高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【453】

妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
無名作家高山のエッセイ「ガーターベルトの女」の映画化芝居化・・・
その他いろいろ作品化できれば
なんて途方もない夢を観ています

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📖 高山のエッセイ〜出会い系サイトの女2

出会い系サイトの事を続けて書きます。

出会い系サイトでは色々有りましたが、これが一番汚い話しです。

出会い系サイトで前回はわりと良い方の話しを書きましたが、それだけ書いては、どうも自分自身を美化してるようで違う面も書かないと気がすまない気がします。


人は自分自身の美しい思い出は良く覚えてて、自分自身がやった酷い事は忘れがちです。


だから、今回の話しは自分自身でも覚えてない所も多々ありますます。

ブログでは、そういう黒い部分もさらけ出すのが公平なような気がします。

しかし、一つ言えるのは四十代になっての自分自身は随分変わりました。


この九年程でそういう黒い部分は随分減りましたし、なるべく人に対して誠実で有りたいと思ってます。

それは、甥っ子が産まれた事とか周りに恵まれた事からですね。

それでも自分自身が良い人とは思ってないですが、自分自身に対して良くしてくれる人には正直になりたいと願ってます。


出会い系サイトの女性でKさんとしますが、他県の人でどういう風にサイトの中で知り合ったかは余り覚えて居ないです。


僕が三十代半ば過ぎ位だったと思います。

Kは二十代後半でサイトで知り合って、わりと早めに向こうがこちらに来ることなりました。

写メの交換はギリギリでしたように思います。

写メで見るとまあまあ良い女に見えました。

しかし、いざ会うとあー!?これは上手く写メを撮ったなあと残念に思いました。

今では顔さえはっきり思い出せないです。

少し小太りの人で、ルックスは決して良くなかったです。


それでも僕の住んでる県にわざわざ来たので、駅まで迎えに行ってドライブスルーのハンバーガーを買ってホテルに行きました。

その時は何とかセックスが出来ました。

何とかセックスが出来たと言うのは、自分自身のタイプではまるで無かったから仕方なくでしたね。


その後もKからはメールや電話が繁茂にありました。


その頃の僕は仕事してたけど色々あって荒んでたし、今とは違う意味で経済的に困ってました。


今とは違う意味で経済的に困ってたと言うのは、今は細かくお金の計算をして何とかやりくりしながらですが、その頃はいい加減でした。

ケータイを停められたり、借金もきちんと返せなかったりです。


なんと言うか、父が再建を目指したのが失敗してこの先どうなっても良いかと言う感じでした。

そういう時にKと知り合いました。

Kとは、直接会った回数は僕の県で数回と向こうの県で二度程です。

Kは福岡県の女性でした。


僕は、Kが僕の事を気に入ってるのが分かると、それを意図的に利用しようとしたと思います。

今ではとてもじゃないけど、出来ないし今なら早めに相手に伝えて縁を切ってたと思います。


四十代に入って一人の女性と他県で偶然出会い、その女性とは価値観も非常に一致して色々有りながらも愛してました。


その女性が思わぬ病気で亡くなってから、女性に対して或いは人に対して随分変わりましたね。


キリスト教徒の美しい女性でした。


価値観が凄く一致して、色々あっても愛すると言うのを知ったように思います。


その後、小説サイトでも価値観が一致して非常に気があった人もキリスト教徒でした。

その方も思わぬ病気で亡くなってから、自分自身いかに生きるかを非常に考えるようになりました。

小説サイトの方とは恋愛関係は無かったですが、その方が僕と接触したのは、その亡くなった女性の事を僕が幾つかの短編にしたからかも知れません。

同じキリスト教徒で、二人はある部分で非常に似てましたから、小説サイトの方はそこを読み取ったのではと今では思います。


勘の良い人でしたからね。


二人とも頭が良くて、ある種独特な考えを持ってましたね。

僕はそういう所がとても好きでした。

自分自身に正直と言うか、その分一般的には理解されにくい所も有りながら、自分自身が好きな人間には無償の愛情を注いでくるような人達でした。


そこに計算は無くて、小さい頃から信仰が有ると言うのはそういう事なのかとさえ思いました。

自分自身も一時期と言うか、今でもそういう出会いが続いた事からキリスト教に対して非常に興味があります。

この二人の女性は年齢は違ったけど、僕を大きく変えたと思います。

そういう出会いが会った事はとても良かったですが、二人とも亡くなったから何とも書きにくい事です。

時々何故二人は亡くなってしまい、自分自身は生き残ってるのかを考えますが答えは出ません。


まあ、とにかく内面的に随分自分自身変わりましたよ。


Kとの出会いの頃は変わる前です。

人間根本は変わらないと笑われそうですが、人との出会いで完全には変われなくても随分変わるものですよ。


Kとの話しに戻します。


僕はKを利用しようとしました。


だから、メールや電話では嘘を沢山つきましたね。

それが、巧妙な嘘かと言えばそうでも無かったと思います。

相手は完全に僕を信じてたんでしょうね。

Kは貢ぐタイプで、頭の回転が良い方では無かったのかも知れないです。

それか、惚れた弱味で全てを信じようとしたのかも知れないです。

そこに僕は、つけこみましたね。


当時ケータイを未払いしてしまい止められてKに助けを求めました。


一時的に払ってくれでは無くてKにケータイを持たせてくれと言いました。

一時的にトラブルで止められるから払ってくれならまだましですが、Kにケータイを持たせて貰った上に支払いをKにさせました。


その辺りの僕の嘘つき具合や口での言いくるめ方は、相手が僕に好意を抱いてるから出来た事ですし今では、とてもじゃないけど出来ませんね。


その上Kに遊びのお金を何度か頼みました。


勿論遊びとは言いませんよ。

その金額は五十万円は超えたと思います。

ケータイ代を含めたら、Kは百万円以上僕に貢ぎましたね。

Kは、綺麗でない自分を愛してくれてると勘違いしたんでしょう。

そういう風に、僕が話しを上手く持って行きましたけどね。


随分汚い話しです。しかし、こういう部分もかつては自分自身にあったと言う事です。


反省は特にしてないけど、二度としないだろうですね。

反省してないと言うのは、男と女ではあり得る事だからです。

そういう人を僕は他にも見てきてますよ。

前に書いた風俗の女の子にもそういう風にした部分が有りますが、相手を好きでしたからね。

Kに対しては利用してやろうと、完全に割りきってました。


これは、こうして書いてると非常に嫌な気分になりますが、かつてはそういう人間でした。

今は、しがない中年で本を読んだりDVDを観たりで、お金も細かく計算しながら生きてますけどね。


当時は、何とかKが居るから大丈夫だでした。


付き合ったのは四ヶ月程ですが、ケータイ料金は一年は払って貰いました。


月に、確実にケータイ料金以外で五万円以上は貰ってました。
覚えていないけどそれ以上かも知れないです。

何に使うかは遊びですよ。

他にも彼女が居ましたからね。
確か飲み屋の女の子と付き合ってましたね。

それも非常に軽い気持ちで付き合ってました。

全てがその頃はいい加減でしたね。


Kにケータイ料金を一年は払って貰ったのも、のらりくらりと誤魔化したからです。


愛してるとかの嘘な言葉を平気で言いましたね。


しかし、Kとセックスをしたのは多分一度か二度です。


ある時福岡県に遊びに来ないかと言う誘いがありました。

全てKのお金なら行くと上手く言いくるめました。

電車賃からホテル食事、向こうで買って貰う物など全てKが出しました。


Kも、かなり本人なりのお洒落をして来てましたよ。


福岡でTシャツとジャンパーを買って貰って食事をしたんですね。

正直、Tシャツとジャンパーだけかよと思ったのを覚えてます。

こうして文章にするとろくでなしですね。

食事をしたのは確か中華料理屋でしたが、混んでて若い男二人と入り口で肩が偶然当たって何かを軽く言われました。

一瞬頭に腹が立って、あ!と睨んだら相手が怯みました。

Kは、それを自分自身を守ってくれたと勘違いしましたが、単純に僕自身が腹が立っただけでした。

Kのそういう勘違いも、僕には鬱陶しかったです。


それからホテルに行きました。


Kは完全にセックスする物と考えてたと思います。


しかし、僕はKと一緒でも全くKに対しての愛情が沸きませんでした。

義務的に、ここはセックスしないといけないと思ったんですが、出来ないんですよ。

何とかしようとしましたが、下半身は正直で全くダメでした。


こういう体験は初めてでした。


僕は今でも性欲は強いですから、当時は大抵の女性なら抱けましたが、Kは無理でした。

そういう時に男性は、役に立たない自分自身の物を見てショックを受けるとか聞くけど、ショックは無かったです。

ある意味当然だなと受け入れましたね。

やはり気持ちが通じてないと、セックスは苦痛でしか有りませんからね。


Kには、言い訳として精神的に疲れてると言いましたね。


それから二人でベッドで寝てたんですが、それすらも嫌になった程です。


眠れないですよね。Kはべったりくっついて来ますが、それも非常に嫌でした。

それでも、とにかくKと切れないようにです。

嫌な言い方をすれば、不快な夜を何とか乗りきったって感じですね。

良く覚えてるのが、次の日の昼過ぎには戻らないといけないんですが、寝不足で頭が上手く回りませんでした。


Kと寝たせいで完全に眠れなかったんですね。


昼御飯を何処かのレストランで食べてて、Kが上目遣いで僕を見ながら話したんですが、その顔を見てたら何故俺はこいつと一緒に居るんだろうでした。


とても虚しく腹立たしくもありました。


実に勝手な話しですが、それが本音でしたよ。


とにかく帰っても、しばらくはKと何だかんだ切れなかったです。


付き合ったのは数ヶ月と言いながらもKはケータイ料金も払ってたし、本体も自分自身が少し前に使ってたってのを僕にくれてました。


Kも段々とお金を出さなくなりましたが、それでもケータイの事があったから切れなかったです。


しかし、ある時ケータイの中にプロフィールのようなものが残ってて、それを見たらKの名前が僕の知ってる名前と違うんですよね。


良く考えたらあ!ですよ。

Kは独身だと僕に偽ってました。

そのケータイは、今の旦那の昔のケータイだと分かりました。

これには、腹が立ちました。

僕も騙してたけど、Kは独身だと僕を騙してたんですね。


勝手ですが、何処か自分自身のプライドが傷付きましたね。

自分自身は騙しても良いけど、相手から騙されるのは許せないと言う実に勝手な気持ちです。

それを機会に関係が悪化しました。


ケータイも返すから別れようでしたが、Kは、なかなか納得しませんでした。

それでも何とか納得させましたね。


自分の中ではKは利用価値はないし、全く好きでもないんだから良いかでした。

その後、ケータイは親戚に頼んで買いました。

お金は勿論僕が払いました。

凄く揉めたとかは無かったですが、その後一度だけKから手紙が来てて、少しでも良いからお金を返してでした。

無視したらそれから何も来なくなりました。

それでKとは完全に切れましたが、こうして書いてても実に覚えてないんですね。


自分自身が都合が悪いことは、記憶が忘れようとしてるんでしょうね。

それと、一つの出会い系の話しを書いてもう一つの黒い部分の出会い系サイトの話しを書かないのは、何とも自分自身納得行かずにこれを記してます。


今は、本当にこういう事はしませんし、随分変わりましたよ。


それでもこういう過去があったのは事実です。

男と女ですからあり得る話しですね。

覚えてない所が多いのと話しにまとまりがいつも欠きますが、今回は特にそれが顕著なのは、自分自身書いてて上手く書けないんですよね。


だけど、Kの福岡での朝の上目遣いの顔は時々思い出します。

その時の気持ちを思い出しますね。あ!?この女嫌いだなって痛烈に思ったのを思い出します。


それと、福岡のホテルでKが履いてたパンツですね。

太ってたから必死に色気を出そうとして、てもそれが全く魅力的で無かったのを思い出します。

細かく思い出すと言うより、その時の気持ちと断片的な情景を思い出します。

顔は何となくしか思い出しません。

三十代の頃の実に勝手な自分自身を書くことによって、落とし前をつけようとしてるのかも知れないです。

何とも言えないですけどね。


人には二面性が有ると思います。

その頃は特にそれが有りました。


今は無いか、と本気で聞かれたら今でも有るのかも知れないけど、こういう行動はしませんし出来ませんね。


僕の黒いダークな部分で自慢出来る話しではないけど、書くべき話だと思いまして書きました。

今ではそこまで女性のルックスには拘りませんし、拘るだけの資格もないと思ってますよ。


追記として、これを書く勇気をくれたブログの管理人さんに感謝してます。

おわり

📖無名居士のたわ言・・・音楽でひとあそび〜「赤いグラス」 フランク永井・松尾和子

2013/12/28 

愛が生まれる・・・

最近・・・そんな歌を聴いたなあ
女優の藤谷美和子?だったかな?
誰かとデュエットで歌ってなかった?
「愛が生まれた日」だった
そうそう・・・作詞は秋元康だったんだ

ラジオ深夜便の3時台は音楽特集
調べてみると・・・
 12/25水曜日 思い出の流行歌:デュエット歌謡集
「赤いグラス」も取り上げられていた
この歌にはちょっと思い出がある

30代の半ばの頃だったか
酒は飲めないのに
どういうわけか夜の祇園に通い始めた
人から紹介されて行った店に
フィリピンのホステスさんがいた

その一人とデュエットしたのが・・・赤いグラス
そしてその女性が気になって
祇園通いが始まったのだが
ちょうどその頃・・・同世代の歌手布施明が
女優のオリビア・ハッセーと結婚した

それに刺激されて
私も結婚願望が高まっていた時期
そんなとき出会ったフィリピン女性
ここまで書けば
その後のいきさつをある程度想像されるでしょうね

そもそも金を稼ぎに日本に来た・・・それも裏世界の手引きあり
ある程度私にも想像はついてましたが
好きになった弱み・・・というか
せっせとみつぐことになったのです
その頃は少し貯えがあったのでね

暴力団?から呼び出され
行ってみると5~6人の組員?に囲まれ
脅されたりもしました
彼女の友だちを家で数日面倒みたり
アパートを借りてやったり・・・

母に子を見せてやりたいとか
結婚すれば自分に自信が持てて
何かが変わるはずだ・・・などと思っていました
相手にいい様に利用されているとは思いながらもね
国に帰った彼女との関係は自然消滅・・・身体の関係は無いままに

まだ若い頃の恥ずかしいことを
ついつい書いてしまいました
愛ではなく・・・私にとっては恋?が生まれる
きっかけとなったのがデュエット曲「赤いグラス」でした
というお粗末な話・・・その後は・・・「恋は片恋」をモットーに

アイ・ジョージ以外の動画は無いかと探したら
赤いグラス フランク永井・松尾和子

📖 高山の作品から〜「濡れる穴の中 16~ 男気」

トンネル現場で僕より二つ年下の四十八歳の、耳の悪い吉田君を使ってます。

今は、小さい現場ながら班長やらせてます。

この辺り、前に書いてる「Yとの嬉しい再会」等で取り上げてますが、吉田君は耳が悪くても非常に優秀です。

耳が悪いお陰と言うと変ですが、勘等が、お前は超能力かって所が数々有りますし、僕の見てきた中ではトンネル掘削に関しては、腕では全国一かもと思ってます。


三十年近く多くの作業員を見て来てますから、その辺りの見る目はありますよ。

ある意味、管理職になってその見る目で、成長したと思いますね。

職人としては超一流でしたが、今は、打ち合わせの時には補聴器着けて行きますし、きちんと物が言えるようになりましたね。

これは、補聴器の案を出したうちのナンバー2の、えり子ちゃんのお陰ですね。

それに、最近再婚しました。

相手は四十半ばで、一度離婚経験のある女性ですが、介護などの仕事をしていて性格的に凄く良い女性です。

吉田も離婚してますし、子供は大きくなっててもう会えないようですが、それは仕方ないなです。

吉田は二十年程前からの付き合いですが、女に縁が無かったです。

身長も高くて、ボディビルのような事をしてたからプロレスラーみたいな身体ですが、耳が悪いのが彼には凄くコンプレックスだったんでしょうね。

分かりますけどね。

それが、結婚もして、掘削班の班長までなるとはです。

僕は、仕事には厳しいから耳が悪くて使えないなら、昔からの人でも雇いませんし、班長にしません。

彼の実力で、この地位を取ったと思ってます。

この辺りは、恩情とか掛けてて、事故でもしたら大変ですからね。

彼が掘削でも充分過ぎるほどやれて、少しずつリーダーシップも取れると判断してるからです。

結婚したり彼女が出きると、そちらに夢中になって仕事がおろそかになりがちですが、それも全く無くて、ますます仕事に励んでます。

それに、彼は作業員や炊事の人等に好かれてるから、周りがとにかく彼が班長やるなら、自分が補佐に回ろうと言うのが多かったです。

それも、腕の立つ班長クラスの連中が特にですね。

彼が仕事熱心だと言うのと、掘削させたら普通ではやらない事をやって成功させてしまうからでしょうね。

名人は名人を知る、って感じかなと思いますね。

そういう中で、今の現場は山が余り良くないですが、吉田を中心にしてやってました。

僕は、時々行って元請けの所長と雑談しますが、元請けの所長も吉田を相当気に入ってますね。

そうしてたら、役所のコンサルタントが来ました。

役所のコンサルタントとは、仕事の進捗状況や安全面を見る、ある意味役所の手先です。

吉田達は休憩で外に出てくる所だったので、僕は慌てて吉田の側に行って、目でヤバイのが来てるから注意しろと伝えました。

ヤバイってのは、吉田が耳が悪いと公になるとこれは、役所側は何らかの手を打つかもなんですよ。

吉田も分かったようで、休憩所に入っても敢えて補聴器を着けませんでしたね。

トンネル内にいる時は、補聴器は着けないです。

外に出てきて、打ち合わせ等の時には着けますけどね。

トンネル内で着けると、今まで着けて無かったのと勘がにぶるようです。

休憩所で皆で弁当食べてると、役所のコンサルタントの四十代位の太った男が、高山さん、吉田さんって此処に居ますよね。

と聞いたので、居るけど何か?と答えると、吉田さんって耳が酷い難聴なのに現場に出てるって聞いて、それは不味いだろうで会いに来ました。と言いました。

すると、後ろから元請けの所長が、うちの事務所で話そうと言って、僕とコンサルタントを連れて行きました。

元請けの事務所に入ると、所長は椅子にどかっと座ると、耳が悪くても凄い腕なんだよと言いました。

君達は、現場を知らないから表面だけを見て、耳が悪いのが居るから排除しようとする。

俺達は、現場を知ってるから良い坑夫を手放したくないんだな、と大声で話しましたね。

高山君、そうだよなと言うから、そうですねと答えました。

所長は、役所の規定に具体的に耳の悪いのは使わないとは書いてないし、耳が悪いから排除するなら、俺は人権団体にもコネが有るからそこに訴えるし、あらゆる手を使うぞと所長は言いましたね。

柔道を今でもやってる身体の大きい元請けの所長からそう言われたら、コンサルタントは少し引きましたが、それでもやはり事故とかになれば・・・と言いかけました。


所長は、耳のせいで事故が起これば全責任を俺が持つとはっきり言うと、事務所の黒板に吉田の名前をフルネームで書いて、自分自身の名前もフルネームで書いて丸を二人の名前で囲むと、もう一度俺が彼に対しては全責任を持つ、と繰り返しました。

コンサルタントは、気圧されながらもやはりそれでも、と言いました。

そうすると所長は、自分自身の机に行くと一枚の紙を持って来ました。

そこには、吉田に関しての耳のせいで事故を起こした場合は、所長が全責任を持って対処すると言うのが、きちんとした書類となってました。

そしてそこには、所長の印鑑と吉田がこれに同意したと言う拇印が押されてました。

僕は、いつの間にこんなの作ったかの驚きながらも、そこに僕の名前も入れて所長に朱肉を借りて拇印しました。

所長は、役所のもっと偉い人が来てもこれは変わらないし、それでも駄目と言うなら、うちはこの仕事から撤退する覚悟がある、とまで言いましたね。

僕は、そこまで言って良いのかと思いましたが、僕より少し歳上の五十代前半の所長を、男だなと惚れ直しましたね。

コンサルタントは、上に報告しますとだけ言って逃げるように帰りました。

僕は所長に、役所の上の連中が出てきたらどうしますと聞くと、ここの現場の役所の責任者の弱味は知ってるから、高山君、大丈夫だよと笑いました。

具体的に聞くと、ここの現場の役所の責任者に愛人が居るのは、知ってる人は知ってるらしくて、それを奥さんにばらすと脅すらしいです。

高山君、何でも先回りだよと所長は笑いましたが、誰かが吉田の事をチクってるんだなと言うと、難しい顔になりましたね。


それでも高山君、君と俺とで何とか対処しようと言いました。

それに、吉田君は素晴らしい坑夫だよ。

それが、このくらいの事で駄目になるのはトンネル業界に取っても損失だし、吉田君に続く人たちにも損失だよ、と言いました。

所長は、耳が悪いとか女性だからとか、トンネル業界も実力主義で行くべきだよと言いました。

その尖兵になるのが、君の所の吉田君でも有るし、君の右腕の若い女性のえり子ちゃんだろうと言いました。

そして、実は明日からうちも泊まり込みで女性の測量技師を呼ぶから頼む、と言われました。

今までも女性の測量技師は居ましたが、泊まり込みではなくて一時的来ては帰ってました。

今回の女性は腕が良いらしくて、是非現場にと所長が誘ったらしいです。

所長も自らの会社内改革を、本格的やり始めたようです。

高山君、肝心なのはここだろうと言うと、心臓と腕を指しましたね。

つまり、肝心なのはハートと腕だろうって事ですね。

僕は、少し心配そうな吉田に、大丈夫俺達が付いてると言いました。

いつの間に書類を作ったのかは、聞かなかったです。

僕の右腕のえり子ちゃんに、車で移動中にその話しをすると鼻声になってるから見ると、泣いてましたね。

僕が気付いたので何とか堪えようとしてましたが、涙がどっと出て嬉しいですね、と言ってました。

僕は、まだまだこれから色々有るのに泣いてる暇が有るかと笑いましたが、久しぶりに気分が良くなりました。

最近は、本当の男気のない人が多いですが、ああいうのを見せられると、まだまだ捨てたものじゃないなと思いましたね。


おわり

📖「ガーターベルトの女」の映画化のためにエッセイをお読み下さい・・・「ガーターベルトの女 14」

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ガーターベルトシリーズが、まさかこんなに長くなるならと今では色々思うけど、まあ記憶が掘り起こされたんでしょう。

初めての方の感想も入ってて、ありがとうございます。


これは、纏めたらかなりの枚数になるし要らない部分を削れば短編になるだろうけど、今の僕にはそれが出来る余裕がないです。

これを書いて別れにしようと思ってるけど、全て予定は未定です。


Aと言うヤクザの親友を出した事で変わりましたね。

まあ、別れも書かずに終わるかも知れないです。

今のところ何とも言えないですね。


その前の話しで、福岡までラーメン食べに行こうとなって食べられずに帰ったことから、思い出した話しが有ります。


Aは、十代の頃から死ぬまでラーメン好きでした。

しかし、凄く美味しいとか言う所にわざわざ並ぶタイプでは無くて、そこそこのラーメンでも飽きずに食べられる所を好みましたね。


グルメブームが二十年以上前に既に起こってて、そういうのは僕もAもMも嫌いでしたね。


Mは、そんなに美味しくても数時間並ぶとか信じられないと言ってたし、美味しいのはお腹の空いてる時よとも言ってて、食には特に何が食べたいは無かったです。

他の拘りがそれぞれあったから食にまで行かなかったのかも、と今では思います。


僕も今でも拘りないですね。


ある人が悪いとかではないんですよ。

そういうAと僕でも、一軒だけ拘わった店が有りました。


かなり前に無くなりましたがね。


それは、僕らの街では有名なラーメン屋でね。


土間はコンクリートの打ちっぱなしで、何十年前のか?って感じのポスター貼られてるような、外見も汚い店でした。


僕が小学生位の時に、出汁に猫を使ったとかで一時的に閉まったらしいですが、真相を知るのは居ませんでした。


多分、保健所に入られただけではないのかが正確だと思います。


きっかけは、高校の時に有名だからとAも居て、皆で行ったんですよ。


しかし、当時の先輩達から、お前ら一回行っても美味しいと思わないぞと言われてました。

必ず、二回は最低行けでした。


三回行っても駄目なら、食べる資格ないと言われましたね。


そんなラーメン屋ってありかよでしたが、正解でしたね。


一回目は皆、味の独特な濃さにやられて何とか完食しました。


不味くはないけど独特なんですよ。


豚骨ベースなんだろうけど、スープは多くなくて麺が太くて独特な味でした。


行ったメンバーは、そんなに言うなら二回は行くぞでした。


しばらくして二回目に行くと美味しいと言う奴とまだ合わないってのに別れました。


Aも僕も美味しいと思いましたね。


三回目行っても合わないのも居ましたが、ほとんどが何人で行ったか覚えてないけどそこの虜になりました。


しかし、十代はそこの場所は僕らの高校の縄張りで無くて、飲み屋街から直ぐで隠れて行ってましたね。


この頃はおじいさんとおばあさんがやってて、非常に美味しかったです。


ある時スープを飲み干したら底から十円玉が出てきて、ばばあ!こら!と言うと婆さんはあんたにやるよと全く意に介せずで、こっちが笑ってしましたよ。

店の裏に大量のリポビタンDが積まれてて、あれが何かの隠し味だろうと言ってたけど、分からずじまいでした。


Mの店で飲んでる時に、あの店が近く閉めるって噂流れてるから俺は行ったよと、Aが言いました。


閉めるって噂は前から何度も出てました。


おばあさんが病気になったらしく、おじいさんと少し知恵の遅れた息子とやってたから味が変わった、とも言われてましたね。


僕は、やはり味が変わったのかと聞くと、Aは基本は変わらないけど、ばあちゃんの時が一番だったろうなと答えました。

それでも充分旨いけどと付け加えましたね。

閉めるのかと聞くと、じいさんに聞いてもその辺りははっきりしなかったらしいです。


それでもあの息子が作るって事は無いだろうから、いつか急に閉まるだろうなでしたね。


街の人の見解も同じでした。

ばあちゃんが居たときが一番だけど、まだまだ美味しいって所まで同じでしたね。

Mは店は知ってるけど、女の子一人はあそこは入りにくいでした。 

確かにそうでしたね。若い女性が一人で来てるの見たこと無かったです。

家族で来てるのは何度か見たこと有るけど、父親に無理矢理連れて来られた感じでした。

ばあちゃんがいた頃は、鍋を持っていくと持ち帰りあったから女の子も居たぞ、とAが言いました。


十円玉の話しもしてるとAが、Mちゃんこの街に住んでるんなら行かないとと微笑みました。


そして僕の方を指差しました。


僕は、俺が連れて行くのかそれも一回では分からないぞと言うと、Aはお前も俺も昔あの辺で喧嘩して、ばあちゃんに助けられたの忘れたのかと言われました。


言われて、あー!そう言えばあの辺で違う学校の連中に囲まれて、人数多すぎて逃げた時に店に入ったらばあちゃんが、トイレに入れと言ったのを思い出しました。


探しに来た連中にばあちゃんが、そんなの知るか!!と怒鳴って帰らせたなと笑いました。


狭いトイレで暑いのに二人で隠れただろうと、Aは微笑みました。


Mは、それなら連れてってよと言い出しました。


僕は、そこは時間が昼に空いて遅くまでやる時と早く閉める時が有るから、俺が現場の昼休みに連れてってやると約束しました。

その頃は、現場は比較的のんびりしてて二時間位戻らなくても、たまには良かったです。


現場の昼休みにMと待ち合わせて行きました。

Mはゆっくり食べるとスープまで綺麗に飲み干して、十円出てこないって事は外れと笑いました。


味を聞くと、美味しかったでした。


高校の時に来れば良かったかも、とも言いましたね。


一回で美味しかったと言うのは希でしたから、驚きましたね。


今度はAさんと三人で来ようよ、と笑いました。

Mがそう言ってたとケータイで伝えると、Aは店が始まる前に空いてたら行こうと笑いました。 

Mの店は普通は八時に開けるのに、遅い時は九時に開けました。


M次第では、時には九時を過ぎましたね。


その日、八時少し前にMの店に集まると、Aが今なら空いてたけどMちゃん行けると聞くと、店は私の自由だから行こうでした。


しかし、珍しくと言うか気まぐれと言うか、Mはいかにも水商売の格好して、ミニスカートにおそらくガーターベルトをして網タイツ穿いてました。


僕の中では、Mがわざと目立つ格好で来たな、でしたね。


Aは特にそれを気にせず、じゃあ行こうと言いました。

Mは店の看板と電気消すと鍵を掛けて、三人で歩いて店まで行きました。


飲み屋街をわざと通って、Mが先頭で僕たちは後ろからついて行きました。


Aが女王様だな、とニヤリとしましたね。


ラーメン屋の側に来るとけっこう混んでて、Mは更に目立ちましたが、Aが引き戸を開けておいちゃん座れると聞くと、じいさんがカウンターに座るように手招きしました。


水を息子が持ってくるとMを見て、うわ!と言いました。

じいさんは、それほどしゃべらないんですが、悪がき二人が立派になって、綺麗な女の子連れてくるとはなと笑いました。


覚えてたんですね。


僕らの事をね。


Aが煙草吸いながら中身は変わらないけどねと言い返しました。


しばらくするとラーメンが並ぶと、黙って三人で食べました。


食べ終わるとMが、確かに一回目よりも更に美味しいと言って、麻薬でも入ってるのと笑いました。


この店のラーメン中毒は、冗談でそれを良く言ってましたからね。

Aが三人分と言って五千円札を出すとじいさんに渡して、釣りは良いからばあちゃんにもよろしく言っておいてよ、と言うと席を立ちました。

じいさんは当たり前のように釣りを出さずに、ありがとうございましたとだけ言いました。       


店を出ようとしてると既に酔った中年が、姉ちゃんが来るような所じゃないしパンツが見えるぞ、と言いました。

Mは、パンツが見たかったら見れば良いけど、また来るねと笑い返しました。


酔った中年は一瞬カチンとしたような顔をしたけど、Mを店から出しながら僕らが睨むと座りました。
    

Mは、歩きながら美味しかったねと言って店に真っ直ぐ戻らず、商店街の方を歩きました。


飲み屋街と商店街は隣接してましたから、僕らもそれについて行きながらAが自販機でビールを買うと二人はコーラが良いかと聞いたので、僕はたまにはビールで良いと答えました。


Mは、この人のビールを分けて貰うと答えました。


商店街はアーケードになってて薄暗く、すっかり寂れてましたね。


商店街を歩きながらMとビールを飲んでいたら色々思い出して、僕はジーパン屋を指すと昔はこの店もけっこう置いてたよなあとかAに話し掛けました。


Aは小さいパチンコ屋を指すとMに、こいつのホームグラウンドだったんだよと言いました。

高校の頃、最も通った店でしたね。


Mはビールを片手に、良いねえそう言う話しが沢山あるからね。


私なんて取り巻きは居たけど友達はいなかったからなあ、と言いました。 


二人はこれから先もそういう話し出来るんだね。十年先も二十年先もね。


どうせ二人とも結婚しないじゃないかな、と言いました。

私は二人を応援するチアガールみたいなので良いけどね、と言って微笑みました。


Mはそう言うとヒールを脱ぎ、商店街を軽く走り振り向いて僕の顔を見ると、キャッチしてよと言いました。


Mは走ると、僕の所にジャンプして抱きついて来ました。

思わず尻餅をついて、何とかキャッチしましたね。


Aが珍しく大きく笑うと、Mちゃんのパンツは黒だったと言いました。

そして、Mちゃん全く今の状態で無くて白紙だったら、こいつと俺だとどっちと付き合うと笑いながら聞きました。

Mは一瞬だけ真剣な顔をすると、笑いながらこの人と僕を指しました。


理由はバカじゃん、この人は。

頭の回転は良いけど子供みたいなバカだから、付いててあげないとねと言いました。


Mはそう言うと、パンツが見えたかと笑いました。

僕もおかしくて笑いましたが、Mの身体が密着してて勃起してました。


Mはそれに気づくと、Aに僕の物を握りながら昔からこんなのだったの、と聞きました。


Aは冷静に戻って、昔からだけどMちゃんだからだよと答えましたね。

そこには、さっき質問した事など無かったかのような感じでしたし、Mの解答に納得してるようでした。

Mはそれならよろしいと言うとヒールを履いて、今日は沢山飲もう私が酔ったら店閉めてねと笑いました。

そして十年先も二十先もかと言うと想像できないね、と笑いました。

Mの突然のジャンプは、今思えばチアガールみたいなのでと言ったのに照れたのかも知れないですね。


結局Mの予想は当たって僕もAも結婚しなかったですが、Aがああいう形で亡くなるなんてその時は誰も思ってなかったし、僕がその後に波乱な人生になるのも予想してなかったですね。

そのラーメン屋は、それから数年して無くなったと思います。

Aは、街に戻ると必ず行ってたようです。


僕らは、十代の頃に今位の時期にトイレで隠れていたんですよね。


そう思うと感傷的になりますね。


十代の夏、Mの飛びついて来た時の肉体の感じ、僕のものを握るMの小さい手を、あのラーメン屋の味と空気、Aの微笑み、色々な感覚が甦ります。


二十年以上過ぎてもそれは愛しく、何処か切ない物です。


おわり

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