高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【423】

妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
無名作家高山のエッセイ「ガーターベルトの女」の映画化芝居化・・・
その他いろいろ作品化できれば
なんて途方もない夢を観ています

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📖 高山のエッセイ〜「父 3」

今のうちに父との思い出をまとめ書きしてます。

両親と小学二年で別れて暮らし出した僕は、とにかく寂しかったです。

兄が二つ上に居たけど気質が違って何かと面倒みようと向こうはするけど、弟を引っ張り回してるような状態になりましたね。


この頃の兄はまともで優秀でと言われてました。

勉強もスポーツも出来てね。

一方の弟の僕は愛嬌はあるけど勉強は普通で、スポーツは苦手でした。

途中から始めた剣道も最初は下手でね。


それと当時は野球少年が多くてそれが嫌でしたよ。


チームで何かするのがとても嫌でした。


今考えたら、この時のチームで何かするのがとても嫌ってのが若い頃に染み付いてるんですが、後々トンネルの仕事し始めたら実はチームでするのが下手でないのが分かるんですよね。


思春期は嫌で仕方なくてね。

固定観念にやられてましたね。


固定観念と言えば僕は固定観念にやられるとしばらくダメなんですよね。


四十代を過ぎて柔軟性が出ましたね。遅いですけどね。


右翼的思想に憧れた時期があったんですよね。

今は左翼的ではないけど、どちらにも付かない感じです。


左翼的と感じられる人も多いでしょうが、なんと言うか弱者が切られて強者が残る社会や戦争への足音や、福島原発事故後の動きですね。

これ、書くと福島をと言われる人が出るかもですが、後々福島には後遺症出るでしょう。


風評被害は行けないけど延々隠すのどうなのです。


そこは細かく調べないと正直分からないのでこれ以上はさけます。


そういう動きの中で左翼的になったと言われたらそりゃ仕方ないです。


戦争を美化するつもりはないし特攻隊を美化するのは嫌いです。


特攻隊に行った人を悼むのは良いけど、あの行為を美化するのはとても嫌ですね。


話しがまた逸れたので戻します。今はとにかく自分自身を俯瞰で見られるように訓練してますよ。


固定観念を捨ててます。


そうじゃないと四十代後半の小説が好きな男が、ケータイ小説サイトに五年もいれませんよ。


良いのもあるって事ですよ。


話し戻します。すいません。

当時富山の立山で仕事をしてた父達は夏休みには呼ぶんですよね。


これが楽しみでね。


最初の年は多分呼ぶ余裕がなかったのに呼んでると思いますよ。


経済的にも苦しい時期で後から母に聞くんですが、かなりの援助を祖父母がしてたようです。


僕には祖母は特に怖くて厳しい人ってあったんですが、その辺りのお金のやりくりを祖母はしてたんですよね。


母に聞いたんですが、引っ越して直ぐに僕ら兄弟はジーンズ履いてたけどここではそういうの居ないから、ジャージを買うお金をと言われて工面するのが大変だったようです。


そのくらい最初は両親も楽ではなかったんですよね。


聞いて驚きましたが、確かに二人分のを最低二着はいるわけだから大変ですよね。


そういう中でも富山に行き始めたのは三年生だと思います。だからその辺りは祖父母の援助がかなりあったようです。

当時は家族宿舎で、多分家族と独身の作業員を入れて百人近く居ましたね。


小さい時の広島でもそうでした。生まれてから宿舎に住むって当たり前でしたからね。


そこで父は三十代で所長をしてました。


そういう点でリーダーの資質はあったんだと思います。


だけど、作業員としては一流かと言えば、所謂職人の人に言わせたら二流だったらしいです。


そういう点似てますよ。


僕もリーダーとしては良いけど作業員としては二流です。


圧倒的に上手い人が沢山居ますよ。


まあ、その家族宿舎で夏休み過ごすんですよね。


おじさん達も沢山いたしその子供達も沢山居たから、年長の僕は子供達と遊んでましたね。


とにかく遊びにも連れっててくれたけど、父は忙しくておじさんが多かったです。


それでも家族と一緒ってだけで嬉しかったですよ。


宿舎の部屋は狭いけど両親とまだ小さい妹と一緒ってだけで嬉しかった。


当たり前ですよ。三年生とかまだ子供ですよ。


遊びに行く時は大抵母方のおじさんで、事務をしてたから時間的余裕があったんでしょうね。


映画に連れってて貰ったり漫画を買いに行ったりです。


父がお金を渡していたと後で兄が言うけど、それも当たり前ですよね。


おじさんにしてみたら、甥っ子二人の面倒見るのは大変だったと思いますよ。

行く前に必ず、漫画は一冊までとか二冊までとか言われましたね。


スターウォーズやあしたのジョーを観ましたよ。


楽しかったです。

しかし、夏休みが終わりに近づくと戻るんですね。


夏休みを全部はいれなかったと思います。

三週間とかだったと思います。

夏休みが終わる直前に戻ってたから、始まって直ぐは行ってないし毎年では無かったと思います。


時には夏休みの代わりに冬とかもあったと思います。


もう当時はあちこち現場を移りだしてたから、熊本県や福島県にも行きました。


それでも富山が一番印象的で覚えてますよ。


帰りに寝台車で帰るのですが僕は大抵泣いてましたね。


キオスクで漫画を買ってもらうけど、寝台車が走り出すとこっそり泣いてましたよ。


後に兄が、弟が泣くから自分は泣けなくてと言います。


寝台車で戻ると祖母が迎えに来てましたが、九州の田舎です。

駅からけっこう時間がかかるんですが、何で戻ってたかは覚えてないです。


祖母は当時五十代ですが、体が元々強くなくてよく病院に行ってました。


だけど僕たちの前で寝込むとか無かったです。


中学になって入院しますが、それまでは弱いのを見せませんでしたね。


怖い人でしたが、きちんと食べさせてきちんとしろ、です。

親が居ないからと言われるなです。

後に周りからはあんなに孫を可愛がってたのはないと言われてたらしいです。


朝をきちんと食べさせて、夜もきちんと食べさせて。半ドンの時や休みの時は全部食べさせてましたね。


ちょっとしたおやつとかも有りました。

でも当時の子供の僕には怖い人って強くてね。


学校で練り消ゴムが流行るんですが、それを買ってくれと言うとそれは学校でいるのか?です。


延々話してやっと買えた時は嬉しかったけど万事がそうでした。


最低限の物と言うか人から貧乏人と見られない程度はしてやるです。


だけど、経済的にそれが精一杯だったんですよ。


後から母に聞きますよ。


経済的に余裕が出るのはかなり後で祖母じゃなかったから無理だっただろうです。


記憶が錯綜しててはっきりしませんが、一度入院した時におじさんの奥さんが出産で戻って僕たちの面倒みましたが、祖母とまるで違いいい加減でした。


それが当たり前なんですが僕はおばさんの子供もうるさいし、何だか祖母との静かな生活を壊されたなと思います。

子供なんて勝手ですよね。

中学に三年くらいに初めていじめにあいましてその時は祖母でしたが週刊のジャンプを買って良いかと聞くとOKでました。

その辺りから経済的に楽になったのだと思います。


その前に覚えてるのが、小学生の時にコロコロコミックが発刊されるんです。

今でも子供向けでありますね。


最初は五百ページ程あってそのうちほとんどが藤子不二夫の漫画でしてね。


藤子不二夫が大好きだった僕は興奮しましたね。

祖母に頼んだと思います。


だけど、僕らの町には本格的本屋とかなくてね。


雑貨屋に雑誌があるくらいです。


祖母が、遠くの町まで一ヶ月に一回か二ヶ月に一回病院に行っててそこで創刊号では無くて二号を買ってきてくれました。


今考えたら遠くの街に行って孫の為に買うなんて大変ですよ。


祖父はたまに戻ると、本が好きなの知ってるから自分自身で選んだのを買ってきてくれました。


漫画ではなくて少年向けの本です。


シャーロックホームズの子供向けとかね。


しかし、祖父の趣味で植村直己さんの冒険記を買ってきて、僕はそれにはまってしまいました。


祖父に読んだから次を頼むと言ったと思います。


まさか子供が一晩で大人向けの冒険記を読むと思ってなかったようで、祖父は喜びました。


その日のうちに出てる植村さんの本を全て買ってくれました。


祖父はトンネル掘りで父の下についてましたが、職人で若い頃は非常に気性も激しくて喧嘩には負けるなと言ってました。

それと格闘技やなんかが好きでしばらく戻ると、祖父がチャンネル権を握るけどプロレスからボクシング格闘技が大好きでしたね。

僕の剣道を一番喜んだのは祖父ですね。

祖父は孫が可愛かったんでしょうね。


僕は厳しい祖母より豪快な祖父が好きでした。

しかし、豪快なのは全部後から後始末してたのは祖母なんですね。


中学の半ば位になると両親が戻るけど離れた街で暮らしてて、父は時間を見つけては僕達に会いに来ました。


兄は高校になると同時に街の方に引き取られます。

この頃から土日になると、車で一時間弱の街に住む両親の所に行くようになりました。


帰りは何故か必ず母で毎回ドリフターズのテープをかけながら帰りました。


父はまだ忙しかったんだと思います。


父はそれでも平日にいきなり来たりしました。


剣道をしてたからあちこち痛いんですよね。

それもこの頃一番剣道に打ち込んでたから練習量は凄かったですね。


父はマッサージして揉んでくれたりしましたね。


段々とレコードプレイヤーを買ってくれたりしてレコードを街に行くと買ってくれました。


経済的に余裕が出始めたんですよね。


ある時祖父も含めて皆で焼き肉に行ったら、車の中で祖父が誇らしげにお父さんはシャチョウになったぞと言いました。


僕にとっては現場の所長とシャチョウはどう違うのだろうですよ。

父が社長になるより僕にとってはいつ完全に暮らせるのでしたからね。


父は僕が本を読むのに感心してて、本なら何時でも買ってやる等と言いましたね。


本を読まない父にとっては本を読む=頭が良いだったのでしょう。


この頃から漫画や本をかなり買ってくれるようになりました。


まるで離れてた分を取り戻すようにね。


剣道の試合には祖父だけ、多分一度来ただけでした。


兄の野球の方に賭けてましたね。


父も野球少年だったからでしょう。

それがこの頃になると剣道についても聞くんですよね。


それと次男はそういうのはダメと思ってたのが誰かから聞いたのか、かなり強いと聞いてきて喜んでました。

長男には関心が強いってのは普通です。

だいたい次男はほったらかしって周りもいってましたね。


それでも父なりの事をやっとしてくれ始めた時でした。


後に祖父が亡くなり祖母が亡くなるけど、祖母の遺言に僕と兄の面倒見てる時が一番楽しかったと書かれてたらしくて衝撃を受けます。


祖母は、僕達を実は必死に不器用ながらも愛したんですよ。


父はこの辺りから徐々に伸び始めて、数年後に一気に伸びます。


会社が残ってて酷い倒産をしてなければ、これもある種の成功の話しですが、数年後に一気に伸びて数年後に一気に倒産しますからね。


それでも今でも富山に行ってた頃の事を楽しく思い出せます。


富山県は僕にとっては重要な場所の一つです。

こういう放浪のような幼少期を過ごすと、幾つか重要な場所がありますね。


僕は、父に社長になってほしいとか無くて一緒に居たかったけど、それは仕方ない事ですよ。

祖父母や周りの協力で僕は育ったと思います。   


周りには感謝してますよ。

今回も話しがあちこち飛んだし、書いてないことも有るけど多分祖母が厳しくなくて、そして漁師町の人たちが優しくなかったら僕はぐれてたでしょう。
 
今回は父より亡くなった祖母の事が多く出ますが、子供の固定観念や勘違いで祖母を怖がってたのを今では悪いなあと思います。

こういうのを書くからといって幼少期が不幸だったとは思いません。


周りにはまだ信じられない環境が沢山ありましたからね。


追伸
今日、父は朝方気分悪いと言うので、無理矢理救急車を呼んだけど嫌がりましたね。

病院に行くと熱があって脱水症状が軽くあり、入院までは出来ないと言われました。


しかし、もう立てないことも多くて良く転んでます。

余程にならない限りは入院はさせないのでしょうね。

余程悪くなった時にはもう遅いのにって僕は思うけど、高齢者が多いから入院させてたらきりがないんでしょうね。


頑張って働いて身体を悪くして、そういう物なのかと思うと何だか色々考えますよ。

おわり

📖無名居士のたわ言・・・父の字~遺書

父の字~遺書
2019/12/05 03:02

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この言葉が書かれていたのは
私の小学校の卒業アルバム
この記事を書くために確認したら
1960年卒業
当時のことだから
ページ数も少なくかなり薄い
他の数ページにも書かれていた
それに気が付いたのは高校生のころだったかと思う
ほとんど本は読まない人間だったので
ロマン・ローランって誰かさえも知らなった
この文章が彼の作品の『ジャン・クリストフ』の小説に出てくることを
かなり後になってしった
その小説の主人公のジャン・クリストフは
ベートーヴェンをモデルにしているといわれることも
そんなことを私は知らなかったぐらいだから
この言葉を恐らく私に伝えたかった父は
と全そのことも知っていたわけで
当時私の家にはそのような本はなかったと思うから
若き日の父の記憶の中にあったのだろう
私は父を理解するうえでもこの本を読んでみようと思ったものの
それに取り組んだのは30代に入ったころかと思う
その時期は読書嫌いな私が読書を義務付け
集中して本を読んだ唯一の時期
しかしそれもすべて忘れてしまった
何のために読んだのかとさえ思う
父が時々口ずさんでいた歌がある
その一説だけしか記憶にないが
その歌も父を知る手掛かりになると思い調べたことがある
それは読書に集中していた時期よりももっと後になってのこと
「climbing up」という歌詞だけを覚えていた
このことも後で調べて分かるのだが
父の生き方思想に通じるものだと分かった
いずれ書くこともあるだろうが
今回はこれだけにとどめておこう

私の小学校の卒業アルバムの写真の
ページの裏の数ページの記述
それを私への遺書だと理解した
しかし私は父の望む生き方からは外れてしまった
高校を卒業して働き始めて二年ほどったった時
二十の夏に家出したからだ
それだけではなく社会からもドロップアウトしたといっていい
しかし父も母も私に何も言わなかった
しばらくたって自動車の運転免許を取るために
書類を揃える必要があって家に電話した
父が言ったのは「飯食べてるか」の一言だけだった
私に言いたかったことはたくさんあるだろう
でも父は何も言わなかった
ただ遠くで見守っているだけだった
ずっとあと 東京に用があって出かけた父が
帰りに京都に立ち寄った
京都駅の近くであったとき父は
「親は親 子は子」とだけ言ってくれた
私はそれを自分の好きなように生きろと解釈した
どう生きようとおまえの人生 自分で責任を取れということだろう
見放されたのではなく 一人の人間として信用信頼しているということなのだ
その父や母の信頼を私は裏切れないと思った
少なくとも私は 人の道から外れないと誓った
私は両親から親の愛とは何かを教えてもらったと思っている
信じるだけではまだ足りない
信じ切る覚悟があるかと問われてると
わが子を信じ切ってこその親の愛だと
このためを思っているという親の多くは
それが自分のため 自分のエゴだと気づいていないだろう

薄い卒業アルバムに書かれた父の字 そしてその言葉に
父の強い意志を感じたものの その後の私は
70を過ぎてもまだモラトリアム
それは死ぬまで続くのだろう
しかし父の教えには背かなかった
何もできなかったが 人の道は外さなかったといえる
そして私らしい生き方人生だと言える
私らしさの結果が今の自分
こんな自分が好きだから
自分らしく生きたと思うならそれでいいと
残り少ない人生を楽しく生きればいいと
幸せだと思えるよう 言えるように生きればいいと
愉しむのが そして幸せになるための人生 命だと
感謝しかない

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ムラゴンブログ
毎日写経~しゃぁきょうももくもくと
https://ichiro2512.muragon.com/entry/8.html

📖 高山の作品から〜「濡れる女子事務員 1 」シリーズ

こないだも書いたけど、今一番大きい現場に居る女性事務員が非常にユニークで頑張ってるから、違う話し書きます。

元々雇った時は、パソコンが出来てある程度若くてルックスがまあ、良ければ良いかなでした。

最初は、トンネルって事になかなか慣れて無かったです。

しかし、このところ事務は勿論ですが、トンネル工事って事に興味が有るようですね。

ガテン系が好きだとは本人最初から言ってたけど、ここまで熱心に仕事する女の子は初めてです。

他の現場にも女性事務員居ますが、皆、アルバイト感覚ですからね。

それで良いんですけどね。

機械に乗りたいと言い出して僕が乗せましたし、いずれは最低限の免許は取ると言ってますね。

この女の子二十六歳です。

そこそこ可愛いですよ。

九時から来れば良いのに段々来るのが早くなって、今は八時ちょっと過ぎには来てます。

先ずやるのが、事務所の掃除と休憩所の掃除です。

休憩所は、坑夫が使うから汚れてますが、寒い中で水で雑巾絞って拭いたりしてます。

僕に、高山さんなかなか落ちないのが有るんですよー、とか言うから見ると油です。

グリス等が壁に付いてて、そりゃ落ちないから放っておけと言います。

掃除が終わると、何ヵ所かに置いてるカラーコーンを拭いてます。

こないだ役所の視察があったんですが、ほとんど何もしなくて良かったです。

普段ならカラーコーンを拭いたり綺麗にするんですが、そういうのを彼女がやってますね。

カラーコーンとは道路工事とかしてたら置いてる、三角形の蛍光テープを巻かれたあれです。

沢山置いてますし、これをきちんと拭くってなると水で先ず洗って、その後乾いたウェスや布で綺麗に拭くんですよ。

そして、全体のバランス考えながらきちんと置いていくんですね。

勿論、必要な所にきちんとないといけないけど、全体のバランスって遠くから見てたら綺麗になってるか分かります。

昔ある元請けの所長が、良い現場はカラーコーンが綺麗なのとバランス良く並べらるれてると言いました。

それは、カラーコーンに限らなくて何でも綺麗にきちんと置かれてるかでしょうね。

僕は、自分自身整理整頓苦手ですが、全体を見てて荒れてるなと思うと、一日掛けて皆で整理整頓しますね。

荒れてる所は、大体上手く行ってないですからね。

自分自身の現場でない所に行くと、大体全体を見てカラーコーンの位置とか材料の置き方見ますね。

それできちんとなってない所は、仕事も上手く行ってないですよ。

たかが、カラーコーンされどカラーコーンですね。

僕が教えた事も有るんですが、JVの元請けの所長がすっかりうちに馴染んで何時もうちの事務所に居るから、色々外回りで出来ることを教えてますね。

彼女もこの元請けの所長が、現場に積極的に出るようになったのに刺激されてるようです。

外にある大きな水の菅を二人で繋いでるのを見て、おお!!あれは、後向がやることじゃないかと思いながら、とても二人では出来ない事なので走って行って手伝いましたね。

後向とはアトムキって言いますが、掘る方で無くて掘る人をサポートする雑務をこなす作業員の事です。

僕は、後向にお前らがやれよと言ったら、他の事をしててまさか元請けの所長と女性事務員がそんなの繋いでるとは思わなかったみたいですね。

元請けの所長は、一日の半分以上現場に居て細かい事をしたり後向を手伝ってるから、段々皆元請けの所長って忘れかけてますよ。

元請けの所長にそれを言うと、それで良いと言うんですよね。

元請けの所長は、最近外回りのパワーショベルに乗って、水が上手く流れ出るように側溝を掘ってくれてたりします。

トンネル屋が乗るように、荒いともかなりむちゃくちゃとも言える乗り方でパワーショベルには乗れないけど、丁寧に乗るのは上手いですよ。

その側溝を、後からきちんとスコップでならして行ったのが女性事務員です。

僕は、誰かあそこで熱心に側溝ならしてなあと見てたら、うちの女性事務員なので驚きましたね。

良く動くのは良いんですが、何時も汚れてて着替えを何枚も持って来てて、車の中で着替えてますね。

坑夫達からも好かれてるし、相変わらず甘い物を皆に配ってます。

しかし、つい最近うちの所長交代させて、四十代半ばの事務が得意な作業員に所長やらせてます。

正直、現場が多いのと坑夫は良いのを揃えられるけど、所長となるとなかなか難しいです。

所長ってのは、仕切れないといけないし、いざとなれば自分自身が現場に出ないといけないし、元請けとの打ち合わせもしないといけないから、オールマイティーな人間がこういう所では求められます。

まあ、オールマイティーで無くても坑夫を抑えきれないといけないのですが、完全に坑夫に舐められてしまってます。

と言うのも、僕が三十代後半の頃に作業員をしてて掘削班の班長でしたが、彼は口では仕事が出来ると言いながら下手だったんですよね。

それで、僕ともう一人から相当怒られましたね。

そのもう一人がHで、今は掘削班の班長です。

あれは、パソコンは使えて計算は出来るけど坑夫としては三流じゃんって、Hは言います。

僕は、まあそれでもパソコン使えて計算が出来たら良いんだよ、と言いますね。

なかなか所長って育てるのは難しいから、いざとなれば俺が動くからと言ってます。

そういう所長で、こないだやらないといけない事務をその日にやらずに帰ったらしいです。

それを、遅くまで残って処理したのが女性事務員です。

女性事務員から、高山さんあの所長ダメですよと言われたけど、他の現場に優秀なのを入れてしまってるから分かった、分かった後で怒っておくと答えました。

次の日に、きっちり怒りましたけどね。

悪くない所長ですが、大きい現場だと彼では荷が重いなあです。

女性事務員は、今では坑夫達と昼御飯食べてます。

そこにうちの所長が来て昼御飯食べようとしてたら女性事務員が、所長あれは終わったんですか?
もっと早く終わらせてくれないと、私の方の仕事が困ると言い出しました。

うちの所長がのんびりし過ぎてるせいで、彼女の仕事も遅れると言うんですよね。

その後で、こないだみたいに適当な所で明日にするとか言わないで下さいね。

一応所長なんだし、男でしょうと言いましたね。

僕は、たまたま聞いてて彼女の襟首掴んで外に出ろと言いました。   

外に出て、皆の居ない所に来るとお前なあ、皆の前で、ああいういうのは辞めろよと言いました。

所長が足らないのは分かるけど、皆の前でお前が言うと皆が更に所長を舐めるし、男には面子が有るんだからなと言いました。

彼女は、すいませんと謝ったけど、お前が良くやってるのは分かるけど、ここは良くも悪くも男の世界だから、ああいうのは辞めろよなと言いましたね。

彼女は、すいませんでしたを繰り返してました。

可哀想だとは思ったけど、やはり昼御飯時に皆の前で言うことではないんですよね。

それに彼女は、今はあくまでも事務員です。

一生懸命やってても、アルバイトの事務員に過ぎないんですよね。

それが、余りにでしゃばるのは職務から逸脱してますからね。

あくまでも今は、アルバイトの事務員ですし、男の世界ですからね。

僕は女性が、ああいう生意気な口を現場でするのが嫌なんですよね。

それから、うちの所長を呼んでお前なあ、女の子にあんなに言われるのはお前に原因も有るんだから、もう少しきちんとしろと言いました。

きちんとしてたら反論も出来ただろうし、若い女にまで舐められて悔しくないのかと怒りました。

所長もすいませんと謝ってましたね。

その後、元請けの所長とこれから始まるコンクリート打設にある工夫を入れるんですが、その事で二人で打ち合わせしてました。

そしたら元請けの所長が、●●ちゃんを怒ったらしいねと言いましたね。


僕は、そうですねえと答えたら、落ち込んでたから高山君もいちいち怒りたくないし、大丈夫だと励ましたよ、と言ってました。  

まあ、怒って正解だけどねと笑ってましたね。

元請けの所長に、怒られたのを相談したようですね。
  
ある意味これも越権行為ですが、ここの元請けの所長はそういう潤滑油にもなってくれるから、良いかです。

普通では考えられない事ですけどね。

下請けのアルバイトの事務員が、元請けの所長に何かを相談するってね。

まあ、だけど、ここではそれが、上手く働いてるし元請けの所長は、そういう役を引き受けてくれてるから良いかですよ。

夕方に、またもや元請けの所長と女性事務員は配管をしてて、二人とも水浸しで帰って来たから、ストーブに当たって風邪を引くなよと彼女には言いました。

余りに汚れるから、持ってきてる作業着では間に合わなくなったようで、僕が洗った作業ズボンを貸してやるから着替えて来いと言いました。

元請けの所長は着替えを沢山持ってるからと、ストーブに当たりながらあの配管は難しいなあ、等と言ってました。

すると、トラックが休憩所の前に停まって、五十代後半の大きな男が降りて来て、丁寧に頭を下げると、ここの高山さんって居ますか?と聞いて来ました。

業者以外は人を現場に入れるな、と言ってるから業者かなと思って、あ!僕ですけどとこっちも頭を下げました。

すると男は、嬉しそうな顔をして、あー!貴方ですかと言うと、●●の父親で、皆で魚介類を食べて貰おうとつまらんもんですが持ってきました、と言いました。

俺の所で捕れた物ですし、捌くの出来ないならやりますよとも言いました。

●●ってのは女性事務員です。

日に焼けた赤ら顔の男は、トラックから発泡スチロールの箱を次々降ろしました。

全部で七つ程有りましたね。

開けると、氷をきちんと入れて生の魚や貝などが大量に入ってました。

元請けの所長は、釣りを趣味にしてるから魚の種類とか高いのが分かったようで驚いてました。

女性事務員の父親は、元請けの所長って直ぐ気付いたようで、もしかしたらJVの所長さんですか?と聞きました。

元請けの所長は、そうですと答えると娘さんには、僕が世話にもなってますときちんと頭を下げました。

父親は、あー!高山さんと所長さんの話しが何時も出るから、会えて良かったです。

母親を亡くしてるから粗雑な所が有りますが、よろしくお願いいたします。

大きな身体を曲げて、何度も頭を下げてました。

僕は、父親に漁師ですか?と聞くとそうですが、昔はトンネルにも何度か出稼ぎに行きましたよと笑いました。

トンネル屋は凄いですよねと、本気で感心するように言いましたね。

そうしてると女性事務員が戻って来て、えー!?お父さん何をしてるのと言い出しました。

何をしてるも何も、昨日と今日で色々捕れたら現場に持ってくると言ってただろう、と言い返しました。

女性事務員は、あ!父です。粗雑な人なので何かしら失礼無かったですか?と言うから、思わず所長と笑いながら手を振りました。

父親は、現場の宿舎まで行って魚をある程度捌いておきますから、JVの皆さんも食べて下さいと言うと、発泡スチロールを再び積むとトラックで宿舎の方に走り出そうとしました。

僕は、捌くの炊事婦も出来るし坑夫もけっこう出来るから良いですよ言ったけど、ある程度捌いておいたら楽でしょう、と言うとトラックで去りました。 

宿舎の場所を知ってるのだろうなと、後で思いましたけどね。

そして、そう言えばこの女性事務員は両親健在と履歴書に書いてたのと、父親はサラリーマンと書いてたのに違うのか、と思いました。

それに気付いたようで、高山さん、うちは実は片親です。

姉は結婚して出たから、あの父と一緒に暮らしてます。

履歴書に嘘を書いたのは時々、片親とか父が漁師と書くと落とされたからで、すいませんと謝って来ました。

僕は苦笑いしながらそんなことでうちは、落とさないよと言いました。

宿舎に行くともう、魚を捌いて父親は帰ってましたね。

皆さんにと、饅頭も置いてっててました。

元請けに少し分けて、こっちの方が人数が圧倒的に多いから皆で食べました。

幾つかの魚は父親が刺し身にしてくれてて、新鮮なのと良い魚らしく美味しかったです。

坑夫の中には元漁師とか釣りが好きとか多いから、こういうのは味にうるさいんですが、皆満足してましたね。

しかし、今時父親がわざわざ来て挨拶して、その上魚を持ってくるとか無いですよ。

片親だからなのか、娘が心配なんだろうなあと思いました。

離婚して娘を二人育ててるHが、何となく分かるなあとしみじみ言ってましたね。

次の日にも、またもや元請けの所長と菅を繋ぎながら濡れてましたね。

僕の作業着は、柔軟剤の匂いが付いて戻ってきました。

高山さん!何とか濡れない方法ないんですかねと聞くから、水が出てない時にしろよと言うと、何時も出てますと答えて来ました。

馬鹿かお前はと言うと僕は、元栓の場所を教えて中で使わない時はここを閉めて、しばらく待ってやれと言いましたね。

元栓の場所を知ってるのは、後向でもそうは居なかったようでした。

元請けの所長が、高山君早く言ってよと言うから、知ってて濡れてるのかと思ったと返しました。

女性事務員は、父親の魚はどうでしたと聞くからあれは、凄く皆美味しいと言ってたぞと言うと、それなら、また持ってきますよと笑ってました。

自分自身の弁当を毎回作って来るのですが、父親のも作ってて夕御飯もほとんど父親の分も作るらしいです。

高山さんも所長も今度うちに遊びに来てくれと父が言ってました、と少し照れたように伝えて来ました。

元請けの所長は、あの子は苦労してるからあれだけ働くのかなあと言うと、しみじみしながら今度あの子の家に行こうかと言うので、僕はうーん面倒ですねと答えました。

多分、片親で苦労してるから彼女は良く気が利くんでしょうね。

それと、背が高いのは父親似かなとも思いましたね。

そして、父親の教育も良かったんだろうなあと思います。

僕は結婚もしてないし子供も居ないけど、彼女の目線より父親の目線についついなりますね。

娘が、荒くれ者の多いトンネル現場の事務をやってて、毎日楽しそうにしながらも汚れて帰るとなると心配でしょうね。

魚も決して安い物では無いけど、父親なりの誠意でしょうね。

そう思うと若い娘さんを預かってるんだなと、少しだけ責任を感じますね。

それと、父親の気持ちになると何とも言えない気分になりますね。

離婚して娘が二人居る班長のHも、父親がああして来るって事は、心配なんだろうし、父親も偉いよなあと言いますね。

しかし、今日もまた彼女は、水仕事を嫌がらずにやりながらも僕に会うと、高山さーんなんでこんなに汚れるんですかね、と笑ってますね。

いずれこの女の子は、トンネル界の下請けでは知らない人は居ないって事になるのでは、と思ってます。

トンネル界に残すつもりで僕が居ますから、この世界の女性の進出のきっかけの一人になると思います。

どういう形になるにせよ、そういう素質が有ると思いますね。

元々、今回も話しが散らかったから私見を言うと、僕らの世界では、大体こいつは残るなとかこいつは、いずれ大きくなるなとかは、二十代半ばで分かりますね。

遅咲きもいますが、この世界に入って来て二、三年で大体分かりますね。

それを、資質とか素質って言うんだと思いますよ。

他の世界でもそうなのでは無いかな、と僕は思います。

自分自身が、後から皆に言われるのが、入った頃は果たしてどうかなだったらしいです。

それが、一年から二年目辺りで、こいつは行けると思われたらしいです。

歳上の坑夫が、大抵父の会社に居ながらも現場になるべく出ていた僕を見てて、そう思ったと言います。

本人は、必死なだけなんですけどね。

資質が無い人は辞めて行ってますからね。

どういう世界でもそれはあるのでは無いかなと、今では思いますね。

だから、何かの本当にプロになるなら諦めも肝心ですね。

今の人はコロコロ仕事を変えるとか言うけど、少なくともトンネル界では無理な人は無理です。

それなら早めの転職をですよ。

体力があっても、そういうのでは無いんですよね。

違う何かが有るか、ですね。

逆にそれが、有れば例外的に四十代からでも何とかなるんですよね。

それが、何かは単純にガッツとか言えないんですよね。

何かです。何かが有るかです。

まあ、それは会って仕事をしてみないと分からない物ですよ。


おわり

📖 マガジン発行の初心を忘れない為に 〜マガジン第45号から・・・2019.6.4〜高山の電話を聞きながら

今電話中なんだけどね
いつもの高山・・・無名作家のさ
トンネル工事下請け会社の祖玄葉総監督責任者
現在10現場ほどあるらしく順調ってことだね
これ大変なことだと思うよ
トンネル工事って山の中を掘っていく作業
何が起きるか分からない
様々これまで電話で聞いてきた
一つ間違えば失敗すれば会社が飛ぶ・・・倒産もあり得る
実際に彼が交付時代に父親のトンネル会社が倒産
かれも逃げるような暮らしをしばらくしてたよう
その時私に無心の電話があって
それが今につながっているわけ
彼は小説やエッセイ書いてるんだけど
ケイタイ小説サイトでは書けないようなことを
私が管理するブログで発表してる
彼のために作ったブログだからいわば私の専属作家
月に若干の原稿料?出してるからね
そんなこともあってか毎日電話してくるんだけど
その話も日記の材料にしてる
今これ書いてるようにね
noteにも高山のマガジン作ってるし
いやでも彼のこと書くようになってるわけ
今これ書いてそのnoteに転載するかも

今日は営業に出たとか・・・女性二人と抗夫から社員になった男性連れて
4人で行ったそうで 以前仕事を一緒にした地元元請けのところで
その時の高山の抗夫達の仕事ぶりをみてまたいっしょに仕事したいと
これもいい仕事をしていればちゃんとみとめてくれるということだね
そして次の仕事につながるんだね
今高山の仕事は好循環に回っている
そういう時期だからこそ細心の注意も必要になっている
高山の気性は独裁的でこれまでは一人で引っ張ってきたけど
女子事務員を右腕に抜擢してから集団指導管理体制にはいっていった
現場が増えていったので当然の成り行きで
その人材がいたということも大きい
右腕の女子事務員は元請け会社からも認められているし
現場に女子用のトイレや更衣室なども設置するところも出てきたという
これは大きな変化です
何度も同じようなことを書いていますが
この変化はまだ地元の工事関係者にしか広まっていません
そのうちに全国的に注目されることになるかも
それを期待したいけど・・・でもそれがいいことかどうかは分からない
私としては高山が書いたエッセイ「ガーターベルトの女」の映画化できないかと
あれこれ模索してるんだけど仕事が認められて作家としてお活動も
注目されるようになるといいのだけど
そうはうまくいかないよね
うまく行かないから面白いんだよね
なんでも愉しまなくちゃ
うまくいかないこともね

まだ話続いてる
現場の数を聞いたからだけど
終わる現場始まる現場・・・いろいろあるから抗夫集めも難しい
でも今は勝負時かもしれないし高山の相棒で社員になった元抗夫
彼の腕の良さは全国的に知られていて引く手あまたの状態だったそうで
彼曰く・・・抗夫は集められるという
抗夫はフリーでお金を稼げるところに移る
そのために情報を集めている 抗夫同士の横の情報のつながりもある
高山は10現場はちょっときついというが社員も増やして管理体制も強めたら
十分対応できるので今は攻め時だろうと会長も言ってるとか
電話の子機のバッテリーが切れるアラームなりだしたので
それを告げて話は終了
色んな意味で高山の仕事がどう展開していくか注目
時間気にしないで書いていたらもう11時回っている
11時半まで書いて次の作業しなくちゃ
それ済ませたら散歩に出て気分転換もしなくちゃ
何とか今日も終わった
結局さとちゃんちのコメントはここだけで終わったがそれもよし
ただかなり長いこと書いたのでそれを嫌う人もいるだろうね
全くの私の事情だしさとちゃんとは関係ないこと書いてるし

それじゃ今日はこの辺でということで
またね

📖「ガーターベルトの女」の映画化のためにエッセイをお読み下さい〜「ガーターベルトの女 10」

画像2

ガーターベルトシリーズも、多分これを書いて別れを書くと思います。


しかし、何故別れたのに友情は続いたのかとか、覚えてないんですよね。

自分自身非常に辛かったって事だけ良く覚えてるのと、断片的にしか覚えてないからそれをどうするかでしょうね。


人の記憶は良い部分だけは更に美化されてるのかも、と思います。

書いてたら色々思い出しました。

同級生とMの店に行ったことも有ります。

ヤクザをやってて、今は亡くなった親友とも行きました。

ヤクザと言っても当時は小さい地元の組の人間でしたが、十五歳で入ってたから地元では既にかなり出世してたようです。

後に、大きな組に移って亡くなりますけどね。


その時は、ヤクザの親友と高校の友達です。

田中としましょうね。


田中は野球部で、不良とも仲良く真面目なのとも仲良くて人気有りましたが、社会に出ると木材会社に勤めて、失敗して指を落としてました。


どこの指だったか覚えてないけど、わずかに欠けてる程度でしたが後に、同じような仕事をしててまた指を落とします。

仕事には支障がないようでしたが、後にトンネルに来たいと言った時は断りました。


一度指を落とすなら仕方ないけど、単純作業で二度も落とすのは注意力ないから無理だな、です。


まあ、その時はわずかに欠けてる程度で、三人でMの店で飲んでました。

ヤクザの親友は何度か二人で行ったし、映画も僕の影響で好きで本も二十代位から読み出して、物静かに飲んでましたね。


既に刺青が大きく入ってたけど、必ず隠してました。


Mは、ヤクザの親友気に入ってましたね。

面白い映画が有ると教えたりしてたし、面白い事が有ると楽しませてました。

ヤクザの親友は、Mは良いなあでした。


お前、良い女を捕まえたなと良く言ってました。

何かの拍子に、田中と三人でMの店に集まったんですね。


田中とヤクザの親友は、中学が同じでしたから特に問題はなかったですし、田中の屈託の無さは楽でした。


しかし、酔うと田中が、彼女欲しい何とかしてよと言い出しました。


当時僕は、彼女出来たらなるべく田中とか同級生を中心に合コンを開いてました。

彼女に友達連れて来てと言って、多い時は十人くらい集めて居酒屋でやりましたね。

僕はほとんど彼女と主催するだけで、普通に参加するってなかったです。

田中は、僕の主催する合コンでことごとく駄目でしたね。

何故かは、ルックスと男らしくないと聞きました。

田中が好きでアタックした女の子が、僕と一時期付き合った時に周りもそういうと言ってると教えてくれて、そうなの?でした。

男らしくないは意外だな、でしたね。


ルックスは、良いとは言えなかったですけどね。


何気なくMに、女の友達集めて合コンする?と言いました。


言った後で、Mに女友達そんなにいるかなと後悔したんですけどね。

Mは辛辣でしたし、敵も多かったと思ってたから無理だろうと思ったら、やろうかでした。

ヤクザの親友も、特定の彼女は居なくて適当に遊んでたからお前も来いと言うと、え!?何故だよでしたが、Mが来てよと言うと分かったと即答しました。


僕は親友を恐いと思ってなかったけど、知ってる人が見たらあの人と良く付き合うねとか言われたし、実際まだ若い頃は喧嘩も凄かったですからね。


しかし、Mに言われたら即答して行くよと言ったので、僕が流石のお前もMには負けるなと言うと、笑ってました。


Mは合コンは初めてのようで、僕に彼女と彼氏って黙ってて駆け引きしようねと言うから、違うよと言いました。


Mと俺の主催で、俺からも何人か男集めてMからも何人か集めて、俺達はそれを円滑に進める役だよと言いました。


更に残った連中はここで飲めば良いじゃんと言うと、集めるのは分かるけど私達は彼氏と彼女じゃない設定はダメなのか、と言いました。

それに、別にうちに来てくれなくても良いけどと言うから、ヤクザの親友は笑いながらそれは、面白いけど彼女と彼氏な訳だから上手く言えないけど、Mちゃんはジョークでそれをやっても周りは後知ったら嫌な気分になるよ、と答えました。


僕も横から、俺達は主催するだけボランティアだよ、と言いました。

Mは、確かに後でばれたら嫌な気分になるかもね。

私は気にしないけど、まあわざわざ人を傷つけたり貴方の信用を失わせるのは不味いね、と言いました。


そして、何人くらい集めたら良いのと言うから、うーんと考えて、俺達は除いて七人とかでどうかな?と言いました。

七人とは、七対七ですね。

僕とMを入れたら、総勢で十六人です。

前に総勢で二十人以上でやった時は、収集つかなくて困ったのでそのくらいかな、です。


Mが少ないねと答えたのは意外でしたが、そのくらいの方がまとまるよと言いました。

ある程度可愛い女の子頼むねと言うと、私より、と真面目な顔をしたのでヤクザの親友と笑いました。


田中は、とにかく女で有れば良かったんですよね。

結局集まったのが、Mと連絡取りながら僕とMを入れて十八人になりました。


Mは、皆けっこう可愛いし性格も良いと思う。


性格は私みたいにわがままでないよと言うから、それならよしと言うと笑ってました。


正直、Mがそれだけ集めたのに驚きました。

それも、高校の友達ばかりだとこういう風に言うと嫌だけど、貴方の高校とは違うから偉そうにするのが居るから中学の友達も半分入れて、僕の高校出身の女の子も入れてると言いました。


確かに、Mの高校は市内で二番目に良い所でしたし、Mの出てる商業科はトップとほぼ変わらないくらいでしたが、僕の高校は不良の集まりの馬鹿高校と言われてたから、Mの気遣いに驚きました。


僕は七人までは自分自身で押さえたけど、忙しくてあと一人は田中に任せました。

居酒屋の宴会場借りきってやりました。

しかし、田中が呼んでたのが高校の時は大人しかったのに、父親が空調関係の社長か何かを数年前に始めて、飲むと癖が悪いと言う噂のあった男で、え!?ありゃ不味いだろうと言いました。


田中は、癖が悪いの知らなかったんですよね。


まあ、任せた僕が悪いから、とにかく癖が悪くなれば引きずり出そうと思ってました。

Mの集めた、女の子のルックスのレベルは高かったです。

それに、Mを何処かで崇拝してるような所があってMの誘いなら、で来てましたね。

Mは中学や高校の頃に、後輩や同級生の女の子からラブレター貰ってたらしいです。


そういう女の子達でした。

僕らを見てもきちんとしてたし、Mや僕が中に入って盛り上げました。

Mの話術は上手かったから、盛り上がりました。


かなり早い時間に一組電話番号交換して、二人で話し込むのが出ましたからね。

これは、上手く行くなで田中にももっと積極的に、でした。

ヤクザの親友は前の女の子と普通に話しながらも、周りを観察してましたね。

横に行ってお前も見つけろよと言うと、笑いながら俺は一般の女の子は無理だよと答えて、Mちゃんなら良いよと笑いました。

夏でしたが、長袖のロンT着てカジュアルな格好で来てました。

長袖は刺青が見えない為で、後は上手く溶け込んでました。

続けて、こうして見てるのが面白いし、田中が何とかなれば良いのになあとも言いましたね。

段々皆酒が入ると、四組位のカップル的なのが出来ました。

最初に電話番号交換した二人は僕とMの所に来ると、会費は多目に置いておくから二人で飲みに出るけど良いかなと言うから、おー!それは、良いじゃんと言いましたね。


そうすると嫉妬も有るけど、他も何とかしようと頑張るし良いんですね。


Mと二人で送りに出て、お幸せにー!と言いましたね。


所が、酒が入ると田中の連れてきた空調関係の社長の息子が、田中に絡み始めました。

鈴木としますが、鈴木は俺には誰も出来ないじゃないか、とか言い出しました。

僕が行って止めると、お前は可愛い彼女いるじゃねえか、です。

Mが、それは仕方ないし楽しんでよと納めようとすると、何でこいつなの俺と付き合わない、と言い出しました。

空調関係の社長の息子で専務だとも言い出したし、僕に向かって、こいつは昔から仕切るんだよと言いました。


高校の時とは違うぞともいう言うし、こいつの所は所詮土方じゃねえか、と大きな声を出しました。

僕は怒りをこらえながらも、まあまあ、です。

Mも顔色変わっててましたが、宥めてました。


すると端にいたヤクザの親友に向かって、お前が何で一般人の所にいるんだよ、と絡み出しました。


素面なら絶対僕にもヤクザの親友にも逆らえないだろうに、酒の勢いでしたね。


ロンTの下を見せろとか、ヤクザの癖にいつもこいつとつるみやがってと、僕と二人に言い出す始末です。


周りの女の子も、ヤクザとは知らないのも居たから驚いてました。 

ヤクザの親友は立ち上がると、悪いけど帰るよと行ってMに会費を渡してました。


Mはそれを受け取ろうとせずに、帰るのはどっちなの、と大きな声を始めて出しました。


それからこの人はヤクザだけど、私の彼氏の親友だし紳士だよ、と女の子達に向かって言いました。


僕とヤクザの親友に、引きずり出してと皆に聞こえるように言いました。


ヤクザの親友は、僕に向かって良いなあと笑って言って、やるかと合図しました。


鈴木を僕が後ろから蹴ると、ヤクザの親友が首根っこ掴んで、立たせました。

そして胸ぐら掴むと、会費を置いて出なかったらどうなるか分かるか、と静かな声で凄みました。


Mはそれを見てカッコいいと軽く笑いながら誉めて、貴方もカッコいいとこ見せなさい、と笑ってました。


鈴木は、完全にびびって震えながら会費を出すと、逃げるように店を出ましたね。

Mが笑いながらヤクザの親友に向かって、うちの彼氏より今回はカッコ良かったと言うと、僕に向かって軽くウィンクしながら、負けたねと言いました。

Mの機転で周りは和みましたよ。


ヤクザの親友は小さい声で、一番カッコいいのはMちゃんだな、とニヤリとしながら言うと、田中の側に座って気合い入れて行こう、とわざとおどけて言いました。


結局、その場で電話番号交換して次に会う約束したの、総勢で四組出ました。


こんなに上手く行くとは思いませんでした。


田中はやはり無理でしたが、無理だった男女がMの店で二次会になりました。


僕と田中とヤクザの親友は、Mを煩わせまいとボトルと氷と水とビールをボックスに持って行って、座って田中の残念会をしてました。


僕は、居酒屋で酔ってはいけないと思ってたからビールを飲みました。


田中は落ち込んでたけど、僕らにありがとうと言って飲んでました。

すると、女の子がボックスに来ると僕に向かって、Mの彼氏だからどんなのか見に来たけど面白かったし、息が合ってて楽しかったと言いました。


ヤクザの親友に向かって、カッコ良かったですと言うと食事とか今度行きませんか、と言って電話番号を紙に書いて渡しました。


見ると綺麗な女の子でしたね。


ヤクザの親友は驚いたようで、こいつと一緒に行くから女の子呼んでよ、と田中の方を指しました。

僕が、俺は誘わないのと言うと、誘うわけねえだろと言いました。


女の子は、違う女の子誘ってみると言うとカウンターに戻りながら、行きましょうねともう一度確認しました。


Mは、何人か帰ったら僕らの席に来ると、こういうのって疲れるねと言うと、オレンジジュースを飲みながらホッとしたようでした。


Mの、オレンジジュースを飲んでる喉元を見てると、ムラムラして来ましたね。

するとヤクザの親友が発情してるだろうと耳元で言ってきたので、思わず当たりと笑いました。

結局、田中は上手く行かなかったです。


しかし三十代を越えて結婚して子供も居ます。

ヤクザの親友は、今ではこの世にいません。

僕は、五十を目前にして仕事だけは上手く行ってるけど、家庭の事情でいつもお金に悩まされてます。

そんな風になるなんて、思いませんでしたよ。

仕事だけは上手く行ってるけど、常に金に追われてる感じですし幸福とは言えないです。

Mは、結婚して子供出来たとまでは風の噂で聞いてるけど、幸せかは分かりません。

空調関係の社長の息子の鈴木は、随分昔に会社が倒産して逃げたらしいです。

二十年以上前には、そんなことは想像して無かったです。


ヤクザの親友の命日には、大抵遠いけど吸ってたマルボロを一つ買って、墓参り行きます。

あの頃は、そんな風になるなんて思わなかったですね。

一番堅実にやってるのは、田中のようです。

数年前に偶然会うと、中学生位の息子と家庭的な感じの奥さんと一緒でした。

僕は、今思えば実は、田中が一番幸せ掴んだかなと思いますね。 

田中はすっかり太ってましたが、相変わらずの人の良さは見えましたね。

しかし、Mもヤクザの親友も、あの頃火花を散らすように生きてたのは間違いないですね。

その中に、僕も居たんだなと思います。

おわり

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管理人 無名居士
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