高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【323】
妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
無名作家高山のエッセイ「ガーターベルトの女」の
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【 随筆 】映画『スノーピアサー』雑感
高山の作品から
随筆「五百円玉の思い出と雑感」
2017/11/18
個人的に色々あってまあ、苦しい時期です。
父が入院してて意識は有るしボケてはないけど、色々な物に興味を無くすって事から母が、昔の家計簿を引っ張り出して父に読んで聞かせてます。
僕とは行く時間が違うし、僕も忙しくてなかなか前のようには行けてないです。
父は、こないだ母に僕と兄はどうしてるかと聞いて、兄にお金を送ってやらないといけないんだけど、それがお金が無くて困ってと急に言い出したらしいです。
そして泣いたらしいです。
母は、僕はこないだ来てるじゃないかと言うと、あーあいつはそういうのは大丈夫だったけど、兄にどうしてもお金をと言うんですね。
記憶の混濁でしょうね。それとお金を兄には、若い頃兄が離れて東京で暮らしてた頃に相当仕送りしたのを思い出したのではです。
僕はそういう点でこの仕事につく前から、父にお金をってほとんどないです。
皆無に近いと思います。
それと、父はもう兄を憎んでないんですよね。
会社を倒産させて未だに父を責めていた兄を、もう憎んでなくて期待した息子って事になってます。
兄ほど僕や妹に比べて、父にある意味寵愛されたのは居ないですからね。
その頃の兄に戻ってるんでしょうね。
まあ、それで兄の産まれた1966年の家計簿を見ると父は二十代前半ですが、坑夫です。
日当で暮らしてるけど、当時の大卒とほとんど年齢は近いのに圧倒的に父の給料良いですね。
母は今もですが、お金の出入りにに几帳面できちんと書いてて面白いです。
兄が産まれたとはいえ、若い新婚の夫婦の記録ですね。
母にこういうのをいつまで書いてたか聞くと、今でも書いてるけどここまできちんと書いてたのは、お前が高校に入る位かなです。
お金の出入りは今でもきちんと書いてるけど、当時の家計簿は日記でも有るんですね。
父が一人で映画に行ったとか、父の給料のお陰で暮らせて有難いとか書いてます。
しかし、日当で暮らしてるから休んだり多分ですが、請け負いで仕事をしてるから給料の多い時と少ない時の差が有りますね。
これについて不満を言うと、仕事柄仕方ないと言われたと書いてます。
微笑ましいと言うか色々思いますよ。
話しは変わるんですが、五百円玉です。
1982年に五百玉が登場したらしいです。
僕は高校生の時に途中から昼のお弁当代として毎日五百円を貰ってました。
1984年位からです。
当時はもう五百玉が主流になりつつあったけど、五百札も混じってたと思います。
僕の子供の頃は札でしたからね。
今で言うと倍の価値ではないだろうけど、七百円から八百円の価値ではと思います。
それで昼御飯を食べるかと言うと、煙草を一箱買ってしまうとパンを一つ買うのがやっとでしたね。
煙草が二百円で、ジュースが100円ですね。
昼のパンが百円ですが、ジュースを二本飲んでたから昼食は苦しかったです。
全て煙草が悪いんですよ。
それは分かってるけど、高校生になって吸い始めた煙草を辞めれなかったですね。
新聞をアルバイトでしてて、それが確か月に一万二千円から一万五千円でした。
これは娯楽費つまりパチンコに使われてて、何かするにも意外に周りに比べて現金を持ってなかったなと今では思いますが、特に不自由ではなかったです。
何か有れば、持ってる友達が奢ってましたからね。
高校に入ったばかりの頃に剣道部にしばらくして入ったんですが、剣道場の更に奥に空手部が有りました。
しかし、部員が問題を起こして部は一時的に休止で結局廃部でしたが、一年の何人かは少しの間居たようです。
僕は、一年の時など特に学校の勢力図とかまるで関係なく動いてたから、目障りだったのしょうね。
それと、途中から入部した剣道部のレベルが低すぎて、先輩たちも僕に勝てないってなります。
これは僕が強いので無くて部のレベルの問題ですが、名前は売れましたよ。
あの一年生、皆に勝ったらしいってね。
僕の剣道の腕は、その頃の高校生の中で上位だったと思うけど、その後個人戦に出るようになって中の上だな位です。
それがレベルが低い高校では、あの一年凄いぞです。
僕は逆にここの剣道部はなんだ?ですけどね。
そりゃ小学生から中学生までやってるから、自分自身どの程度か知ってますよ。
ある時、肩幅は広いけど背は僕くらい小柄な知らない同級生に、お前五百円貸してくれと言われます。
僕はえ!?です。何それ大変なのです。
しかし、知らない奴だしなあです。
すると俺は空手部なんだよと言うから、あー!これが世に言うカツアゲねです。
僕はそんなのないよと言って、俺は剣道部の何々と言うとそのまま去りました。
後から言われたのが、剣道部の何々と言うと大抵逃げるぞです。
剣道強い=喧嘩も強いでしょうが、喧嘩なんて普通に子供同士でしてた位でそれほどしてなかったですからね。
今思えば、当時の世界は情報が少ないから何かしら起こすと、おひれがついて話しは広がってました。
高校二年になって、街に大きな空手の道場が出来ます。
周りの不良や不良になりたいのは、どんどん入りましたね。
僕は、興味が無くて流派が何とか全く知りませんでしたが、もう不良が集まると蹴りとか突きですよ。
覚えたてのを試したいんですよね。
見ててバカじゃないのですが、そういう年頃ですよ。
実際に空手を覚えたばかりの友達と何かで言い争ってしまい、自転車で帰ってたら後ろから思い切り殴られた事が有ります。
相手も自転車です。僕は自転車から落ちて痛いとかより腹が立って、家まで乗り込んで出て来いとなって、そこの両親に止められましたね。
まあ、そういう小さなトラブルは沢山あったようです。
そういう中で一番笑えたと言うか思い出深いのが、ある友達が蹴りを出すから僕に十円玉か出来たら少しでも大きい五百玉を投げてくれと言いました。
そいつが、良いと言ったら高く投げるんですよ。
それを蹴れるかです。
これはやってみると、最初全然タイミング合わなくてダメでした。
そいつは、180センチ程既にあって不良の中でも一目置かれてましたが、頭が悪くて不良のボスからはあいつは馬鹿だから駄目だと言われてました。
僕は、当時は165センチ程で小柄でしたが不良のボスから、色々あって度胸も有るし頭の回転が良いからと何かにつけて相談をされるような立場になってました。
もう二年生になってましたね。
その蹴りの練習に、その長身の馬鹿に良く付き合わされました。
他の人間にやってもらえと言うと、タイミングとかが僕が一番合うからと頼まれましたよ。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、付き合える時は付き合ってましたね。
この頃なんて馬鹿馬鹿しいことだらけですが、皆何かしら純粋でしたよ。
やってるうちに僕が投げると、かなりの確率で蹴りが当たるようになりました。
時にはとんでもない方向に五百玉が飛んで、皆で探したりしましたね。
有る夏の昼休みにやってたら、見事にヒットしたのは良いんですがキャーって聞こえて来て、え!?ですよ。
見ると階段を上がった広い踊り場でやってたんですが、廊下を通ってた下級生の女の子の顔に五百玉が当たったんですよ。
女の子はうずくまってるしで慌てましたね。
何より慌てたのがその長身の馬鹿です。
女の子は下級生でも可愛いので有名でした。
そしてその長身の馬鹿は、何とか付き合おうと必死でしたね。
他にもライバルが沢山居ると言われてましたね。
ヤバイとなって、集まってた連中皆でその女の子に大丈夫かと行きました。
そしたらおでこに当たったようで、少し赤くなってました。
それでも女の子の顔なので、誰かが冷やせとなって冷やしました。
僕は、それを見てそのくらいなら大丈夫だなと思って、自分自身の五百玉を探しましたよ。
女の子は、その後特に問題なく大丈夫でした。
長身の馬鹿は、三年に上がれず高校を辞めます。
そうして二十代の頃に、何度か飲み屋街で長身の馬鹿には会いましたが、馬鹿ぶりに磨きがかかってて余り相手にしませんでしたね。
三十代の頃に、街に用事で行っててスーパーの駐車場で落ち着いた綺麗な女性に声を掛けられて、誰だっけとなりました。
当時は、僕はほとんどサングラスしてたから外しながら良く見るけど、思い出せないんですよね。
同級生のようにも見えるけど分からないです。
そしたら女性が、学校の名前と五百玉の事を言いました。
僕は、あー!!っと思わず笑いましたね。
女性は、結婚して子供は居ないけど落ち着いてると言いました。
高校の時より綺麗になってましたよ。
二十代の頃も何度か街で見かけたけど、怖いってイメージがあったから声を掛けなかったと言われて、え!?ですよ。
多分、その頃会ってたら口説いただろうなと、思わず笑いましたね。
女性からは、それに五百玉の時に皆優しかったのに、僕は自分の五百円を見つけると何処かに行ったから、冷たい人だなと思ったと言われました。
それは冷たいんじゃなくて、あれだけの人間が介護してたしそこにわざわざ俺が入れないよと返しました。
確かにそうだったと思います。心配したけどある程度見て大丈夫だと思ったのと、周りの連中がその子の気をひこうとして必死だったが見えて、その場から逃げたんですね。
そういう行動が恥ずかしく思えたんですよ。
そこまで久しぶりに会った女性には言わずに、元気で何よりだなあとだけ言って車に戻りました。
ほとんど雑談もしなかったですね。
そこには、年月によって出来た溝が有るように感じたからです。
車を出しながらその女性に手を振りました。
馬鹿の長身が今何をしてるのかも知らないし、その女性がその後どうなったのかも知りません。
その女性に会った時は、思い出し笑いをしましたね。
皆馬鹿でしたが、何かしら純粋で何かしらの物を将来掴めると信じてたと思います。
人の事を馬鹿と呼びましたが、自分自身もその馬鹿の一人でしたよ。
そして、四十代後半になってもまだまだ、生きることに必死で夢を諦められずに居るとは思わなかったです。
あの頃と変わらないのは、未だに煙草が好きだしローリングストーンズが好きだし、創作が好きです。
後は全て変わったかもと思いますよ。
あの頃は、良き時代ですね。
そう思いますよ。
おわり
高山の作品紹介
次回は随筆「弱い者は生きにくい時代 雑感」
「ガーターベルトの女」~映画化のために
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「ガーターベルトの女 外伝」(フィクション編) 1
「新・ガーターベルトの女 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
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