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『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【482】

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章そしてさとちゃんの紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するためにブログ『里恋詩くて・・・熊野・高野』の全記事(2935)にコメントをする

里恋詩しくて14・源風景の森・柱本⑤

里恋詩くて2010/03/1202:09

ムクロジの森で遊んだ子
今も瞼閉じれば浮かぶ
ムクロジの森で遊んだ子

ムクロジ…もう何度か目にした言葉
多分何回かはコメントしてるはず
だから今回はもう書く気力なし…
って事で…ブログ内検索して
コメントしていたらここにコピペしよう

2010年の年の始めですから
熊野学舎のからすとんぼや
講座や絵手紙の事などが
紹介してある内容になっていました
私が講座に参加したのも1月の新年会

1月基本講座・南天の天見の里を歩く1・・天見(あまみ)の里(河内長野市)・・・ | 里恋詩くて・・・熊野・高野
熊野学舎の主宰者・怒涛詩人さとちゃんを偲んで
satokoiuta71.blog.fc2.com
2006年1月でした
集合時間に遅れた私は
1人陽だまりの小さな駅舎で
皆さんの帰りを待っていました
出不精の私が南海高野線の天見まで
電車を乗り継いで出掛けて行くなんて
私自身が予想もしていなかった事
さとちゃんのあるブログへのコメント
それを読んだのがキッカケでした
普通ならそれで終わりです
さとちゃんのブログを見て
さとちゃんの詩や熊野学舎に興味を持ち
その結果の新年会参加
さとちゃんと同い年だったのも大きい
実際に講座に出席したのは数回
5年後の2011年11月…訃報の葉書
同い年の兄とも思っていた人が…
つまりは私が死んだも同じですから
こうやって彼が遺したブログに
今もコメントしてるなんて
ある意味…異常?
あと2年…続くことになります
終わったらどうする?
そんな事を考えないでもありません
考えたところで仕方無い
先ずは一日一日書くしか無い
先の事も書いてる意味も考えない
なるようになる…さとちゃんの口癖

熊野学舎の
校長は…一枚岩
副校長は…滝の拝

そんな発想のさとちゃん
好きだなあ
こんな記事を見つけました
一枚岩を確認するため検索したのです
さとちゃんとの出会いのいきさつも
書いていました
2024/01/30

この記事にもコメントしていました当然のように忘れていますが自分に出会えるって嬉しいものですこれにはさとちゃんの返事はありませんさとちゃんが無くなったあとの投稿そのコメントだけで十分これを添えたらおしまいにしましょうさとちゃんのこの記事はいいなあこんな記録を書き残せるってさとちゃんとその周りの全てが淡々と営まれる里の暮らしの時の流れの中で育まれたもの人も暮らしも自然優しさばかりじゃない厳しさも街育ちの私の耐え性の無さや手先の不器用さや甘え性など里で育っていたら…と想うがその里をさっさと出ていったろうな…とも想うさとちゃんのブログから離れられないのは逆にそんなところにあるのかも…以前の短いコメントを以下にコピペして終わります
2023/12/1214:19

みぞの神さん・・・
神様じゃなくて神さん
いいなあ神さん
さとちゃんの里の話
これもいいなあ

ムクロジュの古木やカヤの木
カヤの実を挽いたカヤの油
それで揚げた小川のごりさんの
天ぷらや味噌煮のこと
ほんとにおいしそう

山道の山ユリ
灌漑用の溝にそって
幾つもある祠
その溝の神さんに
毎晩灯明していたおばあちゃんとお母さん

そんな里や
おばあちゃんやお母さんが
さとちゃんのこころを育てたのですね
なんて素敵な文章でしょう
やさしい詩でしょう
2012/01/3014:03

もうすぐ9時
9時になったら動画観ながら寝ます
いつのまにか寝ています
早い時は0時前に一度目が覚めますね
儲かったと思います
まだまだゆっくり眠れるからです
次は2時か3時頃目が覚めます
まだ眠れますね
4時ごろ目が覚めると4時半すぎるまで布団かぶってるけど
起きる心の用意している
4時半すぎたら5時までに起きて写経の準備
半谷心経と法華経の写経済むのが6時過ぎぐらい
最近日の出が早くなったので6時半までには散歩に出かける
そんな感じで一日が始まる
まあ大したことはしていないけどね
けっこう動画見ているから作業の手が止まること多い
コメントもだからはかどらないこともある
9時回ったので外ソロ寝る準備しましょう
まあ無事に今日も終わりました
寝るのが愉しみ
これから幸せな時間です
動画も面白いの見てるし

2020/03/1321:05

■今日はどんな一日でしたか?
・・・「なかなか」「ぼちぼち」「さっぱり」三段階で・・どうぞ。

さとちゃんはぼちぼちということdした
さて私はどうだったかな
朝の散歩で西の空のお月さん見えたしいい出だし
そして冷え込んだの霜がおりてた
こんな日は水滴を撮るシャッターチャンス
日が昇って溶けかかった時に細かい水滴になる
その時がチャンス
見た目にはわからないのです
あまりに細かいので撮るときには確認できないのです
帰ってphotoで画像を開いてようやく確認できる
帰っている間に霜が解けた感じできれいな細かい水滴が撮れている
それがピッタリピントが合ってたらサイコー
きれいですよ
だから今日はなかなかいい日だったといえるかな
夕方の散歩のときはほんとにいい天気だったし
朝着ていく厚いコートを脱いで正解でした
ぽかぽか陽気で春が来た感じ
一つ思い通りに行ってないのはコメント
散歩に行くまで何も書けなかった
せめて5件は書きたかったんだけど
そして夜5件書いて明日noteにアップ
そういう段取りなんだけど思い通りにいかないもので
これ9時まで書いて今日の仕事は終わりにして
愉しいおねんねの時間にします

2020/03/1320:42

・・・★ムクロジの森(葛城神社・全国2位)

ずっと前にやはりこのブログ記事でムクロジの木を知った
その時も調べたと思うが
実が固いので羽根つきの羽根の先についてるのがそれだとか
それと記憶ではムクロとは人の死骸の骸
茎が白くなるところと頃からと覚えているが
他の木とごっちゃになったかもしれないが
羽根つきの羽根の頭との記憶はあっていたが
後半の骸というのはやはりほかの木だった
漢字は「無患子」
患う子がいないからという意味
縁起を担いだのでしょうか
白くなる木のことが気になりだしました
さて何だったでしょうね

気になったので以前書いた記憶のある自分のブログで検索してみました
すると出てきました
「以前むくろじゅの木について調べる機会があったとき
木の実はとても固いので追い羽根や数珠に使われていることを知りました
木の表面が白っぽいので私は死骸を連想し「骸樹」かと私は思ったのですが
無患樹とか無患子と書いてわずらいや病から身を守るお守りになるとか
数珠のはじまりもむくろじゅの実をつないで祈るようにというお釈迦様の教えからとか」
以前観た画像では「木の表面が白っぽい」印象を書いています
そこからの記憶だったようです
その記事は水居士増について書いたものでした
なつかしいメルマガの記事の一つを読み直す機会になりました

2008/12/28(日)
水子地蔵への美しいお供え
https://manyo1000.blog.fc2.com/blog-entry-5099.html
2020/03/0615:59

「無言まいり」の神社なのです。

「無言まいり」という習わし
言い方がいいですね
饒舌な自分が嫌いです
だから無口無言にあこがれます
さらに言えば「無」という言葉が好き
だからではないのですが
無名居士というアカウント使ってるし
無名魂というブログ作ってるし
できれば無縁仏になりたいし
前にも書きましたね
それにいても紅葉の美しさ
言葉もありません

2019/08/1816:04

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