シングルとダブルのマテリアリティ

マテリアリティという言葉をご存じでしょうか。日本語で「重要課題」と表記されることもあります。自社の経営にとって影響(インパクト)が大きい課題を示すものであり、もともとは投資家向けに財務的課題を説明するための用語でした。その後、サステナビリティへの取り組みが注目されるにつれ、経済、環境、社会(人々、人権を含む)といった非財務の課題を対象とするようになりました。マテリアリティはGRIスタンダードの中で、その定義や決定方法について示されています。以下では、マテリアリティについての考え方に「シングル」と「ダブル」の二つの考え方があるということをご紹介します。


マテリアリティとは経済、環境、社会といった分野の課題のうち、自社の経営にとって影響が大きなものを指します。この「影響」を判断する際に、その主体と対象について、言い換えれば「何が何に影響を及ぼすか」について二つの見方があります。

第一は「経済・環境・社会」の非財務課題が「企業活動」に及ぼす影響という見方です。これは投資家の関心に応えた見方であり、企業価値の増減を左右する「経済・環境・社会」の優先課題がマテリアリティということになります。たとえば、脱炭素への取り組みが、長期的に企業価値に大きな影響を及ぼすのであれば、投資家にとっての重視すべき課題であり、当該企業にとってのマテリアリティになります。シングル・マテリアリティとは、この見方を採用するものです。


第二は、「企業活動」が「経済・環境・社会」の非財務課題に及ぼす影響という逆方向の見方です。企業が自社の事業活動や取引関係を通じて、「経済・環境・社会」の課題に甚大な影響を及ぼすものがマテリアリティとみなされます。これは投資家の関心だけでなく、地域社会や消費者、NGO、有識者、行政、国際機関など様々な関係者、すなわちマルチステークホルダーの関心にも応えた見方となります。こうした影響が、たとえ当該企業の企業価値を大きく左右することがなくとも、「経済・環境・社会」への影響が甚大であれば、それはマテリアリティになります。例えば、ある企業が製造に必要な農産物を他国の生産者から調達する際に、現地の農園造成により絶滅危惧種の生育が危ぶまれる事態が起きていれば、たとえ当該企業の経営には直接には影響を及ぼさずとも、それはマテリアリティとみなされます。そして、ダブル・マテリアリティとは、第一と第二の双方の見方も含めて重要課題を決定するというアプローチになります。

非財務情報の開示の主たる枠組みとして、SASBスタンダードとGRIスタンダードの二つがありますが、投資家の情報ニーズに応えることを使命とするSASBスタンダードは、当然ながらシングル・マテリアリティの見方をとっています。一方、GRIスタンダードは多様なステークホルダーのニーズに応えることを目指すものであり、これはダブル・マテリアリティの見方になります。
このように、マテリアリティには二つの見方があり、それぞれ「何が何に影響を及ぼすか」について真逆の発想になっています。SASBとGRIの両スタンダードの使い分けを考える際に、このシングルとダブルのマテリアリティの相違を理解すると役に立つことと思います。


もっとも、このようにマテリアリティを二つに分ける見方はあまり意味がないのではないかという見解も近年になって出ています。前述のように、シングル・マテリアリティの見方では、企業の事業活動が「経済・環境・社会」に甚大な影響を及ぼす場合でも、当該企業の価値を直接左右するものでなければ、当該課題はマテリアリティとみなされません。しかしながら、こうした状況は時代の移り変わりに伴って変化する可能性はあります。


例えば、アパレル企業が中国の新疆ウイグル自治区から綿の原材料を調達している場合、仮にこの取引関係が現地の人権侵害に加担していた可能性があったとしても、数年前であれば当該企業の価値を左右するような課題ではありませんでした。しかし、この問題が国際的に注目され、新疆ウイグルの綿花を利用した製品の不買運動がおこり、禁輸措置まで検討されるようになると、これは企業価値を大きく左右する課題になってきます。ビジネスを取り巻く情勢が変化すれば、人権侵害の問題がダブル・マテリアリティからシングル・マテリアリティの側面にも移行し、企業財務、企業価値そのものに影響を及ぼすことになります。マテリアリティは静的ではなく、時間の経過により変化しうる動的な概念であると解釈されます。これはダイナミックマテリアリティという言葉で説明されることがあります。

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