再開「mixi日記」~1万字にチャレンジ2020年2月28日=3983文字

言い訳?
さとちゃんちのコメントだけでこの数字 Muragonブログのコメントないし

さとちゃんちのコメントまとめ

里恋詩くて1/20・愛宕の餅!!
2008/01/20 里恋日記

一郎
・・・★愛宕の餅で
・・・餅を焼いて
・・・干し柿巻いて

京都には愛宕山が西にそびえている
東に比叡山
南は大阪に開けている
その愛宕さんではないと思うけど
お餅に干し柿をまいて食べるとは
前にも読んだことがあるが
私的には驚きの食べ方
干し柿だけでも私は大好き
餅も好きだがその相性は食べてみないと分からない
さとちゃんがおいしいと勧めても
こればかりは自分で確認しないとね
餅でチーズを巻いて食べると私が言うと
みんな初耳という感じで驚く
私も初めて食べた時
あまりのおいしさに私も感動した
チーズを食べる習慣もない家の子だったが
チーズがおいしいと思ったのも餅と食べた時
それまでは砂糖醤油で食べるのが普通
餅よいえば雑煮だが
一番思い出す雑煮と言えば
もちろん京都の白みその雑煮との遭遇も
未知の遭遇だったが
私が生まれたところ
父の母方の郷里の島原半島の神代に行った時
頂いたお雑煮がおいしかった
福岡の雑煮は賑やかに具材がたくさん入っているが
神代の雑煮はすましで高野と人参とお餅だけ
だしがおいしかったんだね
神代で生まれたと言っても
物心つく前だと思うから
何も覚えていないはずなのに
神代の雑煮がうまいと思ったのは
味が記憶に残っていたのだろうか
まさかとは思うが
結果的にそうなった
京都の雑煮も私には最適な組み合わせだと思う
2020/02/28

里恋風景68・畑は社交場
2008/01/20 観想詩2源風景の森

一郎
ヤーコンって聞いたことない
調べてみるとwikiでは
「ナシのような食感と甘みがあり」
これで大体わかった
サラダにするのもうなずける
見た目はいもだけどね
ナシの食感と言うことだから
果物の話に飛ぶが
今よく食べているのはリンゴ
リンゴはほとんど食べていなかった
柿やハッサクやイチゴやブドウ
リンゴは何故か敬遠していた
それが昨年暮れだったか今年になってからか
そうだ 頂き物のリンゴを食べたんだ
それがおいしかった
それからリンゴしか食べなくなった
いまも食べ終わったところ
ずっとリンゴでいい
なぜ今まで食べなかったのだろう
それが自分でもよくわからない
自分のことだけど自分にも割らない事ある
そんなもんだね
自分のことだからすべてわかっているわけじゃない
むしろわからないことが多いかもね
この年になってリンゴのおいしさが分かった
こういうことがあると面白いね
これからもあると言い
自分でも思いがけない自分の発見

2020/02/28

さと川柳1-7
2008/01/19 2008さと川柳

一郎
★さと川柳1-7

 ○知らぬままリスクを背負うことになり

のんびり屋
その性格が
首絞める

 ○雪よりも真白いせんぎり大根や

比叡山
二月半ばに
雪化粧

 ○アングルはそのひととなり写しとる

写真には
撮る人となり
写してる

 ○なあがんよおまえもいのち惜しかろう

なあお前
そんな死に方
するのかな

 ○若いから肩に力がはいります   

肩こりを
知らずに老いた
ありがたい
2020/02/28

デタラ芽農日記152・消し炭と灰と
2008/01/19 デタラ芽農日記

一郎
たきびが好きな人たちがいる
私も好きだが
火の前で炎を見ているだけで退屈しない
温かいこともあるが
炎の揺らぎは
何かしら心をいやす効果がある用の燃える
何もせず火にあたる時間の余裕が
そんな気持ちにさせるのか
BGMじゃないが
暖炉で火が燃えるだけのビデオがあるようだし
たきぎ効果は無視できないものがある
今うちは暖房切って過ごしている
外に出る格好で家の中にいる
別にそれで過ごせている
しかし温かさが部屋を包んでいないので
気分的には寒いことになる
体は暖かいけど
懐も寒い
心は暖かくs利たいものだが

2020/02/28

『根の花恋詩1』16・森の薬草
2008/01/19 2008里恋詩

コメント
一郎
薬草に詳しい人がいる
それだけで尊敬する
農村や山で暮らし
その土地でしっかり生きてきた人
徳山村で民宿をして
村の写真を撮り続けた増山たづ子さんもその一人だった
写真集で増山さんを知った
その根っこには戦争でまだ帰らない夫を待つ心がある
一時マスコミに取り上げられTVにもよく出ていたようだ
彼女の一人が足り之芝居を作りたいと思った
企画はあるがそれをどうすれば実現できるか
何もわからなかった
今も一つの企画があるが
こんな作品があると発信してはいるが
誰の目にも止まらない
何か方法はあると思うが
もう取り組む元気も金もない
出来ることは発信し続けること
そうやってあきらめた企画夢はいっぱいある
思い通りにはいかないものだが
私自身が注目されれば別だが
その際もない
今までは気が付かない方が悪いと息巻いていたが
才能が無ければどうしようもない
まあ夢見がちな男というだけの事
勉強嫌いだから仕方がないね
ひとり遊びで満足していよう
2020/02/28

里恋詩くて1/19・寒ぼたんの石光寺と鳥さん
2008/01/19 里恋日記

一郎

かすがい

読めなかった
そもそもどんな字だか
目を細めて見ても分からなかった
メガネが合っていない
でも買い替えるのもなんだかなあという気になってる
小さな字は読めなくても
眼鏡をはずせば逆によく見える
近眼だから
「子はかすがい」
子がいないかr
分からないが
同居人はずっといて
昨年看取ったから
そういう意味で二人の関係のことは分かる
子はいなくてもかすがいはある
最後まで彼女を看取ることが出来たことが嬉しい
それが私にできるたった一つの責任の取り方
それまで無責任に生きてきたから
彼女からは逃げてはいけないと思った
親の死に目にも帰らず
親が新でも悲しくないが
彼女のことを少しでも思い出すと
もうだめだ
涙がにじんでくる
必ず別れは来ると分かっていても
やはり別れはつらいものだ
第9の歓喜の歌で送るよ 喜んであげる
人生の卒業だから
そう言っていたが
思い出すとたまらなく悲しい
何が悲しいんだろう
本当に心から彼女に心に寄り添っていたかというと
彼女は寂しい思い思いをしていたことだろう
最後の最後に寄り添えていたか
その悔いがある
それが悲しい
2020/02/28

『根の花恋詩1』15・貪欲に
2008/01/18 2008里恋詩

一郎
本懐とげるのよ

さとちゃんにとって
本懐とは何だったろうね
そもそも本懐とは
「本来の願い。本望(ほんもう)。本意。」
夢と言ってもいいのかな
叶わないのが夢ともいえる
本懐は成し遂げるものだろうから
夢とは違うのかもしれない
いずれにしても私は
本懐そのものを棄てた生き方を選んだ
そんな私に何が出来る
夢を見るだけ
そして叶わぬ夢を
妄想で叶えている
妄想が救いとなっている
妄想力に救われている
妄想すらできなくなったら
どんなに味気ないか
妄想は自由だ
どんな自分にもなれる
どんなことも可能になる
どんな夢も叶えられる
妄想に生きることは
むなしい事かもしれないが
妄想が一抹の生きる術になっているとしたら
でも最近そういえば
妄想することもしなくなった
さすがに妄想する自分に呆れたか
いや妄想する暇がないと言いたい
日々やることに追われている
それは自己満足の世界であっても
何r社会的に評価されることのないことでも
やることやりたいことがありそれに追われている
それでいいのでは
妄想する暇もないというのが
妄想することしかなかったら
それこそわびしくないか
そういえば妄想することを忘れていた
それはいいことじゃないか

2020/02/28

里恋詩くて1/18・おから
2008/01/18 里恋日記

一郎
■今日はどんな一日でしたか?

まだ半日が過ぎたところ
山はうっすら雪化粧していたようです
朝の散歩ででたくさんの雨粒の画像が撮れました
雨粒 水滴が美しい
なんだろう あのマルサがいいのd廊下
ハッパの上で丸まって
揺れれば落ちそうな水滴雨粒
日が昇れば蒸発して亡くなる
風に揺られ落ちる
水にぬれているだけでは美しくない
出来るだけ丸い粒を探す
小さい透明の粒々
いっぱい撮った
もう飽きるほど獲った
少し飽きてきたかもしれない
また明日も水滴を探すだろう
水滴の次は何だろう
鳥だけを撮り続けている人もいる
私の関心は移ろい続けている
これからどうなるだろう
自分でもわからない
分からないが
何かを撮り続けているだろうか
以前は撮るのも撮られるのも嫌いだったのに
またほかのことに関心が移るかもしれない
残り少ない日々を
少しでも楽しんでいたい
心を弾ませていたい

2020/02/28

『根の花恋詩1』14・鏡
2008/01/17 2008里恋詩

一郎
   ★鏡

家には鏡が
目に付くところでは二つ
他にもいくつかあるはずだが
出来るだけ見ないようにしている
ひげをそる時は仕方ないけど
自分の顔が嫌いというわけではないけど
自分の姿を見たくない
これが普通に痩せた体形ならどうだろう
体形とは関係ない気がする
ということは自分を見るのが
それが鏡でも自分自身の今のありよう
それが板だということか
昔からそうだった
自意識過剰になると
自分を見たくも無くなるのか
わざわざ水に映った自分の顔を見つめ
自己陶酔するようなことは考えられない
体形で言えば身長がもう少し高ければ
あるいは人生が変わっていたかもしれないと
思うことがある
もっと積極的になれたという意味で
劣等感の一つになっている
いやいや 身長が高ければなんて言ってるようでは
もし高かったとしても
おそらくはやはり今と同じだっただろう
人の意見を気にしないくらいの自信家だったら
強引さがあったらなどと思うこともある
いやいや それとて言い訳になる
自分らしさの結果が今の自分
自分らしくしか生きられないのだから
なるべくして今の自分になった
自分らしさに自信と誇りを持てばいい
自分にもいいところがあるんだと
自分で自分を慰める
自分が一番の味方
そんな自分がいるだけまだましか
自分にさえ裏切られたら
生きていく勇気も無くなっただろう
とにもかくにも生きている
生きているだけで十分
そうも言える
人は人
自分は自分
胸を張って
生きていると言えばいい
ここにいると

2020/02/28

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藤川一郎
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