『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【328】2009/10/7~2009/10/8

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章そしてさとちゃんの紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するためにブログ『里恋詩くて・・・熊野・高野』の全記事(2935)にコメントをする

里恋詩くて10/8・一言主神社参道のコスモスとカメラおじさん

2009/10/08 里恋日記

■里恋詩写真→一言主神社参道・ コスモスとカメラおじさん

カメラおじさん…か…
毎朝…賀茂川の土手の
同じところで同じ格好で
何やら土手に顔を近づけているおじいさん
それが…私
たまに声を掛けられる
何をしているのですか?…と
スマホで水滴を撮っています…と答える
興味を示してくれたら
撮った画像を見せる
朝露が降りた時は
撮る画像も多くなる
6時過ぎから8時過ぎまで
長い時は9時前まで
2時間以上も腰を曲げて撮っている
撮り終わると腰が痛い
帰って画像チェック
20枚で一つの動画にして
Youtubeにアップ
それをまとめてブログに投稿
それが毎日の作業
今のところまだ飽きない
また明日の朝も
賀茂川土手で水滴を撮っているはずだ

生石高原を歩く④生石高原のススキ

2009/10/07 熊野の里巡り

記事の中にこんな漢字が…茣蓙
文の流れから…多分ゴザ…かなと
漢字変換が自動でこの漢字になったか
さとちゃんが意識的にこの漢字を使ったか
何れにしても確認しようが無い
私は書けない漢字は使わないようにしてる

ござ(茣蓙、蓙)は、草茎を織ることによって作られた敷物[1]。一般にはイグサで織ったものを指す。構造は畳表とほぼ同じ。

ウィキペディア

生石高原を歩く③大観寺

2009/10/07 熊野の里巡り

大観寺…大観という言葉の響きから
ある言葉が思い出された参考になればと
本願…
昔…ラジオ深夜便で仏教学者の
鈴木大拙氏の話だったと思う
参考になればと検索してみた
するとその言葉が書かれた記事があった
私の記憶に間違いなかった

 鈴木先生がひげを剃っておられた時、秘書の岡本美穂子さんに「本願」を問われ、顎に手を当てたまま考えておられた先生が、昇ってくる朝日を見ると、「ほーら、美穂子さん、本願が昇ってきたぞ」とおっしゃったという。単刀直入の本願であった。

Eureka!
一を聞いて、一を聞く

2014年4月5日土曜日
「本願が昇ってきたぞ」 [鈴木大拙]

「本願が昇ってきたぞ」
まさにこの言葉だった
朝日を浴びたときに感じる温もり幸福感
それが本願
ラジオでこの言葉を聴いた時の感覚が
記事に出会ってまたよみがえってきた

大観…もう一つの連想は
横山大観…日本画の大家
京都に縁がある画家なので
よく耳にする名前
お寺の名前になるほどだから
大観という名は雅号かと…ふと思った
ウィキペディアを見ると

1895年(明治28年):京都市立美術工芸学校(現在の京都市立芸術大学)教諭。この京都修行時代と推定されるが、雅号を「大観」とす。大観とはあらゆる大局的な観点から世界を見るという意味の法華経の経文からとったという説もある。

数年前…般若心経の写経を
しばらく続けたあと
同時に法華経の写経も始めた
途中で投げ出してしまった
何故やめてしまったか
自分のことながら
すっかり忘れている
写経はブログにアップしていた
この際だから…振り返ってみる

最終投稿日は
2020.6.25
このあと何があってやめたのだろう
ブログは毎日更新していた
写経だけやめている
飽きたのだろう

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