高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【415】

妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
無名作家高山のエッセイ「ガーターベルトの女」の映画化芝居化・・・
その他いろいろ作品化できれば
なんて途方もない夢を観ています

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📖 無名居士のたわごと 〜他愛もない戯言

高山からの電話が無かったのでトンネル工事の話は置いといて…他愛も無い話ですが
気になっていたモヤモヤが解決してスッキリしたのでその話を…
毎日日記代わりにYoutubeをチェックして
興味ある動画を再生し記録してブログ記事にして投稿しています
この前女性演歌歌手の動画が出て来ました
若くは無いのですがチョットした美形…となると観たくなるのは男の常
名前は大石まどか…この名前に引っ掛かっていたのです
あれ…歌手?
確かタレントかアナウンサーに居たと思うけど…演歌歌手じゃないはず
と…どうでもいいような事に悩んでいたのです
私のイメージする人と違うのです
スッキリしません
先日も同じような事でモヤモヤしていたのです
それは川越美和と言うタレントの歌の動画が出て来ました
はっきりと覚えていませんが見た事があるような無いような…
その日ずっと気になっていました
朧な記憶をたどりにたどってNHKの朝ドラから主役の土屋太鳳の同級生役にたどり着き
その人は門脇麦だったと分かりました
川越美和その人では無かったのですが
見比べると似ていると思いました
これでモヤモヤは晴れてスッキリしたのですが
川越美和は芸能界を引退した後にアパートで孤独死した事を知りました
享年35歳…こんな事があったのかと可愛い子だっただけに悲しくなりました

さて今回のモヤモヤですが…大石まどか(円)さんの件
大石で始まるタレントさんの一覧を見て心当たりが見つかりました
大石恵子さん…キャスター・タレントさんでした
画像を見て確認しました
まどか(円)にこだわっていたので気がつくのが遅れました
はい…他愛もない事でしたが
これにて一件落着!

ついでに今一つスッキリしない事があります
古い邦画の事です
以前Youtubeで観た『わかれ雲』
好きな川崎弘子さんが出ている地味な映画でした
旅館の仲居でフケ役でしたがとても良い味を出していました
その映画が削除されたのか見当たらないのです
英題が分かりましたからそれでそれで検索してもダメ
著作権の関係で削除される事はままあるのつままあるのですが…51年作ですから保護期間は過ぎてるはず
見つからないのが悔しいのです
諦めるしか無いのか…

📖 高山の作品から〜「Yとの嬉しい再会 8」

Yのシリーズは、自分自身の過去に色々な失敗があったのだと思わせるし、三十代の頃は随分傲慢だったとも思わせてくれます。

そして、実は自分自身の知らない所で色々な人が、自分を支えてくれたのだなとも思います。

過去を覚えて無いのにも驚くけど、当時はとにかく、仕事で何処まで自分自身が伸びるかをやってたのからだと思いますね。

仕事と言っても、作業員として自分自身が何処までの作業員、或いは坑夫になれるかに対して必死でしたね。

三十代初めに父の会社が潰れて、完全に作業員になって十年がある意味勝負でした。

今は管理職に有るけど、やはり現場がある程度出来ないと駄目だと、二十代から思ってましたからね。

だから、僕より二つ年下の四十七際のYが、未だに伸びしろが有るのには驚いてます。

大体、三十代から四十代初めくらいで作業員として何処までなのかは見えます。

僕はまあ、作業員としては平均でしょうね。

Yは今でも伸びてますからね。

そういうYと話してたら色々思い出して、あー!そこにも行ったねとか、そんなのあったのかとか思い出します。

今回もそういう話しです。

前に静岡に応援と言うか一時的に言った話しを書いたけど、その後から約二週間少し小さいトンネルに行ってくれと、所長のおじさんに言われました。

また何処かの会社が潰れて、作業員が他の会社と入れ替わるまでのピンチヒッターのような感じでした。

僕らがやってれば、直ぐに新しい会社が入るからと言われました。

この頃、次々にトンネルの下請け会社が潰れてましたからね。

自分達の居た所も、数年後に潰れましたからね。

2010年位までそういう流れが続いて、あちこちの下請けが潰れましたね。

場所は愛知県の山奧でした。

一応責任者は工事長ですが、現場の総責任者は、実質僕でした。

工事長入れて九人しか、人間を出せないと言われました。

ほぼ前のメンバーで行ったと思います。

行くと、確かにトンネルの大きさは小さいから、昼勤四人夜勤四人で何とかなるかなと思いました。

工事長は事務所にほとんど居るから、あてにしてなかったです。

しかし、問題が有りましたね。

コンクリートを練る為のプラントまで、約片道一時掛かるんですよね。

それも冬でしたから道も凍るし整備されてないしで、こりゃコンクリートを練る為だけに一人を、ずっとそこに置いておかないといけないなとなりました。

普通は、コンクリートを練りながらも他の雑工したり手伝いしたりするんですけど、そこでは距離的に無理だなでした。

元請けに聞くと、どうしてもあの場所しか無かったらしいです。

それと前の連中は、やはりコンクリート専門に一人を完全にプラントに置いてたらしいです。

それなら三人で掘るのと、雑工もするしかないなです。

コンクリートプラントには一人を置きましたが、初日か二日目に掘削してて軽い崩落があって、落ちてくる岩に腕を当ててしまって一人が骨折しました。

余り良い山でなかったから気を付けてましたが、事故ですね。

仕方ないからコンクリートプラントの方から、掘削に一人を入れました。

その代わりコンクリートプラントは、昼夜を一人でこなしてくれと言う決断になりました。

昼勤、夜勤、三人で掘削して、コンクリートプラントには昼夜で一人を置くって形です。

勿論、宿舎に帰って風呂とか食事はするけどほぼ、昼夜コンクリートプラントに居させないと不味いになりました。

工事長も幾らか手伝うって言ったけど、あてになりません。

最初は、僕がそれに行こうかと言いましたよ。

昼夜で寝るのを削ってやるのは、前にしたことあったからです。

そしたら周りが、僕が行っては掘削が困るとなりました。

Yが、自分なら寝なくてもそんなに大丈夫だし、自分が行くと言いました。

両方の班のコンクリートプラントをYがやり始めましたが、どうしても寝不足になるからミキサー車で寝るかと言うと、ミキサー車で寝てるとコンクリートが必要って連絡がプラントの中の電話で知らせられるから無理でした。

ケータイを持っておくってのも試したけど、電波が悪くて全く駄目でしたね。

当時はまだまだ、ケータイの電波が入らない所が沢山有りましたからね。

何故コンクリートプラントで寝させないかは、寒いからです。

ミキサー車なら暖房あったけど、コンクリートプラントの中は何も無いですからね。

夏ならその辺に寝転んで寝るのもありですが、一月か二月でしたから無理です。

元請けの人が寝袋持っててそれをYにあげましたが、古い夏用の寝袋でした。

掘削班も人数が少ない上に山の状態が悪くて、もうYに構ってられませんでしたね。

Yも、自分自身は大丈夫だからを繰り返してました。

ここは、非常に皆頑張ったけど、予定の掘削の距離を何とかこなすので精一杯でした。

人数少ないし、フル回転で時間ギリギリまで昼夜でやりました。

工事長は相変わらずたまに来て、どうかあ?と聞くからカチンと来て、どうかあ?じゃねえよと返してました。

もうこの人には期待して無かったです。

僕のおじさんの所長に電話して応援頼めないかとも言ったけど、向こうもギリギリだったから無理だと言われました。

とにかく、やれるだけやれと言われましたね。

Yは、コンクリートを練るのを連絡するときちんと来てました。

宿舎や現場で見ると、薄汚れて少し痩せて来てましたが、大丈夫かとしか言えなかったです。

Yは笑いながら、大丈夫だよと返してましたけどね。

Yは見た目はゴツイし鬼瓦のような顔ですが、大抵ニコニコして苦しいとか言わないタイプでしたからね。

掘削班必死だったけど、Yも実は必死だったんですね。

僕も途中で軽い崩落の岩が脚に当たって腫れてましたが、昼勤なら夜勤の雑工を誰か残って貰って、毎日一時間は最低してました。

もう一つの班には同い年の昔からの仲の好いHが居て、HがYは大丈夫かと、お前も無理しすぎるなと言ったのを覚えてます。

しかし、当時は若いし傲慢ですから、それより何とか予定の距離まで行こうと言ったと思います。

当時のレベルブック、野帳が残ってるんですが、何を書いてるのか良く分からないけど赤いペンで、後何メートルって毎日書いてますね。

大体推測して読むと相当ハードなスケジュールで、自分自身が苛立ってるのが何となく分かりますよ。

両方の班の事を見ないといけないのに、作業も相当しないといけないって、若いから出来たんですよ。

工事長とは、段々口さえ聞かなくなりましたね。

一度宿舎で急いで風呂に入ってたら、どうかあ?と明らかにお酒を飲んでる状態で聞いて来たから、髪を掴んで風呂の中にしばらく浸けました。

そして髪を掴んだまま上げて、お前に色々言われたくないと怒ったのは覚えてます。

そういう時に、コンクリートの準備に入れと電話を何度もしてもYが出ないと、他の作業員が言って来ました。

このコンクリートは吹き付けコンクリートで、掘削の後に直ぐにロボットと言われるマシンで剥き出しの山にコンクリートを吹き付けるんです。

特に今回は山が悪いから、一時吹き付けと二次吹き付けと二回やってました。

一時吹き付けは剥き出しの山に吹き付けて、二次は鉄の枠を建てて更に吹き付けるんです。

普通は鉄の枠を建てて吹き付けてますが、今回は崩落が多くて一時吹き付けしてました。

Yもミキサー車で、二台か三台のコンクリートを用意するように言われてて、一度持ってきたら元請けの職員がYをプラントまで送って、もう一度コンクリートを持ってきてました。

ここの元請けの職員は、そういう点は良く協力してくれたし、凄い頑張ってると誉めてくれましたね。

しかし、その日はYが電話に出ないとなりました。

これじゃもう、掘ってるしヤバイなあですが、幸い山はそれほど悪くなかったです。

僕は、元請けに車を借りてプラントまで行きました。

行く途中は、Yの野郎何してるんだとカッとなってました。

凄く車を飛ばしたから、凍った道で何度も滑りそうになりました。

プラントについて車のホーンを鳴らして、そのままプラントの階段をかけ上がって、お前なあと言いながらプラントに入りました。

Yは、寝袋の上でうつぶせで完全に寝てましたね。

寝袋見ると大量の新聞紙が有りましたね。

どうやら仮眠する時に、寝袋と体の中に新聞紙を突っ込んでたようです。

寒いですからね。特に夜はこんなのでは寝れなかったでしょうね。

Yは寝不足から、寒い中で寝袋に入る前に倒れるように寝たようでした。

それを見て、あー!こいつもまともに何日寝てないんだと思いました。

僕は、プラントを動かしてコンクリートを練り始めました。

電話で、今から練るから遅れるからと掘削班には伝えました。

しばらくするとYが、あー!●●ちゃんごめーん!!と起きました。

良く見ると相当疲れた顔でしたね。

僕もそこで、全体の現場の責任者ならYばかりにやらせず、他の人間に途中で交代させるべきだったと思いました。

約十日は、まともに寝てないような状態だったと思います。

仮眠は何度も取ってたろうけど、この寒い中ですからね。

寝袋に新聞紙で何とか暖を取ってたんでしょうね。

プラント内を見ると綺麗に掃除はされてましたから、時間が有ると掃除もしてたようです。

僕が、これを練ったらお前が持って行って、もう一台は俺が持って行くからと言いました。

そして、持って行ったら宿舎に帰れと言いましたね。

そしたらYは怒られたと勘違いして、俺の失敗だから今度は寝ないからと言い出しました。

僕は、笑いながらそうじゃなくて、こんなのしてたら幾らタフなお前でも死ぬから、工事長に脅してでもやらせるから、今日は夜勤まで帰って風呂に入って寝ろと言いました。
 
Yは大丈夫を繰り返してたけど、僕が駄目だと言うと仕方なく頷きました。

その日の仕事は遅れたけど、現場からの電話で昼は工事長お前がプラントやれと、キツイ言い方で言いました。

工事長は四十代初めで歳上でしたが、そんなの知ったことじゃないって感じでしたが、相当脅しましたね。

何とか昼は、工事長がプラントやるようになりました。

僕は、無理矢理でも最初からそうしておけば良かったと思いました。

多分Yは、余りの睡魔に落ちるように寝てしまったんだと思います。

これが、ミキサー車運転中とかなら大変です。

Yの大丈夫に、ついつい甘えてたんでしょうね。

同い年のHが、Yは相当疲れてたなあと言いましたね。

俺達は、Yが大丈夫って言うのと、自分達の事で精一杯だったから仕方ないけどと言いましたね。

何だかんだと言いながらも、約二週間でノルマより数メートル多く掘りました。

交代の違う会社の連中が来たから申し送りしてたら、この中に知ってる坑夫が一人居ました。

四十代の腕の良い人でした。
 
向こうは、人数も僕らより多かったです。

知ってる坑夫と向こうの班長が、これをこの人数でやったのかと聞いて来ました。

僕はそうですと答えたら、お前達凄いなあでしたね。

知ってる坑夫も、●●ちゃん立派になったなと言ってきたけど、少し痩せすぎじゃないかと心配もして来ましたね。

この現場で五キロ程体重落ちてました。

それは、皆そうでしたね。

工事長だけは普通でしたけどね。

戻っておじさんの所長に細かい報告して、出来たら一万円でもYにボーナス付けてやってくれないかと言いました。

おじさんは、その件は頷いただけで、ハードだったようだけど勉強になったろうと笑いました。

Yは昼勤夜勤出てたし、三万円程ボーナスが給料につけられてました。

他の坑夫にも、二万円ボーナスがついてましたね。

Yは給料貰ったら直ぐに僕に、あそこは儲かったなあと笑いましたけどね。

僕は腹の中で、あんな所はもうやだよと思いましたね。

今の自分なら最初から、無理矢理でも工事長は使ってたでしょうね。

まあ、その頃はそういう余裕は無かったって事です。

Yは、途中で倒れなかったらもっと給料良かったのになあと、悔しがってましたね。

辛かったとかは一つも言わなかったですね。

皆痩せたけど、Yが一番痩せてしまってましたね。

おわり

📖 マガジン発行の初心を忘れない為に 〜マガジン第37号から・・・高山君のエッセイへのコメントと私の近況など2017/5/12(金) 午前 11:19

高山~映画『キッズ・リターン』と『あの夏、いちばん静かな海。』 雑感
https://mumeikon.blog.fc2.com/blog-entry-174.html

どなたかのコメントがあった時に
返事のコメントをするくらいでいいかな
と思っていますが
今回は一読者として
コメントしようと思いました

そう思ったのは
一つには聾唖者が出る映画が紹介されていたこと
二つ目には淀長さんの名があったこと
三つ目に映画音楽について書いていたこと
こんなところでしょうか

『キッズ・リターン』については
青春時代を振り返るのは未だに苦手なのでパス
ボクシング関連でいえば
安藤さくらの『百円の恋』を
思い出したことでしょうか

『あの夏、いちばん静かな海。』は
私の世代では『名もなく貧しく美しく』を思い出しますね
その上映当時は14歳なので記憶にあるのは
リバイバル上映だったでしょうか
『続・名もなく貧しく美しく 父と子』(1967年)もありました

内藤洋子が出ていたようです
リアルタイムで観たのはこちらの方だったかもしれません
声が届かない位置でも手話で心を通じ合える
そんな状況にやはり感動するものがあります
セリフのない映画・・・映像詩にあこがれました

これまで高山君のいくつかの映画に関する記事を読んで
観たいとは思っても実際にビデオを借りてまで
観たことはありませんでしたが
『あの夏、いちばん静かな海。』は
今晩にも借りて観ようと思っています

そうさせるものが今回の雑感にはありました
淀長さんの話がでたのは
この映画を絶賛したということもあって
彼にとっては成り行き上の記述でしょう
しかし私にとっては我が意を得たりという思いです


前作のエッセイをブログにアップしたあと
そのことをメールしました
そこで淀長さんのことをちょっとだけ書きました
そして彼に「映画の語り部」になって
という思いを伝えました

彼には映画へのこだわりがあり
自分の意見を持ち
どんな権威にも頼らず批評する
映画の内容を分かりやすく伝える力と
人に観たいという気持ちを起こさせる力もある

私がそのいい例でしょう
映画のことを書く「語り部」?
「語り部」という表現はおかしいかな?
とにかく映画のことを書いてほしいという願望です
映画を好きな人は多いけど書ける人は少ない

もうひとつ、映画音楽について
厳しいことを彼は書いていましたね
久石譲といえば
その世界の権威ですよね
権威に臆することなく自説を述べる

それができる人を私は尊敬します
自己の価値観がしっかりしているからですね
私は自分の考えより権威を信じる方です
自己が確立していない証拠です
その権威への批判は今 安倍政権にも向いています

その怒りをエッセイに書いていました
怒りをとっくの昔に忘れてしまった私には
彼の怒りを頼もしく思います
彼が肉体的にも精神的にも
若いということの証明です

若さは貴重です
若いから
彼は今書く意欲に満ちています
書きたくても書けなかった私は
彼が羨ましくてなりません

何もせずに老いてしまいました
おいて何をしているかろいえば
未だにAVをせっせと保存しています
したいことをすればいいを
言い訳にしてね

高山君は今
確かなものを文章として残している
書きたいことを書き
書くことで学んでいる
そんな彼に書く場を提供できて嬉しい

ずっと以前
彼は本当に小説を書いているのか
そう思った時もありました
作品を送ってと言っても
破ってしまったと言ったこともある

彼を信じるようになったのは
ケイタイ小説サイトに
アップしている作品を観た時から
内容はどうでもよかった
というより読むのさえ私は面倒になっていた

彼が小説を書いている
そのことだけでよかった
このブログを始めるには
他にも私なりの理由はあったが
ともかく今彼は精力的に書いている

私はブログを宣伝することは何もしていない
何をするのも面倒だから
彼がどうなるか 私がどうなるか
二人の関係がどうなるか
どうでもいいことだ

なるようになる
70年 私が得た結論
気楽なものだ
楽なな道を選んだ者の
当然の帰結でしょう

自分らしく生きている
そう言えるでしょうか
そんな私に最近ちょっとした変化が
動くこと努力することが嫌いな私が
夜 歩き始めました

糖尿病が進行し
腎臓に影響が出始めていると
お医者さんに言われたからです
いつ死んでも悔いはありませんが
今少し長生きしなければと思うようになりました

20ほど年上の同居人を介護しているのですが
どうも彼女の方が長生きしそうなのです
それじゃまずいので歩き始めたというわけ
私も足が悪いので自転車を杖代わりにしての
ゆっくりゆっくりの散歩です

それで効果があるか疑問ですけどね
ご褒美にと甘い物買ったりコーラ飲んだり
そんなことしてたら何もかも帳消しですが
まあしないよりましでしょう
それに楽しみもできたんです

スマホは持ってても
ほとんど使ってなかったのですが
散歩中に気になる風景を写し始めたのです
それが結構楽しくなって
そのために歩くという感じになってきました

例のインスタってやつも始めましたし
写真を撮られるのも撮るのも嫌いだったんですよ
いまでもちょっと恥ずかしいですが
夜でもあることだし暗いから
私のことなど誰も見えないでしょ

自慢じゃありませんがフォロワーは0
いいですね
独り遊びが好きですから
最後に
高山君なら分かるかな?と思う画像を添えておきます

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📖「ガーターベルトの女」の映画化のためにエッセイをお読み下さい〜「ガーターベルトの女2

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二十年以上前の話しです。


『ガーターベルトの女』の、もう一つのエピソードです。


特に、最初を読んでなくても分かるようにしたいですけどね。

出会ったのが飲み屋街で、義理のおばさんに頼まれて仕方ない感じ、古いスナックやってました。


最初は飲み屋街の道で偶然見かけて声を掛けたのに、自分自身で探してよって感じで、非常に生意気でした。


しかし、綺麗でしたし、ファッションも地方の飲み屋の女とは違いました。

後から知るんですが、当時、ミスセブンティーンって雑誌の予選があって高校生の頃に応募したら、東京大会までの予選を通ってたらしいです。

しかし、本人が東京まで行くのが面倒だと辞めたようです。

僕が知り合った時は二十三歳か二十四歳だと思うけど、高校生の時なら違う輝きがあったと思います。

一種キレるような、美人的側面が有りましたね。

それと、身長はそれほど無いけどスタイルも良くて、そりゃ目立つな、です。


結局、店を探し出してデートもして、付き合うようになるんですけどね。

Mとしますが、Mは気まぐれでしたよ。

僕は振り回されたけど、気持ち良く振り回されましたね。

しかし、中には振り回されただけの男も、沢山居たでしょうね。

恨んでた人間も居たと思いますが、僕に対しては何かを求めるとかカモにするって無かったですが、クールだなとは思ってましたよ。


Mは、古い小さいスナックを一人で任されてたから客が多いと、帰った後で回転寿司みたいにくるくる回って何処かに行ってくれないかな、等と僕に言いましたね。

店にカラオケ用のテレビがあって、それにビデオデッキを繋げて二人でビデオを観たりもしました。


Mは映画好きでしたが、面白い物はとにかく好きで、当時流行った「宇宙人解剖ビデオ」ってあって、それを持ってきて二人で見てました。


NASAが宇宙人を捕まえてそれを解剖したって代物ですが、当時見てもこれは、やらせだろう、で笑えましたね。

流行りを追いながらも、自分自身が好きな物と嫌いな物はきちんと分けてましたし、頭の良い女性でした。

歌も非常に上手く、カラオケを歌いたがりませんでしたが歌うと、え!?って位上手かったです。


声がとても良くて普段の話し方も男の心をくすぐるような声で話しましたが、意識的に可愛いふりをするとかで無くて、天性の物でしょうね。

なんと言うか、明るく綺麗な声の中に男心を掴むようなものが有りました。


しかし、付き合うと、寝てても電話があって車で家の横に付けてるから、とか有りました。


気まぐれに、店が終わって会いたくなったら来てました。

Mは、ほとんど飲まなかったから車を運転してました。

飲まない時は全く飲んで無かったし、体質的にお酒に弱かったのだと思います。


お客の層もM位の美人なら若い人が多そうでしたが、Mが全く宣伝する気がなかったせいか意外に知る人ぞ知るって感じで、年齢層高かったです。

それに、会計もかなり本人の気分次第でした。

高く取る人からは高く取って、僕なんかは付き合い始めたら、さっきの人から沢山取ったから今日は良いよ、とか言われました。


僕の会社の若い連中も、僕が行くようになってから良く来るようになりましたね。


Mの同級生の僕の会社の社員は良く来てて、三人で楽しくしてましたよ。


会社の社員が五、六人で入った時など、一度か二度、看板消して鍵を締めた事が有りました。


他に入って来ても楽しくないじゃん、がMの主張でしたが、まだ早い時間でしたから僕らは大丈夫か、と言いながらもMの水商売的でない行動を喜んでましたね。

かなりの回数行きましたが、一度も店を任せてる義理のおばさんに会った事は有りませんでした。

それだけ、Mは売り上げはきちんと出してたのだと思います。


しかし、困ったのが五つ年上の既婚で子供も居る先輩が、たまに車で家まで送ってくれたんですよね。


当時は飲酒運転に厳しく無くて、けっこう皆飲んも遠いと車を使ってました。


送ってくれるのは良いけど、僕がMの事をポラロイドで撮ってるのはバレてて、それを見せろと言うんですよ。

その先輩社員は良い人でしたが、酔ってしまうとそういう所が多少有りました。

当時はケータイ持ってる人はまだ少ないし、写真機能なんてだいぶ後ですからね。


何故ポラロイドかと言うと、Mの下着姿やヌードを撮るためです。

今の方々知らないでしょうが、普通のカメラで撮ると現像に出すとそういうの現像してくれませんでした。


特殊なカメラ屋とかならしてくれただろうけど、地方の街にそういうの無かったからね。

Mは服もお洒落でしたが、下着も非常に気を使ってました。

まだ、ガーターベルトが珍しい頃に外国製の付けてましたからね。


Mは自分自身に自信があったから撮らせてくれましたが、それを人に見せるのはルール違反ですからね。


顔の写真だけなら良いよと言われてたから、会社で見せた事が有ります。


先輩は、Mのヌードか下着姿が見たいんですよね。

酔ってるからしつこくて、車をロックして降ろしてくれなく参りましたね。

とにかく、断り続けるしか無かったですよ。


次の日には、そんなにしつこかったと言うから、笑いながら勘弁してよ、でしたね。


二十代から三十代前半の社員が良く店に行くようになりましたし、僕を探すのに来たりもしました。

大抵、他の店で見つからないなら居たからね。

二人で、主に映画の話しや馬鹿話ししました。


一度、当時は地元の現場でしたから差し入れに行くと言い出したけど、作業員も居ますから勘弁してと断りましたが、一人でジュースを大量に持って来ましたよ。


昼の休憩中で、皆居ても本人全く動じずです。

颯爽としてる感じさえ有りましたね。


普通は、トンネルの現場の荒くれが揃ってる所に若い女性が一人で来るのは嫌がりますが、Mは度胸有りましたし見られてる事に対しても、気にしてないどころか自信持ってましたよ。


ジーンズにTシャツのラフな格好でしたし、水商売的な匂いは無いんですが美人でしたから後から大変ですよ。

元請けからもあんなの何処で見つけたのかとか、作業員からもからかわれるからね。

一人の仲の良い中年の作業員が、度胸有るけど結婚するタイプではないぞ、といって来たのを覚えてます。

Mから出るオーラに、いい女だけど母性的ではないぞ、ってのが分かったんだと思います。


飲み屋の女の子が他にも何度か来たこと有るけど、若いのに一人で来たのはMだけでした。


帰りに車に送りに行くと、いたずらっ子のような顔で、またねと笑ってました。


そういうサプライズ的な事が好きでしたね。

Mには全てが揃ってましたが、何度か家まで送ったのですが意外に古い家で、家庭環境は複雑だと言ってました。

それと、男性経験は誰でもするのでは無かったけど、喜ばせる術を知ってました。


所謂ヤリマンとは違って、男がどうしたら気持ち良いかは良く知ってました。


ある時、店で二人でした。


外は、雨で平日でしたから僕の他にお客は居なくて、何時ものように楽しく話してました。

Mが、まだ早い時間なのに鍵を締めて看板の電気も消しました。


今日は楽しいから他のお客に邪魔されたくない、と言い出してカウンターから出て横に座りました。


自分で水割りを作ると、少しずつ飲みながら話しました。


Mは、多分計算してたと思いますが、僕は幼く分かりませんでしたね。


Mが、身体を軽く寄せる度に髪の匂いや香水の匂いがしましたし、豊満な胸も軽く当たりました。

Mは、今日はガーターだよと言いました。


僕が、Mのガーターベルト姿を好きなの知ってて言ったんですね。


僕の中で何かが弾けました。


気付くとキスをして胸を揉んで、スカートの中に手を入れてました。


Mの方は、もう準備が出来てる状態でした。

僕は、カウンターにMの上半身を寝かせると、下着の間から挿入しました。


まさか店でそういう事になるとは思ってなくて、興奮してましたね。


何とかMを楽な格好にしようとするけど興奮がそれを上回ってて、グラスが落ちたりしました。

Mはキスをしながら、僕を宥(なだ)めるように自分からゆっくり後ろを向きました。


カウンターに手をついて、立ったままで後ろから挿入しました。

Mも興奮してたのか声が大きく出たけど、二人ともお構い無しでした。

カウンターも古い為に、ギシギシ音を立てました。

後ろから激しく突くと、あっという間に中で射精してしまいました。


今日は大丈夫な日だから、とMは言うとまたキスをしてきて僕の物に手を当てて、最初はゆっくり動かし始めました。


Mの手の動きは繊細で大胆でした。

少し経つと、また僕の物は復活してました。


後ろをまた向かせると、今度は下着を半分下ろしてMの形の良いお尻を見ながら、ゆっくり後ろからしました。


Mも今度はゆっくり楽しんでるようでした。


雨の音が。静かに今度は聞こえました。


中に出しても良いかと言うと頷いたから、今度は味わうように中で出しました。

しばらく二人ともぐったりしてたけど、軽くキスをしながら笑いました。

Mがむちゃくちゃだねと言うから、そりゃ俺じゃないだろう、と笑いました。

Mは、トイレに行くと綺麗にして来て、僕の方もおしぼりで綺麗に拭いてくれました。


そして、そのおしぼりをまた綺麗に丸めました。

鍵を開けて、店の看板の電気もつけました。

Mは笑いながら、次のお客には僕の物を拭いたおしぼりを出そう、と言いました。

子供がいたずらするような顔が、とても魅力的でしたね。

しばらく飲んでたら、かなり酔った中年の常連が来たのでそのおしぼり出しながら、僕の方に向かってウィンクしました。


まるで映画の外国人がやるように、です。

酔った中年の常連は、Mちゃん何時も可愛いねと言いながら、そのおしぼりで顔も拭いたから思わず笑いそうになりましたが、辛抱したのを覚えてます。

その日は平日の雨の日って事もあって、他に二人ほどお客が来ただけでした。


Mも僕もそれほど酔って無くて一緒に帰ろうとなったけど、店での余韻が続いててそのままラブホテルに行きました。

Mと、ラブホテルでも二回しました。


僕も若いから、四回したとしても次の日に何か残るとか無かったけど、その日は激しく交わったせいか次の日に心地好い疲労が残りましたね。


次の日も雨でしたが憂鬱な気分など無かったし、Mの事ばかり考えながら仕事をしたのを覚えてます。

若い頃は様々なシチュエーションでセックスしてますが、愛情がお互いあって一番刺激的だったのは、このシチュエーションかも知れないです。


その時の二人はお互い愛情持ってたし、後の友情にもそういうものが繋がってくるのかも知れないなと、今では思います。

時期が何時だったのかは覚えてないですが、もしかしたら今のような梅雨の時期だったのかも知れないなと、今では懐かしく思います。

Mが、何処かで幸せになってくれてたら良い、とそれだけを思います。


Mの事だから、歳を重ねてもいたずらっ子のような事をしてるのかも知れないなと思います。

残念ながらMのその時の匂いや感じはもう思い出せませんが、いたずらっ子のような顔と、カウンターのギシギシなる音は今でも思い出せます。

おわり

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管理人 無名居士
ichiro73@softbank.ne.jp

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