高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【482】
妄想家・夢想家無名居士の
夢物語の記録です
無名作家高山のエッセイ
「ガーターベルトの女」の映画化芝居化 その他いろいろ作品化できれば
なんて途方もない夢を観ています
📖 高山のエッセイ〜「母に対して思う事 雑感」
こないだ、渥美清の事を書いたら寅さんを実際観てないって人がやはり多くて、ジェネレーションギャップを感じましたね。
特に僕の読者は年齢はわりと高いけど、ジェネレーションギャップだけで無くて女性は寅さんを観ないかも知れないですね。
管理人さんと僕の間にもあるジェネレーションギャップってのは仕方ないし、それでも書いて何か伝わればと思うんですよね。
ジェネレーションギャップはあって当然だし、良いと思いますよ。
それでも何かしら伝われば良いし、もう一つは書くことによっての再確認と言うか自分自身の中に沈んでる何かを取り出したり、或いはそれについて気付きを与えてくれます。
まあ、単純にこういうのを書きたいと言う気持ちが今は特に強いんですよ。
今回は、身内を書く時に最も難しいと言うか書きにくい題材です。
母親ですね。
正直簡単には書けないですし、本当に思念があちこち飛びますよ。
僕の母親は昭和十九年生まれですから、七十は越えてます。
父が悪くなって、母親が面倒見てなかったからとても仕事など出来なかったでしょうね。
その代わり手伝える事は手伝ってるし、父の借金問題がまだまだ片付かないのを僕がかなり負担してるから、母も僕が居なかったらやってられなかったでしょうね。
僕もたまには、お金の事で揉めながらも全く贅沢をしない母に頼まれたら、頷くしかないんですよね。
母もかなり長く温泉のアルバイトに行ってます。
父の仕事の関係でトンネル工事の炊事を若い頃はやってて、会社が順調になってからは炊事を取り仕切ってました。
あちこち引っ越したのとかあったからか若い頃に車の免許取ってるけど、本来は運動神経とか悪くて仕事の関係や引っ越しが無ければ、車の免許取ってないかもと思います。
しかし、車は怖がりで自信のない人の方が事故が少ない気がします。
母は、大きな事故も無く今でも乗ってますし、安全運転です。
父の会社倒産後は、炊事としてトンネルの現場に入ってました。
炊事婦としては優秀ですね。
たまたま母が炊事をしてた会社から作業員が来てて、褒めてました。
トンネル工事を成功させるのは作業員よりも、先ずは良い炊事婦さんです。
何よりも、工事に入ったら食べることが一番の楽しみになりますからね。
母は、もうかなり前に年齢的しんどいと言う事で炊事婦辞めてますが、未だに電話が来ますね。
工事が始まるけど来ないかとね。
腕が良かったんだと思います。
僕は一度も母が炊事婦してる現場に入ってないけど、あちこちから評判は聞きますからね。
父の会社の倒産の時や、今でも引きずってる借金の問題やアルコール中毒鬱の兄の問題などあって、母の半生の後半は決して幸福ではないと思います。
まともに頼れるのは僕だけになってるかも知れないですね。
親戚も母を嫌うでは無く、父を嫌って離れた人が多すぎますからね。
親戚は父を攻撃出来なくて、人の良い母を標的にしてるような人も多いですよ。
僕を標的にしようとしたら、僕が激しく拒否しましたからね。
まあ、母の性格は楽観的ですよ。
楽観的で明るいですね。
そうでないと今頃倒れてるでしょうね。
僕は、若い頃は母の明るさが面倒だった時期もあって、文句も言ってますね。
それとお人好しですし、わりと人を見る目がない。
父の会社が順調な頃、雇ってた炊事婦で問題が有るだろうって人が居たけど、母に取り入ってたんですよね。
何度もあの人は不味いよ、そのうち大きな失敗が起きるよ、と言ったけど無駄でした。
結果的に既婚の工場長とは男と女の関係になるし、会社のお金はかなり着服したようで、そら見たことかって結果になりましたね。
会社倒産時には、イケイケの父に対して母は慎重でした。
僕は父に付いてたから、そういう母に批判的でした。
当時の様子を、母は何かにとりつかれたようになってて、お前が怖かったと言いますよ。
色々有りすぎた中で一つだけ、当時の事で覚えてるのを挙げます。
普通の倒産では無かったですし、未だに尾を引いてる倒産でしたからね。
もう倒産も決まって自己破産の手続きもしたんですが、何しろ手元に現金が無いんですよ。
売れる物はかなり売りました。
本とかCDやレコードですね。
服とかは、大事なのを幾つか段ボールに入れて友達に預けました。
後は、当時は売る所が無くて捨てましたよ。
自分自身に残ったのは、ライトバンに入るだけの荷物です。
それと友達に預けた二、三個の段ボールでしたね。
本なんかは、段ボールに何個も入れて持って行っても微々たるお金しかならなくて驚きました。CDは、それより少しましでしたけどね。
そういう状態でもお金が無いんですが、母にそれを言うと郵便局の古い証書のようなのを出して来ました。
僕と兄が生まれた時から少しずつ積み立てたもので、これがうちにある全てと真面目に言われました。
母は、お金に関してや色々な物に関してきちんと管理するタイプなので、母がこれが最後と言うことは本当に最後なんですね。
それが数万円で、直ぐに払わなくてはいけない物が出てきてその数万円で払いました。
僕の中では堅実な母なら隠してるだろうと言うのがあったんですが、堅実な母でも父のプレッシャーや周りのプレッシャーから全てを出してましたね。
この当時、母が居なかったら家の物も全て持って行かれたと思います。
今でも食器や最低限の生活道具が残ってるのは、母が居たからでしょうね。
母親は堅実ですよ。
僕や父は山師ですね。
詐欺的では無いかも知れないけど、一発当てたら良いじゃない的な人間ですね。
だから、夢中になると周りが見えないです。
母親の方の親戚筋は堅実ですが、男のおじさん等は父の会社の重役だったのに、堅実を選び過ぎて男らしくないと言われてます。
どちらが良いとかで無くて、持ってる資質でしょうね。
しかし、僕も四十代に入った頃から自分なりに堅実になってます。
僕は父親的な資質を主に受けてますが、最近は母親の気持ちも分かりますね。
それに、七十代を過ぎてもまだ働かないといけないって大変ですよ。
身体が弱くは無いけど、強くも有りません。
脳に何か出来ててそれを取り除くか、今はとにかく誤魔化して注射を射つかで、半年に一度注射を射ってます。
顔が最近はすっかり曲がってますよ。
手術を勧めるけど、本人がまだ大丈夫と言うので今は余り言いません。
その代わり元々肩こりだったのが、目の所がひきつるらしくそこから肩こりが更に酷くなってます。
時間が空けば肩を揉んでますが、母の肩こりは酷くなるけど僕の力も徐々に衰えてるんですよね。
三十分も揉んだらもう大変ですよ。
たまに、揉んだ後に僕にジュース代と言って三百円とかくれます。
これが前は煙草代と言って五百円をくれてましたが、父がある程度の介護が必要になってから経済的厳しいんでしょうね。
四十代後半の男が母に小遣い貰うって笑えますが、僕は断りませんね。
甥っ子が泊まりに来ても、前は野球を見に来たり何かと付き合ってましたが、今はほとんど来なくて夕食の準備してます。
本人いわく、生活のペースが乱れたら疲れが酷いらしいです。
甥っ子が泊まりに来て、前はTSUTAYAに一緒に上がって見てたのも車で待つようになりましたし、この数年で体力的に落ちてると思いますよ。
アルコール中毒鬱の兄が居なければストレスも半減するでしょうが、何だかんだ言っても兄は子供なんですよ。
僕から見たらあんな奴はどうにかしてくれと思うけど、そう簡単で無いのも母も僕も分かってますからね。
事情を知ってる前に話した母方のおじさんから酔って電話があって、お前の所はそういう点をきちんとしなかったからダメなんだと言われました。
このおじさんが母親の弟で会社倒産時に重役でしたが、家族を守るためとはいえ余りに男らしくない行動をした人で、トンネル業界でも散々に一時期は言われてた人です。
僕はそういう事を酔って掛けて来るなと言ったのと、もう一つはあんたに言われる筋合いはないわ、と返しましたね。
何かを助けてくれるでも無くて、父に恨みがあって文句を僕に言いたいだけなんですよ。
僕に言わせたら父にも責任は有るけど、重役のあんた達にも責任はあるだろうとはっきり言いました。
用事が無いのに掛けて来るなとも言いました。
まあ、色々大変ですが、母はこの七、八年で韓流ドラマにはまって良く借りてますよ。
それもなるべく安いのを何度も観てますね。
それさえも使いすぎてるのでは無いかと言うから、そのくらいは良いじゃないかと言いますよ。
それでストレスを何とか抜いてるんだと思います。
しかし、兄がおかしい時は部屋で大声出したり物に当たるんですね。
そして、父がやはり調子が悪いとベッドから落ちてたりするんですね。
夜寝てても気持ちが静まる事が有りませんね。
僕はふすまだけを隔てて隣の部屋ですが、夜になると何かの声がするで起きたら母親の大きな寝言です。
それが追い詰められてるような寝言で、何度か起こした事が有ります。
大体そういう時は、兄の事でストレスが強い時ですね。
僕は、仕事で時間帯がバラバラなのでなるべく静かにしてるけど、夜の物音にははっとします。
それがたまに母親の寝言だとはっとして起きて、激しいと起こします。
僕はこないだ仕事で民宿に少し泊まったんですが、元請けの若い人とか高山さん何もないところですいませんとか言うけど、ほっとしました。
いやいや、全然そんな事はないよです。
仕事が時間がバラバラなので、それでも大抵家に帰る僕には家に居てほっとするってないです。
たまに現場に泊まっても、周りは酔っててうるさくてもぐっすり寝られます。
それを母親に言うと、そうだろうなあです。
母親は楽観的ですが、流石に歳を取ってきたのと長年の苦労からかすっかり小さくなりましたし、何かの拍子老けたなあと思います。
自分自身の人生の晩年が、こういう形になるとは思っていなかったでしょうね。
子供の頃は一緒に暮らしたので、その頃の事を良く最近は聞きます。
僕は二歳上に兄が居て、六歳下に妹が居ます。
妹とは幼少期はそれほど一緒に居ませんでした。
兄と常に一緒でしたね。
僕は兄の方がワガママ言わなくて、次男の僕の方がワガママだったと勝手に思ってたら違ったようですね。
僕は比較的ワガママではなかったけど、二人とも何時も風邪をひいていたらしいです。
それと、母が本好きで絵本や何かを沢山読ませてくれたけど、それに兄もハマってたと思ったら僕は一度絵本にハマると、ご飯の時も夢中で動かなかったらしいです。
それを聞いて笑いましたね。
今でも本にハマると動きませんからね。
読書の環境を与えてくれたのは母ですね。
それと、僕は生まれは熊本県ですがそのあと何ヵ所も短い間に移ってるようで、それも驚きました。
二十代や三十代の頃は、こういう話し全くしなかったです。
特に自分自身が精神的病をやってからは、極端に話さなくなりました。
四十代になってこうして話し出したのも、一つは甥っ子と言う共通の話題が出来た事です。
甥っ子の誕生日とクリスマスは、二人で何を買ってやるか決めますね。
少し前までは二人で近くのデパートに行って、子供服をあーでもないこーでもないと考えてましたよ。
結婚してないし子供の居ない僕には、新鮮で楽しい体験でしたよ。
今は野球してるし、PUMAが甥っ子好きなのでPUMAの何かを買いますね。
ゲームとか高いのは買いませんし、分かりませんからね。
今こうして書いてたら、隣の部屋からドスンと音がしました。
母は、ふすまを隔ててミシンを使ってて気づかないようでしたから見に行くと、父がベッドから落ちてました。
しばらく見てると、自分自身で這い上がれそうなのでほっときます。
父的なものが多く入ってると自分自身では思ってたけど、妹に言われたのがお母さんにも似てるよ、です。
母も僕も、物や服に拘りが有るんですよね。
だから何かを貰っても、自分自身の趣味で無かったら全く使わないです。
特に服とか装飾品とかですね。
僕も母も高いからとかよりも、自分自身が気に入るかですね。
だから物をくれる人は、大抵食べ物か無難な所で煙草です。
母は、もう滅多に新しい服とか買いませんけどね。
ほとんど貰い物で外に出るのに恥ずかしくない程度ですよ。
妹にそれだけかと笑って聞くと、そうでもないよと言われましたね。
若い頃は父的な要素が強かったけど、妹が見てても何かの拍子に母的な要素が最近は出る、と言われました。
妹は人を観察するのが得意ですし、わりと的を得てるからそうなんだろうなと思います。
それと高校生になって初めてまともに一緒に暮らし始めますが、その頃がある意味一番幸せだったのではと思いますよ。
父の仕事も順調になり始めてだけど、そこまで大きく無くて家族が当たり前に暮らした時期ですね。
普通の家庭ですよ。それが一番だったと今では思います。
母は勉強しろとか全く無くて、どうしても僕が学校サボるから呼び出しが何度かあったんですが、それについて何も怒った事はないですね。
当たり前のように呼び出しに行ってましたね。
隠れて煙草を吸ってても、知ってて知らないふりでした。
自分の息子が大きく道を外れないと思っていたのか、それとも子供の頃に一緒に居てやれなかったから言わなかったのは分かりません。
一度聞いたのは、自分自身が親に凄く色々言われたから子供にはなるべく言わないようにしよう、と決めてたようですね。
どちらかと言うと父が怒ってましたよ。
これは書いたかも知れないけど、三十代前半の頃に広島県で飲み過ぎてタクシーに乗って、何かの拍子でタクシーの運転手さんと喧嘩になりました。
広島県はタクシーの運転手は良い人も居るけど、え!?って人も多かったです。
それで言い合いになって降ろされたんですよね。
酔ってるから道の真ん中で寝ましたよ。
星が綺麗で酔ってて動く気にもなれなくて、このまま車にひかれて死んでも良いや、でした。
そのうち小便がしたくなったけど、面倒でジーパンも脱がずにしたんですよ。
相当酔ってたんでしょうね。
しばらくしたらパトカー来まして、起こされて家に連れて帰られました。
タクシーの運転手さんが呼んだんだと思います。
その時たまたま母も家に居て、これには参りましたね。
パトカーで、こいつ小便してるとか言われてもうるせえなあでしたが、母にそういう失態を見られるのは恥ずかしかったですよ。
色々悪いことを見られてますが、これが一番恥ずかしかったですね。
家に居るってすっかり忘れててね。
この時も、特に何か言われたとかないですね。
もちろん時には注意をされたりは有りましたが、激しく怒られたとかないですよ。
社会人になって他所に出たり父の会社に入ってから長く留守にすると、帰って何がしたいかと言われたら、母の料理を食べたかったです。
それと、父の会社が倒産寸前の頃に沖縄の女の子と恋に落ちました。
当時三十歳くらいで、相手は八歳下の明るい可愛い女の子でした。
一緒に現場に居たおじさんにも紹介すると、お前の所のお母さんの若い頃に似てるじゃないか言われて、え!?そんなのやだよと答えましたね。
そのあとこっちにも来させて、両親や兄弟には紹介しました。
こんなに本格的に紹介したのは一度だけです。
相手の家にも、きちんと結婚を考えてると言いましたからね。
これも最近妹が言うんですが、あの時だけは真面目に結婚する気だなと思ったけどお母さんに似てるな、と思ったとの事です。
最近言われたら、あ!そうかですよ。
母性的な物を求めてたのかも知れないですね。
当時言われた時は、え!?そんな事は無いよでしたが、今ならそうだったかもと思いますね。
良く、生まれて直ぐの原風景とか言うけど、一つは母に連れられて何処かの田舎道を歩いてる風景です。
父との何かと言うのは出て来なくて、母に連れられてってのしか出ないんですよね。
この前、それは何処だろうと聞いたけど、余りにあちこち引っ越してるから何処なのか分かりませんでした。
男は、最終的に母親の面影を一生思うのではないんですかね。
マザコンとかでなくてね。
こういう話しを同年代の男に話すと、皆が賛同しますね。
男は、ある年齢になると母親への思い入れが強くなるんだなと思います。
特に若い頃孝行息子で無かった連中は、今になって孝行してますよ。
僕もその一人でしょうね。
色々思い入れが多いのと、我が家はまだまだ問題が山積してる為に話しがむちゃくちゃになりましたが、男にとっては母親って凄い大事なんですよ。
特に歳を取るとね。
段々小さくなっていく母を見ながら思うのは様々な事ですが、大変な人生だなとは思いますよ。
それをこの先、何とかサポート出来たら良いなと思いますね。
中年の男が母親に思うことって単純ではないなあ、と書きながら思いましたね。
単純では無いから、必死に模索しながら書いてます。
少しでも母が精神的楽になってくれたら、とは今は願いますよ。
おわり
📖管理人・無名居士のたわ言・・・音楽でひとあそび〜祈り/生と死の幻想より/キース・ジャレット
2014/03/20
魔法の言葉
六十数年
何も知らず 何者にもなれず
ただ自分でたどりついた言葉がひとつ
それだけで十分だろう
生は死 死は生
祈り/生と死の幻想より/キース・ジャレット
📖 高山の作品から〜「新・ガーターベルトの女 7 殴られる」
これも、最近Mと話してて、そういえばそういう事があったなあと思い出した話しです。
Mと再会して色々話すと、Mの方にも勘違いが有るし僕の方にも勘違いが有りますね。
もう二十年程会ってなかったですし、当時は恋人でしたから忘れてしまうとか、勘違いしてしまうとか有るんですね。
これもその一つで、九十年代半ばの話しです。
Mとヤクザになった、今は亡き親友のAと街まで一時間半程掛けて遊びに行って、買い物をしたと思います。
Mの買い物に、僕ら二人が付き合ったって感じでしたね。
当時は、Mと二人で会うのも勿論多かったですが、三人で会うと化学反応が起きるのか、また違う楽しさが有りましたね。
Mが、服か何かを買って僕らはそれを見てて、そのあとでラーメンを食べて帰りましたね。
当時は、Aがラーメン好きで何処に行っても、ラーメンを食べたがったように思います。
今では、歳を取って外でラーメンをとか思わないですが、当時は胃も元気ですからね。
酒を飲んだ後に、ラーメンとかは定番でしたね。
今は、僕は酒もほとんど辞めてますね。
酔うと激しく酔いたいんですが、それをやると様々な昔を思い出して苦しくなるから、業者とかと仕方なく飲む時も極力ほとんど飲みませんね。
金銭的な面も有りますが、飲むことが楽しく無くなったんですね。
元々、酒に強いタイプでは無かったですし、酒を飲むきっかけは、スナック等で女の子を口説くのがきっかけでしたからね。
その時もラーメンを食べて、Aの外車で帰りましたね。
車の中では、色々な話しになって楽しかったですよ。
当時、海外に行った事があったのは僕だけでした。
仕事で行ってただけで、観光では無いんですけどね。
それで、MもAも今度は三人でハワイとかに行こうよ、とかで盛り上がりましたね。
僕は、三人かよと、それならMと行くよと笑ってましたね。
Aは、この三人の関係を非常に大事にしてたと思いますね。
自分自身に彼女は居ましたが、それはコロコロ変わりましたね。
何人か会いましたが、綺麗な女の子ばかりでしたね。
Mも綺麗でしたが、それに負けないような綺麗な女の子も居ましたが、感じは良く無かったです。
僕は、普段着はジーンズにTシャツでしたが、Aは仕事柄プライベート以外はスーツが多くて、その辺りもAの女の子から見たら違う人種と見てたようです。
Aは、女の子をたまたま紹介する場合、俺の十代からの親友と紹介しましたから、女の子が僕に少しでも嫌な態度を取ると頭を思い切り平手で叩いて、挨拶しねえか!と怒りましたよ。
俺の親友と言うのは今思えば恥ずかしいですが、実際に唯一の親友だったと思いますよ。
Mに対しては、非常に優しかったですが、自分自身の女に対しては、厳しかったですね。
平気で、後ろから思い切り蹴ってるのとか見たことがあって、少しは優しくしろよと言うと、馬鹿に優しくすると調子に乗るからとか言ってましたね。
女の子を何処かに叩きつけて、鼻を折ったことも有りましたからね。
そういうAも、三人の時に僕らに怒ったりってのは、全く無かったです。
それほど、三人での関係を大事にしてて、それが心地良かったのだと思います。
しかし、その日の帰りに、一車線の道でベンツとすれ違いました。
すると、そのベンツは、Aの当時確かBMWに向かって大きな音でホーンを鳴らして来ました。
そして、止まれと窓を開けて言ってました。
Aは、うんざりした顔になって車を路肩に停めると僕とMに対して何があっても怒るなよと真剣に言って来ました。
うちの兄貴分だから、車からも出てくるなと付け加えました。
Aは、車を出ると相手が車を停めてる所まで行きました。
見てると、ベンツから二人出て来ました。
二人とも中肉中背ですが、双子のように夏だと言うのにネックの付いた白い長袖を着て腹が出てました。
歳は、二人とも四十代のようでしたね。
いきなり、一人がAを思い切り殴り怒声をあげてました。
僕もMも驚きながらも、組関係の事だから出ていく訳には行かなかったです。
Aに釘を刺されてましたし、静観するしか無かったですね。
更に見てると腹を蹴られたりしてましたが、Aはひたすら頭を下げてましたよ。
殴る蹴るが、かなりの時間続きました。
Mが、最初は見ないようにしてたのに段々と見入るようになって、ヤバイよと言うと外に出ました。
僕は、止めましたがMは聞かずに出るとAの方に向かって、余り酷いことしてると警察を呼ぶよと叫びました。
Aが、置いて行った携帯を持って言いました。
当時は、Mは携帯を持ってなくて僕もポケットベルで、Aだけが持ってましたからね。
Aは、それを見ると戻れと目で言いましたが、Mは止まらないです。
携帯を持って、電話をするふりをしました。
僕も仕方なく出ると、Mを無理矢理車の中に入れました。
Mは抵抗しましたが、僕の腕力で何とか押し込みました。
しかし、相手には聞こえてて、Aの兄貴分二人が車まで走って来ました。
Aも慌てて、それに付いて来ました。
僕は、Mが女の子ですから車の鍵を閉めて、相手の出方を見るしかないなあと思いましたね。
Aの兄貴分二人は、最初は車を叩いて出てこいと叫んでましたが、車を蹴り始めました。
Aは、二人は関係ないから勘弁して欲しいとひたすら謝ってました。
そういうAを見るのは始めてで、参ったなと思いましたね。
しかし、相手は許そうとせずに、車に向かって石を投げつて来ました。
僕は、フロントガラスに向かって石を投げつけようとしていたので、慌てて出ました。
Mには、絶対に出てくるなよと念を押しました。
僕が出て来るとAの兄貴分は、おー!お友達だな、と嬉しそうな顔をしました。
そして、僕の腹を蹴りました。
僕は、一瞬お腹に力を入れてた物のぶっ飛びました。
喧嘩に関しては、彼らはプロですからね。
一人が、中に女が居ただろうと僕に言うので、居るけど女は関係ないでしょうと言い返しました。
すると、また腹を蹴り上げられました。
しかし、二人の内で近くで見ると年長のような男が、お前○○建設の息子じゃないかと聞いて来ました。
父の会社ですね。
僕は、そうだけどと答えると年長の方が、もう一人に何か耳打ちすると、それならこのくらいで勘弁してやるよと言われました。
会社に感謝しろと言うと、車に戻り去って行きました。
僕もAも唖然としながら、それを見てました。
父は、ヤクザとの関係は無かったですが、警察との関係は多少有りましたが、それよりおじさんがヤクザとの軽い関係が有りましたね。
その時は、分からなかったですが、車に乗って三人で帰ってると、おじさんとの関係が有るから辞めたのか思いました。
Aは血まみれながらも、元気でいつかあいつらを抜いてやる、と言いました。
血まみれで言う顔は、凄みと決心のような物が見えました。
Mが、私が要らない事をしたからと反省した事を言ってくると、Aは笑いながら気にしない気にしないと笑いました。
そして、僕にお前の所の会社は、かたぎなのに何か有るのかと聞いて来たので、うーんおじさんが多少関係が有るのかもと答えました。
その後はコンビニで、一時停まって傷の手入れとかしましたが、Aは落ち込んでるMに対して明るく、気にしない気にしないと繰り返してました。
Mは、多少は元気が出ましたが、やはり沈んでましたね。
Mを家の近くで降ろすと、Mが今日はごめんねと言うと、飲みに来てくれたらサービスするからと言って去って行きました。
Aは、行くから気持ちを変えようと言って送ると、Mは一度振り返って頭を下げました。
何時ものMでは無かったですね。
相当反省したんでしょうね。
僕は、お前も大変だなと言うと、そりゃ大変だしMちゃんが居たから特に気を使ったよと笑いました。
僕は、帰るとおじさんの携帯に電話をしました。
今日あった事を話すとおじさんは、一瞬声が荒くなって無事なら良いとだけ言いました。
僕は、おじさんの反応からおじさんが、多少の繋がりが有るんだなと思いましたね。
その後十年程経って、Aと少しだけ会う事がありました。
Aの居た組はほとんど解散のようになって、同じ系列の組に皆が移ったとは聞いてましたが、その辺りは良く分からなかったです。
その辺りの事をAは、ほとんど話しませんでしたからね。
Aと喫茶店でコーヒーを飲みながら、一時間程雑談をしましたね。
Aは、三十代半ばで出世したようで、仕事の途中でしたからスーツでした。
Mの事も懐かしそうに話してました。
お前とMちゃんは、結婚するかと思ってたけどなあ等と言いましたね。
僕は、Mは結婚向きかなと笑いましたが、何とも言えない気持ちになりましたね。
外に出ると車が直ぐに来て、Aはそれに乗り込みました。
良く見ると運転してるのが、あの時僕らを襲った男の兄貴分の方でした。
男は、Aに対しても丁寧でしたが、僕にも車越しに頭を下げて来ましたね。
Aは、あの時に言ったように彼らを抜いたんでしょうね。
その辺りの細かい事は分かりませんが、あの時の男が立場が逆転してたのは間違いないですね。
Aは、車の窓を開けると怪我だけは気をつけろよ、と言うと去って行きましたね。
その後のAには色々有り、今やこの世に居ませんが、あの頃の三人のバランスと言うのは独特で心地好い物でしたね。
あの時から二十年以上経って、Mと再会して話すとMもそれを言いますね。
若かったからだけでは無い何かしらの空気が、三人になるとあったなと今では思いますね。
Mは、あの時の話しを楽しそうに話しながらも、何処かしら苦しそうで寂しそうなのは、お互い歳を取ってもAだけが居なくなったからでしょう。
おわり
📖「ガーターベルトの女」の映画化のためにエッセイをお読み下さい・・・「ガーターベルトの女 番外編3~電話帳」
久しぶりの「ガーターベルトの女」の話しです。
タイトルをどうするかは、後で決めます。
「ガーターベルト」シリーズは、色々錯綜してるから難しいけど、まあそこは気楽に考えて下さい。
何故、今これを書くのかは、様々な要因が有ります。
一つは、父の入院です。
見舞いに行くと、どんどん弱ってるのが分かります。
僕は、父の血が最も濃く入った息子だと思うから簡単には色々言えませんが、非常に落ち込み、悲しいです。
父の事は、僕にしか分からない部分が沢山有りますし、人にどうこう言われたくないですが、親戚の一部は色々言いますよ。
そうして、父の事から我が家は引っ越す事になって、今は物件を見ながら部屋を片付けてます。
片付けの苦手な僕は、苦労してますね。
そういう時に、昔の電話帳が出てきました。
今も電話帳を持ってますが、今は完全に仕事用になってます。
そこに書かれてるのは坑夫と業者の電話番号や住所です。
基本的にスマホが駄目になっても人を集めるのに、これを使うから大丈夫です。
今回出てきた電話帳は、若い頃の電話帳で大量に落書きやメモ書きが残ってました。
僕は、メモ魔なんですよね。
今でも後から読むと意味不明な事や分かる事をあちこち書いてますね。
しばらく古い電話帳を見てたら、色々思い出しましたね。
昔は、こうして皆電話帳を持ってたんですよ。
色々思い出した中に「ガーターベルト」シリーズのMの事も、沢山書かれてました。
多分、女性では一番メモ書きが残ってますね。
それほど彼女を好きだったのでしょうね。
意味の分からない事も沢山書かれてました。
男性では、死んだヤクザのAの事が一番書かれてましたが、簡潔ですが本人が書いた文字や落書きも有りました。
ボロボロでしたし、捨てる事にしましたが、「ガーターベルト」シリーズは自分自身が二十代の頃に最も愛した女性と、死ぬまで友達だった男の話しです。
特に、二十代の頃の三人には、誰にも入れないような聖域があったような気がします。
そういう訳で、一つの電話帳からエピソードを思い出したから久しぶりに「ガーターベルト」シリーズ書きます。
その日は雨でしたね。
何時ものように友達のAとMの店で飲んでたら、Mの事が好きで貢ぎ物までしてた中年の医者が入って来ました。
僕が一人なら、頃合いを見て大抵店を出るんですが、Aが居たし客も少なかったから何となく居座りました。
Mもここで、その医者と二人にしないでと言う感じの視線を、こっちに送って来ましたね。
僕とAは、飲みながらくだらない話しをしてたと思います。
今度は、何処に遊びに行こうかとか、同い年のあいつに街で会ったけど変わってたとか、そういう話しですね。
勿論、AもMも好きな映画の話しもしてましたね。
Mは、僕らの相手もしてたけど、主に医者と話してました。
僕らは放って置いても良い状況でしたからね。
少し経つと、いきなり扉が大きな音を立てて開きました。
そこには、五十代から六十代前後の男が雨に濡れて立ってました。
男が着てるTシャツやズボンは汚れてて、髪も長く白髪混じりで無精髭も生えてました。
微かに、少し離れてても異臭がしました。
Mは、それを見ると冷蔵庫から瓶のコーラを出して栓を抜くと、その男に渡しながら言いました。
「お酒は駄目だし本当は追い返すけど、それを飲んだらそこにある傘で黄色いのを持って出ていってね。」と言いました。
ホームレスでした。
ズボンのポケットから古い長財布を出すと、飲むお金は有ると吃りながら言いましたが、Mがピシャリと言い返しました。
「アル中でしょ。うちではそういう人にお酒は出さないし、コーラで我慢して出ていって。」
ピシャリと言いながらも、何処かしら優しさが有りました。
男は、コーラをゴクゴクと一気に飲むと、口の中で小さい声でもう一本、と言いながら瓶をそっとカウンターに置きました。
Aや僕は、その男を飲み屋街で何度か見てました。
大抵、店に入れて貰えないか入れて貰えたら先払いで、静かに強い酒を飲んでました。
Aが、コーラをもう一本俺が奢るからおじさん、ここは帰りなよと丁寧に言いました。
僕は、ただ見てるだけでした。
医者の客は、不快そうな顔をして水割りを飲んでましたね。
Mは、もう一本コーラを出すとその男に渡しました。
男は、コーラをまたもやゴクゴク飲むと瓶をカウンターに置くと、黄色い傘を持って出ようとしながら小さい声で、ありがとうと呟きました。
男が出ると医者の客が、乞食が何でうろうろしてるんだ。
Mちゃん、良く来るのかと聞きました。
Mは医者の客に向かって、色々あるのよとだけ言いました。
突き放すような言い方でしたね。
そして、こっちに来て突然、最近観たテレビの映画の吹き替えが酷かったと笑いながら言いました。
医者の客は、気に入らないようで、乞食なんかに優しくしくしても何の得もないのに、と大声を出しました。
少し酔って来てるように見えましたね。
Aが、乞食とか今は言わないんだよ。医者ともあろう人が良く言うよ、と言い返しました。
医者の客は一瞬ビビったようでしたが、ビビった自分自身に腹を立てるように、乞食に土方にチンピラヤクザか、と大声を出しました。
皆、医者を全く無視してました。
Mが勝手に曲を選ぶと、これを歌えるでしょうと僕らにマイクを渡すと、一緒に歌ってと言うと曲がかかりました。
さだまさしの「防人の詩」でした。
当時、若かった僕らにとって八十年代初めのこの歌は凄く古いように感じたのと、さだまさし=暗いとかフォークとかダサいとかあったから、まさかMがこれを歌うと思いませんでしたね。
しかし、歌い出すと非常に上手く歌詞がしみじみと滲みるようでした。
Aが上手く被せるように、一緒に歌い始めました。
Aは、歌うのが好きで無かったから驚きましたね。
二人で歌う「防人の詩」はとても良いものでした。
曲が終わるとAとMが、良い曲だなと言いました。
僕は、良いとは思ったけど、AとMの知らない部分を何故か見たようで驚いてました。
Aは、僕に今度はお前も歌おうと言うと、今日は悪いけど帰ると言って席を立ちました。
Mがお金の計算をすると、Aは医者の客を指すとこの人の分もと、一万円札を出しました。
つりが、あっても良いよと言いながら店を出ながら、医者の客の頭を思い切り平手で叩きました。
人間なんて何時乞食になるかは分からんよ、と医者に言うと店を出ました。
医者の客は、驚いたのと怒りで顔が真っ赤でしたが、Aを追いかける度胸も無かったです。
Mは、医者の客を相手にせずに僕の前に来ると、またもやこないだ観た映画の吹き替えが酷かった事を、笑いながら話しました。
そして、僕にもあの歌を覚えてと言うと、ああいうのもたまには良いし私は好きだな、と笑いました。
Mは、流行を追うのが上手かったので意外でしたね。
医者の客はもう今日は帰ると言うと、お金はあのチンピラが払ったんだなと言いながら出て行きました。
しばらくMと二人で飲んでると、若い客が三人程ワイワイ言いながら入って来ました。
この店古いなあとか昭和かよと言いながらも、こういう所に美人が居るんだなと、Mに言いましたね。
初めての客のようでしたね。
かなり酔ってるようで、Mが何にしますか?と聞くと、貴方の電話番号とか言ってました。
Mは、面倒そうな態度を相手に分かるように出しましたね。
すると、一番身体の大きいな若い客が、お姉ちゃん舐めんなよと立ちました。
Mは、舐めてもママの味がまだまだするんじゃないの、と返しました。
身体の大きな若い客がMの胸ぐらを掴みかけましたが、Mはすっと避けるとあっちのお客様に迷惑だから帰りなさい、と強く言いました。
身体の大きな若い客と他の二人が、僕を見ました。
良く見ると、まだ未成年ではないのかと言うのも混じってるようでしたね。
僕は、自分自身の頭の中の何かが弾けるのが良く分かりました。
相手に向かってにこやかに手を振りましたね。
すると、舐めてるのは姉ちゃんだけじゃなくておっさんもか、と言ってきました。
当時、二十代の半ばの僕におっさんはないだろうと思いながらも、イラつきが何故か有りました。
ホームレス、医者、Aの態度、何かしらその日は、歯車が狂ってるように思ってたからかも知れないです。
僕は相手の方に行くと、外に出ろと大きな声を出しました。
Mは、貴方達この人知らないのと笑いました。
一人が僕の高校の後輩らしくて、あ!っと言う顔をしました。
高校の名前を出したのと、剣道部のキャプテンだったかと聞いて来たので分かりましたね。
高校では、有る事件からそこそこ悪い事で有名になってしまってました。
高校の後輩は、身体の大きいリーダー格にあの人はヤバイよと言って止めましたね。
しかし、相手は表に出ようと扉を開けたから、僕は店の椅子を持ち上げると相手の頭に目がけて振り上げて打ちつけました。
相手は、相当驚いたようでしたね。
ダメージは、何処かを軽く切ったようで血が出る程度でしたが、椅子で殴られると思って無かったようです。
僕は、そのまま相手を外に出すとボディに二発、三発、四発殴りました。
相手は、うずくまるとごめんなさいと謝って来ましたが、顔を蹴りつけて早く帰れガキがと言いました。
僕の中に、何かしらの苛立ちが強く有りましたね。
若い連中は、逃げるように走って行きました。
身体は大きいけど、まだ子供でした。
店に戻ると、Mに俺にもコーラを頂戴と言うと、少し違う所で今日は飲むから後で合流しようと言いました。
Mは、分かったけど余りイライラしても仕方ないよ、とだけ言いました。
コーラを飲みながら知ってる店に行きましたが、いまいち盛り上がらずに酒も酔いが回りませんでした。
僕は、そのまま歩いて駐車場に行くと、Mと良く待ち合わせてた人気のほとんど無い場所に車で移動しました。
車の中でCDを聞きながら待っていると、Mの車が横に付けて来ました。
Mは、助手席に乗り込むとコーラをバックから二本出して、今日はコーラの日だねと言いながら僕に跨がりました。
Mの柔らかい脚と尻を感じると、少しだけ勃起しました。
Mは色々有るよね。多分この先は、もっと色々有るのかもねと言いながら、コーラを開けると飲みました。
今までも色々あったのを考えたらこの先も色々あるよ、とまた僕を慰めるように言いました。
そう言いながらもMは、腰を使って上に乗ったまま僕を刺激しました。
その日のMは、ミニスカートでしたが、ガーターベルトはしてなくて直接パンティがジーンズに当たりました。
ジーンズごしでもMが濡れて居るのが分かりましたが、僕のモノはMに対してなら百二十パーセント勃起するのに、その日は七十パーセント位しか勃起しなかったです。
Mは、それに気付くと僕に、色々有るけど私のコーラを唾と一緒に飲んだら元気か出るよと言うと、口移しでコーラを唾を入れて来ました。
Mの舌はそのあとも僕を慰めるように、いやらしく優しく口の中で動きました。
僕のモノは復活し始めました。
今日は、何があったと言うわけでは無いが、何かしら歯車が上手く回って無かったのが、Mの舌と唾とコーラで気持ちを切り替える事が出来ました。
Mは、素早く僕のジーンズを脱がせると、自分自身のパンティの間から挿入しました。
今日は中で良いからと言うと、妊娠したら結婚しようと笑いました。
そうしてしばらく動くと、僕はいくつもりは無かったのにMの中でいってました。
Mのあそこが、精液を飲み込むように収縮するのが分かりました。
Mがキスを何度も繰り返すと、機嫌直った?と言いながらゆっくり僕の上から降りました。
そして何度か二人で抱き合うとMがしっかり、しっかりと繰り返して言いました。
僕は、自分自身の頬を暖かいものが流れるのが分かりました。
Mの胸で泣いてましたね。
Mは、「防人の詩」を子守唄のように歌いました。
美しくて優しいけど滲みる感じでした。
その後、僕もAもMも色々な予測出来ない事に出合います。
Aは、この世にもう居ません。
僕は、歳と共に「防人の詩」をカラオケで歌うようになりました。
昔は、ダサいと思ってたものがしみじみ分かるようになりましたね。
今では炭酸系のジュースは滅多に飲みませんが、今度久しぶりにコーラを飲んでMを思い出そうと思ってます。
Mが、色々有るけどしっかり、と言ってくれるような気がします。
今年で五十歳になる僕は、Mも何処かで四十八歳になるのかと思うと時間の経過を思います。
しかし、MやAが僕に残してくれた物は大きく、未だに残ってます。
電話帳は捨てたけど、捨ててもそれは消えないです。
電話帳に書かれて居たメモ書きには、Mが僕にしっかりと言ったと書かれてて、横にコーラと書かれてます。
おわり
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