高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【410】

妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
無名作家高山のエッセイ「ガーターベルトの女」の映画化芝居化・・・
その他いろいろ作品化できれば
なんて途方もない夢を観ています

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📖 無名居士のたわごと〜2022年1月8日・・・山本薩夫監督作品『忍びの者』『ドレイ工場』のことなど…

さて…ここを開いたもののまだ書くあてが無い
午前中はさとゃんのブログ記事にコメントを書いた
その前には夜中から朝方まで続壺齋閑話の記事についてのコメントを書いていた
記事は映画監督の山本薩夫に関するもの
好きな監督なので主に『箱根風雲録』に出ていた山田五十鈴の事とか
『戦争と人間』に関して幾つかの印象的シーンを書いた
運良くそのシーンの動画が見つかった
それから最後に『あゝ野麦峠』のオープニングシーンについ書いた
これも動画があった
今そのシーンを観ても感動する
1979年の作品…もう40数年前か
大竹しのぶも原田美枝子も当然の事ながら若かった
しかし映画は当時の彼女たちの初々しさをそのままフィルムに残している
それを観たい時に鑑賞出来ることのしあわせ
書き残した幾つかの事をここに書いてみようか…
大したことでは無いが書く事は記憶の再確認…また記憶の上書きになる
けして無駄では無いだろう

『忍びの者』も山本薩夫監督を語る上で欠かせない作品だろう
忍者映画は世界的にもそのジャンルが確立している
忍者映画のスタイルを一変させたのは山本薩夫だった
いわゆる血の通った人間としてリアルに描いた
大映の看板スターの一人だった市川雷蔵にとっても新境地を拓く作品になったのではないか
商業的にも成功してシリーズ化された
私は市川雷蔵の声と口跡が好きだ
いろんなジャンルの色んな役をやって来たが
私はやはり股旅ものが好き
しかしかれも早世した一人…享年37歳
惜しまれ無くなった役者だった
『陸軍中野学校』は好きな映画だった
しかし彼の代表作と言われる『眠狂四郎』シリーズはあまりに様式美を強調する嫌いがあって好きではない
だがしかし…市川雷蔵にして成立する映画とみるならば
彼は唯一無二の役者俳優だったのだ
『若親分』シリーズもあったのではないか…
ザーッと見て7作…人気シリーズになったようだ
今作品一覧を見たが毎月のように公開されている
映画全盛の時期とはいえすごい仕事量だ

これで最後にしたいがわたし的に忘れられない作品は『ドレイ工場』
いわゆる商業作品では無い
映画内容については下記参照
映画紹介 1968年公開『ドレイ工場』 | ちば合同労働組合
私の記憶に間違いがなければ…まだ無名だった前田吟が両手を腰に当て凛と仁王立ちになって
笑顔で前を見つめているポスターを見た
たくましくたたかう労働者を体現した姿に感動したのを覚えている
以後の彼の活躍は語るまでもない

📖 マガジン発行の初心を忘れない為に 〜マガジン第32号から・・・5話の英訳を終えて~
2017/8/30(水) 午前 7:11

きのうもう少しで
5話の英訳が終わるところで
夜の散歩に出かけた
行けばいつも何らかの発見がある
閑静な古いたたずまいの路地があった

裏千家があるせいか
堀川通から一筋東に入ったところなのに
別世界があった
こんなところ歩いてもいいのか
と思うくらいの路地

こんなところを今まで知らなかった
路地裏散歩を始めてよかった
こんな話はいいか
エッセイの英訳の話が大事
5話というと一区切りしたと言う感じ

そして15話完訳も
夢じゃないぞという気になった
いま英訳に集中していることと
ある程度要領を覚えたこと
それから大体でもいいかと思うようになったこと

それらがペースを速めている理由かな
正しいかどうか
伝わるかどうか
その確認が今のところできない
とりあえず15話の完訳を優先しよう

そしたらまた違う可能性も出てくるような気がする
メール作戦はほとんど無視されているから
他の方法を考えないとね
英訳することでエッセイを読み返すことになる
今回のエピソードは印象的だった

カウンターをMが飛び越える話
面白いなあ
彼女らしいエピソード
それから単語を踊る話
映画のシーンも語られる

そのシーンを観たくなって
YouTubeで検索
すぐ見つかった
ありがたいことにアップしている人がいた
そのシーンだけを見るなんて叱られそうだけどね

7時を回ったので
そろそろ起きて朝食に準備しようかな
また一日が始まります
今日は30日
6月も終わります

📖 高山の作品から〜【新シリーズ】Yとの嬉しい再会 3

Yの話しがシリーズ化してますが、この男は耳のハンディを乗り越えて良くやってます。

今の現場でも、素晴らしい成長見せてくれてますね。

このところ、夜勤に僕が手伝い兼見張りで行ってるので、何かと昔の話しをします。

現場の所長は、昼勤に出るからそれまで元請けから言われて出来る限りは、夜勤の現場に行ってます。

元請けも短いとはいえ大きい現場なので、何かしら起こるといけないと思ってるからでしょう。

トラブルが有れば、やはり僕のようなベテランが判断します。

夜勤の昼飯って言い方はおかしいけど、0時前後に食べます。

僕は行ける時と、他の現場を回る時が有るので弁当は炊事に頼んで無いから、皆が休憩所で食べるのを見ながら持ってきた食パン食べたり、詰所で仮眠したりしてます。

夜勤の昼飯の時に、何気なくYと話しててそう言えば、お前昔工事長を投げ飛ばしたようなあ、となりました。

Yは、耳が悪いせいか余り喋らないんですが、僕が一緒ってのもあるのと、今のところで非常に上手く言ってるからか彼にしては、饒舌です。

それは良いけど、●●ちゃんは昔気性が激しくて何々と揉めたとかを皆に言うから、言い返してやろうと思ってました。

周りもYを非常に認めてるのと、僕の事を高山さんで無くて名前で●●ちゃんと、ついつい呼んでしまうYに慣れましたね。

工事長を投げ飛ばしたのは、Yと初めて会った現場から一時的に数人連れて静岡に行ってくれ、とおじさんが僕に言ってきたからです。

静岡のトンネルの現場の作業員が途中で居なくなって、そこの残りの仕事をしてくれと言って来ましたね。

どうやら聞くと当時僕らが居た会社の現場で無くて、工事の途中で倒産した会社の尻拭いを僕らがするらしいです。

短いしダイナマイト使わないし、昼勤だけで二週間で終わらせて来いと言いましたね。

おじさんとは父の会社がある時から数年一緒の時でしたし、工事長も行くけど、現場はお前が仕切れと言われました。

その頃になると掘削班の班長からコンクリート班の班長もやってたから、おじさんもその前の経歴から僕が現場は仕切れると思ったんでしょう。

おじさんの現場も続いてたし、一時的に数人連れて行くなら工事長が駄目な人なので、僕に頼もうだったと思います。

あくまでもメインはおじさんが居る現場ですから、そこから僕の他に五人抜いて行けと言われました。

おじさんの現場がメインだから、そこの主要なメンバーは抜くなよです。

僕は、僕の同い年の沖縄の現場から一緒の作業員Hを抜きました。

仕事も出来るし働き者でしたからね。

それとYを抜きました。

あとは、十代のまだまだ仕事を覚えようと必死のしかし、働き者のEを抜きました。

これであとは、おじさんに任せるよと言いましたね。

この三人なら働き者だし、気心知れてるからやれるだろうです。

特に腕が一番良かったのは沖縄から一緒のHでした。

あとは、四十代の雑工をやってたのを二人連れて行くことになりました。

この二人は余りあてにせず動こうと思いました。

工事長が一応リーダーで行きましたが、この工事長は当時四十代初め位でしたが、口は達者ですが、トンネルを余り知らないし、動かないから皆から嫌われてましたね。

何故工事長になれたのかは多分ですが、僕が居た会社は元々トンネルをメインにしてなかったから、口の上手さに騙されたのだと思います。

作業員の間での評判は悪かったです。

静岡に行くと小さいながらも宿舎もあって、現場は小さいトンネルでした。

宿舎はまるで夜逃げしたように、何もかも放ってましたね。

作業員まで逃げること無いのにと思いましたが、何らかの事が有ったんだと思います。

自分自身も倒産を経験してるから、そこは色々あったんだなです。

マシンで掘削するようになってましたね。

それでもやることはほとんど一緒です。

残り三十メートル弱だったと思いますが、掘りやすい山でした。

しかし、三十メートル弱を二週間ってのは厳しいなと、Hと直ぐ掘ってて話しになりましたね。

一日二メートルはやって、最後の片付けに二日掛かると思ったから二メートルは厳しいし、三週間掛かるかもとおじさんには電話しました。

掘りやすいけど硬かったから、一日二メートルは厳しいなでしたね。

Hも僕も図面を見て、三十メートル位で大きく岩盤が変わらないだろうと思いましたし、それは図面よりもやってて何となく分かるんですよ。

変わる山は一メートルで硬さが変わるけど、それは前触れが有りますからね。

おじさんは、とにかく早めに済ませろでしたね。

この分のお金は、多少は出すからでした。

昼勤だけだから遅くまでやりましたよ。

大抵順調でも、夜の七時に仕事を終わらせました。

順調でない時は、夜の十時を過ぎるとか有りましたね。

掘る方のメインはHと僕でした。特にHでしたね。

僕は、周りに指示を出しながら動いてましたからね。

Hは仕事は出来るけど、完全な職人タイプでしたからね。

皆良く動いて働きましたが、毎日へとへとでした。

工事長は、朝礼と昼に覗きに来る位でほとんど事務所に居たから、何度か僕からもう少し手伝ってくれと言いました。

しかし、ほとんど手伝いませんでした。

本気で怒ると一時的に手伝うけど、しばらく目を離すと居なくなってましたね。

Yも体力に任せて動いてました。

十代のEは、まだまだ経験は浅かったけど、必死に動いてました。

二人の四十代もそれなりに若い連中に付いては来てたけど、流石に疲れきってましたね。

それでもトンネルとしては、異例の残業手当てが付くようになりました。

トンネルは、基の金額が決まっててそこからはどれだけ仕事をしたのかの請け負いなので時間は関係ないんですが、おじさんがそこを会社に掛け合ってくれたようです。

だから、金銭的には良かったです。

HとYはそれまで余り接点が無かったのですが、Hがあれは良いなあと言い出しましたね。

耳が悪いのを勘で上手くカバーしてる、火薬の試験を通らせてやりたいなあと言いましたね。

余りHは仕事で人を誉めないんですが、Yの頑張りは認めましたね。

若いEに関しては前から知っててあれは、これから育て方次第で良くなると言ってました。

日曜日も半日だけ出て仕事して皆へとへとで宿舎で寝てる時に、何やら言い合いが聞こえて来ました。

外に出るとYのハーレーの横で、工事長とYが言い争ってました。

Yは、前に違う人間と喧嘩したのを知ってたけど、普段は余程の事がないと怒らないタイプでしたから、こりゃ何かあったなと思いました。

前に喧嘩した時は凄まじいものでしたから、心配もしましたね。

Yに何があったと聞くと、興奮してて普段も多分耳が悪いせいで少し喋りが分かりにくいのが、更に分かりにくく困りました。

そうすると工事長がYのハーレーを指差し、それに軽く当たっただけだと言いました。

工事長から酒の匂いがプンプンしました。

この人の酒癖の悪さは有名でしたから、こりゃ当たっただけじゃないなと思いました。

Yは当たったんじゃなくて、ハーレーを蹴ってこんなの乗って偉そうにしても火薬の試験も通らない癖に、と言ったと返しました。

非常に聞き取りにくかったけど、大体そういう内容でした。

僕はこれは、不味いなと思ったのと怒って当たり前だなと思いました。

Yにとってはハーレーは宝物です。その上、自分自身一番気にしてる火薬の免許の事を言われたんですからね。

Yは、一メートル七十五センチ以上あってボディービルのように鍛えてて、体重は八十五キロ以上ある男でした。

パワーの有るのは有名でした。

一方の工事長は、小柄な小太りの口だけの男です。

それも酔っぱらってますからね。

ヤバイなと思いましたね。

Hが気づいたようで宿舎から出てくると、とにかく悪いのは工事長だろうからYに我慢しろと言いました。

いざとなれば、二人でYを押さえるしかないなでした。

しかし、そう思ってるより先にYの拳が、工事長の顔面に入りました。

そしてYは素早く工事長を持ち上げて、地面に叩きつけました。

それもプロレスのボディスラムのように、工事長の股に腕を入れて投げつけたんですよ。

つまり工事長の股に腕を差し込んで、くるっと工事長の体を回転させてそのまま投げつけたんです。

工事長も少なくとも六十キロは有るのを、軽々持ち上げて投げ捨てましたからね。

僕もHも驚くと同時に、慌ててYを押さえつけました。

とにかく落ち着けと、これ以上やるなです。

しかし、二人で制止しても振り回されそうでした。

工事長は、頭と背中を押さえながら何とか立ち上がりました。

僕とHは、Yを押さえるのに必死でしたね。

パワーが凄いから参ったなでした。

そしたら、十代のEが宿舎から出てくると素早い動きで、工事長をパン、パン、パン、とボクシングの要領で殴り飛ばしました。

一瞬の出来事でしたね。

十代のEは小柄で細身でしたが、ボクシングやってたのは知ってました。

しかし、Eが殴るの見るのは初めてでした。

工事長は、地面に倒れて顔面血まみれになりました。

僕もHもYも、え!?ですよ。

十代のEは、こいつが完全に悪いですよと、悪びれた様子は無かっです。

僕が、取り敢えず事務所にこいつを放りこもうと言うと、皆で持とうとするとYがまた工事長を持ち上げて事務所のドアを足で開けると、そのまま床に叩きつけました。

その頃には他の連中も出てきてて、工事長が死んでないか見ました。

血まみれだけど生きてるようですし、大した怪我にはならないだろうと判断しました。

次の日に顔を凄く腫らしてましたね。

僕らはそれを見て、工事長の前で笑ってやりましたよ。

背中もしばらく痛い痛いと言ってたけど、おじさんにその事を報告したらしいですが、おじさんからは相手に全くされずに、お前は馬鹿かと言われたらしいです。

僕は、工事長が現場に来る度に何処が痛いとか言うから、自業自得だろう死なかっただけましだよ、と言いました。

この話しを、こないだ皆の前でしました。

Hも今は、他の会社で元気にやってます。

ボクシングのその頃十代のEは、三十代になって一度だけ仕事を一緒にしましたが立派になってます。

EもHも、機会が有れば僕の現場に来たいと言ってます。

皆の前でYのその話しすると、Yは笑いながらあの時はまさかEがあんなに強いと思わなかったし、あの場面で出てくると思わなくて驚いたねでした。

今では笑い話しですが、あんな体勢で人を投げる奴なんて見たことないよ、と僕も笑いました。

工事長は、一つの現場で工事長を解任されてその後作業員をしてたけど、雑工でしたし評判は悪かったです。

僕が、三十代の後半にフリーの作業員として行った所でも偶然会いましたが、雑工してたけど、働かないで評判は悪くて途中で首になりました。


それをYに言うと、やっぱり働かないのは駄目だよと言ってました。

HやEとも会いたいな、とも言ってましたね。

今三人が揃ったら、誰が一番の腕があるか面白いと思いますね。

レベルの高い争いになりそうだなと思います。

しかし、まあ人を投げるのにプロレス以外でリアルであんな風に投げたのは、今後も見ることないでしょうね。


おわり

📖「ガーターベルトの女」の映画化のためにエッセイをお読み下さい〜第13話「番外編②」(フィクション)

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「ガーターベルトの女 13」番外編2(フィクション)
前書き
犯罪的部分は僕の空想と考えて下さい。


「ガーターベルト」シリーズを終わらせないと、次に行けないです。


こんなに長くなるなんて思いませんでした。


しかし、他のをここで書くと緊張の糸が切れますから、ここでは「ガーターベルト」をとにかく終わらせないとです。


今回の一話を入れて別れを書くと思いますが、正直別れはどうなって別れたのか覚えてないです。

その後に再び友達関係に戻したのもどうやったか覚えてないです。


人は嫌な記憶は消えるんだな、の典型だよね。

まあ、二十年以上前の話しを思い出しながら書いてますからね。


死んだヤクザの親友が出てきた事から、更に書きたいってなりました。


今回も、Mと僕とヤクザの親友のAの話しです。


Aも僕もジーンズマニアでした。


正確には僕がマニアで、Aが後から好きになりました。

当時はまだ、リーバイスの古着の良いモデルが二万とか三万で手に入りました。


まだ、探すところを探せばあったんですよ。

それより、僕が十代の頃は普通のより安くあった位です。


しかし、九十年代に入って国産のレプリカジーンズが流行ります。


実際、僕が今履いてるのはリーバイスとレプリカジーンズです。

日本人のリーバイスに対する研究は非常に進んでますよ。

リーバイスの復刻版モデルも、今ほど酷くなかったですね。


今は、リーバイスは失敗したなと思いますよ。


日本のブランドとコラボレーションをしてないですし、今のリーバイスの昔のモデルの復刻版は見事に失敗してますね。


Aは、仕事柄どうしてもスーツが多くてジーンズ穿けないと嘆いてたけど、あちこち買いに行きましたね。


Mはそれを見ながら、呆れても居たけどね。


しかし、Tシャツとかの良いのが有ると着てましたね。

女の子は、リーバイスとかに凝るってほとんど無いですね。

女の子は、次のシーズンには新しい流行が来ますからね。


男も有るけど、僕は基本は変わりません。


夏は、Tシャツにジーンズに、上にワークシャツやアロハやボーリングシャツ着ます。

下はジーンズですね。


冬はスウェットを着て、革のジャンパーかミリタリー系のジャンパーです。


下はジーンズです。


たまにワークパンツを履くけど、ほとんどジーンズです。


だから、知らない人から見たら同じの何時も履いてるとなるけど、色落ち様々で実は違います。

ベルトとか小物は変えますね。


少し前に、さすがにぼろぼろになりすぎてて売ったから、一番古いのが二十年ほど前のです。


三十代初期に買ったのですが、色はかなり落ちてるけど、まだまだ現役ですよ。


それとジーンズは段々と自分自身に馴染んで、自分自身の体型の形になりますからね。

自分自身だけの物になると言う魅力が有ります。


二十年穿けるなら良いのを、です。

それと色落ちに関しては、やはり良いものが味わい深く落ちますよ。


僕の基本的考えです。


今は良いのを買えないけど、きちんとしたアメカジのメーカー買ってるから大丈ですね。

 
本当は欲しいの有るけど、まあ仕方ないです。


Mの店で、Aを交えて洋服談義をしてました。


Mは、カジュアルも着るしシックなのも着ましたね。


僕の前では、なるべくカジュアルなの着てましたね。


体型が良いのと、身長は高くはなかったけど体重は確、か一メートル五十五センチで四十一キロとかでした。

しかし、細いなあって感じではなくて、運動してたからか丁度良かったです。


胸も有りましたからね。


Mの店でそういう話しから、珍しくAが他県に行ってジーンズ買わないかと言いました。

僕の県の隣は、九州最大の都会ですからね。

豚骨ラーメン食べに行くのも良いし、たまには三人で行かない、です。


僕と二人では何度か行ってたけど、Mを誘うのは初めてでした。

Aは僕を指すと、こいつが何か買ってくれるよと笑いました。


僕は、Mはアメカジにそこまで熱心にならないだろうと思ってたから、行かないと安心してたら行くと言い出して、慌てましたがね。


三人で行く日を決めて、Aの車で行く事になりました。


高速使ってもけっこう当時はかかったから電車で行こうと言うと、俺なら速いから大丈夫と自信持ってました。

彼が乗ってたのがベンツでしたが、一度僕が乗ってたのはスカイラインGTSでしたが、負けると思ったから会社の同僚からスカイラインのGTRを借りて高速で競争したけど、ベンツはそんなに速くないぞでした。

直線で完璧に負けたからおかしいだろう、で言いました。


同僚のスカイラインGTRも手を入れてて相当速くて、普通のBMWとかなら勝負にならかった位ですからね。


聞くと、数百万円かけて改造してるとの事でした。


ポルシェに高速で負けたのが悔しくて、ポルシェに勝てる位にしたかったらしいですが、その後ポルシェに合わないんだと嘆いてましたね。


ベンツの皮を被ったスポーツカーでしたね。


しかし、ベンツと言えばヤクザってイメージ有るけど、普段乗ってたら乗りごごちは最高に良かったです。

当時は、父がシーマに乗ってたけど格段違いましたね。


その日も時間きっちりに僕の所とMの所を回って拾うと、Mがたまには前に乗りたいと言うから、何故かMが助手席で走り出しました。


皆カジュアルな格好で、特にMは短いTシャツ着て、へそのピアスが背伸びすると見えました。


Aは、Mちゃんが前だと似合いのカップルだよなと笑いましたが、Mから後ろの人そう言うのけっこう焼きもち妬くからね、と笑われました。

僕が焼きもち妬くの知ってましたからね。

車は高速に乗る前から車線変更繰り返して、どんどん他の車を抜いて行きました。

Aのテクニックは凄かったですよ。


Mは、その度に凄いと言ってましたね。


高速に乗ってからは取り締まりの場所を知ってて、そこだけはある程度スピード落としたけど圧倒的なスピードで次々抜きましたね。

Mは薄い青のお洒落なサングラス描けてて、僕とAはレイバンのティアドロップのサングラスを掛けてました。


僕は薄い茶色で、Aが黒でした。


僕が、こうして俺達もレイバンのサングラス掛けてジッポのライター持って羊モクを吸ってるなんて信じられないなと言うと、Aが軽く笑ってポケットからカルティエのライター出して投げました。

そして、こんなの欲しくなかったから要るならやると言って、ジッポのライターでマルボロに火をつけました。


Aは、カルティエなんてのはある程度年齢が行って持つのには良いのかも知れないけど、本当は俺の趣味じゃないんだと苦そうに言いました。

この車もだよ。アメ車の旧いのが欲しいと言ったらダメだったよ。


お前が前に乗ってた逆輸入のHONDAのシビックも、俺は見た時にあ!これ乗りたかったのだと思ったよ。


スカイラインに変えたのは意外だったけど長距離運転するから仕方なくと聞いて、なるほどだったなと言いましたね。

Mは、男ってそんなのに拘るけど二人は拘るよねと言ったから、Aに俺達が十代の頃はレイバンなんて夢だったし、俺はこいつの影響だよと微笑みました。


Mは笑いながら、この人ややこしいからね。そういうのにねと言って笑いましたが、Aがだけどそういう拘り持つってけっこう大事なのかもと思うよ、と言いました。

女の子は分からないけど、高いとか安いとか関係無くて自分自身の物を確立するって大事だよ、と静かに言いました。
       


隣県の店に着くと駐車場に入れて、喫茶店に最初入ってアイスコーヒー頼んで一服しました。


Mもアイスコーヒー飲みながら、二人が兄弟見たいねと笑いました。


確かにジーンズに白のTシャツでスニーカー、種類は違うけどアディダスでした。


髪もお互いジェルでオールバックですからね。

しかし、僕は身長一メートル六十八でしたが、Aは一メートル七十五を少し越えてました。

Mにどっちが弟だよと言うと、Mは珍しく難しい顔をして、時には貴方がお兄ちゃんの時もあるし弟のときもあるよ、と言いました。


二人のバランスが良いって事だよ。お互い欠けてる所を補ってるし、強い所をお互いで強化してる感じ。

私にはそういう友達居ないからね、と少し寂しそうに言いましたね。

Aは、俺達がいるじゃんと静かに言いました。


Mはそうだねと言うと、だけど女だからそこは入れないって有るんだよ、と返しました。

Aは頷くだけでしたね。


それから、ジーンズやアメカジの何度かAとは来てる店に入りました。


店の店員は覚えていて久しぶりですね、今日は彼女さんですかと二人に言ったから、Mがさあどっちの彼女でしょうと笑ながら言い返しました。

店員は明らかに困った顔をしてたから、僕がどっちでも良いじゃんと言うとTシャやアロハを見始めました。


そこは一階は新品を置いてて、二回は古着を置いてる当時は有名な店でした。

今は新品だけを置くのに変わってますし、雰囲気もまるで変わりましたね。

MもTシャツを見てたら、これ良いねとはしゃいで見せて来ました。

白にブルーでアメリカ的なイラストが何か書かれてましたが、メンズ物でした。

僕がこれのレディース無いのかと聞くと、店員が無いですねと言ってレディースは向こうですと指しましたが、Mはレディースはいまいちだったと残念そうに呟きました。


SサイズでもMには大きいですが、Aが裏を見たり触って店員に、買うからコインランドリーで洗って乾燥機にかけて来てくれと頼みました。


店員は、そういうサービスはしてないですと毅然と言ったら、Aがそこにあっただろうと言うと店員のポケットに二千円をねじ込むと、行って来いと言いました。

店員は明らかにAの態度に腹が立ってたような顔をしたので、Aがお客様は神様とは言わないけど、お前の態度次第ではこのあと数万円使うかも知れないのを他で買うぞ、と言いました。


他にも店は有るしそこで聞いてみるよ。コインランドリーに行ってくれないかなと。


そう言いながらもう一つ良く行く店にケータイを出すと掛けようとしました。


店員は慌てて、行きますと言ってTシャツ持って出ました。


洗って乾燥機に掛けたらかなり縮むんですよ。

僕も後にジーンズでそれをやって貰った事が有るけど、TシャツはAが始めてでした。


AはTシャツを何枚か買うと上に行こうかと言うと、階段で上に上がりました。

Mは初めてなので、上の古着に驚いてましたね。


リーバイスの良い色落ちのジーンズがショーケースにいくつも入ってるし、スウェットのレトロな感じの物やアロハの綺麗な物も有りました。


Tシャツはなかったですね。


Mはリーバイスの古着を見て高いねえと驚いてたけど、あ!これ良いねと指差しました。


Aが後ろから僕の方に来ると、足らなかったらと言って僕の後ろポケットに数万円ねじ込みました。


Mが言ったのを出して貰うと、やはりメンズでしたが腰のサイズが27インチでした。

メンズにしては細いです。


色落ちも良い古いタイプのリーバイス501でした。


しかし、履かずに合わせるとやはり太いんですよ。


レングスは珍しく少し長い程度でしたから、履いてみろよと言いました。


値段は、多分このメンズにしては小さかったから四万数千円でしたね。


店員に太いベルト持ってきてと言いました。

Mが履いて出てくると太かったですが、ベルトを通して絞めて見ました。

普段はわりと細目を履いてたけど、これはこれで似合いましたね。


後にPUFFYがこういうスタイルで出ますが、その少し前です。


色落ちは良いし上をある程度タイトにしてれば、Mのスタイルの良さが逆に目立ちましたね。


僕は、何度も鏡でMにあちこち向かせてベルトの位置とか変えました。

僕は自分自身服が好きなので、そういうのするの好きなんですよね。

これは後に男にもした位ですよ。


MもAも下から適当にレディースのTシャツを持ってきて、Mに合わせるように僕に渡しました。


Mは、これは良いねと言いましたね。

Mはファッションにはうるさかったから、嫌な時は嫌でしたね。

僕も良いよと言うとMが、買ってくれるんでしょと笑いました。


そのあと半分は出すから、貴方の持ってるGジャンくれない、と言いました。


LeeGジャンで、僕が着込んでた為に色落ちが良くなってたのをMは何度か欲しいと言ってたのを断ってましたが、思わずこれは払うしGジャンも冬に着れば袖だけ長いけどやるよと言ってしまいました。


Aが、流石男前だなと後ろで呟きました。


そうしてたら、Tシャツをコインランドリーから店員が持って来ました。

店員は不服そうな顔を隠してるようでしたね。


まだホカホカでかなり縮んでました。

Mは、Tシャツの上からそれを着ると丁度良いよと喜びました。


結局、僕はボーリングシャツの古着とキャップを買っただけでした。


AはTシャツを数枚と、同じようにボーリングシャツを買いました。


Mはジーンズにコインランドリーに持って行かせたTシャツと太目のベルトとキャップを買いました。


Mの分は全て僕が払いました。

足りなくなってAがポケットに入れたのを使いましたが、後で返すからと言うといいよと、Mちゃんが楽しんだんだからと言って断って来ましたね。

結局、Aと僕はジーンズは買わなかったです。


Mは店で着替えると、嬉しそうでしたね。


それに似合ってましたよ。

Mが似合ってる服を着てるのは僕にとっても幸福でしたし、それが自分自身が好きなアメカジなら尚更でしたね。


Aが、美味しい豚骨ラーメン食べに行こうと車を出して移動しました。


駐車場に入れると通りを三人で歩いてると、前から五人の同じ位の若者が歩いて来るとMに向かってこれから3Pか、と冷やかしました。

まさかそんな事を言われると思ってなかったから、唖然としながらも周りを探りましたがゴミバケツしか有りませんでした。


Aは素早く動くと一人を蹴ると、もう一人を殴ってる時に後ろから三人に捕まりかけてました。


僕はゴミバケツを持つと一人に投げつけて、走ってAを捕まえようとしてる一人にタックルして上からに何度か殴りつけました。


相手もタフでしたね。

Aから殴られても、持ち直して立ち上がって来てました。

僕は、少し先の店の前にデッキブラシを見つけました。


それを持つと、一人二人三人と剣道の要領で脳天を打ちました。


力の加減は無しですから、一人は何処かを激しく切ってアスファルトにボトボト血が落ちました。


Mの声が聞こえたから見ると、一人がMを捕まえようとしてました。

流石のMも逃げるのに必死で、それを見たAは道の横からブロックを取ると、Mを追ってる男に投げつけました。


そして、走って思い切り助走をつけながら飛び蹴りを相手の顎に入れました。


スローモーションのように、綺麗に顎に入るのが見えましたね。

そうしてると大きな声で、そこの君たち止めなさいと聞こえました。


制服の警察官が二人居て、後ろにパトカーが停まってました。


Aは、逃げるぞと言うと路地を指しました。

僕はMに合図すると、Mも走りました。


狭い路地をどんどん入って、最後は何かの店があるような地下に潜りました。

夜になったらバーか何かになるような所でしたね。


三人とも肩で息をしてましたが、幸いAと僕が擦り傷程度で済んでましたし、警察も僕らより向こうを捕まえようと動いたようでした。


地下の暗がりで煙草に火をつけると、Aが地下から顔を出すと一度上に上がって戻ってきました。


自販機でコーラを三本買ってきて渡しました。


三人とも喉がカラカラでしたから、一気に飲みましたね。


Mはクスクス笑ってました。

ハラハラドキドキだね、と楽しんでましたね。

貴方のデッキブラシも良かったけど、Aさんの膝蹴り見たと興奮してました。


僕も、あれは顎砕けたなと笑いました。


Aは、お前にやられたの一生治らないかも知れないぞと言うと、ニヤリと笑いました。

結局、しばらく隠れてそのまま車で帰りました。


Aは、ラーメンは残念だったけど仕方ないなと言いました。


それから三日ほどして、Mが出来たらAさんと飲みに来てと電話があったので、Aと二人で行きました。

Mはあの時に買ったTシャツとジーンズで店をやってて、二人でそりゃ水商売じゃないよと言うと、水商売嫌いだからねと笑われました。


Mに僕のGジャンを渡すと、やったー!!と言ってきました。

夏に着るのには大きかったけど、似合いましたね。


Mは、こないだラーメン食べられなかったから、お客さんに福岡のお土産でラーメン貰ってるから今食べるといって、お湯を沸かし始めました。


さっき団体のお客から沢山ぼったくったから灯りは消すと言うと、ラーメンが出来ると三人で食べました。


Aが、普通は飲んだ後のラーメンだけど、こういうのも美味しいなあと呟きました。


Mは、私の愛情エキスがはいってるからと笑いました。

その時に、Mが将来の夢って有るとAに聞きました。Aはまあ、この世界に入ったんだからある程度までの所に、死なないで行きたいなと言いました。


この人の夢は小説家だよと、僕を指して言いました。

Aは、トンネルの世界で上に上がるとかじゃないのかと言うと、Mちゃん書いたの読んだこと有るの、と聞きました。

意外だと言う感じはなかったですね。


Mは、短編読んだら偉そうだけど意外と良かった。
 
その代わり、字がミミズがはって踏まれたような字だよと言うと、クスクス笑いました。


Mはその後で、私にはそういうの無いからうらやましいと、少し寂しそうに言い僕の手を握りました。

何となく、初めてMを可哀想だと思って手を握り返しました。


この時の服を買いに行ったのは覚えてましたが、喧嘩をしたのは、これを書いてて思い出しました。

すっかり忘れてましたね。


三人とも二十代で元気が良かったなあと思います。


今度、仕事でAの墓の近くを通るので墓参りしながら、あんなのむちゃくちゃだよなと話しかけたいですね。

小説家にはなれないだろうけど、何とか生きてると伝えたいです。

おわり

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