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第9回毎月短歌 テーマ桜・花 結果発表

こんにちは。
選者をつとめました一ノ瀬美郷です。
標題のとおり、第9回毎月短歌のテーマ詠「花・桜」についての結果発表をいたします。
春らしくカラフルなイメージの歌が多く、選ぶわたしもとても楽しめたテーマでした。
本当はひとつひとつの歌にコメントをしたいところなのですが、211首の投稿から15首を選んで一席から五席にわけて簡単に感想を述べています。
では五席(五首)から四席(四首)、三席(三首)、二席(二首)、一席(一首)の順に発表します。
敬称略であることをご承知おきください。

五席

【それぞれの標本木があるので賞】

フツウってなんなんだろう、きみのこと標本木にしてもいいかな/真朱

フツウとは、と立ち止まる主体が、きみを標本木のようにしようかと思っている様子を描いている。標本木といえばその地域の桜の開花を決めるための木のことである。フツウがなにか分からない主体がなにかをお手本にしてそれをまったきフツウと思いたい気持ちに共感しつつ、なにかに頼りきってフツウを定義しようとすることへの危うさも感じた。若いとき特有の少しふわふわしたような気持ちがよく表れた作品だと思った。

【遠くなった人との距離感は難しいで賞】

写真からはなの名を問う投稿に、おげんきですか、近況をしる/田 幸樹枝

仲が悪くなったわけでもないけれど、なんとなく疎遠になった人たちがいる。そういった人とSNSなどで繋がっていて、ふと投稿を見たときに、懐かしい気持ちになったり、人の生活を覗いてしまったようで気恥しく思う時がある。主体は疎遠になった人の投稿を見て、近況を知れたことに安堵しているような印象を持った。果たして主体はリプライやいいねをしたのだろうか。もう交わらないかもしれないふたりの生活と、逆にもしかしたらここでまた交われるかもしれない少しの期待とが交差する作品だと思った。

【白いアネモネの花言葉は「希望」で賞】

祝福の光が注ぐハレの日にあなたへ贈る白いアネモネ/宮緖かよ

さまざまな意味に取れる歌だと一読して感じた。ハレの日、というのが主体にとってのハレなのか、あなたにとってのハレなのかが読みきれないのだが、少なくとも主体はあなたに好意を持っていて、ハレの日に白いアネモネを贈るのだ。白いアネモネの花言葉は希望だそうだ。ハレの日に未来を信じて贈る花から醸し出される、輝くようなイメージが美しい一首だと思った。

【声も聞こえてきそうで賞】

川岸に光あつめて合唱をしているように咲くクロッカス/水川怜

川岸に咲いたクロッカスの花群を見た主体。クロッカスが光をあつめるようにして合唱しているかのように感じたという歌である。確かにクロッカスは大きく口を開けているように見える花で、それが集まると合唱をするように見えるというのも頷ける。春の日の光あふれる土手で、春の訪れを祝うかのようなクロッカスの花をありありと想像した作品である。

【散る花は死骸で賞】

花の死を楽しむ人の死を神が見て楽しんでいるお人見よ/てと

花が散る、というのは即ち花の死であろう。人はそこには触れずに散華の美しさを楽しむ。そういう人々の死を神が見届けて同じように楽しんでいるという歌である。発想の柔軟さがまずすばらしく、31音をあまさず使っているところもよく考えられているなと思った。花の死の軽さと、神にとっての人の死の軽さ。そしてそれらは当事者にとっては決して軽いものではないことを考えさせられる一首だと思った。

四席

【花より月見で賞】

夜桜の隙間に見える三日月が微笑みながら夜を漕いでる/りんか

夜桜を楽しむ主体がふと見上げると、もくもくと咲く枝の間に三日月が見えた。三日月は微笑む口のかたちであり舟のかたちである。そんな月が桜を見下ろしながら夜という海を漕いでいくように思えたという歌と読んだ。結句がすばらしく、夜を漕ぐという美しい表現に目を奪われた。パワーワードの夜桜がかき消えるおもしろさのある、ファンタジックな歌だと思った。

【俯いてもいいことあるで賞】

上を向くことに疲れた足もとが桃色たちに取り囲まれて/ゆひ

上を向いて歩こう、とは言うものの、そうできないときもある。この歌は上を向くことに疲れた主体が地面を見下ろしたとき、自分の足もとが桜の花びらだろう桃色に取り囲まれていた、という発見の歌だと読んだ。上ばかり見なくても足もとの花は美しく、惜しげもなく散ってゆく。二句切れか句切れなしかで迷う構成だが、どちらであってもしみじみとした余韻の漂う歌だと思った。

【春は鬱屈する季節でもあるで賞】

髪からも明るいミモザの香りして春に沈んでいこうと思う/ぐりこ

上の句、ミモザの黄色に引っ張られた快活で鮮やかな印象のうえで、下の句は春に沈んでいくことへの暗い決意を表している。春に沈むという言葉が歌の中心であるもののうまく読み取れない。ただ、沈むという言葉が持つ陰鬱なイメージと上の句の明るさがうまく取り合わされているように感じる。春のひかりと陰翳をうまく表現した奥行きのある作品だと思った。

【お疲れ様でしたで賞】

長居した成果みたいに持ち帰る退職の日の花束ひとつ/まちのあき

主体の退職の日、同僚たちがくれた花束。長居した成果、という表現から、主体は職場であまり業績をあげられなかったと思っているように受け取った。なんの成果も残さなかった悔しさ、疲労感のなかで持ち帰る花束。主体にとってはうれしさよりも虚無感をかたちにしたものという意味合いが強いのではないかと感じた。主体のこれからの人生が充実したものであるように祈りたくなる一首だと思った。

三席

【ドクダミの花はかわいいで賞】

正しさはいつも僕には眩しくてドクダミの花を静かに愛でる/琴里梨央

正しさを眩しく思っている主体が、ただ咲いているドクダミの白く清らかな花を愛でている。ドクダミというと、臭いがきつく、繁茂するために忌避されがちな植物であるが、作者はそのドクダミを正しさの対岸に置いている。眩しいという表現は羨みとか憧れとかを示唆する言葉だが、ここでは自分とあまりに違いすぎる世間の正しさに疲れてしまった主体として捉えた。世間からはじき出されたような主体とドクダミの邂逅と交流を詠った歌だと思った。

【お花見ができない精神のときのストゼロは危険で賞】

ストゼロがコンビニになくてただ歩く夜桜がゲロみたいに散ってる/汐留ライス

ストゼロはストロングゼロというアルコール度数の高いチューハイのことであろう。ストゼロがなかった代わりに度数の低い酒を飲むでもなくただ歩く主体には散った夜桜の集まりが吐瀉物のように見えている。桜というと、美しいものとして描く歌が多いなかで、この歌は異彩をはなっている。とはいえ吐瀉物みたいな散りざまを美しく感じる人もいると思う時、主体の闇をまざまざと感じてしまう。お花見を楽しめない主体の鬱屈した心情が見事に表れている歌だと思った。

【花のあとには実ができるで賞】

悲しみもずっとは続かぬ ヒペリカムお前も最後はきれいに枯れろ/猫背の犬

悲しみがいくら深くとも、それは永遠に続くわけではない。ヒペリカムの花言葉はまさに「悲しみは続かない」だという。オトギリソウの一種のヒペリカムは花のあとにカラフルな可愛い実をいくつもつけることで知られている。花がきれいに枯れたあとに鮮やかな実をつけるヒペリカムのように、悲しみはいつか糧となり人の心に生き続けるのだろう。そんなことを考えさせられた作品だった。

二席

【きっとまた会えるで賞】

また明日会えるみたいに手を振ってバックミラーの桜が消える/塩本抄

主体は車を運転しているのだろう、ちらちらとバックミラー越しに見ていた桜が手を振るように揺れている景が浮かぶ。車がさらに走るととうとう桜も見えなくなってしまう。軽いお別れのようだが、実際には明日には会えないことがわかっている。もしかしたら来年になっても会えないかもしれない。今年の桜は今年だけのものだからだ。手を振っているのが「だれか」なのか「桜」なのか、意味が取れそうで取れないが、桜も人もあたりまえに明日も会えるのだと盲目的に信じてしまいがちなわたしの心に突き刺さった。

【季節ごとにあなたを思い出すで賞】

さよならの一つ一つに花の名をつけてわたしの花籠とする/おさむ

この主体は別れを繰り返すたびに別れそのものに花の名をつけて、忘れないように持っているようだ。それがたくさんあつまって花籠になっている。たぶん別れたその季節の花々が籠にひしめくようにつめられて、その季節が来て現実の花を見るたびに別れを思い出すのであろう。そう考えると花の名をつけたことは別れからの呪縛のようなものだとも感じられる。別れすべてを覚えていることはある意味しんどいものであるが、主体は別れを大事に抱え、ひとつも取りこぼすまいとしているように思われる。抽象的な美しさのある一首である。

一席

【桜は分け隔てしないで賞】

道化師を演じる僕にも春は来て仮面の上に花びらの降る/藤瀬こうたろー

主体は自分の本心を隠して道化としてふるまっている人物である。そんな主体の作り上げた仮面の上に桜の花びらがただ降ってくる。感情を排した歌であるものの、二句の「僕にも」が効いており、道化師を演じる自分への後ろめたさやさみしさなどを汲み取れる。誰にも踏み込めないはずの仮面にそっと触れる花びらのやさしさに主体が一瞬こころを開いているような歌である。とても繊細な感情を織り込みつつ、あえて抑制的に描かれており、静かな感動を呼ぶ歌だと思った。


以上です!
ご覧いただきありがとうございました。

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