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あなたがつくる勉強会は誰を幸せにしますか?

こんにちは。広島でSEをしているナカミチ(@ici_mici)と申します。JBUG広島というコミュニティの運営者です。JBUGはnulab社の提供するプロジェクト管理ツールBacklogのユーザー会で、ツールをどう使うかやプロジェクトマネジメントについてワイワイ話したりしています。

この記事は 地方IT勉強会 Advent Calendar 2020 の12/5 担当分です。

僕は1年前、地方IT勉強会 Advent Calendar 2019に寄せてこんな記事を書きました。かいつまんで書くとこんな内容です。

初学者が知らないことを恥ずかしいと思わせない環境づくりこそ勉強会は大切にすべき。IPアドレスの意味も知らなかった頃の自分を忘れてはいけない。新しい世代に光を当てて輝かせることを怠ってはいけない。

久しぶりに読み返してみてハッとした。

この1年で僕を取り巻く環境は激変した。直接集まるような勉強会は開くことができなくなったが、そのかわりにオンラインで全国各地の人がやってきてくれるようになった。どこからでも気軽に参加できるようになったためJBUG広島への参加人数は4,5倍に増え、喜びが増える半面開催にあたりプレッシャーは増大した。多くの人が参加してくれる以上「より学びの多いコンテンツを」「より興味を引く演出を」「退屈させない構成を」と会の充実に躍起になり、それが認められたのか、年に1度のJBUG全国大会であるBacklog World 2021の運営委員長を務めることになった。現在、開催に向けて「どんな勉強会にも負けないコンテンツを作ってやろう」とか「1000人集めてやろう」なんてこと真剣に考えている。

1年と少し前に初めて勉強会を開催した時、十数人集まったことがものすごく嬉しかった。参加者がBacklogのちょっとした使い方を質問してくれたことに喜びを覚えた。あの感動が今の活動を支えていることは間違いない。

僕は、JBUG広島を盛り上げること、JBUGをもっと発展させることに夢中になり1年前に書いた初学者を照らすってことを疎かにしていたんじゃなかろうか。と、ふと思った。

コンテンツを魅力的なものにすることや多くの人に見てもらうことは大切だ。それを否定するつもりは全くないし、Backlog World 2021は無茶苦茶面白くて、多くの学びがあり、びっくりするぐらい参加者を集めてやりたいと切に思っている。

でもなんか思ってしまった。「僕のつくる勉強会は誰を幸せにしているんだろうか」って。「初めてBacklogを触ってみて、使い方がわからないから聞いてみようって思って参加してくれた人は何かを得ることができるのだろうか」って。

勉強会がオンライン化することによって得られたものと失われたものがあると感じている。

得られたもの
- 場所の制約にとらわれずどこの勉強会にでも参加できる
- 参加人数の制約がほぼなくなり何人でも集められる
- 登壇者へ質問することのハードルが下がった(大勢の中で手をあげることに比べたらって意味で)

失われたもの
- 参加者同士の交流(隣の席の人や、廊下での立ち話)
- すごくちょっとしたことを質問する機会
- その瞬間その場にいないと得られない熱狂

厳密に言うと失われてはいない。対面での交流よりも非常に難しくなったと表現するほうが正しい。書きだしてみて、僕は勉強会に上記の失われたものに面白みや価値を感じでいたことを思い出した。

新しい技術や考えについて全然わからないから参加してみて、登壇者の話を聞いてもやっぱりわからない部分があるから隣の人にちょっと聞いてみたり。そこで同じ悩みを持った人と出会ったり。わからないなりに登壇者がその技術について熱く語る姿に熱狂し感動したりした。

先に「対面での交流よりも非常に難しくなったと表現するほうが正しい。」と書いたが、僕自身いろいろやってみた。創意工夫をしてみてはいるがそれでもなお全然できていないなと感じている。やったことを書き出してみる。

- OBSを使用して配信画面の横に特定のハッシュタグでツイートされたものを表示する(僕がやったってより配信担当に頑張ってもらった)。

- 質問をツイートで受け付け読み上げる。登壇者に質問する。
- HackMDを用意して皆に思ったことを書いてもらったり、コメントにいいね!ってしてもらう。
- 交流を促進するために、ツイートの練習、素振りを最初に行う。

と、やってみたが、やっぱり自分の質問が会全体に響き渡るってものは初学者には優しくないなと考えるようになった。運営側や登壇者が「どんな些細なことでも発言してね」と言ったところで、勉強会に初めて参加した右も左もわからない人に心理的な安全性を提供できるかと問われれば、それでは足りないと思う。きっと、環境を整備しなければいけない。

ITメディアにバンバン掲載されるような方々が目からうろこが飛び出るような話を聞かせてくれる勉強会がたくさんある。そしてオンライン化によって毎週のように聴講することが可能になった。僕もそんな勉強会を主催することに憧れた。

この記事を書いていて自分が初めて勉強会に参加したときのこと、初めて勉強会を主催したときのことを思い出した。

前の席に座った人が変わったメモの取り方をしていたので教えてもらったこと。その時教えてもらったマインドマップは今でも愛用している。

毎日何をしているのかもわからないくらい忙しいがどうしたらよいかという質問に対して、タスクを細分化して全て書き出してみるとよいと答えたこと。

些細なやり取りがとても嬉しかった。

オンライン勉強会はこれからもなくならないだろう。そして魅力的なコンテンツを作りたくさんの人に参加してもらうという僕の願いも消えることはない。だけど、参加者が主軸となり進行し、初学者が知らないことを恥ずかしいと思わずバンバン発言できる勉強会を大切にしたいと思う。

そこには凝った配信画面や、多くの参加者は必要ないかもしれない。

僕はただ面白いから自分のために勉強会を開催してきた。次はもっと面白いアイデアを試したい。次はもっとおっ!と思わせるコンテンツを発信したい。次はもっとと繰り返す。

何かを成し遂げたわけでもないやつが、事務所に用意された意としない曲でヒットしたシンガーソングライターのような戯言を書いてしまったが、これは本心だ。

今一度初学者に寄り添い、お互いに学びあえるような勉強会をつくってみよう。僕がよちよち歩きの時に受け取ってきたものを、初学者に贈る場をつくってみよう。オンライン勉強会でどこまでできるのかわからないが、例えばZOOMのブレイクアウトルームや、Discordを使用したクローズな環境、初学者に限定した会等方法はきっとある。棲み分けこそが重要かもしれない。

勉強会を開催していると参加者から多くのものを教わることに気づく。主催者や登壇者が知識や情熱を伝えるのと同等以上に参加者から受け取るものが多い。そして勉強会の主役は参加者だ。

言えた立場ではないが、

「あなたのつくる勉強会は誰を幸せにしますか?」

自身の原動力となる想いを忘れないためにこの記事に残す。

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