再開「mixi日記」~1万字にチャレンジ2020年2月8日=5187文字

言い訳?
さとちゃんちのコメント書けるようになった Muragonにも書くようにね

Muragonのコメントまとめ

note~3本の記事更新のお知らせ


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無名居士 id:ichiro1947

2020/02/08 19:13
>lapu lapu-odaさん 新芽が出始めました 透き通るようにきれいです ありがとうございました

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2/8 朝の比叡山と空模様


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無名居士 id:ichiro1947

2020/02/08 15:06
>sm53さん 少しおひさまが顔を出しそうになったのですが 雲が熱くすぐ隠れてしまいました それでも橋の上の青い空はわずかですが見えました 帰るころは雲からお日様が顔を出したように見えましたが スマホでは撮りませんでした この数日寒い日が続いています いつもありがとうございます

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一人っ子で困ったこと


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シーガル id:umineko

2020/02/08 09:50
72歳の一人住まいの男ですが 姉二人の長男の末っ子として 少し思うことを書かせていただきます 戦後生まれの貧乏な家庭でしたから 一部屋に家族5人で寝ていました 中学生の頃は空になった押入れが私専用のベッド 若い人には考えられないでしょうが そんな時代がありました 一人部屋があるというのは 当時の私からすればうらやましい限りです 高校を卒業して働き始めましたが そのころ思ったことは自立心が大切だということ それはある意味女性にとっては 男性よりもさらに難しい事と思われました 私のことを言えば長男の末っ子ですから 貧乏ではありましたが甘えん坊で育ちました 感性的には女性的かもしれません 男らしさ男のたくましさはほとんどなく 頑固な面はありましたが 生活力などは自分でも情けないほどの甲斐性なしでした 計画性も無くなるようになるといった感じ やる気になればなんだってできるという自負傲慢さはありましたが いつになってもやる気にならないという有様 昔 モラトリアムという言葉がはやりました 72になってもモラトリアム そのうちそのうちって 先が向ないのに思ってる始末 どこまでも甘い人間なのですが 何とか生きてきました 両親から学んだことは信じ切るということ それが新の親子の愛情だということ それから親は親 子は子と父は言いました 親のためとか考えないで 自分のために生きろという意味に私はとらえました 実際20の時に家出した私に 両親は何も言いませんでした 何も祝えなかったから 逆に両親を困らせること 裏切ってはいけないと思いました 私には子はありませんが 子があれば父と同じように 親のことは考えなくてもいい 親は子に養ってもらうために生んだのではない 赤ちゃんの自分に沢山のしあわせをもらった この親孝行は赤ん坊の時に済んでいる 自分のしあわせのために行きなさい そう言ってあげたい 親は一人でも生きる覚悟を持つこと 一人で死んでいくのですから それは当たり前のこと 老後の生活介護などは 社会的な責任問題 そう考えられる親はどうでしょうか まだ少ないのでしょうか 家族にその責任を負わせるのは 家族制度で女性が縛られていた前近代的な時代の話 一人っ子であろうとそうでなかろうと 自分らしく生きることを大切にすればいいと思う そして何よりも自分が幸せになること それが親にとっても周りの人にとってもいいことだと 長々失礼しました 見当違いのことを書いたかもしれませんが お許しください

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奥日光   戦場ヶ原~庵滝の氷瀑


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2020/02/08 06:51
凍った滝が見せる様々な姿 圧巻でした 震えました 寒さも一緒に感じて

さとちゃんちへのコメントまとめ

「あなたの観想詩を詩います」11・もうちょっと

2007/12/17 2008里恋詩
コメント
一郎
・・・もうちょっと

もしかしたら死ぬかもしれないという病気を乗り越えて
生きていることのありがたさを
里巡りということで確認していった日々
里の暮らしのこと歴史のこと
自然のこと農のこと
語り続けてきたんだね
だからもうちょっともうちょっと
と願うんだね
やりたいことがいっぱいあったんだね
命の灯の消えるのを感じてたんだろうね
だからこそもうちょっとなのだろうね
病気した者でないと分からないかもしれないね
私も病気持ちだけどすぐにどうなるものではない病気だから
もうちょっとと思わない
もうちょっとと願った君は
やはり先に行ってしまった
早すぎるとは言わない
よく持ったねと言いたい
もうとっくになくなっていたのかもしれないそのいのち
よく持ったねと言いたい
よく頑張ったねと
お疲れ様
ゆっくりしているかな
きっとそこでもコピー機いじてるかな
ブログにからすとんぼの冊子
よくがんばったね
お疲れ様
2020/02/08


里恋詩くて12/16・つるし柿と乳母車

2007/12/16 里恋日記
一郎
・・・「その気」

その気になれば
自分は出来る
自分はやれる
そう思っていたが
その気にいつまでもならなかった
ということは
その気になってもやれないと分かってるから
その気にならなかったんだと思うよ
その気になれば
都合のいい自分へのいい訳
だからもう考えない
その気になる時を待つこともない
その気にはならないのだから
ことさらその気にならなくても
日々やりたいことをすればいい
そのから何かやりたいことも見えてくる
そのことさら探さなくてもいい
なるようになるのだから
なるようにしかならないのだから
生きてさえいればそれでいい
日々楽しめればそれでいい
2020/02/08


今週の観想詩・12/17(月)~12/23(日)

2007/12/16 観想詩1
コメント
一郎
  穏やかにお過ごしあれ。慌てることなかれ。

今の心境は
さとちゃんが書いたこの通りでありたいと思う
穏やかに過ごしている
若干の問題はあるが
これまで通りの生活ではやっていけないことを
痛感している
一人になるということはこういうこともあると
分かったからにはそれに合わせてやるしかない
出来るだろうしなければ
それさえクリアできればあとは問題ない
慌てず騒がず穏やかに毎日暮らしている
TVはストレスになるので押し入れゆき
静かなものd
やっとMuragonの作業も落ち着いて
ここに来る時間が出来た
コメントも5件は確実にできる
出来れば10件一日分書きたいが
集中するにはもう少し時間がかかるかも
以前はどうしてたか忘れてしまった
覚えているのはコメントだけで8千字書いたこと
おそらくもう書けないだろう数字だ
そんな時期もあった
いろんなことがあって今がある
これからもいろんなことがあるだろうが
なるようになる
あわてず騒がす急がず穏やかに過ごしていく
その結果が人生の卒業
この先自分がどうなるか楽しみにしておこう
2020/02/08


「あなたの観想詩を詩います」10・君は学ぶ道

2007/12/15 2008里恋詩
コメント
一郎
  オレより早く
  死ぬなという

同じ年の生まれ
君は1月
私は12月
同じ年の生まれといっても
およそ一年の差はあるのか
同じ年の生まれというだけで親近感を持つ
それだけに
君が死んだことを聞いてショックだった
君の死は自分の死と同じだから
同じ年の生まれだから
私が死んだも同然
もうそれから9年は経ったことになる
72になった
男70代は死に時
私はそう名付けた
いつ死んでもおかしくない
今日かもしれないし
明日かもしれない
いよいよ人生を卒業できると思えば
嬉しいよ 楽しいよ
若い時から様々 悩み続けたことが
すべて消えてなくなる
今の今を楽しむだけがすべての毎日
こんな日が待っているとは
君は先に行ってしまった
人生を卒業してしまった
おめでとう
このブログを残してくれた
君の足取りがここにある
それをたどっている
こんなことしなくてもいいのに
なぜかそうすることを選んでしまった
同じ由の生まれだから
ただそれだけなのに
君は私だから
君が私を意識したかどうかは知らない
それはどうでもいい
私にとって君の存在は無視できないものになっていた
君がいなくなってそう思った
いる間は何も思わなかった
居なくなったからこうして話にこれる
おかしなものだね
私がこれからどうなるか
見ててほしいよ
いい年してよくやるなあって
ここにこれないほどがんばってるよ
それじゃまた会う日まで

2020/02/08


「あなたの観想詩を詩います」9・一歩又一歩

2007/12/15 2008里恋詩
一郎
   調べるんだね

調べてないなあ
散歩のときにスマホで気になるものを撮っている
小さければ小さいほどいい
スマホでピントを何とか合わせて撮っている
うまくいったときはキターと感動する
それが何の花化はもう調べる元気がない
調べえばまた感動も確かに違うんだろうけど
名は知らなくても小さいものをうまく撮れたら
それで満足している
あえて調べない
知らないままでいい
そういうことにしている
でないとその日の作業が進まない
知らない花などに出会うと
以前は気になる性格で
ネット検索して調べたものだ
そんな昔があってい曲がる
知らなくてもいいという自分がいる
出会った時の その瞬間の感動だけで
十分だと
自分って割と完璧主義だったと思う
それが自分を苦しめることがあった
もうどうでもいい
そう開き直れたのは やはり年のせいかもしれない
年を取ることはそれまでのこだわりから解放してくれる
先がないからどうでもいいと
ある意味それは気楽自由になれる
年を取るのもいいものだと思わせてくれる
年を取ったらどうなるか
若い時は思ったものだ
若い時の悩み 主に性的な問題はどうなるか
70過ぎて 若い時の悩みこだわりが
どうでもよくなる 
悩みと言えば生活ができるか度かぐらいなもの
他の問題はもう何でもなくなる
日々愉しむだけ
知らないことは知ろうと思えば別だが
知らないままでいい
すべて心のおもむくままに
わが心に従えばいい
2020/02/080代は


「あなたの観想詩を詩います」13・癒されて

2007/12/17 2008里恋詩
コメント
一郎
   墓参り

墓参りには縁が無かった
父親がそんな人だった
それには父なりの理由があった
祖父は祖母と離婚し
世界不況の影響で自殺したという
父はすべてを棄てる覚悟で朝鮮に渡ったのだろう
敗戦後父が頼ったのは祖母のふるさと
島原半島神代
中学生の時 母と姉二人とで
初めて神代を訪ねた
初めてというのはおかしいかも
私はそこで生まれたから
そこでお墓参りをした
祖母のお墓
小柳家代々の墓なんだろう
父の遺言は
無名戦士の墓に入るということだった
そしてそれは実現した
父に会いたければ
東京青山の無名戦士の墓に行けば
そこに合葬されている
母は笹栗のお寺に永代供養してもらったとか
なぜ篠栗か そこには多分母方の祖母の墓がある
長男の嫁と祖母は暮らしていた
二回ほど夏休みに行った記憶がある
おばあちゃんから50円玉をもらったことを覚えている
まさか500円玉じゃなかったと思う
お墓には縁が無かった
私も墓にはこだわっていない
いい歌が流行ってくれた
墓の中には居ません
風になってという歌
父も母も
私の心の中にいる
いつも感謝している
私は
私の存在する忘れて欲しいくらいだから
それこそ風に乗って
遠い遠いところに行ってしまいたい
初めて火葬の後の人の骨を触った
姉さの骨
小さな骨壺に入っている
姉さんは田舎のお墓に入ることを希望していた
それは事情があってか出来なかった
私はそれでいいと思っている
私が生きている間は私と一緒にいる
私がいなくなったら
その時はなるようになる
それまでにおつt草木を考えよう
無責任だが
私はそれでいいと思っている
お墓にこだわらない

2020/02/08


「あなたの観想詩を詩います」12・待ってるよ

2007/12/17 2008里恋詩
コメント
一郎
   待ってるよ

私が帰るのを待っていたに違いない
帰って来いとは言わないけど
姉たちがわざわざわたしのところに来て
一度帰って来いと言われた
それを聞いても帰らなかった
帰る必要はないと思っていた
手紙を書いたりはがきを出したり
メルマガを送ったり
毎月数冊の本を送っていた
本を読むのが一番楽しいと聞いたから
大きな虫眼鏡で文庫本の小さな字を読んでいたという

姉がが高槻に居た時
同窓会で上京した母は姉の所によって帰った
そんな時母に会いに行く
その帰りの電車の中
無性に切なかった
会うのはいいがその後が嫌いだ
それもあるが
田舎には帰れない
帰らないと決めた
20の夏家出した私は
すべての縁を切ってきた
不義理もした無責任な人間だった
帰れない
帰らないと決めた
そんなこだわりがなんになる
もういいじゃないかという思いもある
でも自分を許せない
許してはいけない
それだって自分に都合のいい解釈
弱さの証明

合わなくとも帰らなくとも
母とは気持ちは通じているという確信があった
父もそうだった
何も言わず見守ってくれていた
それが両親
親のことは噛まなくていいと言い切った父
それに甘えた
元来甘えん坊
最後の最後まで甘えた
何も言わず
見守ってくれていた父と母
それに甘えた
甘えん坊の私らしいじゃないか
長男の末っ子
甲斐性なしの甘えん坊
これからも
私らしく
無責任に生きるよ
田舎には帰らず
誰に知られることもなく
人生を卒業するでしょう
自分らしく
野垂れ死にでもしてるだろう
2020/02/08

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藤川一郎
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