高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【385】

高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して

高山近影

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📖 無名居士のたわごと〜思い立ってもう一つマガジンを準備中だが・・・

この号を準備してから2週間近く経ってしまった
ここを書けばすぐにも公開できるのに
またぞろ書けない病になってしまったのか
確かに何を書こうかと迷っている
迷っているが悩んではいない
矛盾しているようだが私の認識ではそう言う事になる
書こうと思えば何とかごまかしごまかしでも書けると思う
でもここには何を書けばいいのかと考え始めた
その事に自信が持てなくなった
初心を忘れまい思い出そうと
過去の記事を読み直している
そもそもは高山のエッセイ集「ガーターベルトの女」の映画化 作品化したいという願望が出発点
そのきっかけを何か得たいと思った
途中休みはしたが かなりの号数を重ねた
そして再開したものの これでいいのか
ここに書いている事が果たして高山のために その作品化のためにつながるのか
もっと工夫が必要ではないかと思った
しばし考えてみようかと
それがここに書かない事情
屁理屈のようだが書けないのではなく
書かない選択をした結果の空白
悩んでいる訳ではなく
前進飛躍するための後ずさり
これも我田引水の類になるだろうか
ともあれ空白期間の言い訳を書いておこう

思い立ってもう一つマガジンを準備中だが・・・
とタイトルを付けて書こうと思っていたが
それではマガジンの目的に合わないと思ったのが迷いの始まり
思い立ったらじっとしていられない性格
準備号を作ったものの どんな体裁がいいか考えてみようと少し時間を置いたら
その後ハマるドラマに出会った事もあり
新しいマガジンの事をすっかり忘れてしまった
ここを書こうと思って思い出した次第
それで良かった  急ぐ事はない
急いでマガジンを勢いで始めたとして
また行き詰まってしまうのは火を見るより明らか
色々と体裁内容を考えるのはいいとして
実際にスタートするのは
今課題としているもう一つのマガジンを終えてからにした方がいいだろう
後ずさりして助走の歩幅を稼いだお陰で
この件も良い結果につながったのではないか
屁理屈でも我田引水でも
結果良ければ万事良しとしよう
せいては事を仕損じる
急がば回れの例えあり
要は都合の良い例えを持ち出して
安心すればいい
逆もまた真と言うから
どうでも良いのだ

さてここは高山やその作品の事など
私が何故彼に関わっているか
その作品の映画化や舞台化書籍化したいか
その思いを書いていけばいいのだろう
うすうすそう思ってはいたが
これを書きながら考えが固まった気がする
しばしドラマにハマって
考える事から逃げていたようだ
面倒なことは嫌いだ
何も考えずにドラマの世界に入って愉しんでいたら
一日過ぎるのはあっという間
だがドラマ漬けになると今度は何か書きたくなる
人と言うのは身勝手なものだ
折しも選挙中
様々な人間ドラマがくり広げられる
人それぞれのドラマが

📖 マガジン発行の初心を忘れない為に〜Mのイメージ動画・・・第4号の記事から

2019年4月26日
「思い付きと思いこみ」

私は思い付きで突っ走るところがあります
その時は止むに止まれぬ気持になって
お金もないのに後先考えずに走り出します
40代になってからだったかそれ以前だったか
今でははっきり思い出せない昔の話になりますが
大阪で小さな音楽界をプロデュースしました
京都三条京阪駅前にべラミというクラブがありました
そこの専属ジャズバンドが解雇されました
バンドのメンバーは音楽ユニオンに加盟し
ジャズオーケストラとして存続活動を続けていました
そのことを知り彼らに演奏の場をつくりたいと
音楽会を企画しました
私一人の思い付き
私一人の取り組みでした
大阪北の繁華街にある小さなイベント会場で
「真夏の夜の音楽会」として開催
なんとか人も集まり成功しまたが
採算的には当然赤字
そん経験もしました
そしてそれから30年ほど経って
70になってまたその止むに止まれぬ病が起きました
エッセイ「ガーターベルトの女」の映画化という妄想
妄想としか言えないでしょう
小さな音楽会なら数十万円の手出しを覚悟すればできます
映画化や芝居化
アニメや漫画化など
作品化できるなら何でもという今回の夢
簡単にできるはずもなく
無い知恵を絞って一応は関係各所にメールを送ってみました
返事があればいい方でそれも断りの返事
断りの返事すらほとんどないという有様
まあ私のやり方が常識ではないから
当然の結果でしょうがね

「動画づくり」
英語サイトのBloggerでの英訳作業を終えて
なんとか関係者の目に留まらないかと動画作成を始めました
そんなスキルは私には無いのですが
ムービーメーカーと格闘することになります
そうして拙いけどいくつかの動画らしきものが出来ました
YouTubeで公開していったのですが反応なし
これも当然の結果でしょう
若いころの私ならこのような状態に我慢ならなかったでしょうが
もう若くはないので少しは私も成長?しました
「なるものはなるし ならぬものはならぬ」
昔から言われている言葉でいうなら
「なるようになる」でしょうか
焦ることは何も無くなりました
それでも「いつかどうかして」という思いは
心の奥でくすぶり続けています

「ちょっとした欲が出てきた」
noteを始めたきっかけは他の理由からですが
noteを利用している方はクリエーターの方が多いようです
映像関係の方も多い
その方たちの目に留まらないか
協力を得られないかという欲が芽生えてきました
そしたらついでにnoteで私の思いを書いてみたらどうなるか
どうにもならないでもいい
やらないよりはいい
今はそう思っています
私の思いを書き
私がこれまで取り組んだことを紹介していこう
それがこの記事のnoteマガジンの目的
前回に続いてMのイメージ動画を紹介します
自分でも久し振りに観直したのですが
私的にはそこそこ面白かった
私の程度はこんなものですが
そこそこ精いっぱいやってたようです
けっこう時間をかけたんでしょうね
もうその頃のことも忘れていますが
時間だけはたっぷりあったようです
それは今も同じですけどね

「何も期待しない」
老い先短くなった今
賢くなったか退化したか
一つの結論は「何も期待しない」
失望しないための予防線
賢いとは言えないでしょうね
「恋は片恋」という信念?も
失恋しないための方法
これも賢いとは言えないでしょうが
平凡で何のとりえもない人間にとっては
心の破綻を免れるための自己防御と思えば
ある意味「積極的」判断と私は思っています
心の平穏が大事ですから
「理想と現実のギャップ」で身を滅ぼせば
元も子もなくなります
どうなろうとどんな結果になろうといいのです
結果よりもやりたいと思ったことをやればいい
「参加することに意義がある」じゃありませんが
「やることに意味がある」と思うようにしています
なるものはなる ならぬものはならぬ
やってみてこそ何らかの結果が得られる
やらないことには何も始まらない起こらない
そんな感じでこのところ過ごしています

「動画紹介」
前置きが長くなりましたが
え?これって前書き?と思われたかもしれませんが
動画紹介が目的ですから
大したものではありませんが
そのいくつかを紹介します
何も考えずに
書きながら考えるというのが私のスタイル
だからどこにどう進むのか自分でもわかりません
そして読み返しませんから誤字脱字はそのまま
そのことをご承知おきください
そんな感じでお付き合いいただければ嬉しく思います

📖 高山の作品から〜濡れる穴の中15 遭難

2018/12/15 未分類
「濡れる穴の中15 遭難」

「Yとの嬉しい再会」の吉田と最近話してて、思い出した事を書きますね。

彼は今は、非常に公私ともに絶好調ですよ。

ある意味、四十八歳にして今が一番かもとも思いますね。

しかし、彼の場合は、耳の障害のせいで相当苦労して来てますから、遅咲きでも良かったなあと素直に思えます。

来年は、更に飛躍するでしょうし、本人もその気で居ますよ。

トンネル業界で、彼の名前がどんどん広がってるのも嬉しいです。

彼と話してて思い出したのが、彼と最初に知り合った所での話しです。

この仕事が長いと色々な事を忘れてるのと、自分自身忘れたいって事は記憶から消してますね。

それにしても吉田からは、忘れてる事が多いなあと笑われましたね。

Yこと吉田と知り合ったのは、山陰地方の何故か雪がかなり降る所でしたね。

雪が降るのも有るけど、度々色々な物が凍結してトラブルになってましたね。

そういう中で、吉田とコンクリートプラントの修理に行ってたんですよ。

一台のミキサー車でです。

コンクリートプラントはコンクリートを練る所で、これが調子が悪いと全てストップします。

確かその日は、コンクリートを使わずにトンネルの方は新しい段取り変えと言って、掘る工法を変えるために機械の場所や電線等をいじってました。

段取り変えになると、昼勤は完全にそれに集中ですからその時に、離れた場所にあったコンクリートプラントに調子の悪いのを直す為に行ってました。

何故か、その現場は急斜面にコンクリートプラントを作ってて、それもトンネルからかなり離れてました。

僕は、途中からそこに行ったから何故そうなってるのか知りませんでしたし、吉田はそんなことに頓着するような男で無かったから聞いても無駄でしたね。

二人で寒い中をコンクリートプラントまで行って、修理をしてました。

当時、彼が三十才か二十九才です。

僕が二つ年上の、三十一才か三十二才ですね。

彼は、当時から物を修理するのは得意でしたから、僕は彼の手伝いと言う感じだったと思いますね。

僕らは気が合ってたのも有りましたし、同部屋でしたから何かと二人で組まされる事が多かったですが、楽でしたし、それぞれが得意な分野が違ったから良かったですよ。

コンクリートプラントを二人で修理したのが、二時間程ですね。

完全に壊れてなく、調整を吉田がしたのを僕が手伝ったって感じでした。

こういう修理とかに関しては、大抵そういう風になりましたね。

吉田が当時から、機械類には滅法強かったからですね。

僕は、人を使うのは年齢のわりに上手かったと思いますが、機械類は一般の作業員程度の知識しか無かったですからね。

そうして、修理が終わってプラントから外を見たら、雪が凄く降ってるんですよ。

吉田が、驚いたように声を挙げて僕に言うから、見ると全面雪景色でした。

来る時は、チラチラ降ってるかな程度でしたが、僕らが夢中でやってる間に、雪は激しくなってました。

吉田は、最初は子供のように喜んでましたが、僕がこれではミキサー車で帰れないぞと言うと、気付いたようでどうしようと言う顔になりました。

ミキサー車で前にここで滑ってますし、急な坂になってて危ないんですよ。

よほどゆっくり帰るかですが、こんなに雪が降ったのはそこでも初めてで、何度か事故をここでは他の人間もやってるから、参ったなでした。

ゆっくりミキサー車で降りようかとしましたが、腕の良い吉田でもこれは危ないなとなって、途中でプラントに戻りましたよ。

プラントに入って寒い中で僕は。お前携帯電話持ってないのかと聞きました。

吉田は、小さいリュックに着替えとか持って来てたから、携帯電話も入ってるかもと思いました。

しかし、携帯電話は宿舎の部屋に置いて来てると言ったので、仕方ないなです。

それで、プラントに一応事務所に繋がる電話が有るので試しました。

しかし、これは繋がったり繋がらなかったりって状態なのを僕らは知ってたから、何度か掛けてもその日は繋がらなかったです。

プラント自体が、かなりガタが来てましたからね。

こうなったら、雪が止むのを待つか歩いて降りるしかないなでしたが、歩くと普段でも二時間近く掛かりました。

普段でそれですから、この雪の中では更にかかるでしょうし、若いとはいえ二人とも九州出身ですから、雪に対して免疫が余り無いのと恐怖が有りましたね。

それで、僕がとりあえずプラントの中で雪が止むのを待とうと言いました。

多少でも小降りになれば、出るしかないのかなでしたね。

当時は、体力は二人とも有りましたがこういうトラブルに見舞われると、若いからどうして良いか分からないんですよね。

プラントの中も寒いですが、とりあえずはプレハブで囲われてますからましですよ。

吉田が段ボールを見つけて、二人でそれを敷いて横になりながら、参ったなと言ってました。

とりあえず、プラントのは囲われてるとは言えども、作業着に防寒ジャンパーだけの二人は段々寒くなりましたよ。

それも、修理した後なので二人共汗をかいてたから、冷えて来ましたね。

吉田が突然、腹へったよ!と叫ぶとリュックをあさって、飴を何個か見つけて僕にも分けてくれました。

僕も吉田も昼の弁当食べずに来てたから、確かにお腹が減ってましたよ。

僕は、煙草を見ると余り沢山入ってないのでゆっくりそれを吸いながら、少しでも雪が止んで来たら無理してでも出ようと言いました。

その現場は大きくて距離もあったから、作業員も多かったんです。

僕は、下手すると皆に忘れられて、一晩ここで明かすのだけは嫌だと思ってましたからね。

しかし、一向に雪の勢いは弱まりません。

弱まるどころか、強くなってるように見えましたね。

時計を見たら、三時半を過ぎてました。

これは、ヤバイなと思いましたよ。

雪の中を戻っても現場までギリギリですし、その日は夜勤をやらない日でしたから現場から宿舎まで何とか歩いて帰るとなると最悪ですし、とても厳しいです。

それで、吉田にミキサー車でやはり無理かと聞くと、こんなに降ってたらとても難しいよと言われました。

腕の良い吉田が言うなら、無理なんですよ。

それなら、歩いて降りようと言うと僕が先に出ようとしましたが、吉田は僕に遭難するんじゃないのと、珍しく弱気でした。

気持ちは分かるんですが、とにかく今のうちに出ないと暗くなったら動けないぞ、と言いました。

それで強引に二人で出ましたが、雪が思った以上に積もってて、吉田も僕も寒い中でノロノロと進みました。

一度、吉田が雪に足を取られて転けましたが、僕もそれを笑っていると転けましたよ。

雪まみれになりながらも、何とか車道が有るのでそこを通るんですが、車道は凍ってて滑るんですよ。

一時間程歩きましたが、ノロノロと進んでるので余り距離は稼げてないし、雪で濡れてて体力的にもかなりきつかったです。

まさか、こんな所でこんな目に遭うとはです。

吉田がポケットから飴玉を見つけたようで、僕にも分けてくれました。

そういう時の甘いものと言うのは、元気が出るなあとつくづく思いましたが、現場内で遭難とかになると笑い者だな、と思ってましたよ。

そうしてたら、クラクションの音が聞こえて来ました。

僕らの道から脇道に逸れた細い道路に4WDの車が停まってて、クラクションを鳴らしてました。

見ると見たことない車ですがとにかく、あれに乗せて貰おうと吉田と僕で手を振りながら、そちらに転ぶように近づきました。

車は古いですが地元の人が降りてきて居て、あんたらあそこのトンネルの人か、と聞かれました。

僕らは、震えながらそうですと答えました。

五十代過ぎの背の高い人でしたが、とにかく車に乗れと言いましたが、僕も吉田も雪や泥で汚れてるので一瞬だけ戸惑いました。

しかし、その人はそんなの気にしてたらやってられないぞと言うと、自ら後部座席を開けてくれました。

僕らは、そこになだれ込むように入りました。

車に乗ると暖房は効いてるしで、ほっとしました。

その人はこれしかないと言って、古いタオルを僕らに渡しました。

そして、ぬるくなってるし一本だけど飲むかと、缶コーヒーを渡してくれました。

吉田と二人で分けあいながら飲みましたが、吉田の手が凄く震えてるのに驚きました。

しかし、自分自身も缶を持つと、寒さから震えてるのに驚きましたね。

コーヒーは二人で分けたけど、とにかく美味しかったですよ。

その人はこの辺りで林業をしているらしくて、あんた達、あの辺りで何度か遭難して死んでるんだよと言いました。

僕も吉田も、それを聞いてゾッとしましたね。

それから僕らの知らない細い道を上手く通って、宿舎まで送ってくれました。

名前を聞いたんですが、山で仕事してる者同士は助け合いだからと言って、礼とか要らないからなと言うと去っていきました。

戻ったのは、すっかり日がくれた六時過ぎだったと思います。

吉田も僕もびちょびちょで、急いで宿舎に入るとそこは、僕のおじさんが所長だったんですが、その日は出張か何かで居なくて皆に嫌われてる工事長が、僕らを見ると忘れてたと笑いました。

明らかに、既に飲んでましたね。

作業員達は僕らのただならぬ状態を見て、着替えて風呂に入れと言ってくれましたが、工事長は良く戻ったなあと又笑ったので、僕が被ってたヘルメットで顔面を思い切り叩きました。

僕も吉田も服を脱いで、急いで風呂に行きました。

これも最近、吉田から聞いて思い出したんですが、一歩間違えてたら遭難してたと思いますよ。

僕は多分、恐怖の記憶だったので消したんでしょうね。

それと、二人で飲んだ、ぬるいけど甘いコーヒーを思い出しましたね。

これを聞くと、吉田と僕の絆はこうして強固になったのだなと今では思いますね。

それにしても、現場内で遭難してたら後々まで語られたでしょうし、まさかあんな目に遭うとはですね。

もうひとつは、偶然通りかかった林業のおじさんは、名前だけでは探しようがなかったですが、この場を借りて感謝したいと思います。

あの人が居なかったら死んでた、と吉田は今でも言いますし、僕も思い出したらゾッとしまします。


おわり

📖「ガーターベルトの女」の映画化のためにエッセイをお読み下さい

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「ガーターベルトの女 外伝」(フィクション編) 1
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