルも当たり前に好きだけど、ライブがやっぱり楽しい。ステージの上で、音楽を楽しんでいる彼らに向かって全力でペンライトを振りながら応答する。
超楽しくて、嬉しいけど、あくまで彼らは彼らで勝手にやっていて、私は私で勝手にやっているだけ。みたいなスタイルが好きだ。不思議とそれが一番、ここにいてもいいんだよって言われているような気がする。


なんだか星空みたいだ。星、(彼ら)は勝手に光っていて、その光が時に何光年もかけて、草原に寝転ぶどこかの誰かを照らしている。私たちはその光に勝手に意味を見出して、笑ったり、泣いたりするのかも知れない。


星屑みたいなペンライトの海の中で、そんな事を想像する。
そういえば今年のツアーは360度ステージで、本当にプラネタリウムみたいだったなあ。





もしかしたら、私はずっと
ここにいてもいいんだよと、誰かに言って欲しかったのかも知れない。








こんな事を考えていたので、教育実習の説明は何も頭に入らなかったし、尋常じゃない疲労感の中、貸してもらった教科書を抱えて足早に母校を後にした。


帰りに古本屋に寄って、あの頃立ち読みしていた写真集を買いに行った。流石に同じものはもう売っていなかったけれど、代わりに同じ作家の別の写真集を買って帰った。
中学生には到底出せなかった金額の本を、今は自分が稼いだお金で買える。

時間は流れているし、私自身だって変化している。もうあの頃と同じじゃない。

悲しみがぶり返して来ても、過去の私が未来に送った「大丈夫だよ」のお土産が、今の私に届いている。


印画紙に焼き付いた過去の光が、あの頃の私を照らしていたように。
今の私は、あの学校に通う子供達に、彼らの未来に。少しの光を送ることが出来るだろうか。







家に帰ったらSixTONESが結成9周年の配信をやっていて、それを見て少し泣いた。最近は忙しくて、リアルタイムの彼らを見るのは久しぶりだった。


10年後の自分なんて想像も出来ないけれど、10年前の彼らも、もしかしたら同じ気持ちだったのかもしれないなと思うと、今画面の向こうで笑う彼らに、これまた勝手に励まされたりするのだった。

相変わらずふざけながら思い出話をして歌う彼らの姿は、なんだかとても幸せそうに見えた。本当にそうなのかは分からない。それはいつだって、勝手に私が見出しているだけなのだから。アイドルなんて虚像だと言うし、私が見ているのはいつだって本物じゃない。私が見たい、彼らの姿なのだ。

でもそこに、少しの「本当」があればいいな、と思う。

人も、アイドルも。

願望ではなく、一つの祈りとして、思う。






10年前の私は、あの地獄の中でただ立ち尽くしていた。
過去の少しの出来事が、時空を超えて今の自分に影響を与えるように。
今の自分が未来の自分に希望を与えるかもしれない。そうやって、未来を予めお祝いしておこう。そういうことにしておくと、少しだけ、未来が明るくなるような気がする。明日が怖くなくなる気がする。

何光年先の私に、彼らに。そしてまだ見ぬ誰かに。そんな事を思った。





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