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『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【391】

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章そしてさとちゃんの紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するためにブログ『里恋詩くて・・・熊野・高野』の全記事(2935)にコメントをする

里恋日記12/15・23経塚に辿り着く

里恋日記2009/12/1522:57

修験の里は今、漢方薬中心の製薬とも因果のることでしょうか。

棚田製薬さんに教えていたただきました。

修験の里…修験で思い出すことがあります
かなり昔…30代の頃だから
もう40年前の話になります
当時…ある縁で「SENBA」という
月刊誌の編集部のH編集長を知りました
アパレル関係の雑誌も出版されて
業界では有名な方のようでした
「SENBA」…元々は繊維関係の
船場の情報誌だったのが
廃刊されることを危惧する声が上がり
先に書いたH編集長が引き継ぐことに…
そのいきさつが雑誌の寄稿者でもあった
ある構成作家が出演していた深夜の
テレビ番組で紹介されました
それを観て私も雑誌に興味を持ちました

月刊「SENBA」の話は
H編集長につなげるための話題
そのH氏は…早稲田大露文科卒
とくれば…感の良い方はピンと来たのでは
そう…当時もっとも活躍していた作家
五木寛之も同じく…但しウィキでは中退
H 氏にとっては…五木と学友だったか
露文科という共通性からか
彼の話を時々耳にしました
その話の一つが…修験にもつながる作品…
『風の王国』新潮社 1985年

山窩…をモデルにした作品
松岡正剛も千夜千冊で解説している

一気に読んだ
悔しいかな…読ませる一文であり
五木寛之論でもあった

さとちゃんの記事の一文…修験の里…から
思い浮かぶ事に触れてきた
H氏は風の王国を絶賛していた
その影響で私も読んだかもしれないが
それすら…内容すらも覚えていないのは
きっと話を聞き流したのだろう
さとちゃんを知って…紀伊の山里に
いくらか関心を持った
その時なら…或いは手に取ったかも…
さて…次なる興味は…
修験の里…と或いは関連するかもしれぬ
漢方の棚田製薬の事
しかし…検索でその名は出て来ない
漢方薬・生薬のメーカー一覧

棚田製薬所…でやっとヒットした

奈良県
https://www.pref.nara.jp › ch...PDF
第7章 第二次世界大戦後の薬業
棚田皎月 (棚田製薬所薬草園社長)の
川柳が記載されている


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