「織田作之助賞」受賞作家の小林長太郎と彼が残したブログ「負荷」と記事を忘れない為に〜#7

ブログ「負荷」には およそ2年半のあいだに1842本もの記事がアップロードされています
ブログにアクセス出来なくなったので
読むことがで出来るのは「負荷」読者の手によって残されたわずかな記事と
私が記録した未コメントの記事のタイトルだけ
このマガジンはそれらに出来るだけコメントしようという試みです
【参考】
第2回 小林長太郎まつり
https://manyo1000.blog.fc2.com/blog-category-7.html
BUNGAKU@モダン日本
https://nonajun.hatenablog.com/

『海辺のカフカ』覚書③~うなぎ

ナカタはウナギが大好きなのです。
ウナギはとくにいいものです。

ほかの食べ物とはちょっと違っております。世の中にはかわりのある食べ物もありますが、ウナギのかわりというのは、ナカタの知りますかぎりどこにもありません。

(『海辺のカフカ』上巻/村上春樹/新潮社/2002年/p.81)

この記事で海辺に間するものはこの下りだけであとはウナギ談義になろうか…
文壇人のウナギ録のようだ
それを引用出来る負荷さんはさすがの文壇人と申したい
登場するのは…
『侏儒の言葉』/芥川龍之介
『筑摩現代日本文学大系 第46巻』尾崎士郎の詩「霞を食うべし」
『天才バカボン』という漫画
『やんぬる哉』/太宰治

様々な引用のあとにこう結ぶ

いずれうなぎの成分の中から「ウナギニン」とか「ウナキナーゼ」とかいう健康成分が発見されるのではないか。

「文学におけるウナギニンの効能」が論じられる日が来るだろう。

と…海辺から離れてウナギにこだわった記事だった
わたし的には『天才バカボン』が出てきたのが負荷さんらしいかと思うが
ウナギに関してこれだけでも列挙出来るのは才能と見るべき事実に思える
一つに記憶と記録がなければ無理だろう
二つにそのこだわりがあっての記憶と記録になる
負荷さんのウナギへのこだわりは何だろう
私には全くこだわりが無い
食べたいとは思うが是非にとは思わない
ただここでアナゴについつも書かれているが
確かに似て非なるものだと同感
ウナギに勝るものなし…の感は有る

ウナギでは無いが似たようなものにハモがある
京都に住むようになって夏場にハモの落としを食べるのがなら
味噌タレ梅タレとあるがどちらも妙味
蒲焼きもあるがやはりウナギには劣る
人の好みは色々だから一概に決め付けられないが
大方の判断はそうなるかと思う
してみるとそれが負荷さんの言う
ウナギニン効果なのだろう
2022/01/23

村上春樹さんの『海辺のカフカ』の負荷8/半分の正体

さて負荷さんは問う

ところでナカタさんは良い人であろうか?
それとも悪い人であろうか
 そう問われれば、星野青年が直感したように「悪い人ではない」と多くの人が答えるのではないか。

 村上春樹作品の読者に共通しているのはそうした「人の良さ」や「優しさ」ではないかと私はずっと感じていた

本を読んでいないので私は中田さんを知らない
引用した文から分かることは負荷さんが思う春樹作品の特徴
「人の良さ」や「優しさ」
ほう…そうなのかと言うのが私の感想
この後負荷さんは春樹作品への執拗な批判攻撃について反論して結論を述べる

結論から言えば、『海辺のカフカ』に限らず、全ての村上作品における殆どの主要な登場人物は村上春樹さん自身の一要素とその他の要素の合成物だと考えるべきであろうと思う。

そして最初の問いに戻る
「ところでナカタさんは良い人であろうか?」
そこから意外な展開となる

実は私はある一時期、客観的にはナカタさんと同じような生活をしていた。

 そして殺されかけた。

殺されかけた…とは
負荷さん何があったのと…
先を早く読みたくなる
このあと長い記述になるが私には意味不明な話なので割愛
結論だけ引用しよう

現実とは私の意地悪い幻想が具体化され実行される世界であろう。

 だから私は殺されかけたのだ。

と書かれているがその実体は分からない
皆さん自身で解明してほしい
残酷な行為をする人の大半は
「純粋無垢で可愛らしい人々として」生きていると負荷さんは言う
そしてナカタさんについて
「私はナカタさんの残り半分をそちら側の人間だと疑っている。」と…
2022/01/22

村上春樹さんの『海辺のカフカ』の負荷9/ぼくはこれからどう生きるべきなのか

長くなるが負荷さん・・・ブログ主の小林長太郎氏のこれは核心かなと思われる文章なので引用してみる

小説に親しみ、小説を愛する人であればこそ、いくらおとぎ話ではないと作者が言い張ろうが、所詮小説ごときは真摯なルポルタージュとは比べるべくもない軽薄でお気楽な「お遊び」なのではないかという不安はなかなか拭えないのではないか。

だが繰り返し、思う。

 ある種の小説は、あるいはいくつかの小説は、ほかのどんなメディアにも増して心に響く。

このあと音楽についてその力を書いている
そして

『海辺のカフカ』は音楽抜きでは語ることのできない作品なのであろうとは思う。

それでも…と負荷さんは論を進める
「それでも私は、文章のみを読み、語ろうかと思う。」と…
負荷さんは海辺を読み続けた
そして考え続けた 

私はこの作品を読みながら、自分がこれからどうやって生きていこうかと考えていた。
 だが読み終わってもその答えは見つからなかった。

このあと負荷さんは「負荷」という言葉を使う…しかも何回も

私は迷い続けた。

 それでも村上春樹さんを責めようとは思わない。

 それは何故か。

 いくつもの答えがあり、迷っているだけだからだ。

 それこそが本物の長編小説が与えてくれる負荷であろう。

負荷さんの海辺についての真摯な自問自答が続く
更にこんな文章が出でくる
「翻って、負荷とは、「読まないわけにはいかないだろうな」という感じである。」
負荷さんが村田カフカと同じ年代の頃
フランツ・カフカの小説一つ一つについて分析しノートに書いていたという
そのノートは無くなった
そこで海辺とカフカの関係性の答えをネットで探してみたという
幾人かの名前が出てくる
小島信夫や黒井千次や松岡正剛…
それらの考えを参考にしつつ負荷さんなりの結論にたどり着く

『海辺のカフカ』はカフカに捧げられるオマージュではなく、パロディでもなかろう。
『海辺のカフカ』とカフカの関係は、「ああ、雰囲気が似ているね」というようなあっさりしたものではなく、もっと捩れて込み入ったものであるとは思う。
 その捩れ具合は、ねじりドーナッツのように複雑で、砂糖と油にまみれている。

 だが、どうも、何か深いところで、新機軸というのではなく、本質的な何かに接近する手立てとして何かを試みているような気がしたものだ。

と…この記事は終わっている
まだまだ負荷さんの海辺との格闘模索は続く…
負荷さんのこれまでの記事の中で
これほど真面目な文章は初めて読んだ気がする
ブログ名『負荷』の意味を考える上でのヒントを頂いた記事でもあった
その負荷の言葉で思い浮かんだのは
徳川家康の言葉と言われている名言

徳川家康「人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば、不足なし。」
戦国武将が生み出した名言
- 刀剣ワールド

負荷さんの負うた重き荷を想った
2022/01/20

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