「織田作之助賞」受賞作家の小林長太郎と彼が残したブログ「負荷」と記事を忘れない為に〜#17

ブログ「負荷」には およそ2年半のあいだに1842本もの記事がアップロードされています
ブログにアクセス出来なくなったので
読むことがで出来るのは「負荷」読者の手によって残されたわずかな記事と
私が記録した未コメントの記事のタイトルだけ
このマガジンはそれらに出来るだけコメントしようという試みです
【参考】
第2回 小林長太郎まつり
https://manyo1000.blog.fc2.com/blog-category-7.html
BUNGAKU@モダン日本
https://nonajun.hatenablog.com/

『羊をめぐる冒険』覚書③

前回の記事は負荷さんが気になる3項目について考えが記されていた
今回は5項目について記されている
その中から私が気になるのを取り上げてみる

⑧ 「緑のコードと緑のコード、赤のコードと赤のコードをつなぐ…」(p.386)

…『ノルウェイの森』の上下巻の装丁に関して、私はヴィルヘルム・ライヒの『オルガズムの機能』との関連を疑う。

車の免許証を頼りに仕事してきたので…
特に冬場はバッテリーが上がらないように気を付けてきた
ブースターケーブルはいざと言う時の必需品だ
バッテリー同士をつなぐ時は要注意…「プラスはプラスにマイナスはマイナスに」
この要領を私は思い出した
負荷さんは何やら…「ヴィルヘルム・ライヒの『オルガズムの機能』との関連を…」疑ったようだ
この意味する所は分からないが…『オルガズムの機能』とは穏やかでは無い
私にはAVの検索ワードの一つだから
私のスマホの検索履歴は恥ずかしくなるワードが出て来るはずだ
それとて私の真実だから隠す事もないが…若い時なら人に知られるくらいなら死んだほうがましだと思った事だろう
さて…『オルガズムの機能』なる本を一応検索してみた
するとシャレたつくりのHPの記事に出会った
著者のヴィルヘルム・ライヒについての記事でザッと読んで少々興味を持った
その記事のまとめが気に入った

ライヒの一生を俯瞰する時、人が「狂気」と呼ぶものを考えずにはいられない。狂気の時代に、正気を生きたライヒ。周囲の人々を困惑させ続けたライヒ。表舞台から退けられたライヒの一生とは、いったい何だったのだろうか?

このシャレたHPは何だろうと思った
About Book Club KAI
「ブッククラブ回は、青山の裏通りにある小さな書店です。」
https://www.bookclubkai.jp/
2022/03/07

『羊をめぐる冒険』覚書②

毎度の冒頭部分の引用から

 今更繰り返すまでもないが、 村上春樹著、『羊をめぐる冒険』は実に魅力的な作品だ。
 ただ今更読み返す、あるいはこれからも繰り返し読み返される価値のある作品であろう。

記事は以下…『羊をめぐる冒険』から3つの気になる記述を示してそれについて負荷さんの考えが書かれている
『羊をめぐる冒険』がどんな話か知らない私がこれを読んだところで
何も分かるはずはないが…一応全記事にコメントするのがこのマガジンの建て前なので読まない訳にはいかない
それで3つの項目から私が気になるのをピックアップしてみる

① 「そういう意味では私たちは似ていなくもないのよ。私は耳をふさいでいるし、あなたは半分だけしかいきていないしね。そう思わない?」(『羊をめぐる冒険』/村上春樹/講談社/p.64)

3つとも気にはなったが…1番目の項目にした
それは何故かと言うと…これについて負荷さんは2つの作品を思い出す
その1つは…『めくらやなぎと眠る猫』
下記の記事を参考にすると
2010年4月13日(火) めくらやなぎと眠る女
2010.04.13
https://www.nakool.com/2010/04/13/1124

この「めくらやなぎ~」は海外で出版されたものの逆輸入バージョンです。
24編の短編が収められています。
まぁ、とにかく不思議な話が多いんですけど、それが納得いかない人には向かないです。

私が気になったのは「めくらやなぎ」
多分春樹の小説とは思ったが
そのタイトルに付いている「めくらやなぎ」にここで出会うとは…
以前もこの言葉について検索したと思うのだが…もう検索したかどうかもその結果もすっかり忘れている
では何故「めくらやなぎ」が気になるのか…それはある女性のハンドル名だったから
私は「無名魂」と言う小説やエッセイのブログを管理している
そのブログを元にしたnoteも作っている
高山と言うケイタイ小説を書いていた知人の新作発表の場として私が作った
その高山の良き小説仲間だと私は理解したが…残念ながら病気で亡くなられた
「無名魂」は高山だけのブログで生前は時折作品へのコメントを書いてくれた
どんなコメントだったか見つかるだろうか…残念ながら見つからなかった
見つかってそれを読んだとして…どうなるものでも無いが
ただ昔を思い出して懐かしく思いたいのだろう
ちなみに「めくらやなぎ」とは…検索を何処までたどっても春樹の短編しか出て来ないところから…あくまで短編での造語かと思われる
1つ面白い発見があるにはあった
宮沢賢治の作品に『めくらぶどうと虹』があるがこちらの「めくらぶどう」は実在している
weblio辞書の実用日本語表現辞典によると

ノブドウの、主に東北地方における方言名。実の様子が、目の見えない人の目に似ていることが由来だという説がある。宮沢賢治の作品の一つに『めくらぶどうと虹』があり、作中に「めくらぶどうの実」が登場する。なお、「盲(めくら)」は差別用語にあたるとされ、用いることが避けられる傾向がある。

『めくらやなぎと眠る猫』についての記事は沢山あるが『めくらぶどうと虹』との関連性についての記事は全く無い
わたし的には面白い気がするのだが…
「めくらやなぎ」が恐らく春樹の造語だろうから…これをハンドル名に使っていた高山の知人の女性は春樹ファンだったのだろう
2022/03/07

パロディについて

 海賊ブラッド船長は海に出る時はいつも、カウ・アイランドの自分の家のドアや窓の戸締まり
を自分の手ですることにしている。留守のあいだにどんな輩がやってくるか、わかったものじゃ
 ないからね。

冒頭部分の引用
このあとこの文章についての説明文が続く

(『ニュー・ミステリー』/早川書房/p.284)
 これは私が手慰みに書いたショートショートではない。
 では誰のどういう文章なのかといえば、ドナルド・バーセルミの『ブラッド船長』という短編小説
の冒頭である。

「ところが、ああ、これは、村上春樹さんの『夜のクモザル』に似ているな、とかなりの人が感じる筈だ。」と負荷さんは書く
以下2つの作品の文章比較を負荷さんは試みている

あるオリジナルな文学作品が、別の文学作品を意識しながら書かれるということは有り得る。
それを単にパロディと呼ばないことではなく、パロディにしないことこそが肝要ではないかと私は考えている。

そして負荷さんは
「否定されるべきパロディというものがある」と考え
「否定されるべきパロディと区別できるように別の名前を与えるべきだ」と結論するのがこの記事の主旨

小説に興味がない私にはどうでもいい話
それにしてもパロディについての論考にも春樹の作品を持って来るところが負荷さんの春樹へのこだわりをうかがい知ることが出来る
負荷さんの負荷たる所以が春樹作品にある…とな

さてオマージュなる言葉があるがバロディとは否ものか
検索すると次なる記事があった
「オマージュ」「パロディ」「パクリ」3つの違いは?

オマージュ=元ネタに対して尊敬・賞賛の念が込められている。元ネタが分かるとさらに面白い。
パロディ=批判・揶揄・風刺を目的に模倣している。元ネタがバレなきゃ始まらない、むしろ分かってほしい。
パクリ=利益のために創作的な表現を盗用している。元ネタがバレると困る。

ちょっと気になったので調べてみた
オマージュやパロディ作品を調べてみるのも面白いかもしれぬ
2022/03/01

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