高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【317】

妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
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【随筆】アベノマスク2~この国の変化

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随筆「若さの後悔

2017/10/16
若いと言うのは時にはかっこよく、時には醜いのかもと最近思う。

若いは、素晴らしいけど、そればかりではないのではです。

この頃は、若い頃の事や幼少期を良く思い出す。


寝る前などにふと思い出してあーそうだったのかとか、或いは何だか冷や汗をかくような事もある。

冷や汗と言うか、何とも言えない嫌な汗をかいて、何とも言えない自己嫌悪に陥る事がある。


それは、幼少期よりも若い頃の事の方が多い。

十代後半から二十代にかけて、最もそれが多い。


若さってのは、時に人を傷付けても分からない物だし、そういう言動をしてても無意識な物だと思う。


そういう話しで、今回は高校のある同級生の話しをしたい。

仮にTとしよう。同級生の男だ。


彼は、高校の時はいじめらてはないが、暗いグループに居た。


いつもきっちり制服を着ていて、眼鏡を掛けていた。


寝癖がいつも付いていて、僕らのような不良グループからはバカにされていた。


なんと言うか、貧乏臭さと人に対しての接し方が下手だった。


確か親が、高齢で産んだ一人っ子だとは聞いていた。


今ではオタクと言えば市民権を得てるが、当時はオタクと言えば気持ち悪い物の象徴だった。


自分自身で言えば、僕は大量の本を読んでいたが、学校に持っていく事などほとんどなかった。

家に遊びに来た同級生は、僕の本棚を見て驚いたものだった。

しかし、隠しておくべき事だと本能的に思っていた。

二年生位になると学校での序列も決まってきて、それほど隠さなくても良くなった。

いじめられる原因に本を読むってのが有ると思っていたし、実際にそうだったと思う。


本好きでもそうなのだから、アニメ好きなどは気持ち悪いの対象だった。

Tもそういう奴だった。


因みに、僕の高校はクラス替え無くて三年間一緒だった。

Tは、最初はそういうイメージだったが、何かのきっかけで陸上部に入った。


Tが何のきっかけで陸上部に入ったか等は、僕らクラスの人間にとってはどうでも良かった。


Tが三日間休んでも、それを気にする連中等皆無に近かったと思う。


それでも陸上部に入って、黙々と走ってるのを何度か見かけた。


僕は剣道部でグラウンドを使う事は無かったが、帰ろうとしてるとTが走ってたと思う。


それも、実はほとんど覚えていない。


Tが何故陸上部で、と注目されたかは体育の時間に、僕ら普通科と商業科で大抵ソフトボールをした。


ほとんど時間潰しのような体育だが、野球部の連中は喜んでいた。


僕は嫌いだったが、仕方なくやっていた。


体操着は、冬にならないと中々ジャージにならずに短パンが多かった。


商業科の男子と普通科の男子だけでソフトボールをするのだが、ほとんどの時期を何故か短パンだった気がする。


あるソフトボールの時に、Tの脚の早いのと筋肉のつきかたに驚いたのだ。


それまでTは大して打てないし、守りも下手で誰も注目して無かった。

しかし、その時内野ゴロか何かなのに脚の速さでヒットになった。


誰かがTの脚を見てみろと言って、見ると筋肉ががっちり付いていた。


それからTにどうしたと誰かが聞くと、照れ臭そうに陸上部で毎日走ってると答えた。


Tが短距離を走ってるのか長距離を走ってるのかさえも、最後までし知らなかった。


Tはソフトボールになると、バントをして脚でヒットを稼ぐようになった。

Tの高校生活で。唯一脚光を浴びた瞬間だったと思う。


僕は剣道部だったので、大きな高校の体育会祭等有ると出て、そこそこの成績をおさめたしカメラ部が付いてきたりした。


そういう時にTとも同じ体育祭に出ていたはずだが、ほとんど記憶がない。


陸上部で良い成績を挙げたとかも聞かなかった。


三年になって皆進路を決める中でも、Tが何処に行ったのか知らなかった。

当時、僕は剣道部のキャプテンって事だけで就職に困らなかった。


皆が色々悩んでるのを見て笑っていたと思う。


そうして何だかんだと就職して辞めて、フリーターになってトンネル工事の世界に入って、親戚のおじさんに誘われて父の会社に入った。


父の会社に入ると、日本全国から海外まで行った。


時々、街に帰って友達と話していた。


落ち着いて地元で仕事をするまで数年は、あちこち転々とした。


ある時、同級生と帰って話してたらTの話しになった。


家に行ったらしくて、行くと驚いたのが女子アナカタログのような物を見せられて、どれが良いとか言ってたらしい。


それを聞いて僕は、そりゃ気持ち悪いな今度時間があったら一度からかいに行くか、と言ったと思う。

もしかしたらTの家まで行ったが、Tが居なくて帰ったかも知れない。


しばらくして、またTの噂を聞いた。


家の農業の手伝いをしていて、酷い格好でパチンコ屋の前で見かけたとの事だった。

僕はそれを聞いてまともに働いてないのかと言ったと思う。


今で言う引きこもりに近かったのだと思うが、当時の地方の田舎でそんなものが許させる訳は無かった。


僕は、その後数年して精神疾患になって一年以上仕事を休んだが、そんな物も認められる世界ではなかった。


だから、当時のTに対しては軽蔑しかなかった。

そういう世界だったし、自分自身は必死に働いて沢山遊んで居たから、どうでも良かったのだ。


またしばらくして、Tが自殺したと聞いた。


自殺したと思うとしか、今では言えない。


僕は地元で仕事をしていて、複数の人間からそれを聞いた。


今、話しを大体繋げて見ると高齢の親が亡くなって、一人っ子のTは生活に困って自殺したと言うのが大体の話しだったと思う。


僕はそれを聞いても何のショックも受けないどころか、Tを軽蔑したと思う。


何してるんだかと、友達と嘲け笑ったと思う。

当時、二十代半ばを少し過ぎたくらいでTは自殺したのだ。


それを聞いても僕の心は全く揺れずに、Tを軽蔑しただけだった。


Tとは親しく無かったが、三年間も一緒で何度も話している。


しかし、具体的何を話したかは全く思い出せない。


そういう関係だったとしても、Tは追い込まれて自殺したのだと今では思える。

当時は全くそれが思えなかった。


寝る前に、ふとTの照れたような顔を思い出すと、生きていれば僕と同い年でどうなっていただろうと思う。


それと同時に、Tに対して具体的に何も出来なくても、Tの痛みのほんの少しでも分かってやれてたと思う。 


若さとは傲慢だと思うが、Tの事を書いててもやはり傲慢過ぎたと思うのだ。

Tは、いずれはそういう方向に行かざるえなかったかも知れない。


しかし、彼を弔ってやる気持ちが全く無くて、逆に貶める気持ちしか無かった自分自身を思うとぞっとするのだ。


陸上だけで、一時的にTなりに一時的にでも輝けたのだから良いのではと思えない。

まだまだ沢山の良いことがあったのではと高校生の頃のTの顔を思い出して悲しくなる。


そして、自分自身の当時の心のあり方にぞっとする。


そういうぞっとするようなエピソードは、思い出さないだけでまだまだ有るのだろうと思う。

Tと僕に差が有ったと今では思えない。

些細なボタンの掛け違いが有っただけで、僕が優秀でTが劣ってたとは思えない。


それと自分自身、現在仕事は上手く行っているが、精神疾患を薬で押さえつけているだけだと言うのと、家族の事情を抱え込んで岐路に立っていると色々思うのだ。


Tは早かっただけで、僕は遅くにこういう苦しみが来てるのではとも思う。

それにしても、余りに傲慢で優しさのない人間だったと後悔する。

歳を重ねるって事は、そういう部分も大いに有るように思える。

おわり

高山の作品紹介
次回は随筆「原色とモノクローム」

「ガーターベルトの女」~映画化のために​

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