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[#1:初日] メッシュワークゼミ記録

これはなに

今月から来年2月までの半年間、メッシュワークゼミナールに参加できることになった。そのときどきの、リフレクションを自分用に書き残す。
もしかすると、自分と似たことを感じたり考えている方には、考えを発展させる何かとっかかりになれるかもしれない。ならないかもしれない。

じっくり向き合う機会が必要だった

普段リサーチクエスチョンを小さく分解して、それに対応する答えを出す、という短いサイクルを同時に複数進行していて、本当に日々がめまぐるしい。
それ自体はエキサイティングで楽しんでもいるんだけど、UXリサーチャーって組織のなかで半歩外に出た視点を常に持っているべき機能だと思っていて、そこからすると、近視眼的になりやすい状況だと思う。
そのサイクルとはちがう時間軸の、問いにじっくり向き合う機会が別でほしいなーと思っていた。
そんなことを感じていたときに、ある日自分のためかのような募集を見て、数日迷ったけど、やっぱりこれって自分のためのやつだよな(ポジティブ)と思って、申し込んだ。

基本的にすぐインプット過多になる人間なので詰め込まないようにしているけど、前回学びに出たのは2019年。その後しばらく実務の中で自分なりに学びを解釈する期間を経て、タイミング的にも今ならちょうど大丈夫かもいけるかもとも思えた。

感じたことのメモ

まだ研究テーマを考えはじめてもいないし、案内には「説明会」とあったし、全然気負わず、ニュートラルな気持ちで初回に臨んだ。

参加者は自分を入れて8名で、募集にあったとおりだった。たくさん応募があったそう。へー、なんでわたしなんぞ選んでいただいたのだろう。前回「観る」のワークに参加させていただいたときにリフレクション書いてたからかな、ふふ、とか考えた。
もうおひとかた、最近UXリサーチャーとして転職されたって方がいてうれしかった。とはいえ、いろんな居住地や職業や背景の方で構成されていて、きっとバラエティを意識してあるんだろうなと思った。シンプルに、おひとりおひとりの話をいろいろ聞いてみるだけでもおもしろそうなんだが。

比嘉さんや水上さんからイントロとして人類学の話を伺っていて、あーこれはちがう世界を見て、自分の世界とのギャップを特定して、ギャップをとっかかりに自分たちを省みることだなーと思った。
そして最後のところが大事だと感じる。自分の頭で考えるっていうことをするための学問なのかなあ。

水上さんの当時の研究を紹介いただいた。職人に対して、「定住しなくても生きていける自由な人々」って感じたこと自体がそれだけで既におもしろかった。
わたしの脳内では「定住しない」ことと「自由」がつながっていなかったから、はあなるほど、これひとつ取っても、調査者自身の見ているものがフレームワークになっていておもしろい、みたいなことを考えた。その後、テーマはアップデートされていった模様。
いったん立てた問いが揺さぶられるのって、しんど楽しいんだろうなあ。

純粋に、なぜ遠いフィールドに行くのだろう?と不思議に思った。
なんなら国内のほうが、つまり、同じ日本語を話しているとばかり思い込んでいるわたしたちのほうが、研究する意義があるんじゃないのかな?
いったんそうは思ったものの、ちょっと前に考えていた「ちがう世界を見て、自分の世界とのギャップを特定して」の部分を思い出して、あ、そうか、全然ちがうところに行かないと、そもそも気が付けない、フィールドとして難易度が高いってことなんだなと思い直した。
もしかしたら、近すぎると許せないとかもあるんじゃないだろうか。自分に一定馴染みのある環境だと、「その場合はこうすべきなのに!」などと不必要に自分ごと化しすぎてしまいそう。


初回、一番自分にずんと響いたのは、これだったかも。

「言葉で現実を表現する限界」

この世界は、数えたり分類したりできないもののほうがほとんどなのに、わたしたちはいつも、なんとかして数えて分類しようとする。これはなになにである、と説明しようとする。
なんでもかんでも説明することの貧しさを感じるとき、いつもセットで、その説明がないと何も感じられないでいる無思考な自分にも気が付く。
一方、一生懸命向き合ったものを、言葉にすればするほど別のものになったようなもどかしい感覚も思い当たって、でもきっとこれはずっと抱き続けるべき辛さなんだろうなと思う。

比嘉さんの話してくださった、南半球の地図のお話も素敵だったな。「Sea of islands」。陸地が続いていること、地続き、という捉え方に対して、海続き、カヌーでどんどん行けるという世界の見え方。

思い出したのは、一番エナジーを消費する臓器である脳が省エネするために、入ってきた情報をできるだけ既知のものに振り分けて「わかった」ことにし(=完了)、それ以上考えるエナジーを節約するという話。
だからわたしたちは、「わかったつもり」に陥らないようにいつもいつも理性であらがわないといけないのだと思う。

このゼミのゴールと、わたしが「やらないこと」

研究テーマを自分で立てるということは、そのテーマに対するなんらかの解を期間中に導き出すことになるんだろうなとふんわり考えていた。
でもそこじゃないと明言していただいたのが、個人的によい発見になった。そうか、自分が立てたその問いが、ゆさぶられ、その問い自体をリフレームすることに「なってしまう」ことこそがポイントなんだと思った。

比嘉さんがおっしゃっていた、やがて更新されるためにそこに旗を立てる、ってかっこいい表現だなー。
計画通りっていうのは、計画の枠を超えることができなかったとも言えるんじゃないかっていうのも、記憶に残った。きっとだからやっぱりリフレーミングなんだよな。

この半年間、できるだけ自分の知っているものに置き換えて翻訳しないように心がけようと思う。自分のほうに引き寄せてものをわかろうとしていたら、きっといつまでたっても「現地語の意味」がわからない。

最初にイメージした場所とちがう場所に行くことをおもしろがっていくぞ。


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