『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【263】2008/12/31~2008/12/26
さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章
そしてさとちゃんの
紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するために
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里恋詩くて大晦日2
2008/12/31 里恋日記
ぶろぐ詩まんだら・・・ブログから詩をいただきましたよ。
★藪という世界に咲いた藪椿
★わんわんも正月神さんみたいだね
★人生半ば半ばできてしまい
また例によってマネマネ作文?
○雪つもり綿帽子かな藪椿
○お正月八百万なる神想う
○ああ我は中途半端と諦める
綿帽子という言葉が思い出せなかった
調べて思い出したがそんな事は年取ったらザラにあるので苦にもしない
今はネットが日常で検索すればすぐに結果を得られる
昔は広辞苑なるものがあった
かなり分厚いものだ
同居人がそれを持っていた
私はそれを枕にしていた」」
辞書編さんの仕事を取り上げた映画があった
船を編む人だったか?
「舟を編む」だった
Google検索から引用すると…
2012年本屋大賞第1位に輝いた三浦しをんの同名ベストセラーを松田龍平主演で映画化した感動ドラマ。新しい辞書の編纂に取り組む新米編集者の青年が、個性豊かな編集部員たちと織り成す人間模様と、板前を目指す下宿先の孫娘との恋の行方をユーモラスかつハートウォーミングに綴る。共演は宮崎あおい、オダギリジョー。
公開日: 2013年4月13日 (日本)
監督: 石井 裕也
音楽: 渡邊 崇
受賞歴: 日本アカデミー賞 最優秀作品賞、 日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞、 もっと見る
予告編
https://youtu.be/0kwCc-1o1lc
興味ある世界だが本は読まなかったし
映画は観なかった
あらすじだけ見てそれで知った気になる
その程度だからすぐ忘れる
すぐ忘れるのは本を読んでいたとしても映画を観ていたとしても同じ
同じだから意味がない…となる
その手間が面倒…時間が惜しいとなる
だから…
「ああ我は中途半端と諦める」となる
書き換えようか…
「いい加減中途半端な人生だ」
それを悲観も嘆きもしない年になった
年とることの有り難さのひとつ
ある諦観にたどり着けば万事塞翁が馬
「生きているだけで意味がある」
救いの言葉ではないか
何はなくとも江戸むらさきなのである
??意味不明?
2022/02/13
里恋詩くて大晦日1
2008/12/31 里恋日記
ぶろぐ詩まんだら・・・ブログから詩をいただきましたよ。
★樹氷の花を咲かせて春を待つ
★ふるさとの川まんだらに癒される
★年の瀬を笑って渡るぼちぼちや
★野鳥と縁を綴る梅香る
★大晦日詩三昧で温まる
例のごとく上記の詩に習って私も書いてみます
○一日の為すべき事を成せば春
○ふるさとの家は汚れた川の上
○年の瀬も布団かぶって寝て過ごす
○甲高いヒヨドリの声羨まし
○温まる手段布団と毛布息
ここに何度か書いた気もするのですが
私が小4で福岡に引っ越すまで住んでいたのが長崎駅と浦上駅の間の線路沿いの小さな川の上だったのです
その川が真っ黒に見える泥の川でした
川から何メートル上にあったのかは忘れましたが川に土台の木が打ち込まれ
私たちの家族が住む一部屋と
長屋の様な広い一部屋がくっついていました
そこは日雇い労務者の部屋で真ん中の通路を挟んで仕切りも無いタコ部屋みたいなものです
父はその管理人的立場だったのでしょう
日雇い労働者の組合の仕事をしていました
労務者の部屋に行くことはあまりありませんでしたが
寝そべっている人がタバコの煙で見事な輪を作って見せてくれたのを覚えています
それから天井にタバコを包む銀紙でカップの様な形を作り
底にツバを付けて天井に投げると
上手く行けばピタッと張り付きます
そんなのがいくつかあったようです
私も真似してやってみたのですがダメでした
コツを掴むには年期がいるようです
私の記憶は幼稚園に入る頃からしかありません
恐らく人より遅いと思います
その頃の記憶では私は幼稚園に馴染めずに逃げて帰っていたのを覚えています
その隠れ処になったのが川に突き刺さっている柱の土台
そこで何する事なく時間をつぶしていたようです
結局幼稚園に通ったのか辞めたのかは覚えていません
姉二人の末っ子の長男だったので甘えん坊の人見知り…集団生活が嫌いだったのでしょう
その性格は今も変わりません
人の輪の中心にはなれず取り巻きが居場所みたいな…
それでいて指導者や人の上に立つ地位に憧れたり…現実と願望と格闘する日々に悩まされたりしました
場所的に市の管轄地域だったのかすぐ近くが多分下水処理場のようでした
当時は管理が甘く子どもの遊び場になっていました
敷地の奥に大きなプールみたいなのがあって水は雨水が溜まったくらい
柄の長い網でトンボのヤゴを取ったりして遊びました
そこに落ちた気もするのですが記憶はあいまい
下水処理場の横を通って多分北の方へ行くと大きな河に出て…そこにあるのが通称ポンプ小屋
かなり広い部屋にポンプの大きな管がいくつも並んでいました
管理人はおじいさんとおばあさん
そこも遊び場でした
川岸は岩場になっていて壊れた船の残がいもありました
岩場にはよく見るとフナムシと言うのでしょうか…そこそこ大きな虫が沢山うごめいていました
私は案外虫嫌いでそれはゾッとする光景でした
大きな河は浦上川のようです
どうやら私の家がある川との水の調整をしていたのがポンプ小屋だったのかもしれません
子供の頃の記憶を詳細に書き残せたら小説家にでもなれたかもしれませんが
ほとんど記憶が無いし…あったとしてもおぼろでは話になりません
小学生の頃もあまり覚えていません
またいつか無い記憶を絞り出して書くかもしれませんが
今日はこの辺で失礼します
2022/02/12
里恋詩くて12/30・メジロよくきおいでよ。
2008/12/30 里恋日記
水曜日12/31
目を閉じれば
大切なひとが
うかびますか
今日はもう
大晦日
コメント書いてる今は…2月11日
さとちゃんの記事は2011年11月まで
この記事は大晦日に書かれていますから
次の記事は2009年…この年も記事の投稿はびっしり
と言うことはコメントも1年掛かると言う事
2010年の前半も投稿は多くて後半は体調が悪くなったのかいつもの半分の件数になっているの
2011年になると更に投稿件数は少なくなる
さとちゃんの体調の変化が投稿件数で分かる
それを片目で見ながらのコメントになる
だから…「目を閉じれば」
浮かぶのはさとちゃんの事…
存命中は講座に参加した数回会っただけ
そんなに話した事はない
元来私は集団行動が嫌い
高校の修学旅行には行かなかった
行かないつもりで積立もして無かった
ナットのコメント記事でさとちゃんを知り
そのブログで怒涛連発の詩に興味を持って講座に参加する為に
行ったことの無い和歌山県境の南海高野線天見駅まで出掛けていった
出不精の当時の私にはあり得ないこと
それほどさとちゃんには何かの因縁を感じた
同じ年の生まれと言うことも作用していると思う
それがこのマガジンにつながっている
私は嫌が上にも書く事を考えさせられた
さとちゃんが亡くなってからすでに10年以上経っている
それが今なおこうして縁がつながっている
私が無理からにつないでいる縁ではあるが…
2009年分の記事へのコメントは1年以上掛かるだろう
2010年以降は記事数が少なくなるので1年ほどで最後の投稿記事にたどり着くかもしれない
あと2年はこの作業は続くだろう
一応はこの記事の目標を達成出来るだろうが
その後の事もふと考えた
終わらぬ先に考えても仕方が無いけど…終わらぬ事さえある
とにかく…一日一日書くしかない
大晦日の記事を読んで先々の事をつい考えてしまった
朝8時前…日がさしてきた
いい天気のようだ
2022/02/11
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