『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【320】2009/9/17~2009/9/19

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章そしてさとちゃんの紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するためにブログ『里恋詩くて・・・熊野・高野』の全記事(2935)にコメントをする

『里恋詩くて』、新聞連載します。

2009/09/19 森平さとの紹介

この記事のコメント欄に
私の名があった

コメント
ichirof65
googleで
「森平さと」を検索したら
このページが
トップに出てきた
また検索を続けてみよう
2012/02/25

当然のこと…覚えていない
「また検索を続けてみよう」と書いている
続けてみよう…この記事が出てきた
里恋詩13ーー2009/12観想詩ーー発行
2009/11/06 森平さとの紹介

今年は、としのはじめに脳梗塞で倒れて、、、それで、詩集を

私が講座に初参加したのは…2006.1.8
何回か参加したものの
京都から和歌山へ出向くのは
私には大変でした
それもありましたが…やはり馴染めなくて
自然と足が遠のきました
それから3年後に脳梗塞
そして2年後の暮れ…2011年逝去
これを書いているのは2022.10
もう11年も経っている
すべては過去に…
その過去を私はたどっている
生きている証として
毎日書いている
さとちゃんが…里恋詩…を書いたように

1年
一日
一詩
ともあり
詩あり
いのちあり

里恋詩くて9/18・里が消えた

2009/09/19 里恋日記

★国道169丹生川上村、白屋の里が消えた

何年か前ダムに水を貯めたら地盤沈下したり、亀裂がはいったりしたため

貯水するのを中止したのです。地滑りしない対策工事と共に里移転に

とりくんできたといいます。井光の里からの帰りに立ち寄りました。

里が消えた…ショッキングなタイトルの内容です
ダムの底になる里が消える話は…ままありますね
私が知っているのは岐阜県だったか…
徳山村は有名です
私がその村を知ったのは
増山たづ子さんだったか…
村で民宿をしていた人
戦争から帰らない旦那さんに
村の様子を写真に撮っておこうと
シャッターを押すだけで簡単に撮れるヤシカだったか…
ポケットカメラのハシリ?で撮りだしたのが始まり
そしてダム建設…増山たづ子さんの写真集が出版され…
その書評を目にして買い求めました
その話に心打たれ
私は一人芝居にしたいと思ったのですが
資料を集めただけで終わりました
私には芝居化するノウハウがありませんでした
ガムシャラに突き進む性格ですが
あまりに私は未熟でした
その後もいくつもの夢を抱きますが
夢は夢のままです
ただ…その一つはこのnoteで
マガジンとして発信しています

高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【476】

さて…消えた白屋の里ですが
詳しく知りたいと検索
すると里の様子がよく分かる動画がありました
建物はみな撤去されて
石垣だけが残っています
黄水仙の花が咲いていました


熊野学舎窓口便り・9月を歩く3

2009/09/17 里恋日記

「写真→浮御堂前のお店にて、ごりさんの佃煮を買いましたよ。」
浮御堂と言えば滋賀県の湖西…堅田
9月5日の記事にこんな記載がありました

お供の一言主神社へ。朝日がきれい。寄り道は、琵琶湖、浮御堂。近江八幡界隈。

私はこの記事へのコメントで
「一言主神社は…さとちゃんちに近いはず
週参りするほどだし…
場所確認のために検索してみたら
そのHPは茨城県の一言主神社
各地にあるようで…奈良県御所市にある
葛城一言主神社が総本山らしい
ならば…「寄り道は、琵琶湖、浮御堂。近江八幡界隈。」とはこれ如何に?」
て書いていました
謎は簡単に解けました
一言主神社への週参りを済ませて
湖西の浮御堂に行って…ごりさんの佃煮を買った…ということ
まさか滋賀県に行かれたとは…
恐るべき行動力…と感心したのでした

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