「織田作之助賞」受賞作家の小林長太郎と彼が残したブログ「負荷」と記事を忘れない為に〜#39

ブログ「負荷」には およそ2年半のあいだに1842本もの記事がアップロードされています
ブログにアクセス出来なくなったので
読むことがで出来るのは「負荷」読者の手によって残されたわずかな記事と
私が記録した未コメントの記事のタイトルだけ
このマガジンはそれらに出来るだけコメントしようという試みです
【参考】
第2回 小林長太郎まつり
https://manyo1000.blog.fc2.com/blog-category-7.html
BUNGAKU@モダン日本
https://nonajun.hatenablog.com

2005年03月26日
人間嫌い

短い記事…作品なので
説明するよりコピペして
すぐ読めるようにしておこうか…
そうすれば興味ある人は読むだろうし
無ければスルーすればいい
私は説明が苦手だし
そもそも…コバチョウ氏の作品は馴染めない
行きがかり上…コメントしてるに過ぎない
しかし…この先自分がどうなるか
例えば作品は置いても
コバチョウ氏を好きになるか
興味を覚えるかもしれぬ
この…人間嫌い…というタイトルには共感する
その内容は置いても…だが
やはり小難しい言葉の言い回しが
多用されて鼻につくが
ラストの一文には賛同できる
「そうした判断保留のまま、一つ、二つと読んで欲しい。」
そうするつもりだし
そうしている

人間嫌い

よくよく考えてみれば、私は人間嫌いだ。

なかなか信じてもらえないが、人と会うことが億劫で、友人は少ない。そんな私が一体誰に話しかけているのか、さらに考えた。

 やはり答えは遠い微かな希望のようなものだ。

 小生意気で青臭い文学少年、おませでお気楽な文学少女、そんな奴らに読まれたくはない。脳みその疲れたサラリーマン、童話作家を夢見る主婦、高尚な公務員、世間知らずの教員も違うな。暇な女子大生、老作家、夢破れたベテラン編集者でもない。作家の卵、若手作家とも違う。

 塹壕に独り取り残された兵士、たこ部屋の糞便回収人、昨日両手両足を切り落とされたばかりの平凡なOL、あるいは毎日教室で強制オナニーをさせられ便器を舐めさせられている中学生、そんな人達が私の小説を読んで、また読もうとしてくれたら嬉しい。

 私は馬鹿なくせに頭がいいと思っている人が嫌いだ。傲慢さ、甘えを許せないことがある。綾小路きみまろの笑いが大衆性に徹底的に拘ったものであること、それはそれで悪いことではないのではないかと思う。だが、やはり駄目な人は駄目なのだ。単に被害者だから良いというのではないが、大抵の駄目な人は、徹底的にやられたときにだけは謙虚になるかも知れないと思うのだ。

 なんだこれ?

 そうした判断保留のまま、一つ、二つと読んで欲しい。

2005年03月25日
ノタリコン8

赤髭王には気をつけて・さよならスバル

サブタイトル的文章の詮索はしない
ただ目を通すだけを義務付けた
それにしてもノッケから難しい記述
それが妻のセリフとして書かれている

「『わたしはデカルトを許すことができない。かれはその全哲学の中で、できることなら神なしにすませたいと思ったのであろう。』」(『パンセ』パスカル著・由木康訳・1990年・白水社P.43)
考える葦…しか知らないよ
デカルトはデカンショ節の話しか知らない
デカルト カント ショペンハウエルを合わせて
短くしたのがデカンショ節だと…
なぜ妻がこのセリフを言ったかも
前の記事を目を通しただけだから分からない
サブタイトル的な文章のスバルは
二人の息子だとは分かる
先に目を通すと…妻は
二人は永遠に他人だと言い始める
その理屈に様々な文献から引用する

彼女は話を続けた。それはアウグスティヌスの『聖なる処女性について』という本からの引用だった。そして 『寡婦の善について』『結婚と欲情』『不品行者の結婚』から立て続けに引用をした。そしてマックス・ピカートの『ゆるぎなき結婚』、ウイルヘルム・ライヒの『オルガズムの機能』を引用し、ぼくを責め続けた。妻の引用は続いた。アリストテレスの『ニコマコス倫理学』『天界論』『生成消滅論』を引用した。それは殆どトマス・アクィナスの注解に基づいていた。しかし新刊なのに紀伊国屋で一冊十五万円で売られていたトマス・アクィナスの『神学大全』の第三部の引用を始めたかと思うと突然口をつぐんだ。

私が嫌いな展開だ
書き手には手もとに無数の文献があるだろう
その引用文や書名をソラで書けるなら尊敬しよう
何の知識もない読み手に
そんな文章をひけらかされても…?
適当な言葉に変換されないのは使い方が違う?

日本語活用形辞書 辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書
ひけらかされる
サ行五段活用の動詞「ひけらかす」の未然形である「ひけらかさ」に、受身・尊敬・自発・可能の助動詞「れる」が付いた形。

漢字が無いだけで…ひらがなで使えばいいのだ
はいはい…私はまったく学が無いのです
それを承知で遊びのつもりで付き合っています
知らないことを知った…と前向きに受け止め
感謝感謝の涙を雨あられと流しましょう

そして「ぼく」は晩ごはんを食べ
妻のセリフを考える
ぼくは泣いてしまう
妻は台所を片付けて寝てしまう
塾から帰った息子…スバルと父の会話
それが長々と続く
114411111111…この数字は
いちおう…と打って変換するときに間違って
触って出た数字…いちおう…と読めるのか?
出てくるからには意味があると思うのだが
これまで何度も誤変換があっても
気にはなるけど見過ごしてきた
もしかして暗号?
いちおう…とまた打ってみた
同じ数字が出てくる
必ず数字が出てくるとは限らないようだ
あんごう…と打ったが数字はない
も少し続けてみるか
どうせ記事の方は意味不明だから
いみふめい…と打ったら
1177666777711…と出た
面白いと言えば面白いが
何か規則的なものがあるのか?
何やら暗号解読の…その道の学問研究が有るとか…
今日はこのくらいにしておこう
午後4時前…雨は上がってるし
そろそろ散歩の時間
じゃあ…また

2005年03月23日
ノタリコン7

ドナトゥス派のブリック・ゲーム・ゲルマンの影

サブタイトル的な難解な言葉が先ず記されている
前回気がついたのだが
考えても無駄だとスルーしていたが
一応書いておこうと思った
私はけっこうアラサガシやフカボリが好きだが
私以上に謎解きの好きな方がいらっしゃるだろうし
作者のコバチョウ氏のマニアなら
尚更難解な謎解きに意欲を感じているかもしれぬ
と言うことで冒頭に紹介した
ちなみに前回は…確認したらこんな感じだった

浅猿しきメモリア・デッド・シー・ロールズ (こうやって繋ぐと、なかぐろが、つまり・がどんな切れ目を意味しているのかが分からなくなるよねえ)

まったく私には意味不明
書き手には…作者は神の手をものにしているから
すべて自明の文章なのだろう
理解することを放棄したので
拷問的苦行が若干愉しくなってきた
茶化したり揶揄したりして遊べるからだ
以前…このブログに変わるまでの
カフカについての記事もそうやって愉しんでいた
このBrain in a Blogになってから
負荷の時の短編やエッセイ的な作品と違って
かなり長い…しかも連載的作品になったことで
私が少し戸惑ってしまった
いわゆる作家の本拠に入り込んだ気がして
身構えて固くなってしまったようだ
まだ今回の記事は読んでいない
読んだところで…その展開は理不尽しかないだろうし
到底理解できないことも分かっている
私には全く無縁な世界
大江健三郎の作品もはじめは難解な意味不明だった
読まなくちゃという強迫観念からか
何度か手にしたことはありる
初期の作品など読んだが…いま何も覚えていない
読まなかったことと同じだ
水死…だったか…これは珍しく読み切った
それだけでも私にはすごい進歩だと思った
やっと彼に近づけた気がした
だからコバチョウ…もう小林長太郎とは書かない
彼の作品もいつか分かるときが来るかもしれぬ
訳の分からぬ人の作品で遊ぶ
それで行こう…このあと記事を読むかもしれぬし
ザーッと目を通すだけで終わるかもしれぬ
いやいや…このまま終わる可能性が高い
何やら書いたことで…日課済ませたし
日課なんだなあ

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