クラウザーと呼ばないで

2022年、秋。
いつ以来だろうか?
久しぶりに中央総武線に揺られている。
秋葉原から新宿へ向かう途中、アナウンスが懐かしい駅名を呼ぶ。
「次は千駄ヶ谷、千駄ヶ谷~」
千駄ヶ谷、11年前に一度だけ下車したことがある駅だ。
一度だけ。その一度だけが俺の記憶に深く刻み込まれている。
少し昔話をしよう。

2011年、冬。
俺は東京への進学を控えたド田舎の高3だ。
春から始まる一人暮らしへの実感が沸かずにいた。
そんな状況から逃避したかったのか、音楽を聴きながらの深夜徘徊が日課になっていた。

「春から住む物件も決まっているのに、なぜこんなにも不安なのか?」
「いや、決まっているからこそか?」
「現実に気持ちが追い付いていないのか?」
「自分で選んだ道だぞ?この田舎の連中と死ぬまで過ごす方がいいのか?」

頭の中でぶつぶつと呟きながら誰もいない町を歩く。

「ではどうすればいい?」
「生活に希望がない」
「充実した生活……趣味、恋愛、友達…。」
「!??」

あることに気付いた俺は足早に帰宅し、
悴む手をストーブで温めながらケータイを開いた。
そう、GREEだ。
GREEを知らない人に向けて簡単に説明すると、コミュニティ型のSNSだ。
プロフィール検索の他にコミュニティを通して他会員と交流ができる。

「『春から東京に住みます。同じく上京する人や共通の趣味がある人、よろしくお願いします。』…っと。」
俺はプロフィールを編集し、会員検索の対象地域を首都圏に変更した。
その日から、同年代の会員に男女問わず声を掛けて交流していった。
春から同じ学科に通うケンタ、後にゲイであることをカミングアウトしながらチン写メを送ってきたカズキ、そしてバンギャのミホ。

ミホは黒髪に金色のメッシュが映えるショートヘアの自撮りを載せていた。
染髪禁止の高校で過ごしていた俺にとって、雑誌でしか見たことがない彼女の髪型は、都会の自由の象徴のようで眩しく見えた。
彼女はフットワークが軽く、4‐5通メッセージのやりとりをするなり電話番号を送ってきた。
唐突な番号に一瞬たじろぐも、「都会の子は電話くらい当たり前なんだな。」と思うと断るのが癪になってきた。
思い切って渡された番号に電話をしてみる。
「もしもーし?」低めの声の出る声帯を少し締めて音程を上げている。そんな声で彼女が電話に出る。
「もしもし、GREEの……」
「あー!ありがとうー!!」俺が言い切る前に彼女は黄色い声を出した。
そこから小一時間話をする中で、彼女は自身のことを教えてくれた。
生まれも育ちも千葉県であること。
俺がプロフに好きなものとして挙げていたアヲイというバンドが好きであること。
定時制の高校に通っているが特にバイトはしていないということ。

「…へー、春から錦糸町に住むんだね。私千葉だけど船橋だから結構近いよ!」
曰く電車で30分もかからないらしい。
「そうなんだ。機会があったらご飯でもいこうな。」煩悩をかき消しながら今できる精一杯の大人な返答をし、その日は電話を終えた。
その日から、彼女とは日に数往復程度のメッセージのやりとりをする仲になった。

そこから上京するまでは早かった。
どうやら俺は思い出に後ろ髪を引かれていた訳ではなかったらしい。
新生活での明るいビジョンを描けなかったことが不安だったのだ。
我ながらうんざりする程薄情な人間だ。

3月下旬。
バイトで貯めた50万円とバッグひとつ分の着替えを手に上京した。
錦糸町駅南口徒歩3分にあるワンルーム、俺の新しい住処だ。
近辺で必要な家具家電を購入したが、殆どは後日配送となる。
自らの手で店から運び込んだ布団のみが鎮座する部屋で全裸になり大の字で寝転がる。
そして、カーテンのかかってない窓辺から赤い空を見上げ、入学までの一週間の過ごし方に思いを馳せる。
ケンタはギリギリに東京に来るらしい。カズキに至っては連絡をとっていない。
「ミホか……。」
この頃にはちょくちょく電話をする程度に仲良くなっていたものの、バンギャに良い思い出がない俺は会うことを躊躇していた。
しかし案ずるな、彼女は一個下だ。
そう自分に言い聞かせながらミホに電話をかけてみる。

「あー、ミホ?今大丈夫?特になんにもないんだけど。さっき東京に着いてさ。いま自分の部屋。」
「えっ、今から?良いけど俺の部屋何にもないよ?」
「おっけ、丁度良い時間だしご飯食べよう。だから駅で待ち合わせね。」

ミホは思った以上にフットワークが軽かった。
さて、どうしたものか。
いきなり部屋に招き入れるのは怖かったのでご飯にしようと言ったものの、はじめてきた町だ。
急いでシャワーを済ませた俺は、駅から自宅に至るまでにある通りで店を探すことにした。
とはいえ俺は上京したてのガキだ。
店の良し悪しはおろか予算すら知らななかった。
見知らぬ飲食店と無料案内所が混在する通りを彷徨う。
そんな中、一筋の光明が差した。
牛角だ。
以前家族と来たことがある。
ありがとうチェーン店。
今夜は焼肉を頬張ってもらった後に生肉を頬張ってもらうとしよう。
店を決めた俺は待ち合わせの場所に行き、みほの到着を待った。

18時04分。
予定よりも少し遅れてミホが到着した。
自撮りと変わらない金色のメッシュが映えるショートヘアの女の子だ。
「ごめんね、遅くなっちゃった。18時ちょうどの着の電車に乗っちゃって。」
少し走ってきのだろう、彼女は息切れ気味に早口で言った。
「ううん、全然。俺もさっきまでそこの通り見てて。」
大丈夫だと伝わるように少し穏やかに伝える。
「あそこの通りに牛角あってさ。そこでいいかな?」
俺が尋ねるとミホは頷く。

店に入り席に着く。
羽織っていたものを脱ぐと田舎では見たことのない深さのVネックを着ていた。
「おいおい、ここも牛角かよ。」俺は思わず固唾を飲んだがすぐに目を逸らした。
気を取り直して、サラダ・タン・ユッケ、レバー、上ミノ、カルビ・ロース・ホルモン・ライスと注文した。
なんのことはない、親父と同じ流れだ。
ミホとしても異論はなかったようだ。

…….。
ひと通り食べ終えた俺たちは、煙のにおいを身体に纏いながら店を後にした。
さて、問題はここからだ。
「お腹いっぱいだね。うち来る?もし怖いならカフェでもいいけど。」俺は探り探り聞いてみるが、ミホは二つ返事でうちへ来ると答えた。
コンビニでお茶を買い、シーリングライトのない真っ暗なワンルームへと帰る。
幸いキッチンの明かりは標準装備だったため、それだけが救いだった。
ミホは僅かな明かりを頼りにたどり着いた布団に座るなり、「わ、ほんとになんにもないねw」と言う。
確かに、床に座れという選択肢はない、が……。
そう思いながら俺も布団に座る。
そこから少し話をするなりミホは横になり始めた。
食休みとのことだが、なぜか俺にも横になるように促した。

…….。
「ふぅ。飲み物なくなっちゃったね。買ってこようか?」
「私も一緒にいく。てか、今日は泊まってこうかな。」
その日はミホと一夜を過ごしたのち、
始発後間もない駅の改札前でミホを見送った。

10日ほど経ち進学した俺は、早々に同級生と打ち解けていた。
野球推薦で上京してきたワタル、ホストを辞めて一発逆転を狙ってきたアキラ、モラトリアムの延長を楽しみに来たヒロ。
田舎の感覚の抜けない話をしながら駄弁っているときに、
俺の元に一通のメールが届いた。

From:ミホ
Title:(NoSubject)
ごめんなさい。
昨日病院いったらクラミジアと淋病にかかってるって言われた。
あなたと会うより前から痒みとかあったから、原因はあなたじゃないよ。
でも一応病院に行ってほしくて。
本当にごめんなさい。

ケータイの画面に目を落とし固まっている俺を見て、何かを察したのだろう。
ワタルは俺のケータイを奪って内容を確認するなり、視線を俺の方に戻し目を見開いている。
「…….病院行ってくるわ。」
力なく答えた俺は、同級生に見送られながら学校を後にした。

『性病 東京 検査』
何も知らなかった俺はとりあえずケータイで検索をした。
結果、錦糸町から乗り換えなしの範囲に、千駄ヶ谷の中央医院という病院があるらしい。
貯金を下ろして切符を購入し、病院へ向かう。
病院に着くなり受付を済ませ、待合室を経て問診へ。
「今日はどうされましたー?」と先生に聞かれる。
「はい、先月やった女の子からクラミジアと淋病にかかってたって言われまして……。一応僕とやるより前から自覚症状はあったみたいで。」俺は正直に答えると。
「なるほど。一回だけですか?痒みとかなければ大丈夫だと思いますけどね。一応検査しますか?」先生の問いに俺は首を縦に振る。
どうやら検査の結果が出る前では日を要するらしく、その日は尿検査の提出をして帰路についた。

翌日、俺は初めて講義を途中に抜けた罪悪感と共に講義に出た。
席に着くなり、「オーーーーーッス、クラウザーwwww」との煽りと共に肩を小突かれる。
このノンデリカシー具合はワタルだ。
「おはよ。クラウザー?」俺はワタルに訊ねる。
「クラミジアだからクラウザーなwwwwちんちん痒い?wwwww」


俺はこの世のバンギャを滅ぼす覚悟を新たにした。


ちなみに検査は陰性でした。

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