価値観

週に一度くらいの頻度で記事を作れたらいいなと思っていたのですが…
こんなに空くものなのですね

わたしは自分が書く記事をなんのために書くか、、少し考えました…

精神疾患患者としての近況報告、意見交換、症状の記録、全てあるのですが躁鬱を持つ自分を見つめ直す目的も可能なのではと思いました

なのでこれからはそんな感じでいきます。

わたしは自分で言うのもなんですが躁鬱であることを考えても気難しい性格だと思います。ちょっとした一言で直ぐに機嫌を損ねる…
直ぐに相手を嫌になる…
人付き合いの相手を選ぶ…
大学でも気に入らない人の話は聞かない、愛想のない、人によって直ぐに態度を変える、そんな奴です…
躁鬱の症状ですかね?…そんなわけないか

次にわたしは思いを人に伝えるのが苦手です。
ありがとうとか好きとかこうして欲しいを人に言えない…

そんなことを想像したでしょうか?

全く違います

最初の記事でも説明しましたがわたしの頭の中は常に鬱屈としています

躁鬱が重い時は尚の事情緒不安定ですが
症状が安定している時も
本当によくわからない感情やイメージが思考の大半を圧迫しているのです
言語化できないのです
人と思いを共有できないのです 
そして人の思いも頭ではわかっていても心の底までは共感できない
嬉しさや幸せに満たされる友人を見るたびにそれを共有できない虚しさでわたしの心は荒み
楽しい振りを強要されるイベントからは距離を取る

…そんなつまらない人生でした

わたしは小学生の頃、親や教師に訳もわからず長時間怒鳴られ、殴られ、その都度わたしの頭は真っ白になり自分を押し殺してきました。

その時の頭の中の感覚やイメージがそのままわたしと言う人間を作るパーツになってしまったのかもしれません

そろそろ何を書く予定だったか、何を書きたかったかもわからなくなってきたので今日はこれで

良い夢を、おやすみなさい

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