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大阪市立天王寺公園 2021/11/17

11月13日から始まった「メトロポリタン美術館展」に先日出かけました。事前にオンラインチケット(日時指定予約制)を確保していましたが、交通事情(16日から阪神高速道路環状線北行きリニューアル工事開始)を考慮して早めに自宅を出たのですが、阪神高速道路の予想を裏切るスムーズな流れで予約入場時間10:30の1時間前に天王寺公園に到着してしまいました。公園地下駐車場に車を置き地上に出たのですが、10年ぶりの天王寺公園(動物園)で、確かあの時はあべのハルカスは工事中でした。が、一変した公園の風景に時差を憶えました。モグラが地上に出て来たようでまわりの様子がのみ込めず右往左往、出会った方に「美術館」は何処ですかと尋ねました。「ワシらも美術館に行くんで、ついて来なはれ」。
 動物園の入園ゲートは新しくなっているわ、美術館は中世の建物のままでも周辺が様変わりしていました。茶臼山古墳は、古代神話を引き継ぎ真田幸村は健在かと真田本陣(茶臼山)に向かいました。茶臼山(標高26m)の周辺の池(河底池)に噴水が立ち、カルガモが水遊びをしていました。水生花園として整備されていて、のんびりと水鳥を眺めている人たちが居る々る。おとなしいスズメたちも人を気にせず遊んでいました。
 戸惑いの間にあっと云う間に時間が過ぎ、美術館に急ぎました。日時指定の一時間毎の予約で入場制限をしていると思っていたのですが、まったく想定外の入場密状態のまま入館してしまいました。最初の展示室は過密気味なので早々先を急ぎました。想定通り最終の展示室は静かな空間が保たれていて、ターンオーバーして名画の観覧を始めた次第でした。
 天王寺公園、この辺りは動物園、通天閣、四天王寺と思い出深い場所ですが、野外音楽堂動物園舎に建て替わり、都市公園(青空カラオケ等)が商業モール(てんしば)に変身、都ホテルあべのハルカスに変貌しました。大阪庶民の場であった博覧会跡地がセキュリティー管理された見栄えの良い都市公園に整備されてしまったようです。
 かつて1970年代、野外ミュージックコンサート「春一番が開催された音楽堂が80年に閉鎖され、さらに今70年以上の歴史を持つ大阪市立美術館の地下室に潜む現代芸術の「美術研究所」が縮小の憂き目にあう天王寺公園を、ふたたび解放された多様な人々が共存できる「コモン」スペースになることを望みます。


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天王寺公園さんぽみちマップ

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大阪市立美術館 メトロポリタン美術館 2021/11/13~2022/1/16

 世界の三大美術館の一つであり、アメリカで最大級のメトロポリタン美術館。
所蔵作品は200万点以上といわれていて、40万点以上を無料公開しています。
 無料公開されている作品のうち、パブリックドメインの作品は、無料でダウンロードできます。
具体的には、作品の下に表記されている、『パブリックドメイン』や『OA』(オープンアクセス)と表記されているものがそれにあたります。
基本的に使い方は自由で、商用利用も可能です。
 著作権については、メトロポリタン美術館公式サイトで最新の利用規約を一読して確認しましょう。

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ヨハネス・フェルメール「信仰の寓意」1670~72
 フェルメール
と次のレンブラントは並んで展示されていたので人の流れが止まりたいへん賑わっていたので、頭越しの鑑賞になってしまい、残念ながら印象が薄くあとで図録で確認しても記憶のなかには入っていませんでした。

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レンブラント・ファン・レイン「フローラ」1654

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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーチ聖堂の前廊から望む」1835
 
かなりの方が熱心に魅入られていましたが、展示作品のうち特別大きな作品がない中では大きいサイズではあり、人の目が集まった作品の一枚で人気の風景がではないでしょうか。
 

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オーギュスト・ルノアール「ヒナギクを持つ少女」1889
 当日ゆっくりと納得のいくまで鑑賞できた作品。しっとりとした色彩の艶やかさがひじょうに味わいのある画で印象に残った一枚でした。最終展示室には、ゴッホ・セザンヌ・モネ・マネ・ドガ・ゴーギャン・シスレー・コロールノワール「海辺にて」も展示していました。名画十数点を一か所の展示室で一点3、4名で静かに観ることができたので至福の時間を過ごせました。

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茶臼山・河底池水生花園

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川底池から通天閣を望む

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大阪市立美術館の屋根越しのあべのハルカス

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大阪市立美術館・美術研究所地下入口
 「美研(びけん)」
がカリキュラムの大幅な規模縮小されることをたいへん残念に思っています。何人かの卒業生を知っていますし、若手の美大の受験生の予備校である存在意義も大切なことです。芸術文化の継続育成の視点からも大きな損失に繋がります。芸術、教育に予算を割り当てない文化国家は、こどもたちの将来の可能性を摘んでしまうようで寂しい気分です。

 大阪市立美術館(天王寺区)の半地下で70年あまり、美術を志す人々の学びの場として愛されてきた美術研究所。戦後関西の前衛芸術の「ゆりかご」としても貢献した通称「美研(びけん)」が今、岐路に立っている。美術館はその全国でも珍しい存在意義を重視しつつも、改修にともない来年秋から予定されている休館を機に、活動場所とカリキュラムの大幅な縮小という選択を迫られている。
 エアコンのない制作室には石膏(せっこう)像とイーゼルがひしめき、数人の男女が黙々と木炭を動かしている。現在、研究生は20代から90代まで約130人。月曜日から土曜日まで好きな時間に来て制作を進め、美術団体の会員や大学教員として活動する講師の指導を受ける。毎日通う人から月に数回顔を出す人まで、目的もプロの画家や彫刻家をめざす人から趣味として楽しむ人まで幅広い。
 美研は終戦の翌年、1946年に創設された。洋画家の小磯良平前衛美術集団「具体美術協会」を後に率いる吉原治良(じろう)らが講師を務め、具体メンバーの白髪一雄やベネチア・ビエンナーレ日本代表になった宇佐美圭司ら、世界的なアーティストも多く輩出した。まだ美術系大学の少なかった時代には美術家の登竜門であり、美大の受験予備校としても機能した。
https://www.asahi.com/articles/ASP994K3DP97PTFC00K.html
・第2次世界大戦後に創設され、白髪一雄氏絹谷幸二氏安藤忠雄氏など多くの作家が輩出するきっかけとなった美術研究所

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1979年当時の天王寺公園上空航空写真(国土地理院空中写真閲覧サービス)









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