「死にたい」と「生きたい」は一緒に抱えられる
「〇日前まであんなに元気だったのにこの数日でなにが…」とか「未来の話をしていたのに」とかよく見るけど、「死にたい」or「生きたい」のどちらかじゃなくて、ずっとどっちも一緒に抱えながら目の前の役割をこなしているんだと思うんだよ。
「子どもかわいい」と「子どもしんどい」もわりと一緒に抱えてるし、「仕事やめたい」と「仕事楽しい」を一緒に抱えてることもあるし、「ぐーたらしたい」「頑張りたい」とかに置き換えると誰でもそうなんじゃないかな。どっちかの人なんじゃなくどっちも一緒に抱えられる。
だから誰かに未来の話をしたのも、楽しそうな表情も、生きたい気持ちを見せたのも、ぜんぶ嘘じゃないんだよって言いたい。死んじゃったからあれは全部嘘だったのかと思ってほしくない。全部、その瞬間の本当の気持ちだったんだと思うんだよ。
そのとき、そのとき、言葉は全部本当で、本音で、希望を持って生きていて、でもそうじゃないものと一緒に抱えていただけ。なにかの拍子に振り切って、行動力の秒針とピタっと重なる瞬間が訪れてしまっただけ。
大切な人たちが、そこだけどうか、うたがわないで欲しいなって私なら思う。
楽しい大好きまたね。全部本当。
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