もっと!界隈はクソという主張について

皆さん、こんにちは。井出多可志と言います。
このnoteは過去に出した4つのnote(界隈はクソという主張について、界隈歴3年1ヶ月半(笑)が教える!ストレスのかからない界隈の楽しみ方(例のnoteに対する所感もあるよ)、鍵内通は善か悪か、界隈はオワコンじゃない)の内容を練り直し、またこの7ヶ月で感じたことを込めたものです。内容としては目新しくはないと思いますが、自分の意見をよりわかりやすく、見やすくするために書きました。
まず、このnoteは界隈をもっと荒らしたい、あのときの衝動を忘れられないといった目的で書いている訳ではないことを理解してください。そんな思想は2本目のnoteまででした。
それでは、よろしくお願いします。


何で界隈ってクソって言いたいんですか

私が界隈がクソと言いたい理由は、3点あると界隈がクソという主張についてで言いました。
1つ目は、人間の流れが凝り固まっていること。
2つ目が、界隈人は総じてまともじゃないということ(例外はいるけど)。
3つ目は、界隈が分裂しかけていることです。
そして、私がこの7ヶ月で考えた4番目の理由が、私の、私たちの存在です。
5番目の理由が、流される人間です。

では、順を追ってもう一度説明します。

人間の流れが凝り固まってる

人間の流れが凝り固まっている、つまり古参は古参(と新参の中でも一握りの古参の集団に入れた人間)とだけ話し合っているのが今の界隈です。
人間の流れが凝り固まっている、それ即ち、強い言葉を使うと老害が生まれるわけです。
まず、私は古参側の方々を老害と称したい訳ではなく、一番しっくり来る言葉として、老害を選択しただけということを覚えておいてください。前にこのnote出した時にはそこを勘違いした人がいたので。
さて、その老害が牛耳っている世界がどうなるかはご存知でしょう。日本のように停滞をする訳ですね。
そんな訳で、界隈は成長しなくなるのです……というのが11月の私の主張でした。
(ここからの数行は界隈が分裂する前提で話します)
しかしながら、成長しなくなるのは古参側の界隈だけです。彼らの「界隈」はこれ以上の成長は望めません。新参を拒んでいるので。(曲についてはどんどん良くなっていくでしょうが)
一方で、新参側の界隈については界隈としての成長が見込まれます。なぜならばそちらは去ろうぜする人としない人とのバランスが転入超過となっているからです。それは、川崎市やさいたま市や福岡市のごとく。
転入が多い新参側の界隈では、人間性とか、曲以外の部分において成長するでしょう。曲の部分に関しては新参のクオリティの低い模倣が多数生産されるので、模倣全体における強い模倣の割合は下がるでしょう。ただし、クオリティの低い模倣は成長して強い模倣へと変化するので、強い模倣の量は多くなるはずです。
これは、質的な界隈の停滞、そして退化というものと、量的な界隈の成長、進化という二つの側面を持っていると思います。
では、次の話へ移りましょう。

界隈人は多くがまともじゃない

ご覧の通り、私は皆さんから見てまともではないと考えられるでしょう。もっとも、他でもない私は自分のことを誰よりもまともだと思っていますが。
さて、界隈人は多くがまともでもないと言いました、例を出すならば、私に馬鹿げた論点すり替えの反論をしてくる人でしょうかね。
あなた、私の文脈辿れてますか?と思うくらい論点をすり替えるので、私も返答が嫌になり、最近はスルーすることを身につけました。
まあ、この程度なら一般人の領域に入るでしょう。
問題は、その執着具合にあります。
私が絶対に許しません。という名で8月に暴れてたり、私に執着してくる単語botの良さげな単語収集マン(×3)とか、夏空の名を勝手に借りてまで私を批判した偽夏空、誰にでも噛み付く人とか、いつ消えても本垢には社会的に影響がないような垢を使う人たち。そして、社会的に影響がある垢を使い執着をし続ける私のような人間。
もちろんまともではないですね。だから界隈ってクソなんです。
感情のままに振り回される愚か者共が跋扈している界隈なんです、ここは。
あとは、もう界隈を見出した時点でダメなのかもしれませんね。

私たちの存在

界隈が分裂しかけていることについては後に回して、先に私たちの存在について書いていきます。
そもそも界隈に「界隈ヘイト部」とかいう激ヤバ文化部がある時点でもう界隈ってクソではないでしょうか。
その上、界隈ヘイト部やその周辺にいる(いた)人間のやってることが差別、ブロ晒し、不謹慎、荒らし、わたるなの言葉を借りるに「大した功績も上げていないのに、虎の威を借る狐の如く、強い人のマシュマロをスピーカー代わりにして私達、もとい様々な方の模倣さえをも馬鹿にしている」人、あと俺などなど、ちょっと難が、いや、結構難がある人が集まっています。
うん、そんな人がいる限り、界隈はクソとしか言いようがないですよね。あとわたるなは功利主義者ですね。

流される人間

界隈人は長いものに巻かれています。自分の意見を持っていません。
その一例が、私をブロックすることでしょう。私に対する行動の最善策は「無視」であるかと思いますが、まあこの界隈の人間はとにかく私をブロックしてくる。
私へ反論したいという気持ちはわかります。そういう人が私をブロックしたいのはわかりますよ。嫌いなんだからね。でも、それ以外の人がどうしてブロックするんでしょうね。ブロックしたって何か意味があるとは思えないんですけどね。ツイートが流れてこないとか?それはミュートでいいんじゃないですか?
じゃあ何で私をブロックするかって、そういう風潮ができてるからだと思うんですよ。
どうしてそういう理論に飛ぶかというと、過去の経験があります。
瓜売りが大暴れしていた頃、某大物界隈人Dが「瓜売りはほんとにやばいのでブロックした方がいい」というようなことを言っていました。そして私は瓜売りをブロックしました。
まあ確かに当時の瓜売りはちょっとひどいと思いましたが、実害も何もないのにブロックしたことについては反省しています。
さて、このような経験があることから私が多くの界隈人にブロックされるのは長いものに巻かれているからだと思っています。
そして、私の意見に耳を傾けることなくブロックして無視というのは愚かだと思いますね。私の意見が嫌いでも私の言ってることのどこかはきっと多分理解できるというところがあると思います。それを無視してまで長いものに巻かれるのは、愚かではないでしょうか。
だから、界隈人に自分の意見を持ってほしいと私は思うのです。

界隈は分裂しかけている

見ればわかる通り、界隈は分裂しかけています、古参側と新参側に。
正確には、古参側と、新参側が2つ、それとネジマキ派閥のようなものができていると感じますが、そこは省略して、大まかに新参側と古参側に分かれているとします。
それをまだ界隈は一つだと思っている人もいるようです。そのこともなかなかクソであると思います。
そして、界隈が分裂しかけていることによって、古参側と新参側の、もしくは派閥間の意見の齟齬によって界隈は荒れている訳です。
さて、そもそもなぜ分裂しているかといえば、界隈の人間関係が凝り固まっていることに問題がある訳です。
そしてこの現状を考えるに、私は界隈は分裂すると考えていました。そしてそのことが私たち誰もにとって一番重要なことであるとは、今も信じて疑っていません。
なぜならば、界隈が分裂すれば、クソみたいな界隈人の性格、その棘が綺麗に丸くなるからです。誰でも好きな人に逆らうことを望んでいませんから。
では、界隈を分裂させるために何が必要かといえば、3点あります。
1.大炎上する
2.影響力の高い新参が現れる
3.強い模倣の登場
このうちのどれかが達成されれば、界隈は分裂するでしょう。
では、説明していきます。

大炎上する

大炎上すれば界隈は分裂します。
例えば私ですね。私はそこそこ燃えたことにより、多くの界隈人に自衛ブロックをさせることに成功し、また私の意見を聞かない多くの古参側の人と、私の意見を聞いた多くの新参側の人間により、これまで以上の分断を成功させました。
しかしながら、この程度では分裂とは言えないでしょう。私を超えるような人に炎上を頼みたいところですが、そんな人は瓜売りくらいしかいないはずなので、この方法は現実的ではありません。

影響力の高い新参が現れる

影響力の高さというのは、界隈の分裂に非常に役に立ちます。
なぜなら、影響力があることで、他の新参もついていき、界隈の派閥化が顕著になるからです。
そして私は影響力というのは「言動」「行動」「能力」の3つで形作られると思っています。
その人の言動によって「この人は良い人だ、この人について行こう」という潜在能力が働き、その人の行動によって、その人について行く人、つまり影響力は目に見えるものとなり、その人の能力によってついて行った後、どう派閥に成長するかが見えます。
私はあの11月、あのnoteを出したときの影響力を超えれそうにありませんが、他力本願で影響力の高い新参が出てくることを願っています。

強い模倣の登場

強い模倣は影響力を持っています。すべみん、すべゆえ、この辺りが代表例になりますが、これらの模倣は信者を多数持っています。いわゆるネジマキ信者、そして隻眼信者と言われるような人間です。では例をあげていきましょう。隻眼さんはどうも信者がいることを良しとはしていなさそうなので、ここで強い模倣の信者による派閥化の例としてはあげないでおきます。あまりにも強い模倣になるとそういうこともあって大変なんですね。という訳でネジマキ信者を例とします。
ネジマキ信者は、ネジマキを主として存在しています。彼らは自分の考えを持たず、ネジマキを神としてネジマキの意向に沿い、常識的にあり得ない考えも、もちろんそれは当然であろうという考えも、全ての考えをネジマキと同じくします。
そう考えると今の私はネジマキ信者ではなく、ただのネジマキ好きな気がしてきました。では、私は元ネジマキ信者と自称しましょう。
私のような元ネジマキ信者から言わせてもらうと、このような状態にどうやって達したかといえば、ネジマキ自身の能力に惚れ込んだことによります。これは前述の通り、影響力を作る3つの要素の一つです。
この能力というのが、3つの要素のうち最も重大なものであると思います。私はネジマキの能力に惚れ込み、ネジマキの言動、行動にも惚れ込むようになりました。そして、絶対にネジマキに嫌われたくないと。
さて、という訳で、能力というのが影響力を作る要素のうち最も大事なので、能力が発揮される模倣において信者の獲得とは(作曲能力があれば)簡単なものなのです。
つまり、強い模倣が信者を獲得することにより、界隈はその人の考えに流され、派閥化が進む訳です。
ただ、信者は分裂においては都合が良いんですが、その以外の点では良くないことの方が多いです。見たいモノだけを見て、信じたいモノを信じ、目が覚めた時はすでに遅し、死に至るようになってしまうのです。そのようなことと、界隈を分裂させることの折衷案を作るのが今後の課題です。

界隈は分裂しかけている、でも……

私は「界隈は分裂すると考えていました」と書きました。なぜ過去形なのか、それは、今後界隈は消えるからです。
ころんば界隈を見てみてください。もうほぼ無です。私がまだ新参のころ、2020年後半から2021年くらい、きっとTwitterを始めたらころんば界隈とすべあな界隈がバッチバチにやりあってるんだろうなと思っていました。でも見てください。私がTwitterを始めて、ころんば界隈のこの字くらいはありましたが、ろの字は見えません。ここにあるのは、こ界隈です。
ではそれがなぜかと言えば、ころんば界隈があまりにも一般化されすぎたからです。ころんば界隈が一般化され、徐々に界隈と外の枠組みが薄くなって、今に至っています。と、とある人から聞き、なるほどと思いました。
そのようなことがすべあな界隈でも起きることは明白でしょう。
すべあな界隈は分裂より先に消えるのではないかと思います。私は古参側は排他的であるが故に界隈として残り続けるとは思いましたが、新参側に関しては消えていくことでしょう。それで、過ごしやすい世界が訪れるなら良いと思います。そうでなければ悪いです。
私は過ごしやすい世界が訪れると思っています。たくさん人がいるということは、それだけ他界隈と混ざり合ったすべあな界隈における誰と仲良くするとか、そういった派閥はたくさん生まれ、たくさんの選択肢、過ごしやすい空間ができると思います。

まとめ

人間の流れが凝り固まっていて、総じてまともじゃない人間だらけで、界隈が分裂しかけていることとそれに耳を貸そうとしないこと、私たちが存在している、古参に流される、そういったことで界隈はクソだと考えています。そして界隈はこのままだと新参側は薄れて消えますが、それは良いことでしょう。
そういったことを主張してきました。
こんな私のnoteをクリックしていただきありがとうございました。
今後、私の思うように界隈が進むかは不明ですが、きっといろんな条件から、界隈の派閥化は進むと思います。
私をただ否定するだけ、そんなことをしないでくれたらありがたいです。
以上です。

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