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僕にとって大学の「漫研」という場所

僕と漫研との出会い、そして漫研に入ってよかった事を語ります。


ある晴れた日。今日の講義は3限(午後)から。
電車通学の僕は1限にちょっと遅刻するくらいの時間に着くように家を出た。この朝の通勤通学ラッシュが終わった時間帯が一番人が少なくて落ち着くからだ。
9時半前に大学に着くと3限まで4時間程あるが、図書館で勉強するわけでもなく部室棟へ。
坂の上にある大学の、更に3階へと階段を上る。
部室の鍵が開いていないことを確認するともう1つ上、4階の管理人室へ。
「おはようございます。8の313お願いします」
鍵を貰い部室を開け、斜め前に傾斜した壊れかけのパイプ椅子に腰をかける。
机の上にある部員共有の『ラクガキ帳 No.〇〇』と書かれた無地のノートをめくり、いろんな人の、他愛もない落書きを眺めて、一番新しいページを開く。
毎日が真っ白なページから始まり、ペンを進める。
Twitterも無かった時代。描いた絵をSNSに載せるわけでもない。
それでも此処で誰かに自分の絵を見てもらえるのが幸せだった。
少しずつ上手くなっていくのが楽しかった。
人生の行き先が漫然として定まらなない中、ただそれだけが「そこ」にあり続けた。
それだけが楽しみで毎日その場所に通い、絵を描き続けた。
1限の時間が終わり、2人、3人と部室に人が増えていく。
笑い声が、増えていく。
僕の人生を変えた場所、それは間違いなく大学の漫研だった。



僕が大学に入学したのは2006年の話です。

自分の趣味の変遷を思い返すと小中学生でハマっていたのは鉄道オタク趣味(兄が鉄っちゃんだったのでその影響かと思います)で、高校時代にハマっていたのはプロ野球選手の追っかけと千葉ロッテマリーンズの応援(とりあえず鳴り物応援が好きでした。。)。良くも悪くも凝り性で飽き性なミーハーなので、ハマったものには狭く深く掘り下げるタイプだったと思います。漫画アニメも自分の中のブームとしては一過性の物、そういう軽い考えで漫画アニメに触れていました。

初めての投稿にも書きましたが、大学入学前に1か月ほど暇な時間がありました。その期間に深夜アニメに触れたのがきっかけで、漫画アニメにハマっていくことになります。

その時初めて触れてしまった作品を思い出すと当時放送していた「かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜」という作品だったと思います。TS(性転換)物なんですが、ご存じない方に軽く説明すると主人公の男の子がとあることがきっかけで女の子になってしまい、幼馴染の女の子と好きだった女の子との女の子同士の三角関係になってしまう百合作品でした。

どうです?初めて触れてハマってしまった作品のテーマとしてかなり拗らせてません?TSで百合で三角関係ですよ?

深夜アニメではよくある展開かもしれませんが、それまでドラえもんやクレヨンしんちゃん、名探偵コナン程度しかアニメに触れてこなかった僕には刺激が強すぎました。しかもこれがきっかけでバッチリ百合属性を得ることになります。

そこからはもう一気でした。

深夜アニメというものは当時から作品名をググるだけで必然的にエロい創作物に直結しており、数珠繋ぎで18禁のエロゲー、そして同人誌の存在を知るまでになります。大学入学前になりますが、初めて「とらのあな」に行った時のドキドキ感は今でも忘れられません。


話が少し逸れましたが

大学入学と同時にオリエンテーションを経てサークルの存在を知ることになります。サークルの加入はもちろん義務ではありません。バイトと講義に明け暮れる者も居れば、勉強しかしない人もちらほら。僕が在学中のことを思い出してもサークルの人とわちゃわちゃしているというより、同級生のグループで集まって食堂で喋ったり空き教室で麻雀したり、急な休講はマンガ喫茶で過ごしたりと、そういう遊び方をする人が多く、「サークルに所属して空き時間さえあれば部室で過ごす」なんて人は少数派だったのではないかなと思います。

ただ、本当にキッカケと言うと「サークルに入ると先輩から定期試験の過去問を貰えるかもしれない」という良からぬ情報をオリエンテーション案内役の学生から吹き込まれ、どれに入ろうかな~と考えていた時の候補が漫研でした。

「とりあえず緩い、活動の縛りが無い、幽霊部員でも良さそう」という雰囲気が新歓情報誌の紹介文から手に取るようにわかりました。まさに当時の僕が求めていたモノでした。

ガッツリとサークル活動する気は無かったですし、同じ学科の先輩を捕まえていろいろ根掘り葉掘りラクな講義や試験の情報でも訊けたらいいなー程度にしか考えていませんでした。

そして僕は通称漫研の扉を叩くことになったのです。


初めて部室の扉を叩いた時のドキドキ感は今でも覚えています。
だってそれは初めてあの「とらのあな」に行った時と全く同じ感情、同じ高揚感だったから。

受験だったり就活だったり、人との出会いだったり、人生が変わるターニングポイントって、なんだか心がザワっとしますよね?

"漫研の扉はパンドラの箱"

そういう感情があったのを確かに今でも覚えています。



部室の扉を開け、初めて部室を訪れたオタク初心者の1年生に対して、漫研の先輩は暖かく迎えてくれました。

今考えれば先輩らにとってみれば、僕がオタクかどうかなんてどうでもいいし、むしろ濃いオタクが来なくて安心されていたかもしれません。

本題の漫研についての説明も一通りしてもらえました。

「基本的に緩いサークル、年4千円の部費さえ払えば来るのも来ないのも自由。」
「受かればコミケに出展する。受かっても落ちても買い物をしにコミケに行く。」
「うちの大学には漫研が2つある」
などなど。

特に最後の漫研が2つというのはそのままの意味で、大きな大学ではよくあることだと思いますが同じキャンパスに漫研が2つありました。
片方は部室棟の6階(だったかな)にあったので通称「上漫研」と呼ばれ、片方は3階にあったので「下漫研」と呼ばれていました。管理所属している親組織の学部が違うだけですがどの学部の学生でも所属することができます。内情の差別化を図るため「上漫研はガチで漫画やイラストを描きたい人のためのサークル」、「下漫研は絵を描かなくてもいい、もちろん描いてもいいサークル」。内情としてはそう呼ばれていました。

当時の僕は絵を描いたこともなかったので、下漫研を選びました。下漫研の方が所属している学部が母体で関りが深かったのもあります。なので結果的には上漫研には見学すら行かずに下漫研に入ることに。

ラッキーなことに同じ学科の先輩もいましたし、目下の目的であった履修登録のアドバイスなんかもしてもらえました。


そして1週間、、2週間、、大学の講義を受けるのに慣れるのと同じはやさで、サークルに溶け込んでいきました。

今になって思い返してみれば、
「自分がアニメ漫画に疎かった」ということがこの漫研を楽しいと感じさせてくれたファクターの一つだったと思います。

ガチで僕はドラゴンボールすら見たり読んだりしてこなかったので、同期の漫研部員にはそれをネタにバカにされることもあったのですが、聞くオタ話の内容全てが新鮮だったし、1年生の頃は本当にスポンジのように吸収していった時期でした。

それに、たしかに下漫研は『緩いサークル』ではありましたが、やることがそれなりにありました。

サークルの主な年間スケジュールです。
・4、5月 新歓コンパ
・(7月 定期試験)
・8月 夏コミ参加
・11月 大学祭
・12月 冬コミ参加
・(1月 定期試験)
この他に長期の休み以外は月1でコピー誌を部内で作成・発行します。
文字にして並べてみると、なんてことないスケジュールですが、このスケジュールを1年こなしてみると創作物に対する多面的な学びがあります。

まず、両面印刷の中綴じのコピー誌を作ることで、面付けの概念、印刷の良し悪し、50p超えのコピー本を最速で製本する方法など、コピー本の作り方を覚えます。

次に夏コミは受かればオフセット本を発行します。
基本的には本文はアナログ原稿、表紙はデジタル原稿です。
本文では原稿用紙の使い方、塗り足し、断ち切りの概念、トーンの貼り方、ベタ、背景の重要性を学びます。
表紙作業ではphotoshopの使い方、解像度の概念、ペンタブの使い方、ショートカットキーの有用性、そしてctrl+sの重要性を学びます…。試験前だというのに……。

夏休み中は大学祭に向けて制作が始まります。
学祭ではオフセット本も作りますが、立て看板の作製なんてのもありました。(模擬店の準備なんかもありますが絵を描くのに夢中で自分はノータッチでした…)
通常あり得ない大きさのキャンバスに絵を描くことで元絵を拡大して描く難しさを学びます。あと塗りもアナログなので見本と同じ色を画材で再現する難しさを学びます…。美大生とかじゃないので本当に色のセンス無くて絶望します。

冬コミに受かればコピー本を作ります…。また試験前だというのに…。
そういう状況で追い込まれて原稿をすることで以前とは比べ物にならない速度で絵を描くようになります。

そして春になればまた新歓がやってきます。
新入生を歓迎するために立て看板を作成し、自己紹介を兼ねたコピー本を作ります。

そしてそれらのイベント事が無い時は、ひたすら部室でアニメを見たり、漫画を読んだり、落書きしたりしています。講義の後にバイトが無い日は終電まで部室に居ることもザラでした。これが僕達の漫研でした。

このスケジュールを並べて伝わったかわかりませんが、「漫研の1年のスケジュールを精力的にこなす」だけで、美大生でなくても、アニメ漫画系の専門学校生でなくても、画力は別として「コミケで1冊本を出せるだけ」のノウハウが詰まった生活を送ることができるのです。
(美大やアニメ漫画の専門学校が同人活動のノウハウを得る場所ではないことは理解していますが、あえてこう書きます。)


ここでの濃密な4年間+α(お察しの通り1年留年しました)があったおかげで、こんにちの同人活動を趣味にする生活に繋がっています。


紙と、鉛筆と、コピー機と、ひと晩の時間さえあれば、コピー本を作れると思えるようになりました。
もちろん当時も絵が上手くないことは理解していました。
それでも何か作って発表すれば誰かから何かの反応を貰えるのが楽しみで作り続けました。


また、大学の漫研という場所は非常に閉鎖的な空間だと思う方がいるかもしれません。僕も正直、漫研に慣れた頃はそう感じていました。
全世界に発信・受信できる今現在のtwitterやpixivなどに比べたら、限られた狭い人間関係の中です。

しかしtwitterもpixivも突き詰めていけば自分の好きなものしか見なくなります。
自分の好きなフォロー相手、自分の好きなジャンルのイラスト、そういったものにしか目がいかなくなります。

大学の漫研はいろんなジャンルのいろんなオタクが居ました。
腐女子もロリコンも巨乳好きもショタ好きも欠損好きも居ました。
それこそ毎年新入部員が入るのでその一人一人が新鮮でした。
自分の知らないものを知る喜びがありました。

正直、変なやつがいたのも事実です。
関わりたくない先輩も居ました。自分もそう思われていたかもしれません。
(事実危ないロリコンなので関わらない方がいいと思います。)

だけど、漫研でのいろんな人との出会いが、いろいろなタイプのオタクとの出会いが、その人たちに会わなければ一生触れなかったであろういろんな作品との出会いが、今の僕を支える重要な礎になっていると感じます。

そして何より、今でもLINEしたり、飯を食べたり、コミケに行ったりできる仲間がいます。
コロナ禍でそういう機会が減ってはいますが、おそらく一生の友人と言える気がします。

漫研に入ってサークルにのめり込む人、そうでない人がいると思いますが、僕にとってはとてつもない沼でした。
僕にとっての漫研は、この1回のnoteの記事で語り切れないような、そんな味わい深い場所でした。

大学卒業後、会社員になりましたが年2回のコミケだけが本当に楽しみです。そして、その年2回のコミケが生き甲斐だと感じさせてくれる感性の源になっているのが、漫研での生活だったと思います。


僕が大学入学した時から15年。
世間が漫画アニメに対し圧倒的に寛容になり、オタクが市民権を得て、オタクが情報収集をするために漫研に所属する必要も無くなりました。

でも、だからこそ、そんな時だからこそ、漫研に所属してみるのも楽しいと思います。ネット上では味わえない創作する喜びを知ることができるかもしれません。
今はコロナ禍で大学のサークル活動も制限されていると聞きますが、今から大学生になるあなた、まだ1年生でサークル活動をしていないあなたに、僕は漫研という選択肢をオススメしたいと思います。美大じゃなくても、漫画アニメの専門じゃなくても、人生を賭けて楽しめる何かが待っているかもしれません。

そして、大学時代に漫研所属だった方はこの記事を読んで少しでも部室の空気感を思い出していただけたら僕は嬉しいです。





あぁ、あの時……。





少し長くなったうえに、伝えたいことがまだまだあるのでまとめ切れてなくてすみません。今日のところはココまでということで。絵を描くことが義務ではない下漫研に所属しながら「絵を描くこと」にハマった話など、後日できたらいいなと思います。

ありがとうございました。

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