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[#5 : 振り返り] メッシュワークゼミ記録

向き合ったのは自分自身だった

半年にわたるメッシュワークゼミが先月末で終わった。たしかに終わったはずなのだけど、こんなに終わった感のない終わりはこれまでにないかもしれない。むしろ、新しい、知らないどこかに来てしまったような、ここからまたどこに行くのか考えるお題を手にしてしまったような。

協力者の方の世界をわかろうとするほど、えぐり出される自分自身の考え方やものの感じ方がときに許せなかったり、人には見せたくなかったりして、最後まで展示に入れ込むのを躊躇した。
なので、自分としてはあの展示物の肝は「後記」である。ここにも転記しておく。

「モノを捨てられないのかな」
初訪問時の、大嶌さんの部屋に対する筆者の印象はなんとも安易だった。また、これは後になってだんだん気がついたことだが、なんとなく”自分と彼はタイプが違う”とも感じていた。
こうして数ヶ月経った今、別に”同じタイプ”だと思うようになったわけではない。けれども、不思議と彼に親近感を覚えるのである。これは単に、何度も会って話したからとかそういう類のものとはちょっと違っている。

筆者は彼の持ちものに、彼が見てきたものを想像できるようになっている。そのときどきの感情まで知っているような気すらする。もちろんこれは彼本人が見てきたものや感じてきたものと同じではないし、なんならてんでトンチンカンでズレたものかもしれない。
メッシュワークゼミナールの全期間を通して、あれほど”わかることなどない”と身にしみているのに、このわかったような気持ちはなんなのだろう。

今も彼は、洋服で対話し続けていると思う。ティーンエイジャーの頃に”知ろうと”していたのとは少しちがって、それが引き続き自分の存在をうまく捉えていることを、自分がその形状であるかを、たしかめ続けている。
そうやって集まった洋服たちは、あのチェスト、あの棚にしまわれながら、ひとつ残らず彼を構成している。
この行為を、筆者自身もしているように思うのである。
この部屋は大嶌さんが通い詰めたあの古着屋のように、あのカウンターバーのように、なんだか居心地がいい。

モノに託された断片 2022年10月〜2023年2月

自分とはタイプがちがう、と感じていたこと自体も本来なら言いたくないことだった。そのことについて今もよくわからないでいるが、たぶん「人を評価してはいけない、おこがましいことである」とか「人に対する感情を当人以外に対して口にするのはよくないことだ」とか思っているのだと思う。
印象と評価は同じじゃないだろう、と理性では思うのだけど、なんだかこのことを書くのは居心地がよくなかった。それでも、ここを除外してしまうと自分に起きた(ように感じている)変化が書けないと思った。

いつも派手な色使いで一風変わったアイテムを身に着けていて、タトゥーがいっぱい入っていて、なんだか変わった煙草を吸っていて、服をめちゃくちゃ持っている、コワイ人だと思っていた。
それが今は、いつも派手な色使いで一風変わったアイテムを身に着けていて、タトゥーがいっぱい入っていて、なんだか変わった煙草を吸っていて、服をめちゃくちゃ持っている、なんか自分と似た人だと思っている。
ただ時間を共にするだけでは、たぶん「彼は彼、自分は自分」以上でも以下でもない、ある種平行線を辿るだけでこうはならない。
人類学の右も左もわかっていないわたしのような人間がたった半年間、意識的に向き合うだけでこんな風に感じるようになるのなら、みんな人類学者になれば世界平和が実現するんじゃないかと本気で思う。

向き合ってきたのは、ほかでもない自分自身だった。

フィルターを通す記録、通さない記録

最初にリサーチクエスチョンを書き出すところから始めた。そして起点にしたのはこの問いである。

「自宅にしまわれているモノは忘れられているのではないか?」

実務なら、問いをもっと網羅的に出して構造を整理してからこれという問いを選びたい。そういう意味で、起点にすべきなのはこれじゃないかもしれない。
でも、ふと気になった駅に降り立ってみるような気持ちではじめたかった。それで一番最初にノートに書いていたこの問いを取り上げることにした。
そうは言っても、いつものやり方みたいなのがどうも抜けきらなくて、どうやって「適切な条件に該当する対象者を適切な人数リクルート」しようかと考えていたわたしに比嘉さんがおっしゃった、聴ける方のお話から聴いてもいいと思いますよ、に意気込んでいた姿勢をほぐしてもらい、機縁で協力してもらえる方が決まった。

初回の訪問時は、予定通り収納について聞かせてもらった。ノートとペンだけ持って協力者の方の自宅に伺い、立ったまま簡単なメモを取りながら部屋を案内してもらってまわった。
たしかに彼の家はモノが多かったし、忘れられているモノも少なくないようだった。けれど、彼の世界をわかりたいと思うと、この最初の問いを一度忘れないといけないような気がした。
そこで他にも候補に考えていた方がいたものの協力をお願いするのは結局最初に決まったこの方のお宅に絞ったのだった。

彼が一番楽しげに話してくれるのは洋服の話題で、自然と好きな店や服選びについて主に聞かせてもらうようになった。彼ならではのしゃべりかたのテンポや言葉遣いにだんだん耳慣れていくのが楽しかった。

その情報量を取りこぼしたくなくて、2回目の訪問以降、記録を録音に切り替えた。手書きでしか記録を残せないことに焦りを覚えていた。
ところが、ゼミ期間を終えてみて一番後悔するのはこの点である。
ほとんどの情報がこぼれ落ちるなか、それでも自分がようやく書き留めるのは何に関することなのか。それをどのように受け取ってどう表現するのか。そこにこそ浮き出る、自分のとらえ方、感じ方。その変遷を振り返るチャンスを自分で削ってしまったなと反省。
たとえ録音をするにしても、振り返りまでに数日置いてしまうことが多かったので、同日中に都度コメントを添えるなど、やれることはあったなと思う。

何度も味わい、幾重にも重ねる

反対に、受講生同士の日々の会話なくしてこういうわかりかたは出来ていなかっただろうなと感じている。
ゼミ受講生はDiscordでそれぞれ自分の個人チャンネルにそれぞれのタイミングで活動を記録していた。それをお互いに読んだり、テキスト上で会話したり、自主的に集まってオンラインで話したこともあった。ゼミでの定期フィードバック時間以外にこうした日々のやりとりがあったからこそ、「なるほどそう感じるのか」「そう捉えるとちがうところも気になるな」など解釈が重ねられていって、何度も反すうする機会をもらえたと思う。

こうやって時間をかけてひとつの対象に向き合い続けることで、久しぶりに「だんだんわかる」を体験した気がする。
なにかに似ている、と考えて思い至ったのは子どもの頃に1年だけ移り住んだ英国での生活だった。日本語を話せるのは親とだけだった。英語はアルファベットが書けるだけ、駅名すら満足に読めないレベルで、毎日本当に試行錯誤だったけど、あ、この人もこの間の人と同じことを言っているようだ、おや、この単語はこういうときにも使うようだ、と少しずつ自分のなかに共通項が見出されてきたあの感覚。

これは、「言語ゲーム」にも似ている。
ゼミ期間中、ゼミのために手にとった書籍はおおよそ写真の10冊だが、中央に写るのが「はじめての言語ゲーム」。この書籍は、哲学者ウィトゲンシュタインが提唱した、わたしたちの言語活動に対する比喩であるところの言語ゲームという概念を彼の思考の変遷とともに解説したもの。
言葉そのものが意味を持っているのではなく、言葉が使われる状況のなかでその意味が確定されていく。
何度もやりとりするなかでだんだんとわかっていく。
たしか、幼児はだんだん言葉をわかっていくが、だからといってその段階では言葉の意味を論理的に説明できない、という趣旨の記述があって、あれ、それなのに大人は逆からわかろうとしがちだけど、それってわかってるということなのだろうかと疑問が浮かんで印象的だった。

西太平洋の遠洋航海者、人類学とは何か、フィールドワークへの挑戦の3冊は課題図書だ

ある事柄について、いろんな角度からコメントをもらってまた考えたり、時間を置いて自分でまた考えたり、協力者と話していてまた考えたり、そうするうちにじわりじわりと、言葉ではまだうまく言い表せないのにたしかにそこにかたちが浮かび上がってきているような、そういう感覚を今回体験できたのが大きかった。

副次的におもしろかったのは展示期間中のことだ。
各受講生が、他受講生の展示を来場者に自分の言葉で説明できていた。一度もお互いの展示について順序立てて説明したことなんかなかったのに。
各人のフィルターを通した、その人のわかりかたで説明される他受講生の展示。それを受け取った来場者の方々のコメント。それを聞いて、またあらたなことを考える。ループするごとに、味がする。

断面を切り取る

2月末の展示期間に向けて、準備という準備に使ったのは実質3−4日だと思う。平日の仕事終わり、週末、時間が取れる限り向き合い、何時〜何時に1時間、何時〜何時に2時間で計3時間取れるからここであれをしてここでそれを再考して…とタイムトライアルのような数日だった。
最初からアウトプットを想定することと、日々の参与観察の行為があまりにも対極だったのだ。着地をイメージしてしまえば、今目の前でやっていることがすべて無意味になってしまうような気すらして、意識的に避けてきた。
そんなわけで本当に最後の最後になってから、「自分はこの半年間いったい何に向き合っていたのだろうか」とそもそもすぎる壁にぶつかり、袋小路で苦しんだ。

わたしの場合は協力者の方の通ってきたお気に入りの店やファッションにまつわるエピソードに時系列があったので、オンラインホワイトボードツールに年表を作ってみたり、それこそ実務でやるようにKJ法で書き起こし文章をグルーピングしてみたりしながら、だんだんと今の時点で自分が考えていることをあぶり出していった。わかったことなんてないような気がしていたけれど、今の時点で、というただし付きを自分に課すことでなんとか進められた。
それらを文章におこしつつ、わたし個人がどんなフィルターを通して彼をとらえているかを表現するために、協力者の方のプロフィールなど基本情報は一切書かなかったし、顔の写った写真も使わないことにした。

わたしは大抵なんでもテキストに書き出して頭のなかを整理するタイプで、この展示もやっぱりメインは文章になり、いわゆるポスター発表を参考にまとめた。写真の取り扱いをどうしようか迷い、結果的には洗濯物用のピンチハンガーに吊るす格好で展示した。

吊り下げられた各写真の裏面にはわたしが感じたことのメモを添えてある

わたしが見た、協力者の自宅の様子、人物、モノとの付き合い方、そういうものをどんな風に展示に持ってこれるだろうかと考えた結果がピンチハンガーになったわけである。
展示環境や準備の制限が違えば、また別の表現もあると思う。
この、展示表現を決めていくコンセプチュアルなプロセスは(タイムトライアルで切羽詰まった中でも)とても楽しかった。比嘉さんとのフィードバック面談や、受講生同士の会話でだんだんわかってくる、もっとも「わたしが見るその人」を表す表現を言語化し、それをまたかたちに落とし込む作業は、あらためて自分を通して相手に近づく時間に感じられた。

問いを立てて、その問い側からせまっていくこと、相手やそこにあるフローに身を任せて、そこでの世界をわかろうとし、その後に問いを見つめること。
順序が違うだけで、自分が起点にした最初の問いは切り口からしてすでにナンセンスであることがわかるようになっていた。

つづきの始まり

最後に、展示期間を終えてから先日わたしがメッシュワークのDiscordにポストした日記を転載して終えたい。

昨晩、ポスターを見せに大嶌家を訪れた。
仕事終わり、風呂上がりの大島さんは疲れからアトピーが出て少し辛そうにしながらもにこにこして出迎えてくれる。
好きかと思って、とジャスミンティーをあたためて出してくれた。
しばし雑談してから、ポスターを見やすい位置にあった姿見にマスキングテープで簡易的に貼る。
大嶌さんはポスターの前に立ってしばらく腕組みをしたまま、じっと動かなかった。
どんな気持ちで読んでいるんだろう、気を悪くしないだろうか。今更そんな心配が頭をもたげる。気恥ずかしくなって、そんな全部しっかり読み込まんでよ、と言った。
「自分が自分じゃないみたいだ」
第一声。
まるで自分がなんだか立派な人間になったみたいな気になる、と続けて大嶌さんは言った。
写真これ、本当ごちゃごちゃやね、と言いながらまさに背後にあるその写真に写った本棚あたりを振り返る。写真とほぼ同じ景色である。ここにダーツがあってスノボがあって自転車も置いてあるもんねえ。あはは。
ひとしきり別の話題に飛んだあと、大嶌さんは「俺このポスター欲しい」と言った。
妻が、飾りたいんやろ、人に見せたいんやろ?と反応する。

やっぱり大嶌さんは集めるんだなあ。大嶌家の空間に、こうしてわたしも編み込まれていく。

自分が主体のつもりで見ていたはずのものに、無意識のうちに関わっていく。主体と客体が混ざりあってマーブルになる。
わかろうという姿勢を取り続けるかぎり、わかることが遠くなっていくのに、そのほうが前よりもいいと思えている。

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