高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【433】

妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
無名作家高山のエッセイ「ガーターベルトの女」の映画化芝居化・・・
その他いろいろ作品化できれば
なんて途方もない夢を観ています

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📖 高山のエッセイ〜「告白 僕の病気の発症」

精神的病の発生からを書いてみたいと思いますが、今でも薬を使いながら仕事してる人間としては、これは一つの悪い例なのかもです。

先ずはっきり出て、仕事を休む事になったのが今から二十年程前です。


二十八歳の夏を過ぎた辺りです。


そこから休んだのが、約一年と二ヶ月程です。

これは、古い作業手帳が出てきて確認したら、こんなに休んでるんですよね。

自分自身では一年休んでないと思ってた。

三十代に入る前に仕事に復帰してる。


最初のはっきりした症状は、僕は当時は父の会社の職員でした。


会社はトンネル工事を主にする会社で、下請けですが良い時は年商十億円いってました。


小さい街で下請けでの年商十億円は大きいですよ。

潰れた時は、新聞の地方欄や地方の新聞に載りましたからね。


今僕が居る同じような会社が、良くて五億円から六億円ですからね。


まあそれはおいても、父の会社だったから休めたんですよ。


発生したのは新しいトンネルの現場に入りまして、そこで働いててです。

当時は、所長が居て工事長が居ました。

この仕事は、トンネルの距離は確か二百五十メートル程でしたね。

はっきり覚えてないけど、三百メートル行かない位です。

短いけどほとんどの材料費も、下請けのうちが持ちました。


当たれば大きいけど、失敗すると一億円程の損失が出ると言われました。


所長と更に工事長を置いて、その下に僕がついたんですね。


準備から入ってました。


元請けの所長がやたらに高山君頼むよと言ってたのは、息子の僕にしっかりして欲しかったんでしょうね。


息子だから分かってるだろうですが、当時の僕は一職員ですから社長の息子とか意識はなかったですよ。


それと所長とはずっと組んでたから良かったけど、工事長とは二度目で反りが合わなくてね。

所長が四十代の半ばで、工事長が五十代に入るか位でした。


段々作業員も集まって、民家を借りて宿舎にしてました。


僕は、気づかない間に段々体調落としてました。


その前にはあちこち行ってましたし、海外の経験もあったから特にこの仕事が特別とか思わなかったけど、精神的に少しずつやられてましたね。

先ず、車で通えない距離では無かったから、片道一時間弱で通い始めました。


普通なら泊まり込むんですが、精神的参って来てたんだと後から思います。


泊まり込むってなると民家ですし、人との距離が色んな意味で近くなりすぎます。


精神的やられてなかったら、そんなのも前にはあったから気にしなかったでしょうね。


はっきり自覚症状が出始めまたのは、朝の朝礼です。


朝に作業員の前で、作業内容と安全確認するんですけど、それが僕の役目でした。

それが非常に苦痛になり始めました。


緊張するんですよ。手足が震え出してね。


これを最初はおかしいなあです。

過去にはうちの作業員だけで無く、工事に携わる百人以上の前で壇上に上がってそれをやってましたからね。


あれなんでだろう?です。


段々と朝の朝礼になるとトイレに行くとか言って、逃げるようになりました。

他の人にやってもらうようにね。


逃げれない時は、何とか冷や汗かきながらやってたと思います。


それと、やたらに鼻血が出るようになってね。


朝起きて顔を洗うと鼻血がとか、作業してて鼻をこすると鼻血が、です。


最初は、これは鼻の何かをやられたなで病院に行ったけど、特に何もないんですよね。


なるべく鼻を触らないようにしましたね。


それと車に乗ってて髪を触ったら、髪がかなりの数抜けて驚きました。


これを五円玉程のハゲが出来て、これを先輩に言うと自律神経やられたんじゃないかです。

先輩も経験があったようです。


自律神経って何よ?って感じでしたよ。


朝の朝礼の震えと鼻血と髪が抜けるって、既に精神に来てたんですよね。


だけど、根性が足らないんだと思ったし、こんなことで休んでたまるかでした。

何故かは、ほぼ同期の年下が短いトンネルの所長を同じ時期にやってて、若い三十代とか二十代の職員と飲みに行くと、次はお前だなと言われてましたからね。


それと、うちの兄が会社に入って数ヶ月でアルコール中毒鬱で会社休んでましたから、兄弟揃って休むなんて考えもしなかったし、兄の分は自分がしっかりしないとでした。

会社には、二十代から三十代の元気の良い職員も十人以上いたし、飲む席になると跡を取るなら長男の兄では嫌だと、兄が休む前から言われてました。


僕の方が仕事長くやってたし、皆最初はあちこちに飛ばされて苦労してましたし、僕もその一員でしたからね。


それと僕の方が働きましたし、作業員とも上手くやれました。


僕は跡取りの話しは避けましたが、皆このまま行けばいずれは僕が跡を取るだろうと思ってたようです。


僕にとっては跡を誰がとるとか余り興味が無くて、その日の仕事を必死にこなすでした。 

自分で言うのもなんですが働いてましたよ。


元請けとか業者さんとかの間では、社長の息子って分かるとなんでそこまで汚れて働くとも言われたけど、真面目でしたね。


自分自身は、作業員と一緒にやるのが好きだったんでしょうね。


機械も教えて貰って、伸びてる時期だから面白かったんだと思います。 


会社は上り調子でしたが、僕は社長の息子っておごりはなかったです。


働いて飲んで遊んでですね。


そういう時期でした。


だから急に体調が変化しても、気づかないふりをしてたんですよ。


そうしてたらある時、家で起きて着替えようとしたら非常にしんどくて、なんでだろうです。


しんどいのが続いてたんですが、その朝は特別しんどいんですよ。


起きても立てなくてね。


こりゃ何か体調壊したなです。


所長に電話して、風邪か何か分からないけど調子が悪いから休ませてです。


この日は動けなくてね。


食べるのもやっとで寝てたら、鼻血が出てるしで参ったなです。


次の日は更に動けないんですよ。


再び電話して、どうもおかしいから二三日休ませて下さいと言いました。

自分自身疲れが出たのかなでしたが、熱はないしおかしいなあです。


この休みの電話を入れてから、その日を境に闘病に入るんですが、自分自身ではまだ自分が何かの精神的病にかかってるとは思わなかったです。


おかしいなあってことが続きます。

おかしいなあってよりも、動けないんですね。


寝て食べて寝てです。


外に煙草を買いに行こうとして酷い恐怖に襲われて、確か母にまとめて買ってきて貰いました。

家族とはそれほど問題なく接する事が出来たけど、それでも話すのが面倒でしたし後で聞くと、明らかに怯えたような態度になったらしいです。

食べて寝て本を読んででしたが、夜に恐怖に襲われ始めます。
 

なんと言うか今でははっきり覚えてないけど、夜に眠れなくてテレビをボーッと見てたら震えが来まして、何とも言えない気持ちになりました。

この辺りから精神的にやられてるのではと自覚します。

正直この辺りの記憶は余りありませんね。


とにかく外にも出れないし、しんどいのだけどこのまま休むのは不味いが一番でしたよ。

このまま兄のように休むのは許されないし、自分自身が嫌でした。


悔しいやら訳の分からない感情との戦いでね。


とにかく毎日仕事に行こうとするんですけど、いけないんですね。

何故だ!!ですよ。


そうしてたら妹が帰ってて、おかしいから兄が行ってる心療内科に行こうと言いました。


最初は気違いじゃないぞですよ。

妹と母と父から説得されます。


自分自身では、そんなの行っても駄目だよと、そんなのじゃないぞです。


偏見がありましたからね。


そんなのになるのは、根性が足りないからだという偏見ですよ。


しかし、妹と兄と三人で妹の運転で僕の住んでた街から中心の街まで約一時間半をかけて、兄の行ってる心療内科に行きました。


ここには、今でも通ってて一時期薬を送るのが禁じられて他の街でも診察受けてますが、一番ここに行ってますね。


先生は女性で、当時開業したばかりで僕より五つか六つ上でアルコール中毒を主にしてたけど、当時は他の症状も受けてました。

今は、新規の患者は余程でないとアルコール中毒だけを受けてるようです。


この先生が優秀かと言えばそれほどではないと思いますが、自分自身が使ってる薬を出してくれるのと非常に個人的にも恩がありますし、人柄が良いです。


個人的恩は、その後父の会社が倒産時にどうしてもお金を工面しなくてはいけなくて、貸してくれました。


かなりの金額です。もう返しましたけどね。


それと広島で他のお医者にかかったのですが、自分自身に合う医者ってとても難しいんですよ。


広島では合計三つ行って、三つ目でやっと何とか合ったかなです。

僕が常用してる薬を出してくれなかったり、ほとんど診察せずに貴方は何々ですと言われたりで、医者は変えるの難しいんですよね。

とにかく、兄が行ってる心療内科に行こうでしたね。


しかし、いざ行くとなると車の中は多少気分が悪くなる位で良かったけど、病院に入れないんです。


ほとんど妹が僕を支えるように、半分強引に連れて行かれました。


しかし、待合室に入っても今度は他の患者の目が嫌でね。


個室にふらふらになりながら入って待ちましたね。

先生に会ってもなかなか上手く喋れないんですが、先生はその辺りをゆっくり聞きましたね。


生い立ちから子供時代とか色々ですよ。


アンケートも取りました。


先生が言うには、生い立ちと僕は子供の頃から多少脚が悪かったんですよ。


そのあと仕事で事故もしてます。


そのせいで脚を多少引きずりますね。

仕事に支障はないように鍛えてますけどね。


その事と生い立ちと、今の現状ですね。


生い立ちは、幼少期に親と離れて不安定な精神状態に置かれたですよ。


トラウマってのですかね。


しかし、これには反論しましたね。


不安定な精神状態に置かれたって言っても、僕の周りはまだ不幸な生い立ち沢山居ました。


親が片親とか沢山いたし、それでどうこうなるっておかしくないかです。


今の現状は、当時の現状ですけどプレッシャーに潰れたとも言われました。


アンケート取ると非常に真面目らしいんですよ。


これには笑ったけど、仕事やなんかには特に真面目で、それは脚の事の劣等感から来てるのではです。


確かにそれは有りましたね。


なめられてたまるかって強くてね。


それと今の状況が、父の会社の息子で周りからの期待が大きすぎたらしいです。


それを受けきれなかったようですね。


その日は細かく聞かれて、とりあえず睡眠薬と鬱に効く薬を貰いました。


二週間後にもう一度来てくれでした。


帰りは妹の運転で、少しほっとして帰りました。


しかし、睡眠薬は効いたけど、外に出るのは出来なくてね。


車で一人では出れるようになりました。


知らない所を走ってこのままだと不味いって気持ちが強くて、田舎道で何度か何処かに車を突っ込もうかでしたね。


自殺を何度も考えましたよ。

今でも自殺願望は有るけど、当時は自分自身の病気を受け入れられずにですね。

しかし、良く考えたら手足の震えはかなり前からあったんですよ。


はっきり自覚したのが二十一才くらいの頃に、京都のレンタルビデオ店で働き出した時に最初は、接客より簡単な事をさせられるけど一ヶ月もするとお客さんの接客です。


この時に異常に緊張して、膝がガクガクして手が震えたのを覚えてます。

しばらくすると慣れたけど、驚く位に緊張しました。

その後トンネル工事の業界に入って父の会社に入ってからは、それがほとんど出てないんですけどね。


色々子供の頃や思春期を考えたら、あがり症と強迫観念が強いのに気づきましたね。

煙草の火を消したかとか、何度も確認とか、それが時々強烈に出るのを思い出しました。

子供の頃には無かったのが、中学生辺りから徐々に出てたんですね。


しかし、それが出る時と出ない時があって、調子が落ちると今でも出ます。


当時は車に乗って、なるべく田舎に向けて走りましたね。


そこでウィスキーを買ってダッシュボードに入れてました。

信号機で停車する度に、ウィスキーをラッパ飲みしてました。


車で出掛けるのは少しずつ出来るようになってたけど、酒の力を借りてましたね。


今考えたら大きな事故をしなかったから良いけど、一度だけ車を曲がり損ねて鉄柱にぶつかってます。


人に当たらなくて良かったなと思うと共に、酔いと頭を強く打ってて意識が朦朧としながらも車をバックさせて、急いで家に戻りました。


戻ると自動車会社に電話して、ぶつけたと言って靴を履いたまま寝ましたね。


これが、病気が出始めてそれでも仕事に行ってた時なのか、休んでる時なのかは記憶が曖昧です。


後で事故の場所に行って取れたバンパーを回収したのと、母が非常に驚いて怒ってたのを覚えてます。


二週間に一回妹と兄と病院に何度か行って、二ヶ月程かな三ヶ月程分かりませんが、震えを止める薬に出会います。


Rとしましょうか。Rは飲むと鬱も一時的に良いんですよ。


それでもまだ仕事は出来なかったですね。


女の子に会ったり、飲みに出たりは出来るようになりました。Rと酒の併用でそれをしてました。


治ったようでしたが、酒が常に有るような状態でした。


酒を飲まずRがないとダメなんですよ。


それでも少しずつ復帰に向けてでした。


妹はついて来なくて良くなり、兄と二人で一時間半を病院に行けるようになりましたが、兄にばれないように車のホルダーに水を置いて、そこに焼酎を混ぜて運転してました。


Rと酒で何とかだったんですよ。


付き合ってた女の子ともいくらか遊べるようになったけど、夜に眠れないと酷い恐怖に襲われましたね。

こんなので生きてても仕方ないと、何度か海にも行きました。


意識が飛んでて、海に浸かってからはっとして戻ったことも二度三度とありましたね。


それでもRが有れば少しずつ酒も減りました。

60キロ前後だった体重が65から67になって、夜にランニング始めましたね。

昼間はRがないと急に発作に襲われるから、隠れるようにランニングしてました。

この頃完全に、服装も会社に入る前に戻りました。

会社に入ってからはきちんとした格好を心がけてましたが、昔のようにジーンズでラフになりましたね。


自分自身を取り戻そうとしたんですよ。


会社に入ってからも多少反発してそれをやってたけど、完全に元に戻しました。

そしてサングラスを良く掛けるようになりましたね。


元々好きだったのですが、なるべく人に目を見られたくなくて夜も薄いサングラスをかけました。


対人恐怖から逃れる手段でしたよ。


そうして一年と少し過ぎて、もうそろそろ復帰できるなになった時に会社の先輩から、沖縄で仕事するから復帰できるかと打診がありました。


Rは飲んでたけど市営の無料ジムに行って、Rを飲んで身体を戻し始めてました。


この時戻ると、会社が仕事が一気に減ってたのに驚きましたね。


休んでる間も給料出てたし、会社の状況など頭に無かったんですね。


僕が途中で抜けた現場が大きく失敗して、一気に仕事が減ってかつての勢いを無くしてました。


しかし、沖縄に行かないかに乗りましたよ。


この時の行き先が、沖縄でなかったら随分違ったでしょうね。


沖縄の海や山や人が僕を癒してくれました。


それでも一度だけ倒れましたけどね。


Rは手放せなかったです。

今でもRに頼ってますよ。


他の薬を色々試したけど、R以外は気休めでした。


それでも、何とか仕事に戻れました。仲の良かった若い社員の中には反発もありましたけどね。


直ぐ三十代入り、その後会社の倒産の嵐に巻き込まれます。


僕の療法は薬で止めるって療法で、今ではRの一種の中毒です。

これは本来は薬物中毒の治療をすべきでしょうが、仕事をしてる限りは出来ませんし仕方ないと思ってます。

今でもあらゆる薬を試したり、色々な治療を試してますが効果が出ません。


Rが無ければ仕事も出来ませんからね。仕方ないんですよ。

無くなると禁断症状が出ます。


違法の薬物ではないけど、いつの間にかRの中毒ですよ。


これは療法としてはいけませんが、自分自身働かないといけない状況でしたし倒産時には酷い目に合いましたから、Rがあったから乗り越えられて今でも仕事出来てます。

後に倒産後に広島に借家を借りるけど、Rを病院が多く出してくれなくて一時的に休んだこともあります。


完全に動けないけど薬を貰いにも行けなくて、ケータイで二週間程休むと言って動けない日々を送ったこともあります。


何とか薬を市内まで貰いに行こうとして、ワンカップの日本酒を飲みながらバスで何とか最終的には行きました。

何度かそういう落ちる時期がありながらも、這うようにして復帰してます。


今の会社に入る前に一時期完全にフリーになったのですが、紹介してくれた人は父の会社にいた人で、そこの現場は良かったけど三ヶ月程で違う現場にまわりました。


ここの所長も父の会社の先輩でしたが僕と反りが合わなくて、酔って呼び出されて皆の前で散々言われて挙げ句に、薬を使いながら仕事してるのもばらされました。


これは僕と反りが合わなくてもあったけど、会社の倒産時に父に少し借金を申し込まれて戻して貰えなかったのもあったようです。


僕は余りに酷い扱いに耐えかねて辞めましたね。


三十代の後半でした。


今の会社は薬も知ってるし、それを問題にはしません。


それでも管理の仕事をしてて非常に精神的に疲れるし、R無しでは無理ですね。


とりあえずRを支えにしてます。


これは続きを書きたいと思います。


僕が病気になったのは元々脚の軽い障害があったのと、両親と幼くして離れたからだと思います。


その後の現場での事故のせいで腰と脚に後遺症を残してますが、それはそれほどでもなかったと思います。


しかし、自分自身それで人に負けるとか無かったと思います。


他の部分を鍛えたし今でもそうですね。

これは続きを書けたら書きたいと思います。


広島での地獄のような二週間と、広島での失敗や今の現状ですね。


全く違う形で書くかも知れないし、もしからしたら書けないかも知れないです。

自分自身と向き合い、恥も含めて書くのは覚悟が要りますからね。

今回は昔の作業ノートが出てきて色々な事がはっきり分かったのと、書く時期なのかもです。

サイトのエッセイではここまでは書いてないです。

赤裸々に書くと言うのは辛いんですよね。

だけど何かの参考になればとも思います。


簡単に病気でも生きろとか言えません。

自分自身が何度も死のうと思ったし、これからも思うでしょう。


単純ではないんですよね。

しかし、とにかく僕は病気でも戦う姿勢を見せてる人は好きです。


どうしようもない人もいるでしょうが、それが甘えではないのかって人は嫌いですよ。


戦う姿勢を必死に見せて欲しいですね。


特に四十代の後半の僕が未だにそういう状態でも復帰してるってのは、若い人に分かって欲しいです。

僕が正解ではないんですが、戦う姿勢です。

それを感じて欲しいです。

立派ではないけど必死ですよ。

あー、それと僕の病気の正確な名前は忘れました。


鬱とパニック障害と強迫観念でしょうね。

当時は、こちらではパニック障害ってメジャーではなかったです。

年々幻聴なども出てます。

色々なものが絡み付いてきてますが仕方ないし何とか大丈夫です。

同情してくれとは思いませんよ。

それと僕にとっての沖縄は、本当に病気してたから特に良かったです。

沖縄の自然と人々に感謝してますよ。


おわり

📖無名居士のたわ言・・・音楽でひと遊び〜ブルーベル・シンガーズ/昭和ブルース

2013/11/04

こんな歌思い出したんだけど・・・あったのかなあ?
♪帰り道は遠かった
 来た道よりも遠かった
こんな歌詞・・・あり?
なにせうろ覚え・・・

検索で出てくるかな?
あれ・・・あったわ
「来た時よりも・・・」だったけど
チコとビーグルス 帰り道は遠かった
作詞が・・・なんと藤本義一

帰り道は遠かった / チコとビーグルス
https://youtu.be/y4GvtekkBPY

チコとビーグルスのことはまったく覚えてないけど
うろ覚えだが歌えるってことは
当時・・・よく耳に入ってきてたってことだよね

調べてみると・・・昭和43年にこの曲でデビューとか
大阪出身・・・その年に私は家出して大阪に来た
だからよく耳にしていたのかもしれない
確かその年・・・佐良直美の歌も流行ってたんじゃないかな
ちょっと暗い感じの・・・いいじゃないの幸せならば
https://youtu.be/yvfDwF2wSSs

1969年7月15日発売ということは・・・昭和44年だった
昭和43年のヒット曲と言えば・・・検索で10位までは
〔オリコンチャート〕
•1位 千昌夫『星影のワルツ』
•2位 ザ・フォーク・クルセダーズ『帰って来たヨッパライ』
•3位 ピンキーとキラーズ『恋の季節』
•4位 鶴岡雅義と東京ロマンチカ『小樽のひとよ』
•5位 伊東ゆかり『恋のしずく』
•6位 ザ・タイガース『花の首飾り』
•7位 サイモン&ガーファンクル『サウンド・オブ・サイレンス』
•8位 小川知子『ゆうべの秘密』
•9位 ビージーズ『マサチューセッツ』
•10位 ザ・タイガース『シー・シー・シー』

歌は世につれ 世は歌につれ・・・というが
歌が当時の記憶を呼び覚ますってことはおおいにありますね
ちなみに・・・先ほどの「いいじゃないの幸せならば」は
1969(昭和44)年のヒット曲でランキング22位
なんか・・・ええ??って感じ

だってこの年の・・・たしか第11回日本レコード大賞受賞曲
ってことは大ヒットした曲だと思ってたけど
意外な感じ・・・事情通の人から見れば
そんな風に思っている私が居るってことが・・・意外かもね
所属プロダクションやレコード会社の力ってこと?

少しはそんな裏事情も耳には入ってるけど
この年・・・1969(昭和44)年のランキング・・・
その23位からも興味ある曲ばかり
•23位 トワ・エ・モワ『或る日突然』
•24位 ジリオラ・チンクェッティ『雨』
•25位 ヒデとロザンナ『愛の奇跡』
•26位 ザ・タイガース『青い鳥』
•27位 ピンキーとキラーズ『七色のしあわせ』
•28位 小川知子『初恋のひと』
•29位 森進一『おんな』
•30位 ピンキー&フェラス『マンチェスターとリバプール』
•31位 浅丘ルリ子『愛の化石』
•32位 黛ジュン『雲にのりたい』
•33位 新谷のり子『フランシーヌの場合』
•34位 フィフス・ディメンション『輝く星座』
•35位 ブルーベル・シンガーズ『昭和ブルース』

先週の金曜だったか
「徹子の部屋」のゲストが浅丘ルリ子だった
コピーはここまでにしようと思っていたら
忘れ難い曲が目に入ってきた
新谷のり子『フランシーヌの場合』とブルーベル・シンガーズ『昭和ブルース』

『フランシーヌの場合』の内容はかなりショッキング
高校生時代はちょうどベトナム戦争が激化していた時期
僧侶の焼身自殺のニュースをよく目にした
それとこの歌が重なった
もう40数年前のことになるのか・・・
https://youtu.be/fIYFbDQPNJg

書きたいのは・・・『昭和ブルース』のことだった
俳優の天知茂の歌で有名
私のとっては青春のバイブル・・・っていうのかな?
「若者たち」・・・テレビドラマとして放送され
後に三部まで映画化されたのかな・・・

と・・・ここで映画のことを確かめるために検索
確かに若者たち・若者はゆく・若者の旗・・の三部作だったが
その主題歌と思っていた『昭和ブルース』・・・これが思い違いだった
若者たち三部作の主題歌はブロード・サイド・フォーの『若者たち』
作詞:藤田敏雄、作曲:佐藤勝
https://youtu.be/CZC4H3EQRvk

それでは『昭和ブルース』は?
二木紘三のうた物語を参考にさせてもらうと
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2008/01/post_5fe0.html
「昭和44年(1969)9月にザ・ブルーベル・シンガーズの歌でポリドールから
 発売され、東映映画『若者は行く』の主題歌として使われました。」

その後に天知茂が主演した連続ドラマ『非情のライセンス』の
エンディングテーマに使われて評判になった・・・ということです
東映映画『若者は行く』は・・・「若者たち」三部作とは別の映画か・・・
でも作曲者は「若者たち」の佐藤勝・・・思い違いとは言えこれは偶然の一致
それでは東映映画『若者は行く』とは?

その検索では成果が無かったが
あらためて『昭和ブルース』で検索・・・すると
ルーベル・シンガーズ『昭和ブルース』のレコードジャケットの画像が・・・
女性を前に若者四人の画像・・・拡大すると「若者たち」の面々
で・・・こちらの作詞は山上路夫となっています

思い違い・・・と思ってがっかりしていたところ
そうではなく・・・やはり映画の二部の主題歌だったと判明
三部作は俳優座製作で自主上映・・・二部だけが松竹配給
二木紘三のうた物語で東映映画と記されているのがまだ未確認
ところで・・・映画の内容も覚えていないが一つのセリフだけ耳に残っている

どんなシーンで・・・誰が誰にいったのかも思い出せない
調べてみるとそのシーンのことを書いてある記事がいくつか
でも自分の記憶に無い事なのでセリフだけを書いておこう
「楽な道行けよ」・・・二十過ぎに家出して楽な道を選んだ自分の心に
突き刺さったセリフだった

まだ長い人生の途についたばかりの時に観た映画のセリフを
あと数年で古希を迎えようとしている時に思い出す
帰り道・・・この言葉からの連想がたどり着いたのが
「楽な道を行けよ」という言葉
この先私が歩む道は・・・帰り道のない冥途への道

ブルーベル・シンガーズ/昭和ブルース (1969年)
https://youtu.be/8AX4AQT_R68

📖 高山の作品から〜「濡れる女子事務員11」

Aちゃん頑張ってるし、現場全体が良い方向に行ってます。

色々な彼女と現場のエピソードを書きたいけど、なかなか難しいですね。

だけど、ある意味彼女が、現場にもたらしてる物は大きいです。

勿論彼女を理解できない人も出てるけど、うちの連中は皆理解してますね。

このところは、現場にも出るけど営業に連れて歩いてます。

それと、彼女のお父さんが家の離れを事務所に使って良いってなって、仮事務所作るのもしてます。

僕も身体が幾つあっても足らないけど、Aちゃんもそうでしょうね。

彼女は、遅くても七時半に現場に来て、早くても六時に帰ってますよ。

こないだは、僕と二人で夜勤にも付き合いました。

まだまだ未熟ですし、僕を頼るけど二十六で、数ヵ月しか本格的にトンネルに関わってないのに、進化のスピードは凄いです。

それと、僕を頼るのは僕の右腕と言ってるのと女性ですからね。

これが男性ならまだまだ凄い事になりすぎてたから、多少女性で良かったとも思います。

来年は、大きく仕事が増えますし、今年も下手をしたら十現場程になるでしょう。

それを越えるかも知れないです。

常務が営業してた頃で最大が、確か六現場でしたからね。

それも小さい現場が多かったです。

それは、常務が営業の腕が悪いと言うより、会社が多くは取らないってのもあったからです。

僕と二人に常務がなって増えましたし、このところの増えかたは抗夫が良い仕事をしてるからです。

会社も方針を変えて取れるなら取れになりましたが、正直常務が病気があって、僕一人が管理できて良い抗夫を入れるには、今が限界です。

だからAちゃんを社員にしたり、若い抗夫には良い抗夫を紹介しろと言ってます。

そういう中での営業ですね。

Aちゃんは、営業になるとスーツでメイクして来ます。

昔は化粧品会社に勤めてたのと、背が高くてスタイルも良いから映えますよ。

それは、僕が指示しましたが、これが非常に印象を変えるのと今までほとんど僕一人が動いてたのに、女性を連れて行くのに元請けは驚いてますね。

それと、元請けに仕事をする条件としてAちゃんを工務、つまり作業もさせる方向で使ってくれと言ってます。

女性をトンネルにとなると、中にはそれは困るって所も有りますよ。

元請けは、オーケーしても役所がどう言うかを恐れてますね。

僕は、役所の出方次第では、とにかくAちゃんをトンネル内に入れる方向で戦いましょうと言ってますが、それは面白いからやろうって所が八割で、最初から拒否する所が二割ですね。

僕は、途中で役所がどうしても駄目となればそりゃ諦めますよ。

元請けにもそう言うけど、話しも聞かずに駄目って元請けとは、今回は無理ですねと仕事を断ってます。

更には耳が、悪いけど非常に優秀な抗夫のYも駄目って所とは、今後も仕事をしないと言って喧嘩しましたね。

相手は、元請けですから本来は金銭的な部分が主に合えば、こちらは仕事を下さいって立場です。

しかし、こっちは無理してまで仕事を取らなくて良い状況なので、差別的所はこちらから願い下げですよ。

それを偉そうにと言う人も居ますし、散々僕の事を言う人も居ますが味方も多くなりましたね。

やはり、基本は良い仕事をしたいですよ。

良い仕事をするには、良い抗夫を使うべきです。

それをこっちは確保してるからね。

それで強気に出るし、別に全国を股に掛ければあちこち有るからね。

良いのが欲しいって全うな所がね。

Aちゃんは、営業に一緒に来ながらそう言う僕の強気さを見てて驚いてますね。

時には、女は入れないと言われて落ち込んで泣いたりもしますが、僕は女性がトンネルって特殊な仕事に入るのには、これから更に厳しい思いをするんだから泣くなと言います。

それに、俺が駄目って思えば駄目なのと言うのと、お前を入れた事で会社が倒産するなんて事は全く無いから俺に任せておけと言ってます。

この十年で僕もそこそこの自信が有るし、人脈を作って来てますからね。

これは、アメリカの昔の黒人運動に比べたらましですよ。

昔は、黒人は白人と違う所で働かされてトイレも違ったり公共施設も違ったりしてるからね。

それに対して、キング牧師やマルコムX達等は戦いましたからね。

映画などでそう言うのを沢山見てると、まあその大変さがある程度分かりますね。

道を拓くには、多少の犠牲は仕方ないです。

少し話しは、それるけど今は安倍政権に対して抗議デモが続いてます。

それを細かい事で挙げ足取るより、とにかく動いてる人を応援するですよ。

多少のミスや犠牲は仕方ないんですよ。

それに、リアルに動いてる人を応援してる側が動いてないのに、細かく言うのはおかしいでしょ。

応援するなら、リアルに動いてる人を尊重すべきです。

肝心なのは、Twitter等で理想論をこねくり回すより行動する人です。

リアルに、今の夜の寒さや喧騒を感じてる人が一番ですからね。

僕は、なるべく机上の理論をこねるよりリアルを大事にしてます。

昔、若い頃は人の事を評価するだけの評論家にはなりたくないと思ってましたが、最近は多少評論もしますけどね。

やはり、大事なのは仕事でも何でも、その場の空気や匂いですよ。

キスが甘いなんて嘘ですからね。

煙草を吸ってたら苦いし、何かを食べてたらその臭いが出ます。

そう言うリアルを、基本は大事にしてますね。

それと、話しは戻るけど、元請けと下請けは対等ではないです。

一抗夫の班長時代や所長時代に、大きなゼネコン程それが強いのを感じてます。

今の、Aちゃんの居る所は例外ですがね。

今やってる現場では、元請けも随分僕らに気を使ってくれてますけどね。

しかし、やはり対等に近い関係を築きたいです。

彼らは、管理は出来てもトンネルを掘ったりコンクリート打ったりは無理ですからね。

その無理ってのは、一流に近い抗夫を使って更に広げたいです。

僕の中では、工事が始まれば働いてる人、特にトンネル内でやってる連中が主役にならないといけないって強く有ります。

それと、外でそれをサポートしてる作業員ですね。

主役は作業員です。

それをきちんとサポートするのが、僕ら管理職や元請けです。

あくまでもサポートですよ。

そこを分かって欲しいですね。

下請けで一番偉いのは仕事を取ってくる人ですが、いざ仕事が始まれば作業してる連中が主役ですよ。

僕は、彼らを良く冗談で蹴りながら、お前ら良いなあ作業してたら良いんだからと笑うけど、そこには彼らに対しての尊敬と同胞って意味も有るんですね。

彼らが、必死にやってそれが良い結果に繋がって行った時の、充実感を知ってるからです。

自分自身が抗夫だったし、四十九の今でも抗夫にまだ、戻れるって有るからです。

元請けもそれを分かって欲しいです。

トンネルは、実は単純作業の繰り返しですが、そこまで行くのには熟練の腕が必要ですからね。

Aちゃんは、最近は僕の代わりに運転してくれてて、運転しながら色々質問して来ます。

掘削の方法からコンクリートの打ち方から営業まで、多岐に渡りますね。

そうして、先ずは知らないことを知ってる人に聞く事ですね。

知らないは、いつまで経っても恥ではありません。

知ったかぶりは恥ですよ。

Googleで調べたらある程度出るけど、あんなのはあくまでも参考ですよね。

それと、僕は今ではこの業界で有名になったし、優秀だとも言われてるけど、これは優秀では無くて良い抗夫を捕まえてる事です。

それだけが、正直自分自身誇れますね。

後は計算は遅いし、基本的にパニック障害が有るから、出来るなら初対面の人と会いたくないし、私生活は、グダグタだしで時にふと死にたくさえなりますよ。

死にませんけどね。しかし、何処かで何時でも死んでやるって気持ちは有りますね。

精神疾患のある人なら、この感じが分かってくれると思います。

僕が、飲み屋街を離れて滅多に酒を口にしなくなったのも、金銭的面も有るけど自分自身が、気持ち的に落ちるからです。

楽しい酒って滅多に無くて、憂さ晴らしの酒は自分自身が気持ち的に落ちるから辞めましたね。

Aちゃんの事に戻るけど、時系列が乱れるから、何時起こった事かは敢えて書かないけど、面白い事が起こりましたね。

営業に行ってて、何時ものようにスーツでバシッと決めてました。

そこの営業先は、一度だけ仕事をした所で仕事の評価は良かったけど、元請けとしてはそこそこの大きさながら、正直無能だなが印象でした。

そういう所ですから絶対に取りたいってよりも、一応挨拶的な感じです。

それに、僕に今はAちゃんが付いてるってのを、あちこちアピールするためでも有ります。

この世界は、広いようで狭いから高山が女性を連れて営業してるは、遠く北海道に行ってる元請けも最近は知ってるような状態です。

行くと向こうの会社の専務と常務が対応してくれて、今度の仕事の説明をしてくれました。

Aちゃんに対しては、一度だけチラッと見ただけで無視してましたね。

あー!これは、色々揉めた元請けの馬鹿から何かしら噂を聞いたなと思いました。

Aちゃんを連れて行って女は入れないと、Yのような耳の悪い抗夫は使わないと言われて僕がカチンと来て、相当揉めた所があるからね。

それにしても、こういうのはヤバイと言うより汚いなです。

言ってる元請けの態度も、大人じゃないなと思いながら聞いてました。

一段落終えて、Aちゃんを本格的に紹介しました。

一度挨拶はさせてますが、その時も、あーみたいな感じで無反応でした。

僕は、無駄と知りつつも、敢えてAちゃんをきちんと紹介しましたね。

相手は、こっちに喧嘩を売って来てるなと思ったから礼儀だけはきちんとして、後は出方次第では喧嘩を買ってやろうと思ってました。

こういう癖が悪いとは言われるけど、これが僕のやり方ですよ。

Aちゃんを紹介して多分ここでの仕事は、うちは難しいだろうけど、彼女は僕の右腕なのでトンネル内にも入れるし、作業も手伝わせる事が有るけどどうですかと聞きました。

すると専務が、苦笑いと馬鹿にしたような笑いを浮かべて、高山君色々聞いてるけど、女に何が出来るの?と言いました。

僕はAは、まだ未熟ですが、ここの仕事が始まる頃には更に色々出来るでしょうと言って、今でもパワーショベルは上手いし溶接やガスは上手いですよ、と少し大袈裟に言いました。

実際にまだまだですが、もう数ヶ月もすれば、更に上手くなると確信がありますからね。

今度は常務が、高山君分からんなあ。耳の悪い抗夫も使ってるらしいけど、うちでは、女も障害者も使わないよと言いました。

僕は、それなら前にやった時に僕は、事故で脚が悪いけど僕も障害者ですから、これから使って貰えないと認識します。

しかし、実際に耳の悪い抗夫を見て言ってるなら良いけど、見てないのに勝手に想像するのは人権侵害ですねと言って、Aちゃんに話しにならんし、こんなの言ってる奴に限って、お前に喧嘩でも負けるとよと笑いかけました。

すると常務が立ち上がって、下請けなのに今勢いが良いからと言って傲慢だなと、怒った顔をしました。

僕は、前に仕事をした時に僕の脚が悪いのを大丈夫なのかと散々言っておいて、実際に僕の仕事ぶりを見て評価を変えたのはオタクだから、ある程度期待はしたんですが、結局何でも先入観ですねと返しました。

専務も僕の言い方に刺があるのに腹を立てたようで、立ち上がって所詮下請けだろう。

俺達は、先入観とかで言ってないし、高山君の所は耳の悪いのから女まで使わないと無理なのかと思うよ、と言って来ました。

僕は、耳の悪いのを使うのは、彼が耳が正常な人間より優秀だからですと答えて、先入観で物を言うなよと言いました。

更に、常務は四十代前半で身体も大きく絞まってるんですが、先入観ってのは、例えば小柄な俺があんたに一分で喧嘩に勝つとか思わないだろうが、実際にそういう事が起こるって事だよと言いました。

専務は、太って小柄ですから常務を挑発しました。

相当自分自身むちゃくちゃ言ってると思いながらも、相手の出方に頭に来てたのを我慢してたのが出てしまいました。

このところ色々な暴力沙汰が続いてるけど、本来はそう言うのを避けたいですが、そういう血でしょう。

しかし、非常に仲良くなると高山さんの暴力の噂は違うんですねと言われますから、誰でもやる訳ではないですし、こういう営業が良いとは思いません。

しかし、僕は営業マンの前に、今でも管理職で有りながら抗夫だと思ってます。

ナメられたら仕返ししてやるって気持ちで、ここまで来ましたからね。

常務が立ち上がって、面白い事を言うなと言い出しました。

常務は、耳が潰れてるのからも分かるんですが、昔は柔道の猛者で今でも道場に時々行ってるらしいのを知ってました。

するとAちゃんが、先入観が有りすぎる人は常務さんのような男でも、私にも三十秒以内で負けるのが分からない人ですよと言って立ち上がりました。

僕は、え!?ですよ。

専務は、それを聞いてナメられたなあと笑いました。

すると舐めてないですよ。

汚い物をなめないですよね、とAちゃんが言い出しました。

Aちゃんも、実は相当頭に来てたんでしょうね。

僕は、やらせておけと思いました。

けつを俺がきっちり拭いてやる、と覚悟を決めましたね。

常務は、椅子とか机を退けると本気で言ってるのかと言いながら、Aちゃんに近づきました。

僕は、この子に触るなよ!!と大声を出して、常務とAちゃんの間に入りましたね。

そして、机や椅子を足で蹴りながら広い場所を取るようにしました。

常務に、良かったな俺じゃなくて、俺ならお前の腕を折ってると笑いました。

専務も立って、そんなに言うなら二人でやらせて見ようやと言いましたが、僕が、これでこの子が負けるのは先ず無いけど、もしもがあったらお前達二人対俺でやってやると笑い返して、抗夫をなめるなと言いました。

Aちゃんは、高山さんの出番は無いですよと笑いました。

僕は、それを聞いて笑いましたね。

そして、この子が勝てば仕事をくれとかで無くて、ここでの事とかうちの評判を勝手に流すなとそれだけは、約束しろと専務に言いましたね。

それに、もしも流れたら抗夫を連れて来て会社を無茶苦茶にしてやるし、そう言うの噂を流すのを直ぐにばれるからな、と専務に言いました。

専務は、俺達も馬鹿にされてるなと笑って、そんなの流さないしこの子が勝つわけないだろうと言いましたね。

Aちゃんは、ヒールを脱ぐとその日はパンツスーツでしたが、上着を脱ぎました。

そして常務に、常務は柔道か何かをしてると聞いてるから私もきちんと言いますね。

極真空手の黒帯ですと、宣言するように言いました。

専務が、それじゃ始めるかと言って計るからなと時計を見ました。

僕が、始め!!と大声を出しました。

常務は、定石どうりにAちゃんを掴もうとしましたが、Aちゃんはバックステップで逃げると、ローキックに行くように見せながら、当てずに常務の顎を狙ってハイキックを入れました。

もろに顎にはいりましたね。

その上常務は、Aちゃんのローキックに行くように見せたのに完全に気を取られましたから、全く防御出来なかったです。

常務は、後ろ向きに思い切り倒れましたよ。

僕は、見ててこれが極真かと感心したのと、彼女がフェイクのローキックを上手く使ったのに驚きましたよ。

専務が慌てて常務の所に行くと、失神してるのをビンタして起こしました。

Aちゃんは、ヒールを履くと何秒でしたか?と専務に聞きました。

落ち着いて居るのにのにも驚きましたね。

専務は、十五秒は行ってないと言いました。

僕は、専務にさっきの約束忘れずにと言いながら、Aちゃんに帰ろうと言って出ました。

Aちゃんと外に出ると二階の階段を上がって来たんですが、彼女が高山さーんすいません。

抱っこして降ろしてくれないですかと言うのでどうした?と聞くと、震えが止まらなくて動けないらしいです。

僕は、笑いながらAちゃんを抱っこして降りて、彼女を助手席に乗せて僕が、運転してその場を急いで離れました。

しばらく行くと自販機があったから車を止めて、コーヒーを二本買ってAちゃんに渡しました。

まだ、震えが止まらないようなので背中をさすりながらコーヒーを開けてやると、ゆっくり渡しました。

コーヒーを持つ手が相当震えてましたが、背中をさすりながらお前は良くやった大丈夫大丈夫と繰り返すと、少しずつ震えが止まりました。

ゆっくり二人でコーヒーを飲む頃には、随分落ち着いてましたね。

それから現場に戻るのには僕が運転しましたが、彼女は高山さんすいません、すいません、と繰り返すから何を謝ってるのだと僕にしては珍しく、優しくしましたね。

彼女がやらなくても、僕がやりましたからね。

気にする事は全くないと言いました。


現場に着く寸前で、あの会社からケータイに電話が入ったので適当な所に停めて受けました。

どうせ文句だろうと思ってたら、あの会社の社長でした。

そして、用事があって席を外しててすまんと言うと事情は聞いたが、今度の仕事の入札には、君の所に是非とも入って欲しいと言ってきました。

これには、驚きました。

社長が言うには、高山君が怒るのは分かる。耳の悪い抗夫さんも女の子も仕事が出来るなら使うよ、と言ってきました。

専務も常務も自分達が馬鹿だったと反省してるし、入札には入って欲しいからまた打ち合わせに来て欲しい、と言ってきました。

常務が電話を変わると、高山君と揉めた会社から色々言われてて男らしく無くて申し訳ない、と言ってきました。

専務もそう言ってるしまた、あの凄い女の子連れて打ち合わせに来てくれと言いました。

僕は、こちらこそやり過ぎ増したと謝り、次の打ち合わせの日時を決めてありがとうございますと言うと常務が、今回の仕事が取れたらあの女の子の手柄だなと笑いました。

僕は、そうてすねと気分良く笑い返しました。

ケータイを切ると、Aちゃんに今の事を伝えたら本当ですかと凄い喜びようでしたね。

僕も世の中捨てたもんじゃないし、何が良い方向に行くか分からんなあと笑いましたね。

Aちゃんは、笑いながらも実はローキックをフェイクで見せてからのハイキックは、高山さんを倒す為の秘策だったから新しいのを考えないといけないな、と言いました。

僕は、それを聞いてあの程度の秘策では俺は倒せないと言いながらも、危なかったなと内心は思いました。

今度の仕事が取れるかは分からないけど、きちんとした連中がまだまだ居るんだなと思うと嬉しい気分になりましたね。

今回は異常な形でしたが、分かる人には分かると勇気づけられましたね。


おわり

📖「ガーターベルトの女」の映画化のためにエッセイをお読み下さい・・・「新・ガーターベルトの女5~Mの意地」

画像2

「ガーターベルトの女」シリーズのMは、今は事務機器メーカーに勤めていて営業をやってます。

営業以外も色々やってるようで、忙しいようですね。

かつては、仕事にいまいち熱を持てなかったのが、今はそうでは無くて仕事に賭けてますよ。

その辺りの心境の変化はどうしてなのかは、ハッキリは分からないですけどね。

彼女も今では四十八歳です。

僕と二つ年下ですからね。

しかし、四十八歳でも身体のケアや元々の美貌のせいで、綺麗ですよ。

Mは、僕のかつての彼女ですが、今では良い関係の友人ですね。

事務機器を、うちのトンネル現場に入れるようになりました。

建設業も当然、様々な事務機器を使いますが、今まではレンタルする業者の言い値で契約してました。

僕らは、機械には強くても事務機器なんて知らないですからね。

ところが、Mと偶然再会して事務機器扱ってると聞いて何かの話しから、うちの事務機器のレンタル料金や買ったものの値段を話すと、そりゃ業者につけ入れられてると言われました。

つけ入れられてると言うより、そこに興味が行かなかったんですね。

何処かで、どうせ事務機器なんて安いからって有りましたね。

しかし、現場が十ヵ所近くになって事務所も置くようになると、細かく計算すると相当事務機器にお金を使ってるんですよ。

Mに聞くと、うちならもっと安く出来ると言い出しました。

具体的に幾つか比較して出して貰うと、中には半額以下になるんですよ。

現場が多いし、事務所も構えたとなると合計したら、年間何百万円かの違いになるんですよね。

僕のように、事務機器に弱い人間からしたらえ!?ですよ。

それで、レンタル期間の終わってない所は別にして、Mの所に少しずつ変えて行きました。

業者の中には、何故?と聞く所もあったから、幾らまでなら安く出来るかと聞きましたね。

今までの業者にしてみると、僕が値切るとか思ってなかったようでそれでも、このくらいならと言ってきましたが、Mの所の方が同じ物を扱ってても断然安いので、それなら安い所でやはり契約するとなりました。

安くても物が悪かったりアフターケアが出来ないと困るけど、その辺りもMの所はきちんとしてます。

正確には、Mがきちんと指示を出したり自分自身が来たりして、やってます。

僕の所は、特に友達ですしギリギリまで安くしてくれてますね。

それが、段々と知れて関係してる建設業の会社なども、Mの所に乗りかえ始めました。

建設業が、いかに事務機器をどんぶり勘定でやってたかが、皆分かったようですね。

知り合いで信頼出来る建設会社の社長が、あちこちに事務機器が安いと言ってくれて、Mの所は相当忙しくなってます。

それと、Mは営業でナンバーワンになかなかなれなかったのに、このお陰でダントツのナンバーワンになったようです。

Mはそれを喜んでますよ。

そういう中で、Mが現場に来て事務機器の入れ替えをした後で、現場事務所で僕とお茶を飲みながら軽い雑談をしていました。

そこに、知り合いの知り合い位の建設会社の専務が来ました。

下請けの建設業の専務で、僕らと違って外の仕事を専門にしてる地元の会社の専務です。

僕は、何度か挨拶した程度で横柄な感じだな位しか印象が無かったですが、いきなり来たのでどうしたんですか?と聞きました。

うちとは、直接の取引の関係は全く無いので失礼な感じだなとも思いましたね。

その専務は、知り合いの信頼の出来る社長からMの所を紹介して貰ったらしくてMがここに来てると分かって来たようです。

聞くとMが出した金額より安くしてくれと言ったけど、それを彼女がそれなら難しいと断ったらしいです。

営業では良く有る事です。

それを、専務は気に入らなかったようです。

来ると、高山の所には大量に入れて安くしてるのに、うちでは駄目っておかしいだろうと最初から怒ってました。

専務は、五十五歳位で身体の大きな男です。

噂では、相当なやり手では有るけど、暴力的で横柄だと聞いてました。

僕は、笑いながらそりゃ色々な条件が合わなかったのだろうし、俺の所は最初にここに頼んだだから、ある程度優先されても仕方ないだろうと言いました。

僕も椅子に座ってたのを立ち上がって、Mを守るように専務の前に行きました。

専務は更に、高山、お前ごときのトンネル屋がどうこう言うなよ。この女は断った後に、何度か話してからは一切携帯にも出ないし会社に電話しても出ないんだぞ、と怒りながら大声を出しました。

Mも立ち上がって、そりゃあの金額より下げられないし、うちも手一杯でやってるから今後一切付き合いを辞めると言ったでしょう、と言い返しましたよ。


人を侮辱するような事を言っておいて、気に入らないとこうして押し掛けるのがやり方なの、と付け加えました。

Mは、僕を押し退けて専務の前に立ちました。

専務は、侮辱するってあれか?

仕事で女を使ってるだろうって事か?

そりゃ歳は取ってても、それだけの身体と美人なら枕営業位するだろう。

高山とは、昔は恋人だったんだろう。

女を使ったからって悪いとは言ってないし、俺にも使ってくれよ。上手そうじゃないか。

そう言ったので驚きましたね。

何処かから、かつてのMとの関係が漏れたんでしょうね。

それは、仕方ないけど枕営業は酷いなと思いながらも、Mがどう対処するかを見てました。

Mなら対処するだろうし、これからも建設業と仕事をするならこういう輩がまだまだ居るので、仕方ないなと思いました。

Mは、枕営業なんかはやらないし、あんたみたいなのが建設業のイメージを悪くしてるんだろうね。

かつての恋人だけは当たってるけど、今は良い友達よ。

それに、もしも枕営業をどうしてもしなくちゃいけないってなっても、貴方みたいなのとは死んでも寝ないな。

下品で頭が悪いのは嫌いなのよ。

と言い返しました。

鋭い眼光で専務を見てると、専務がMの頭を軽く叩きました。

建設業を舐めるなよと大声を出しました。

Mは、それに対して同じように専務の頭を叩いて、中に何も入ってないんじゃないって言いました。

専務は、カチンと来たようで女なのに思い切り腕を振ると、Mの頭を叩こうとしました。

Mは避けましたが、思わぬ行動に掌が少し当たってよろめきました。

まともに当たっていたら、Mはぶっ飛んでいたでしょう。

女性に対してやるべき事ではないし、普通の感覚ならやらないだろうと言う行動です。

僕は、止めに入ろうかと思ってると、Mが机の上にあったホッチキスを持って専務の指にパチリとやりました。

専務が指を持って痛がってると、Mは二度膝蹴りを股間に入れました。

うずくまった専務の顔面を、Mがヒールのまま蹴りました。

僕は、そこで間に入ってMを抑えましたが、Mはニヤリと笑ったままで冷静でしたね。

Mは専務に向かって、事務屋を舐めるなよと笑いました。

専務は、指と股間と顔面を痛がっても大声を出して立とうとしたので、僕が腰のベルトを持つと事務所の外に放り出しましたよ。

専務に、あんたが悪いよ。それに、相手が悪かったなと言って、大声に気付いた作業員に帰らせろと言いました。

専務は、高山覚えてろととか言ったので、うちの作業員の一人が黙らせる為に頬を叩きました。

Mは、僕に向かって膝が一回目は上手く股間に入らなかったんだなあと笑いながら、膝を何度か上げて見せましたね。

スカートを履いて居たので綺麗な脚が見えたのと、下着が見えそうだったので辞めろと笑いました。

Mはそれを聞くと、相変わらず好きだねと笑いました。

専務は作業員に囲まれて帰ったので、僕は紹介した建設会社の社長に電話しました。

社長に事の成り行きを話すと、二つ年下の出来る社長は、それは高山さん申し訳ない。

二度とそういう事がないようにしますよ、と答えました。

この社長は若いながらも信用出来るし、行動力もある人間なのでこれで大丈夫だなと思いました。

Mは、帰りながらも僕に向かって冗談のように、膝蹴りを飛びながらやって来ました。

そして、これは貴方の得意技だよね、と笑いました。

貴方も、高山とか関係ないやつに呼び捨てにされても怒らなくなったんだね、大人だなあと、からかいました。

僕は、それよりMが身体を当てて来るのと、美脚が見えるので参ったなと思いました。

Mの身体は、細いようで柔らかく、胸も相変わらず大きいように感じました。

Mは、車に乗りながらやり過ぎてごめんねと言って更に、でも色々な意味で興奮した?といたずらっぽく笑ってました。

その顔は、二十代の頃と全く変わってないのでは、と思わせました。

その後、紹介した社長が来てもう大丈夫ですと言って、それにしてもMさん凄いですねと笑ってましたね。

ホッチキスも凶器ですねと言うので、事務屋を舐めたら怖いよと笑い返しました。

歳は取っても、Mは相変わらずだなと思いましたね。

おわり

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