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『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【415】

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章そしてさとちゃんの紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するためにブログ『里恋詩くて・・・熊野・高野』の全記事(2935)にコメントをする

里恋日記1/3・山ノ神を歩く

里恋日記2010/01/0317:27

おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。熊野学舎の歩く講座と『からすとんぼ』と森平さとをよろしくお願いします。

 

さとちゃんのブログ記事では正月3日
私の方は…2月1日
新しい月の始まり
早いですね…とは言いません
時間は誰にも平等
一日の長さも平等
長くま短くもない
始まりも終わりもない
いや…これは違うかな
始まりもあって
終わりもあるはず
形あるものは必ず滅す
念のために検索
仏教用語とな
諸行無常とかが出てくる
ウィキペディアを読み進めると
久保田米僊筆「半偈捨身図」が出て来た
その説明が面白い
有名な話なのだろうが
これまで縁が無かったから
知らなかっただけに興味が湧いた
引用すると

ヒマラヤで修行していた雪山童子は「諸行無常」の半偈(前半部)を羅刹から聞いた。童子は半偈の続きを羅刹に求めたが、生きた人肉を食す羅刹は空腹のため、続きを説くことはできないと答えた。童子は残りの半偈を聞くため自身を捨て、あなたに捧げると答えた。羅刹は後半部の半偈を童子に教え、童子は羅刹の口元に飛び込んだ。ところが羅刹は童子を食べずに帝釈天へと変わり、煩悩を一切持たない童子が将来に無上菩提となることを喜んだ[5]

ウィキペディア

雪山童子は釈迦の事らしい
フーテンの寅さんで有名な帝釈天が
出て来るではないか
映画を観ても御前様とか源公とかに
目が行くだけだった
この時に帝釈天に気が行ったなら
雪山童子の半偈や羅刹について
遠に知っただろう
だが…それすら忘れてしまっただろうが
もしかしたら以前に
帝釈天を調べていたかもしれぬ
調べた事自体忘れてるなんて
私にはザラにあるから
この前だって…カフェラミルという言葉
まったく記憶になかった
検索するとある文章が出て来た
「CaFe' LA MILLE」
ある男のある女への弔事

私が以前に書いた話
それすら忘れていた
私はそんな人間だ
まだ似た話はある
ついさっきまで浮かんでいた関連の話
もう出て来ない…今しがたの事なのに
さてさてさて…

遠くで電話の音がしている
かなり長い…空耳?
今…止まった

何だったか…思い出せない
なら書かなければいいだけだが…
思い出さないのが悔しいじゃないか
だから思い出したい
思い出したところで
大した話じゃ無かった…てことあるけど

ダメだ…思い出せない
だからこれで悔しいけど…終わり


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