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「織田作之助賞」受賞作家の小林長太郎と彼が残したブログ「負荷」と記事を忘れない〜#148

ブログ「負荷」には およそ2年半のあいだに1842本もの記事がアップロードかされていますブログにアクセス出来なくなったので読むことがで出来るのは「負荷」読者の手によって残されたわずかな記事と私が記録した未コメントの記事のタイトルだけこのマガジンはそれらに出来るだけコメントしようという試み

【参考】第2回 小林長太郎まつり

ブログ「負荷」の0コメント記事~その13

嘗めた切手が
2005/5/6(金) 午後 8:22

切手のことは
何も知りませんから
何も書けません
書けるとすれば
お年玉年賀はがきでシールが
毎年1〜2枚当たったとか…
一つ思い出したくない
苦い思い出がありました
30代の頃…私は年上の女性と同居
元来怠け者ので仕事をしない時期が
暫くありました…甘えていました
小遣いが欲しくて部屋を物色
そこで同居人の姉さんの
切手のコレクションを見つけました
姉さんが愉しみに集めた切手を
働きもしない私の小遣いにしようと
古物商の店で処分しました
3千円位になったと思います
何に使ったか思い出せませんが
パチンコにでも使ったかもしれません
今思えばバカな事をしたと
恥ずかしさでいっぱいです
まだまだ悪い事を考えていました
郵便貯金の通帳を担保に
金が借りられないか…とか
犯罪すら犯しかねない状態でした
若さゆえの思慮の無さ…情けないです

そんな私に愛想をつかすことなく
私が立ち直るまで見守ってくれました
兵庫の片田舎の育ちで
敗戦時が二十…詩人の茨木のり子と
同じ年だったと思います
彼女の詩は…そのまま姉さんの詩でした
結核を患い…恋は結ばれずに終わります
暮しの手帖と婦人之友が愛読書
結核の転地療養で京都の親戚宅に…
そこから40代になって洋裁の
住み込み修行を始めます
針子となって仕立て作業で
細々と生計を立て…慎ましく質素に
そしてひっそり暮らしていました
それを私が入り込んで
掻き回したみたいなものです
その姉さんは
92歳を迎えること無く
静かに息を引き取りました
最後の5年間は寝たきりでした
でも最後まで明るく…来る人皆に
愛されました
リハビリにと毎日書きためた書や絵
手元に遺っています
スマホで撮って…ブログへアップ
しかしその作業が止まったまま
気になっているのですか
私がする気になれない
私がその気になれば
出来ることなのですが
それを済ませたら
処分してさよなら出来るのですが
何故かためらって進みません
しょうがない男です
頼りになりません
優柔不断で男の風上にも置けぬ人間
でも…いきています

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