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だから、お店がすきだ!!

私は、お店がすきだ。買い物をする目的がなくても、ただブラブラとみて回るだけでとても幸せな気分になる。目があった品物を手に取る、じっくりと眺めて妄想する。“うちに連れて帰ったならば…”と。

出会いがあってもなくても、目があった子を手に取る、語りかけるを繰り返すだけで、売り場という空間にいるだけで、自然と口角も心もあがるのだ。

それはきっと、思い出すと今も心がホンワリと温かくなる、幼い頃の出来事がそうさせるのかもしれない。


一生モノの思い出を買いに

今からずーっとずーっと昔、小学校に入学する時、ひいお婆ちゃんとお父さんとお母さんと四人でランドセルを買いに行った。


『かよちゃん。今日は、かよちゃんのランドセルを買いに行こうね』大好きなひいお婆ちゃんが、顔を近づけて優しく微笑んだ。

お〜! ついに、この日がきた!!

実は、夏休みに一つ年上の従姉妹のランドセルを背負わせてもらった。それからというもの“ランドセル”への憧れは強くなり、ずっとこの日を待ちわびていたのだった。でも、その夏休みの思い出は、ちょっと苦いものになってしまったんだけどね。


『Hちゃんのランドセル背負わせてもらい』『背負ってみ。背負ってみ。一人でできるかな?』「うん!!!」自信はあった。できるもん!イメージトレーニングは、バッチリ。みんなが背負うところを見ているからね。

ほらね、こうでしょう。片方の背負いベルトに手を通して掴んで、クルッと回しながら……

バッッシャーーーーン!!
部屋中にランドセルの中身をぶちまけた…教科書もノートも筆箱も鉛筆も消しゴムも。

固まった。『アラー!何してるの〜〜www』と大爆笑のお母さんとおばちゃん。ランドセルの中身をぶちまけられたHちゃんも固まっている。「ごめんね、ごめんね」慌てて、ひらい集める。固まり続けるHちゃん。もう、泣き出したい!!お母さんもおばちゃんも笑うのやめてよ…

『あ〜、派手にやったなwww 、もう一回背負ってみ!』おそるおそるHちゃんを見る… 目が合うと、黙って頷いてくれた。いいってことだよね!

気を取り直して、空のランドセルを無事背負った。



『はい、これに着替えなさい』とお母さんが言い、よそゆきの服を渡される。ワンピースにオーバーコート、ベルトの付いた革の靴。普段着からよそゆきに着替えて、お出かけ。当時は、日常は普段着で、デパートへの買い物や親戚の家へ行く時、遊園地へ行く時も、出かける時はよそゆきを着て出かけた。

デパートへは歩いて行く。坂をずーっと降って行くと元町玄関の前に着く。家からほんの10分〜15分位、そこはまるで御伽話のお城のような別世界、日常から非日常へと魔法がかかるのでした。今のように色んなお店がなかった時代、ランドセルや学習机もデパートで販売されていた。

お店に入って、エレベーター乗り場へ。「上へまいります、上でございます」いよいよだ!ランドセル〜ランドセル〜頭の中で、ランドセルがリフレインしている。

「子ども服売り場でございます」エレベーターの扉が開くとランドセルコーナーへと誘導される。云わずもがな、この時期にこの年の子どもが両親とお婆ちゃんと一緒にここの売り場に来れば、目的は一つ。

『これが、いいんちゃう?』『こっちの方が』大人たちが、楽しそうに販売員さんお勧めのランドセルを次々と手に取り選んでいる。『どんなランドセルが、いい?』なんて聞かれない。たぶん、大人たちにも子どもに聞くという考えなんて全くなく、おそらく子どもたちも“どんなランドセル”なんて、考えたこともなかったと思う。なぜなら、男の子は黒、女の子は赤のランドセルだった時代、子どもには一つ一つのランドセルの違いなんて、分からなかった。思いは一つ“赤いランドセル”が欲しいということだけ。

『これ、背負ってみ』ハッ!と緊張が走る。そう、夏休みのぶちまけ事件を思い出したのだった。

が、その心配は一瞬で消えた。なんの!心配することは、無かった。販売員さんが背負わせてくれたのだ。「さ、ここに手を通してみてくださね」フワッと背中に触れたランドセルは、硬いベルトの感触があり肩にずっしり重みを感じた。お人形をおんぶした時とは、全く違う。でも、この硬さと重さが、少しお姉さんになったような気分にさせ“もうすぐ一年生だもん!”と背伸びした私の心を満足させてくれた。

『こっち向いて』『後ろ向いて』『次、これ』『これも』『こっち向いて』

革の質、出し入れのしやすさ、ポケット。フォルム。体へのフィット具合。大人たちが、色々吟味している。そうなのだ、大人たちが一緒になって一つのことを楽しそうに話したり、選んだりしていること自体が、楽しくて嬉しい。

『もう一回、これ背負ってみて』『あ〜、これももう一回』もう、どんだけ!!いつもの私なら、嫌になっていることだろう。でも、今日の私は違う。何度でも喜んで!!

とうとう二つに絞られた。『教科書入れたら重くなるから、こっちの方がいいんちゃう?』とお母さん。が、お父さんがもう一方のランドセルを手に取りくるくる回しながら眺めて離さない。もうこうなると、お父さんのこだわりと好みの世界。

ひい婆ちゃんが間に入って、もう一度、お父さんのお気に入りのランドセルを背負ってみることになった。

『重くない?大丈夫?歩いてごらん』『大丈夫?』大きく頷いた。本当は、ちょっと重かった。けど、大人のカレーを辛くないと言いはって食べたときのように、頑張れる気がした。



かくして、私は念願の赤いランドセルを買ってもらった。家に帰ってからは、おばあちゃんと伯父ちゃんにもお披露目。晩ご飯の時の話題も、もちろんランドセル選びのアレコレ。

この日のことは、私の心の真ん中の奥深く、地球のマグマのように生きている。あんなに楽しそうに、あれだけ吟味して、選ぶ事に妥協せず…みんなに選んでもらったランドセル。それは、ランドセルという品物だけではなく、背筋を伸ばして真っ直ぐ前を見て歩いてゆく勇気もプレゼントしてもらったように感じるのでした。見守っているからね!と背中を押すようにね。子どもの頃から今まで、いったいどれだけ思い出したことだろう。思い出すと心が温かくなる。元気が欲しいときには、思い出したくなる。

お父さんが、一歩も譲らず決めたランドセルは、ずっと使い続けても形が崩れることもなく、私の相棒として六年間ともに通学したのでした。今はもう手元にないけど、このランドセルとの別れを家族みんなが、悩んだ。なぜなら、それだけ愛着があったから。丁寧に作られたモノは、表面の傷や経年変化があってもなお美しい。“どんな方が作ってくれたんだろう?会ってみたいな”と最近よく思う。叶わぬことだけどね。


思い出のランドセルを使って、ミニチュアのランドセルを制作してくれるサービスがあると知った時も、もっと早く知っていればと悔やまれた。これも叶わぬこと。だけど、いつでも思い出すことはできる。亡き父の思い出とともに、元気が欲しいときには思い出そう。私の赤いランドセル。


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