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宝塚散歩 秋 2021.11.30

 11月30日(TUE) 秋空が清々しいので宝塚市街地を散歩しました。宝塚大橋から武庫川の彼方を見ています。(トップの画像)

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 宝塚音楽学校の背面にタワーマンション(32階建)が18年前(2003年)に建ちました。(宝塚市内ではじめてのタワマン)

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 宝塚大橋から見る宝塚大劇場宝塚音楽学校を割って走る阪急今津線のマルーンカラー阪急電車は、終着駅阪急宝塚駅へ向かいます。大劇場の向こうに見える赤い屋根の建物が新しく建てられた宝塚ホテルです。この日も写真の左下隅の橋上で宝塚の生徒さんがテレビカメラの前でポーズを決めていました。

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 「宝塚大劇場」の正面側に来ました。花組誕生100周年「元禄バロックロック」の公演期間中でした。今日の公演は午後一時開演のようすで、ファンの方々が「花のみち」を歩いて来られています。

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宝塚大劇場・バウホール Theater 案内はこちら

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 タワーマンションは屋上は「宝塚大劇場」の屋根瓦に合わせています。

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 新「宝塚ホテル」は昨年(2020年)6月21日に「宝塚大劇場」の向かいに開業しました。阪急宝塚南口駅前に取り残された「宝塚ホテル」は、解体取り壊し工事中でした。

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 Quatre Reves(宝塚歌劇オフィシャルショップ)

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 紅葉した蔦の絡まる宝塚音楽学校の壁は、独特のテクスチャと蔦がハーモニーを奏でるようで、教室からは音楽学校の生徒さんの歌声が聞こえてきました。

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 手塚治虫記念館前の交差点の街路樹の向こうに小さく写る黒いコートの女性は、宝塚歌劇団の生徒さんです。大劇場に向かって大きなバックを抱えて足早に通り過ぎて行きました。

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 宝塚市立手塚治虫記念館とその向こうに宝塚市立文化芸術センターを交差点から見ています。60歳以上宝塚市民であるわたしは無料で鑑賞できます。兵庫県内の小学生のこどもたちも無料です。漫画家 手塚 治虫(1928年(昭和3年)11月3日 - 1989年(平成元年)2月9日)氏は、5歳から24歳までの約20年を兵庫県宝塚市で過ごしました。手塚氏がこどものころに描いたマンガの資料なども展示されています。中学生のころに描かれた「昆虫図鑑」をいつも楽しく見ています。

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 昨年(2020年)6月1日にオープンした宝塚市立文化芸術センターは、手塚治虫記念館と同じ敷地内にあり、二つの建物の間に公園となっているのでこどもたちが遊んでいる姿を目にします。敷地の一部には、以前植物庭園があった一角が残っており公園ひろばとともに気持ちのよいスペースとなっています。この敷地は「宝塚新温泉」として明治44年(1911年)に開業し、戦後「宝塚ファミリーランド」として平成15年(2003年)まで九〇年以上の歴史に幕を閉じた、阪急電鉄の「遊園地」の跡地の一部を宝塚市が譲り受けた場所です。

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 「宝塚ファミリーランド」跡地には、現在はベビーザらス、ユニクロ、ニトリ、レクサスなどの商業施設とタワーマンション3棟、それに関西学院初等部(校舎と運動場)にすっかり建て替わってしまいました。新しく建った「宝塚ホテル」は、確か「宝塚新温泉」のあった場所だった思います。以前のままの姿を残すのは、蔦の絡まる旧宝塚音楽学校々舎(現宝塚文化創造館)だけです。

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 宝塚大橋を渡り、「たまごサンド」が人気の創業昭和39年(1964年)サンドウィッチ「ルマン」の横をすすり抜け、阪急宝塚南口駅前に向かいます。

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 宝塚南口駅前にもタワーマンションが建ちました。

 本日の目的は宝塚大橋を渡って阪急・宝塚南口駅前 国際・文化センターに於ける「没後七年 片岡紫江作品展 ~書の美~」最終日に伺うことでした。
 「枕草子妙 二曲屏風」(絶筆)を含む、作品48点(蕪村、子規、一休、平家物語、放浪記、震災のあと(自作詩)、三好達治詩、ジャン・コクトー詩 …)をゆ~っくりと鑑賞させていただきました。

 松はみな枝垂れて南無観世音  山頭火

身を投げし涙の川のはやき瀬をしがらみかけてたれかとどめし
われかくて憂き世の中にめぐるともたれかは知らむ月の都に
紫式部 源氏物語 浮船 手習

 展示されていた作品をお見せできないので、以下の作品で思い浮かべてください。 

片岡紫江氏の作品(紫式部、俵万智)と本人の写真は、「www.shodo.it」からの copy paste.

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今年の宝塚市観光大使リボンの騎士「サファイア」は彼女たちです。

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真っ青な秋空に飛行機を見つけました
「きみは飛びたいと思うか?」



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