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バンジージャンプでビビりまくった話

見出し画像は、あくまでもイメージだ。

私がバンジージャンプをやった場所は、よみうりランドで、高さは22m。建物なら5~7階程度。100m、200mを超える高さのバンジージャンプもあることを考えると、大した高さでもない。

それでも、めっっっっっっっっっっっっっっっっっちゃ怖かった。

「足がすくむ」という言葉をあれほどまでに体感したことは、後にも先にも一度もない。

「男らしさ」と度胸試し

私は10代から20代まで、FtMを自認していた私は、いわゆる、前時代的な「男らしさ」の規範みたいなものを内面化しようとしていた。
怖がるのは男らしくないと思っていたし、絶叫マシンや富士急の戦慄迷宮も平気な顔で楽しもうとしていた。

そんな私がバンジージャンプをやったのは、一種の度胸試し、今後の人生で何かあったとき「あの時よりはマシじゃん」と思えればいいなという軽い気持ちだった。

ある夏の日、私は一人でよみうりランドへ向かった。
夏はプールが混み合うこともあり、バンジージャンプは閑散としていた。私の前には3人組の女子大生。キャーキャー騒ぎながら、次々と飛び立っていく。

そんな彼女たちを「かわいらしいなあ😊」とほほえましく見守っていた私の余裕は、飛び込み台の先に立って、雲散霧消した。

バンジージャンプ、怖い

これまで何故、絶叫マシンは平気で乗れていたのか、その時に理解した。ジェットコースターは、ただ座っていれば、勝手に動き出すものだ。こちらが覚悟しなくても、乗りさえすれば進んで、終わる。

だが、この、バンジージャンプは、自分自身で覚悟を決めて、自分の意志で、空中へと身を投げなければいけない。

自らの意志で、一歩を踏み出す勇気。
それはまさしく、自分に不足しているものでもあった。

そんな考えがぐるぐると脳内をめぐり、自分よりひとまわり以上若いスタッフのおねえさんに「コレまじで怖いっすね!!!」とウザ絡みを数分続けた。(おそらくは、徐々にダルくなってきただろう)おねえさんが、

「飛ばずにいると、どんどん怖くなってきますよ〜」

と告げ、「アッハイ!じゃあ行きます!」と私は宙に身を躍らせた。結局、おねえさんにタイミングを決めてもらってしまった。

無防備な体が地表へ向かって落ちてゆく、それは初めての感覚すぎて、恐怖をあまり知覚できなかった。

むしろ、一番下まで落ちた後、ゴムの反動で上へと引っ張りあげられ、ふたたび落ちる、それを繰り返してバウンドのような状態になってからのほうが、これから起きることを一度は体験している分、その恐怖を知覚できて怖かった。

バウンドが徐々に緩やかになりスタッフさんに助けられるまで、先達の女子大生たちがケラケラ笑っている様子を若いなあと見ていたのだが、私自身も、同じ状況で笑いが止まらなくなった。

恐怖が限界を超えると人は笑うのだ、と、その時はじめて思い知った。

「怖い」と言える勇気

バンジージャンプでいかに自分がビビりで勇気のない人間であるかを自覚した私は、その後、怖いと感じたときに「怖い」と素直に言えるようになった。

(それとは別に、Xジェンダーやノンバイナリーという概念を知ったりジェンダーについて学ぶことで、性自認にも変化があり、自分で自分にかけた「男らしさ」の呪縛からも自由になれてきた)

恐怖を知覚できること、自己開示して周囲に助けを求められることも、生きていくために必要な強さだ、と今は感じている。
というか、自らの弱さを自覚して、はじめて、「強さ」や「勇気」を身につけられるのかな、と。