【Music】Neil Young: Harvest-50th Anniversary
ニール・ヤング氏は、1972年アルバム『ハーベスト(Harvest)』を引っ提げての大規模ツアーのメンバーを集めたとき、アルバムのレコーディング・メンバーのスティール・ギターのベン・キース氏、ベースのティム・ドラモンド氏、ドラムスのケニー・バトリー氏とスティール・ギターのジャック・ニッチェ氏のストレイゲイターズに加えて、クレイジー・ホースのダニー・ウィッテン氏を呼び寄せました。ダニーは1970年3月にクレイジー・ホースとしてステージに上がったのが最後で、71年には薬物への依存が激しくなり若いニルス・ロフグレン氏が演奏のサポートをしていました。その後、ニールはダニーの症状が良くなったとクレイジー・ホースのメンバーから聞いていたので、ライブでのバンドの演奏に彼の持つ激しさや生で音を奏でる喜びを喚起させるものを求めたのであろうこと。ニールにはダニーへの友情があったかもしれない。ただし、薬物によるダニーの体へのダメージは、本人やニールの想像を超えて惨いものだった。リハーサルの演奏にもついていけず、ツアー前にしてニールは解雇の決断に至たりました。
その後(翌日?)ロサンゼルスの検視局からダニーの急逝を知らせる電話が、深夜ニールのもとにはいりました。1972年11月8日、ダニーは29歳だった。ニールのところにどうして電話があったのか、ダニーの財布の中にニールの電話番号のメモが残っていました。ロサンゼルスへの航空券と現金そしてメモを渡し、ダニーを送り出したその日が二人にとって最後の別れになりました。何とも切なすぎる別れであります。ニールが渡したお金でヘロインで購入したと噂になりましが、死因はアルコールと精神安定剤の過剰摂取によるもので、体内からは薬物は検出されなかったが、ニールにとっては救いようのない落胆は、その後の音楽活動に過大に、そして生涯において末長く影響を与える出来事だったのです。
50年前、『ニューミュージック・マガジン1972.4月号』の表紙「年間ベスト・ロック・アルバム金賞」に魅せられて手に入れた『ハーベスト』は、初めて購入したニール・ヤング氏のアルバムでしたが、「Needle And The Damage Done (Live)」にはアルバムの曲のなかで異質なものを感じていましたが、当時はその背景には想いもよりませんでした。
『ハーベスト』ツアーにも関わらず、未発表の新曲で構成されたライブ盤『時は消え去りて』(1973年)は、ニールにとっては新たなバンド・アンサンブルの方向性を示したものでした。続く『渚にて(On The Beach)』(1974年) では、マイナー・コードが淡々と続くギターの寂しげなフレーズが響く。強情なほどにストレートに録音することに拘り、心の震えが歌詞を運んでくることを解って、録音の生度やサウンドのひび割れに弾むことを優位だと思っていました。新しいサウンドの世界がどんよりと曇ったとしても、それでも名声に浮かれず、甘さに潰されぬように厳しい道を直観で選んで歩こうとしていました。ダニーとほぼ同時期にドラックで亡くなったスタッフのブルース・ベリー氏への二人に捧げるかたちで録音された『今宵その夜(Tonight's The Night)』(1975年)は、大切な友人を失った悲しみと寂しさを深々と歌っています。酔っぱらって一発録音された音源は、ほとんど男泣きながら歌っています。「Come On Baby Let's Go Downtown」はダニーの曲にニールが手を加えた二人の共作で、1970年にダニーのいるクレイジー・ホースのフィルモア・イーストでのライブ音源からの収録であります。リードをとるダニーに、ニールがハーモニーをしています。R&Bのフィーリングを持つダニー・ウィッテン氏の歌がとても魅力に感じます。
Neil Young - In Concert 1971 BBC [1080p]
01.- Out on the Weekend 00:00
02.- Old Man 03:59
03.- Journey Through the Past 08:04
04.- Heart of Gold 13:09
05.- Don't Let It Bring You Down 17:16
06.- A Man Needs a Maid 20:15
07.- Love in Mind 24:14
08.- Dance Dance Dance 26:27
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