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大阪城ホール 大阪城公園

[ 大川(旧淀川本流)水都大阪クルーズ船「ひまわり」]

 SF作家 小松左京氏の初長編小説「日本アパッチ族」の居住地、大阪砲兵工廠ほうへいこうしょうの跡地に建てられた『大阪城ホール』(1983年完成)は、イベントホールを兼ね備えた屋根のあるスポーツ競技場(アリーナ)です。大阪砲兵工廠跡の公園が「平和祈念公園」でないのは残念ですが、「城ホ」は地方に建てられたイベントホール型室内体育館のモデルケースになっていきました。
 コンサートホールのような理想の残響時間に近づけることは、アリーナ型競技場では、当時の音響技術では大変だったことを知るからでした。東京のNHK局のホールを担当する音響技術専門家と大阪で会う機会があり、これからホールに行くのでついてこないかと誘っていただいて、完成間近い大阪城ホールで、残響時間の最終チェックに立ち会うことができました。理想に近い音響を聴けた最初の人のひとりとなれたのです。音響担当の本人は、最後まで不満顔あったことを覚えています。

 小学三年生から大阪に移り住んだこの街は、結婚するまでの二十年ばかりの時代の少年にとっての『公園』でした。大阪JR環状線の桜ノ宮駅から京橋駅がわたしにとって遊びのグランドです。「♪京橋は、ええとこだっせ…」で印象深い駅から大阪砲兵工廠跡のレンガ造りの建物は寝屋川(当時はドブ川)に掛かる橋を渡って直ぐで、ほとんどは廃墟だったと記憶しますが、いまは化学分析場だけが廃墟となって現存しているようです。その頃はこの場所に鉄くずを集めて生活の糧にしていたひとたちが暮らしていましたが、そのようすは作家 開高健氏の「日本三文オペラ」「日本アパッチ族」を読んでいただきたい。昭和三十年代、少年時代だったころは、この廃墟跡が終戦の前日八月十四日に空襲があったことを判っておらず無邪気なものでした。中学でラグビーをはじめたときは、最初の公式戦はこの公園のグランドでした。

 東京オリンピックが閉幕したいま、新国立競技場でどのようなイベントが開催されるのか分かりませんが、ランニングコストをどのように維持していくのかがこれからの課題になるようです。施設を建てる時には、建設コストばかりが注目されますが、維持管理コストがそれ以上に重要であり、人が継続して使っていくことに価値を見つけような運営が必要となります。2025年に博覧会が大阪で開催されますが、博覧会のパビリオンはあくまでも仮設の施設です。半年あまりの期間のあと、開催跡地をどのように活用していくかまで考えた、壊してまた造るではない長いサイクルでプランを練る必要があります。1970年の大阪万博のテーマ館のプロジューサーの一人が作家 小松左京氏でした。『太陽の塔』を芸術家 岡本太郎氏と考え、内部に巨大な模型を作り生物の進化をビジュアルに表現して、地下スペースに世界中から仮面を集めたことにより『国立民族学博物館(黒川紀章 設計)』の礎となりました。

 「八月十五日に歌劇の町に、花を咲かせます」宝塚の空にB29が飛んできてビラを撒いていった。町会はビラを拾ったものは絶対に読まずに提出すべしと言ってきたが、ぼくはもうこれでダメだと思ったと、漫画家 手塚治虫氏は「ぼくはマンガ家」で書いています。

 「日本沈没」(1973)小松左京 原作のドラマ『日本沈没ー希望のひとー』が小栗旬主演により昨日(10/10)からスタートしてたんですか。知らんけど⁈
 SF作家 小松左京氏の人物は、ならおいおい話題になるので省いておきます。

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