夜回り学生

俺が20歳のころの話だ。
そのころの俺は、東京から一時的に地元に帰り学生をしていた。
日中は学生でありながら同級生に基本情報技術者試験を教え、
夜はアプリを巡回して希死念慮のある若者のカウンセリングをする生活を送っていた。
言うなれば夜回り学生ってやつだ。

季節は冬から春に移り変わるころ。
まだ夕方を過ぎると冬の肌寒さが顔を覗かせる。
この日も俺は、講義を終えて家路を辿っていた。
俺は日中の陽気に合わせてブルゾンを選んだことを後悔した。
ポケットに深く手を突っ込んで足早に歩くが、程なくして夕飯がないことを思い出す。
どうやら今日は、もう少しこの肌寒さに付き合わなければならないようだ。

……。
広がる白い息の余韻よりも早く肩を震わせながら、自宅の玄関を開ける。
まだしばらくはコートを着た方が良さそうだ。
反省をしつつ部屋着に着替えてから食事を済ませると、機種変更したばかりの愛機(L-01E)と向き合う。

今日の巡回対象はLINEかまちょというアプリだ。
このアプリは掲示板形式のアプリのようで、
簡単な投稿とともにLINEやカカオトークのIDを載せることができるらしい。
大手のコミュニティ型SNSが連絡先の交換を規制していることを考えると、
ここは実質無法地帯といって差し支えないだろう。

俺はカカオトークをインストールした上で、
会員の投稿をスクロールしていく。
しばらくは「暇」「かまちょ」「暇電募集」等の投稿が続く。
よくよく投稿者の年齢を見ると、まだ10半ばの子どもがチラホラといる。
先述のSNSたちが連絡先の交換を禁止している理由はこれだ。
しばらくしたらこのアプリは消えるだろう。
年端もいかない子どもたちが犯罪に巻き込まれないことを祈りつつスクロールを進めていくと……あった。


のぞみ(31)
タイトル:「いのちの電話お願いします」
本文:これが最後になるかもしれません。

これは大変だ、早急な救助が必要だ。
10歳以上年が離れているが、件のオバンギャにより感覚を狂わされている俺からすれば大した問題ではなかった。
いや、そもそもこれは救助なのだ。
年齢など関係あるはずがない。

早速貼られていたカカオトークのIDで検索をかける。
捨て垢だろうか。出てきたアイコンは初期アイコンだ。
しかしここは注意すべきところで、これを受けて自分も初期アイコンで対応してはいけない。
恐らく、既に彼女のもとには山ほどの数のライフセーバーが連絡をしているだろう。
その中で彼女が一通一通メッセージを確認するはずがない。
そう、ここで重要なのはアイコン、つまり顔なのだ。
リアルよりも分の悪い勝負に見えるが、ここはネットの世界。
俺は100枚近く撮影した中で一番よく撮れた写真をアイコンにセットし、名前をユウキ(偽名)に設定した。
カカオトークはそこまで日本で浸透していないアプリだ。
サブ垢的な使い方でいい加減な名前にしている人間が多いだろう。
こういった細かいところで信用を稼ぐことは大事だ。

さて、準備は整った。
俺は、「最後ってどういうことですか?」と送った。
すると、ほどなくして彼女から返信がきた。
内容は「電話していい?」だった。
「もちろんです」と返すと、数秒と経たずに電話がかかってきた。

俺「もしもし」
のぞみ「もしもーし」
どう見ても元気いっぱいな声色だ。
そこには触れずに自己紹介(すくなくとも俺は偽名だが)を済ませ、のぞみに質問する、
俺「これが最後ってどうしたんですか?」
のぞみ「休職中で落ち込んでて。でも今は落ち着いたの。」
なるほど、そのパターンか。
暇だと人はいらぬことを考えるとはよく言うが。
俺はジャブを打ってみることにした。
「そうなんですね。月並みですが養生してください。ちなみになんで落ち着いたんですか?もしかして、既に話聞いてもらったりしましたか?」
「若いのにしっかりしてるねw聞いてもらってないよ。捨て垢かヤリ目の人ばっかりだから投稿消そうと思ってた」のぞみは状況を教えてくれた。
予想通りだ、が……。
「ええっ、そうなんですか。それは大変でしたね。ヤバい人結構いるんですね。」
ここは敢えて、とぼけながらリアクションをする。
「ねっ。ユウキはちゃんとしてるみたいだから良かったwあまりアプリ使わないの?」

この流れを受けて、俺は今回のカウンセリングの糸口を掴んだ。
いままでの会話から、のぞみは俺に誠実な年下という属性を望んでいる。
あとはそれに沿うように話を展開していくだけだ。

そこから数十分、のぞみは自分のことを話してくれた。
のぞみは看護師をしていたが休職中で、いまは実家に身を寄せているらしい。
しかし、現在家族は旅行で不在のため暇になり、話を聞いて欲しくアプリを使っていたとのことだ。

「〜でさ。最近肌寒いから人肌恋しいし。」
のぞみがジャブを打ってくる。
俺は一旦、そうですねと躱す。
「もし近かったらうち来て欲しかったな」と、さらに押してくる。
なるほど、グイグイ来るな。
しかしわざわさ何時間もかけて会うことになるのはしんどい。
ここらで今後の分岐をハッキリ決めるか。
「遠いんですかね?ぼくは岡山駅近くに住んでますけど」
「え、嘘。わたし中庄だよ。」
岡山駅と中庄駅は3駅の距離だ。
思いのほか近く驚いていると、俺のリアクションを待たずにのぞみは畳み掛ける。
「ユウキ優しいからもっと話聞いてほしいな。」
「車で迎えに行くからさ」
「ほら、うちいま誰もいないから」

なんということだ。
唐突な誘いに俺は面食らった。
俺のナメられ力のおかげもあるのだろうが、それを差し引いてもこの距離感は……。
危険な香りに理性が働いたものの、
「うちいま誰もいないんだよね」という、学生のうちに一度は言われたいランキングTop5入り確実のワードに抗うことができなかった。

「えっ、いいんですか?そしたら温かい飲み物買いますよ。それ飲みながらお話しましょう!」

俺は考えることをやめた。

1時間後。
今日はもう付き合わなくても良いと思っていた寒さが、風の音となって俺に話しかけてくる。
のぞみが迎えに来ると言うので、自宅よりも少し先のコンビニに向かっているのだ。
少し先の店舗を指定したのは、もちろん家バレ防止のためだ。
無事到着し、駐車場で歯を鳴らしながら待っていると、一台の車が近くに止まった。
どうやらのぞみのようだ。
ガラス越しに容姿を確認すると、AV女優のめぐりに似ていた。
正直、アプリで知り合った中ではかなり上位に入る。
俺は先ほどの危機感も忘れてウハウハで車に乗り込んだ。
道中で誘ってくれたことへの感謝を述べつつ、卑屈にならない程度に相手に敬意を払う会話をした。

そして、ときどきの沈黙を挟みながら30分ほど。
駅近の高そうなマンションに着いた。
「はえー、すごいところ住んでるんですね」心から出た声をそのまま口に出してしまった。
「親のマンションだけどねw」と、のぞみが笑って答えつつ部屋に俺を招き入れる。
玄関に上がると、その時点でとても広い部屋であることがすぐに分かった。
具体的な間取りが気になったが、それは許されなかった。
のぞみは部屋の鍵を閉めるなり、「寒いね」と言って俺の手を握ってきた。
俺たちはそのまま、やけに暖かい色の間接照明の中に消えていった。

「ふぅ……。結局お話してないですねw」
ソファに座り出されたお茶を飲みながら、少し離れた位置で背を向けているのぞみに話かけた。
のぞみは、「そうだね」と答えながらこちらを振り向く。
そして、紙とペンを持って俺の隣に座る。



「ねえ、フルネーム。どんな字書くの?」


のぞみは手に持っていたものを俺に差し出しながら訊ねてきた。
湯婆婆かな?とイジる余裕もない程度には俺は驚いた。
拒否すればやましいことがあると受け取られるだろう。
俺はそれを受け取ると、予め考えていた偽名を記入した。
俺くらいの出会い厨になると、偽の名前と生年月日、住所まで用意してある。しかし、紙に書かされる経験ははじめてだ。
人は想像の範疇を越えた場面に直面すると、膂力の差など忘れてしまうらしい。
僅かに震える手で書き終えた後の紙を見たのぞみは、「ふぅん」と満足そうな顔をして、俺の肩に頭を寄せてきた。

数時間後、最寄りのコンビニ(設定上は)まで車で送ってもらい解散した。
その日はのぞみにお礼の連絡を送り、何往復か連絡をして眠りについた。

翌日、土曜日にかこつけて夕方まで寝ていた俺は、起き抜けにスマホを見て驚愕した。
カカオトークの通知バッヂが100を越えている。
無論、昨日入れたばかりのこのアプリで連絡をとっているのはひとりしかいない。
すぐに冷静さを取り戻した俺は、「またこのパターンか……。」と思いながらアプリをアンインストールした。

昨日覚えた危機感がこんなにも早く的中するとは……。
自分の正しさと過ちを同時に認識した俺は、それ以上は考えないものとして、夕飯を作ることにした。
長時間の睡眠で喉の奥までカピカピだ、鍋でも食べてからだを潤すことにしよう。
冷蔵庫から昨日買った食材を取り出して下ごしらえをしているとインターホンが鳴った。

\ピンポーン/

土曜の夕方に来訪者とは珍しい。
しかし、うちのインターホンを鳴らすようなやつはNHKか何かしかいない。
俺はNHKには一銭も払っていないし今後も払う気がない。
当然のごとく居留守を決め込んだ。

\ピンポーン/

俺は気にせず料理を続ける。

\ピンポーン/

今日はやけにしつこいな。

\ピンポーン/


\ピンポーピンポーピンポーン/



\ユウキー/


「……えっ。」
思わず出た声と共に本能的に身体がドアの方を向く。
恐怖を抑えながらゆっくりとドアスコープを覗くと、そこにはのぞみの姿があった。
昨夜俺を降ろした後、尾行でもしたのだろう。
わかることはひとつだけ、決して今の状態の彼女と対峙してはいけない。
ひたすら居留守を決め込み、彼女か帰るのを待った。
インターホンの音と俺を呼ぶ声が交錯する中で息を殺して耐えていると、やがて静寂が訪れた。
胸をなでおろした俺はカカオトークを再インストールした。
そして定期的に、のぞみにブロックされていないか確認することにした。
期間中は早朝に家を出て、マックで時間を潰してから通学したりと大変だった。
しかし数日後、無事ブロックされたことを確認した。
しばらくは気を抜けなかったが、徐々に俺は普段の生活に戻っていった。


のぞみにブロックされる少し前、「絶対許さない」とのトークがチラっと見えた。
またひとりの人間に生きる目的を与えてしまったようだ。

俺は夜回り学生のユウキ。
今宵もネットの海で困っている若者を助けるため、新たなアプリを探す。

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