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中山みき研究ノート 1-2 唯一のひながた

唯一のひながた

教祖の伝記では、教祖が示されたひながただけに的を絞って、他の人の言葉や行ないを混ぜないようにしなければなりません。私達が手本とするのは間違いなく教祖一人のひながたでなければなりま せん。教祖のひながたは、万人のひながたです。 教祖に習って、誰もが教祖と同じように通れるという事を教えて下さった手本なのです。おさしづには、

どんな者でも、ひながた通りの道を通りた事なら、皆ひながた同様の理にはこぶ。 まあたった三日や

明治22年11月7日

というお言葉があります。 教祖が示された手本・ひながた通りに私たちが心を定めて行なうならば、みな教祖のように神のやしろ(神の思いを自らの心として、それを実生活に実現しようとする人)として生き甲斐のある人生を送る事が出来る、とお教え下さったのがひながたのゆえんであり、その目的なのです。

ひながたとは、たった一人しかいなかった教祖の伝記であると誰しもが思っているのですが、とうてい教祖一人のこととは思えないような話が流布しています。 これは「教祖がこういう行ないをしました。こんなお話をして下さいました」と説く人が、 それぞれ自分なりに脚色している事が多すぎるからなのです。 

若い人も年取った人も、男も女も、万人が教祖の示した手本にならって、生き甲斐のある人生を送ろうとするとき、その手本になる話が語る人によってまちまちに、あるいは教祖以外の他の人の行ないや言葉までが話されてしまっては、とんでもない結果になってしまいます。人間は、これが正しいと納得した事を心定めして行なう事は出来ます。しかし、自分が理解していない心を定め、理解していない事を行う事は出来ません。つまり、自分が理解した神の心になって通る事しか出来ないのです。

神様とは人間をたすけるために守護し働き続けるかた、と理解すると、自分がその神の社になって生きるという心定めをするなら、周囲の人をたすけるという心で通れるのであり、人をたすける神の社になることが出来るのです。

それを、悟りが浅かったり、たすけてもらうために神様にお仕えすれば、他の人よりもえこひいきしてくれて良いご利益を頂けると理解してしまうと、神の心を心とするその人自身が、自分に賄賂わいろを持って来る人には良い結果を与えてやり、自分にそっけない人間には意地悪をするという、えこひいき人間になってしまいます。酷い神と悟れば、自分は酷い神の社になってしまい、たすける神と思うとたすける人間になれるのです。

この教祖伝が、資料に基づいて教祖の教えや通り方をはっきり心に治めようとするのは、現今、教内に流されているものや印刷されているものの中には、教祖の本当の姿を伝えていないものが多すぎるからなのです。

ひながたを書いたものを教祖伝といいますが、同じ教祖伝でも、教祖の教えと教団の教えとに分けることが出来ます。教団とは教会本部のことですが、その本部が教祖の教えと違った話をしていたということが、教祖伝を分かりにくくしている原因なのです。

敗戦までの天皇制国家の中では、教祖の教えが説けない事情がありました。 最も象徴的に感じられるのは、教祖が明治19年2月18日、櫟本分署に捕えられた時のことでしょう。

教祖と仲田儀三郎と桝井伊三郎はそこで厳重な取調べを受け、それは翌々日まで続きました。その結果、首謀者中山みきは12日間の拘留、弟子たちは10日間の拘留と決まりました。

ところが、同じように捕えられた中山新治郎(中山真之亮・初代真柱)は一晩取調べを受けただけで、翌日の朝、釈放されています。その理由は、教導職という資格を持っていたからだという人もいます。確かに教祖は持っていなかったのですが、仲田儀三郎も桝井伊三郎も教導職だったのです。 それでも取調べが続けられ、10日間の拘留に処せられました。

初代真柱はなぜ、一晩だけで翌日釈放されたのでしょうか。それは、取調べの時の初代真柱の答えが、その後に作った神道天理教会の性質と同じく、警察が釈放してくれる内容だったからです。これが、本部の教えなのであり、教祖の教えは、警察が釈放してくれない教えなのです。教祖の教えと本部ーーそのときは初代真柱ーーの教えとが大きく違っているのです。

つとめ人衆がその着物の背に菊の紋をつけていることについて、「菊の紋は生神様である天皇家の紋である。何故許しもなしに使用するのか」という取調べがあったとき、教祖は「天皇も人間、天皇の先祖天照大神も人間です。 私達百姓も親神の子人間です」と答えて、誰が用いてもよいものであると主張されました。

天皇を生神様として、徳川幕府の後、国民を絶対服従させる目的で教育を強化した日本の政府にとって、この教祖の教えは絶対に許すことが出来ません。そこで「天皇を神と説けば釈放してやる。天皇を人間と言う限り帰さん」と警察、つまり、明治政府は弾圧を加えたのです。

教祖はどんな迫害があっても、25年命を縮めても、世界の人をたすけるために世界一列は兄弟であり、人間は皆親神の子として兄弟であり、百姓も天皇もその先祖の天照大神も親神の子人間だという真実を、説き切って下さいました。これが教祖の真実の姿なのです。

それに対して、教会本部は神道天理教会を作り、天照大神は天の神様であり、その子孫の天皇陛下は生きた神様であります、と教えてしまいました。そこでは、教祖の通られた道をどの様に捉えていたのでしょう。

初代真柱が教祖二十年祭に捧げた祝詞には、

あるひは有らぬ誣言しひこと辛苦くるしめられ 折に触れては御身も安からぬ禍事まがごとかかり給ひつれど 世を救ひ人を助け導き給ふ御心には物の数とも思ほし給はで  一向ひたぶる惟神かんながらの大道を説き論し給ひしかば 御教えは日にに広こり月々に栄えて 神の道に神習かむならひて御恵みめぐみかかふる人々国毎里毎くにごとさとごと蕃息うまはり行く事とは成りぬ

とあります。教祖は「天皇陛下は神々の子孫で生神様です」と一生懸命教えました。 時には、それをねたんで医者、神官、僧侶達が弁難攻撃に出るということもありました。その人達のあらぬ誣告ぶこくを受けて、警察は止むを得ず教祖を捕えたのですが、教祖は命がけで「天皇は生神様だ」と教えました、という祝詞なのです。

教会本部から出される教祖伝は、どうしてもこの流れの影響を受けて、「上として仕えるべき神」を説き、教祖をその社とするというようになってしまいました。

教祖は「たすけるのが神」、「理が神である」と仰せ下さいました。ここで教祖が「理」として教えて下さったのは、第一には「かんろだいの理」です。これは根本の理です。かんだいの下から一段目、二段目は女性を表わし、上の部分は男性を表わしています。 男も女も補い合いたすけ合って陽気ぐらしを創り出そうとして通るとき、人間は神の社として生まれ変わる事が出来るし、生き甲斐をもって暮らす事が出来るとお教え下さるのが、かんだいにこめられた根本の理なのです。

この理が分かると、補い合いたすけ合って陽気ぐらしを生みだすために、私の体も私の物も互いにたすけ合いに使うべきものである、という「かりものの理」が分かってきます。そして、人間の本性は人をたすけて勇んで暮らす事だ、という心を持った本当の人間として、しっかりと生きられるようになるのです。

すいきのような性格の人も、ぬくみ、つなぎ、つっぱりのような人も皆、「人をたすける心が真の誠」という本性を自覚して互いにたすけ合うならば、それは陽気づくめの世界である、とお教え下されたのが教祖の世界観であります。 神の心である「理」を心に治めるなら、神の社になれるのです。

教祖はこの心でお話をしたり、行ないをされました。これが教祖のひながたになるのです。従って、神の心(理)をしっかり理解したら、自分がどう生きればいいかが分かってきます。真理を悟って、その真理通りに生きる事を心定めすると、何者にも負けない正しい暮らし方が出来、そこに喜びが生まれてくるのです。

教祖の教育は、理に基づいて生きるという正義感を教え、その正義に基づいて生きようという良心を育てる事にあります。この良心に沿って生きるとき、人は独立心に満ち溢れるのです。そして、自分の尊厳に目覚め、独立自尊の境地になり、迷信や抑圧から解放されて行きます。「理」に基づいた暮らしが、解放された喜びに繋がっていきます。

ところが、一人一人の国民が正義に目覚め、良心を備え、真理に基づいて生きようということになったら、「私の言う事に服従せよ」と言う方針を定めようとする人は困ってしまいます。そのため、弾圧をして国の方針に従う本部を作らせました。そこでは、「神」とは絶対に変わる事のない真理ではなく、「支配神」をいうようになってしまいました。人間的欠点を備え、好きな者は可愛がり、嫌いな者は憎むというような支配神(権力者)を神と教えてしまうのは、「天皇を神だと教えます」と言って出来た教会なのですから、いわば当然の事なのです。

支配する者とは、日本の神話によると、高天原から軍勢を引き連れてやってきて「この国をよこせ、王位をよこせ。承知しなければ皆殺しだ」と言った人達です。

大和の国の王達は、民が殺されたり傷つけられるのはいやだとして、国譲りが行なわれました。そして、新たにこの国に君臨したのが天皇の先祖というわけです。これを神と説いている限り、神にお仕えし「命ばかりはお助けください、少しはご褒美も下さい」ということを教育する事になってしまいます。つまり、教会本部では、服従精神を説くことになってしまったのです。

服従精神とは具体的には、忠義・孝行ということです。これはもともと中国の言葉ですが、日本に来て全くその意味がゆがめられてしまったものです。

親への服従や君主への服従が大事であると教会は説きました。当時の天理教会本部からの指令を見ると、教育勅語を一生懸命教えなさいということになっています。 明治37年、日露戦争が始まった時には、「神とは天皇のご先祖様。その神様から私達は体も物もお借りしているのだから、そのご子孫の生き神様である天皇が始めた戦争に物も体も捧げなさい」という、諭達を(注= 「諭達」明治37〈1904〉年2月13日、天理教会長大教正中山新治郎)出しています。

服従は良い事だと国は教えました。教祖は理が大切だ、正義や良心が大切だと教えました。 正反対です。そうすると、「親を大切にする事は、理でもあり良い事なのではないか」という疑問が出て来ます。理に沿い、正義感があり、良心がある親の命令を、正義感を持った子供が受けたのなら何の悩みも矛盾もありません。ここでは服従か、理か、などという問題は起こりません。

問題になるのは、命令を受ける方が理を理解し、正義感を持ち、良心を持っているにもかかわらず、命令を出した君主なり親なりが理・正義・良心からはずれている時、理に従うのか、忠義孝行なのか、服従なのかと悩むときなのです。

悩んだときは理に従わないといけないのです。このとき、親には、主人には、ご恩があるのだからと迷って、つい服従精神で事を行なうと、理・正義・良心を無視するということになってしまいます。 服従を押し付け忠義孝行を要求すれば、真理が潰れ、良心のない社会になってしまいます。親にして孝を説き、君にして忠を説くのは、これほど醜いことはないと昔から言われています。

孝行を説く家庭に親殺しが起こるのです。 忠義を教える国には反乱が起こるのです。 大正年間という割合自由があった時代に日本を旅行して、各地で講演を行なったインドのタゴールという詩人は、日本の人達と交流を持ち、談じ合いをしたときに、「盲目的《原文ママ》服従を説く国家はいつか突然の横死をもって終わるであろう」という言葉を残しています。

正義を無視し、良心を踏みにじるような盲目的《原文ママ》服従を説く国家は、間違いの方針があっても誰も忠告をしないので、反省のきっかけがつかめません。 黙って皆が間違った方向に一斉に進んで行っても、やがて行き詰まって突然に終わるというのです。 今日になってみると、言論の自由も押さえ、宗教も学問も押さえ、そして、天皇は生き神様だから絶対服従せよ、という治安維持法などを作って日本を強引に戦争に駆り立てていったから、あのような敗戦という形で終わらざるを得なかったということが分かります。

さて、教祖は神ということについて、おふでさきに、

たん/\となに事にてもこのよふわ
神のからだやしやんしてみよ

三  40•135

とお教え下さっています。「このよ」が神の体ということですが、さらに、神の心については、

月日にハせかいぢうゝハみなわが子
たすけたいとの心ばかりで

八  4

とあります。お道の信仰者とは神の社になって生きる人の事ですから、たすかりたいという心を持っていたなら、それは拝み祈祷の信仰者です。 お道の信仰者は神と同じたすけたいという心を持って神の社になれるのです。

この世は神の体と教えられていますが、みかぐらうたでは、「このよの…」の手振りは、「人の心はせんずぢや」というときと同じです。教祖が「このよ」といわれたのは岩石や水、光や空気などという物体ではありません。人と人との心の繋がる人間社会を言われたのです。

それでは「このよ」という体を持ち、「たすけたい」という心を持つ神とは一体どのようなものかを考えてみましょう。

かんだいづとめは、神が最も勇んでいる姿を人間が表わしてみたものです。補い合いたすけ合って人間が一人残らず喜んでいる時、神も喜んでいるということです。人間が陽気づくめに暮らす姿が、とりもなおさず神が勇んでいる姿なのです。 おさしづの中に、

「どの指噛んでも身に應えるやろ」

明治32年12月27日

というのがありますが、 この人間の体を部分々々に別けて考えてみると、まず、おいしい物を食べると嬉しくて陽気ぐらしだという口があります。その口が物を食べると、胃はそれを消化しなくてはなりません。しかし、口が胃のことを考えずにおいしい思いをし過ぎると、胃はイタイ、イタイと悲鳴を上げます。そのとき「痛い思いをしてろ、私はおいしい物を食べるんだ」ということになると、これはバラバラの世界です。

胃が痛めば、口がどんなに喜んでも、その人は喜べません。胃の苦しみを自分の痛みとして感じているのです。この人間世界をその体とする神は、誰が痛んでも神は悲しいのです。この世のどんな片隅でも人が苦しんでいたら、神は悲しいのです。

このような神の心を、そのまま手本として人間の姿で見せて下さったのが教祖です。

いまなるの月日のをもう事なるわ
くちわにんけん心月日や

十二  67

とお教え下されていますが、教祖は、体は中山みきという女の人で大和のお百姓さんです。百パーセント人間の体なのです。 神の体ではありません。しかし、心は、たすけたい一条いちじょうという百パーセント神の心で通るから、神の社なのです。神の社というのは、たすけたいという純粋の心を持った人間 のことです。

中山みきの体で、たすけ一条の心というのが教祖です。これが手本なのですから、教祖に教えられて「私もこの体のまま、たすけ一条の心で通りましょう」と心を定めると、これがようぼく誕生なのです。

たん/\とよふぼくにてハこのよふを
はしめたをやがみな入こむで

十五  60

ようぼくとなれば、誰にでもたすけ一条の神は入り込み、神の社として生き甲斐ある人生が送れるのです。この心を定めた証拠として、また、その心を人に伝えなさいという意味で渡されるのがおさづけなのです。神の社になったら他の人にその誠の心を理解して頂き、神の社になると心定めをして頂きなさい、というのがにおいがけ・おたすけなのです。

教祖と私とでは理が違うと、よくいわれるが、これは間違いです。神様も教祖もたすけたい一条、私もたすけたい一条の心で通ろうと心定めしたら、理は一つです。ただ、体が違うだけです。 私の体と中山みきという人の体と、そしてこの人間世界という体と違うだけです。その理は一つです。

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第1章 万人のひながた
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