『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【385】

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絵手紙記・南天とユズ

絵手紙記2009/12/1115:40

今回の記事は
さとちゃんの絵手紙の画像だけ
記事を手がかりに
何かを書くことが出来ないので
南天について何か書くしか無いなあ
てなことで…思いを巡らせてみました
南天が…難転…災難を転じる縁起物…
というのを知ったのが…南天苑
例の…と言っても
ご存知無い方ばかりかと…
以前は書いたことがあるのです
さとちゃん主宰の熊野学舎
その講座に私が初参加したのが
新年会を兼ねた南天苑での集い
南海高野線の天見駅
天を見る…ですから
これまた縁起がいい
和歌山と大阪の県境に近い紀見峠
その駅の手前にあります
紀見峠…この名もいいですね
紀伊紀州を見る…紀見峠

その時の講座記録を探してみようかな
多分私のコメントに会えるだろうし…

初受講、ブログの縁の万葉のお方が見えていない。まだ見ぬお方ではあるが実直な方で遅れることもあることはすでに承知していたのです。午後の新年会(駅の真下にある南天苑)に間に合えばよかろうと、一と電車待ってあげればよかったのですけれども歩きはじめたのでした。

万葉のお方…というのが私で…
早朝の新聞配達を終えて
その足で近鉄奈良線の京都駅から
電車をいくつか乗り換えて
天見駅に降り立ったのですが
記事に書かれていたように若干遅刻
天気のいい日でしたので
小さな駅舎で日向ぼっこして
さとちゃん一行を待ったのでした

南天の赤い実ですが…
ムダに沢山の実を付けてませんか?
いやいや…無駄なことは何も無い…
と言うのが信条の一つ
きっと意味があったのでしょう
過去形にしたのは意味があって
昔々と今では
様々な状況の変化があるわけで
昔は…沢山の実が必要だった…と
私は思ったのでした

ところで…南天についての
新発見はないかと…検索
すると…ありました 
記事を書いたのは…同志社女子大学の
吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)
同志社は…京都に住む者には身近な存在
これは読まなくちゃ
読んで正解でした

むしろ私の心に残っているのは、永井隆作詞・山田耕筰作曲の「南天の花」という歌謡曲です。御承知のように、永井隆は『長崎の鐘』の作者であり、長崎で被爆し自らも白血病に苦しみながらも、被爆者の治療を続けた医師です。


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