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2021.1016. 大安吉日、一粒万倍日

2021.1016. 大安吉日、一粒万倍日に友人の結婚式
拡大家族とも言えるデモクラティックスクールまっくろくろすけのコミュニティメンバーの結婚式にお呼ばれして
1年ぶりに旧友たちとの再会を果たしました。
あたたかい繋がり。


K家の兄弟たちとまっくろくろすけ初期メンバーたちの素晴らしい連携プレーはいつ見ても感動する。これは20年前に初めてK家を訪れた時から全くブレない。そしてそれはあの頃に本能で感じた「彼らの可能性に満ちた未来」が年月を経て目に見える形となり時に私を傍観者でなく参加者として一緒に体験させてくれる。

それは人と人との深い部分での愛情と信頼関係に基づく姿だと思う。

出会った時6歳だった彼は今や26歳の大人で、私を含めまわりのものも全員同じだけの歳を重ねている。
家族を持ちその子どもたちも今日この場に集っていたわけであるが、
20年前のまだ出来立てほやほやのコミュニティはゆっくりとであるが確実にその光の輪を大きく、輝きを増しているように思えた。

大人も子供も同じように伸び伸びと重い思いに過ごしているのであるが、
パーティの進行は初期メンバーたちの抜群の掛け合いのなか和気藹々と勧められるのであるが、気づけば参加者もお世話係も同じ立場で場を盛り上げたりちょっとした細々としたことを手伝ったりというのが自然に行われるのだ。
感動したことにそこには子供も含まれる。

誰もが、自分は受け取るだけでなく与える側にもある、自分は自分でいるだけでその力があることを知って、利害や損得勘定なくその力を出し合い受け入れあっていたことだ。

大人であれこどもであれ、誰もがそれをうまれた時からできるわけではない。
子どもは無垢で無邪気で純真で、時に残酷であり感受性の化身である。
大人は歳月とともに社会の中で生き抜くために時にずるく、賢く、強かさを身につけていくものである。

人を知るということは己を知るということでありそれは自分の弱さや醜さを相手に自分に認めつつ、持ちつ持たれつ道を歩む中で築かれるものかと思うが
それには時間がかかるものである。

振り返れば自分は若く愚かであったかと不意に寂しくなるものであるがそれでも今日のような、温かい繋がりのわの中にいさせてもらえる幸せをも噛み締めている。
私は今後新たな深い関係を築き会える出会いがあるかどうかに期待を持つことも、その自信もない。(断言はしたくないけれど)
そしてそんな自分に何ができるかと問うた時、そこには、
ただただ一つ一つの出会いに対して真摯に向き合うこと、そして自分を大事にしてくれる人、自分が大事にしたいと思う人を大事にすることに尽きるのであった。

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