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again and again

(※2016年8月の無料配布本より)

あらしくんへ

お元気ですか?
まい日あついけどみーは元気です。
なつ休みになったら、しーちゃんがまた
江のしま水ぞくかんにつれて行ってくれました。
また、イルカをみました。
やっぱりたのしかったよ。
このまえは、うしろのせきで、みーは本とうは
まえで見たかったから、まえのせきで
お水はいっぱいかかったけど、よかった。
みーはイルカがすきです。
水ぞくかんは、よるになったらでん気がきれいって
しーちゃんが言ってた。
みーがいないのに、よる行ってたのは
ちょっとずるいです。

「–––––バイバイ、またね。美夏より」
「あ、勝手に読むなよ」
シャワーを浴びて部屋に戻ると、ローテーブルの上に置いていた便せんが栫の手の中だ。
「封筒にも入れず放置されたものが目に入っても責められるいわれはないと思うな」
「放置じゃねーよ、返事書こうとしてただけ」
そして、予告もなく誰かさんが現れたから中断しただけ。
「律儀だね」
「別に。俺が楽しいから書いてる」
最近、同じクラスの友達とすこしこじれてしまったようなことを志緒から聞いていたのだが、この文面だとちゃんとアフターフォローしてもらったのだろう、よかった。
「楽しいの」
「楽しいよ」
「じゃあ僕にも書いてくれる?」
知っていても(そして何度か痛い目を見ても)うっかり騙されそうになる、他意のなさげな笑顔で突然そんなことを言う。
「はっ?」
「あれ、心外そうな顔だな。手紙書くの好きなんでしょう」
「相手によるだろ」
「ああ、じゃあ僕が嫌われてるだけの話か」
ほら、こうやって痛すぎるとこ平然とついてくるだろ。嵐は仏頂面で「お前に手紙って、何書きゃいいの」と言った。
「それは僕が決めることじゃないでしょう。近況でも何でも、ご自由にどうぞ」
「どっか遊び行ったりしてるわけじゃねーし、きのうもきょうもあしたも砂とガラスいじりだよ。そもそも人に言うならお前が書いてこいよな」
「それもそうだ」
栫は一ミリたりとも笑顔を崩さず頷き、まだ濡れている嵐の髪に手を伸ばす。

「やぎさんゆうびん、の歌を覚えてる?」
豆電球オンリーの暗がりの中、栫が不意に尋ねた。美夏からの手紙はテーブルごと部屋の隅だ。
「黒やぎさんから手紙くるやつだろ。あれ、最初は白だっけ?」
「黒で合ってる」
「延々と手紙食い合って終わんないんだよな」
「そう、あれが、子どものころからふしぎなんだよ」
さっきの手紙には何が書いてあったの?という返信が送られては消え、消えては送られ……終わらない応酬。哲学的というか、深い寓意があるようなないような。
「結局、最初の手紙には何て書いてあったのかって?」
「違う、その前。そもそも、どうして手紙を食べたんだろう」
「やぎだからだろ?」
本当に紙をたべるのかどうかはさておき。
「そう、やぎは空腹だったと仮定するなら、どうして『あの手紙』を食べる必要があったのかってことだよ。お互いに返信をしてる、ということは、双方の手元に白紙の便せんがある。そっちを食べればすんだ話だ。しかも、歌詞によれば『黒やぎさんから』、『白やぎさんから』、ちゃんと差出人を把握したうえで食べてる」
「やだなそんなこと考えるガキ……」
美夏の無邪気さをすこし分けてもらえればよかったのに。
「でもしょせん動物だもん。本能に負けちゃったんだろ。分かっているけど……ってやつ」
すると栫は、うつ伏せた腕の中に顔を埋めてくぐもった笑いを洩らした。
「何だよ」
「さっきまでセックスしてた人が言うと説得力があるなと思って」
「……どーぶつで悪かったな!」
「悪いなんて言ってないのに。……やぎに戻ると、手紙を書くっていう、おとぎ話的な知能の高さが設定されている以上、空腹説にも違和感がある。初回はうっかりにしても、二通目以降は対策して然るべきだろう。返信するところを見ると、内容を気にかけているし、相手を嫌いなわけでもない。だから、この歌で分からないのは、『始まりの用件』と『食べた理由』になる」
嵐はすこし考えて「借金」と答えた。
「白やぎさんは黒やぎさんから金を借りてた、その督促状が届いた。いついつまでに返さないと裁判しますよ、とか期限書いてあるやつな。白やぎさんは、見なかったことにして食べて、すっとぼけて返事を書いた」
「黒やぎさんは?」
「現金書留じゃなかったから、言い訳を送ってきたんだと思って、黒やぎさんは黒やぎさんで知らんふりしてるんだよ」
「なるほど、仮説としては成り立つか。でも現実的だな。子どもには聴かせられない歌だ」
「お前の口から良識的な発言を聞くと何でぞくっとするんだろーね……」

それから、一週間ほど経っただろうか。本当に、栫から手紙が届いた。町村嵐様、とお行儀のいい文字で宛名が書かれている。
「……こわっ」
が、嵐の第一声だった。何考えてんのあいつ、こえー。しかし本人に問いただせば涼しい顔で「あなたが書いてこいって言ったから」と答えるに違いない。ごくごく普通の、事務的な封筒は空っぽじゃない手触りで、陽に透かしてみると、便せんらしきものの影が見える。何が書かれているのか、あるいは書かれていないのかと想像すると恐ろしい。それとも、俺も食べてから「何の用事?」って返事を書けってこと?何で届いちゃうんだよ、事故ってくれてよかったのに。
受け取った嵐の混乱も、きっと想定内だろう。返事がきても黙殺されてもそれはそれで、程度に思っている。嵐は封筒をまる一日寝かせてから、決意してはさみを入れた。読んでも読まなくても負けって感じがするから、読む。三つ折りにされた、何の変哲もない便せんを広げる。白紙だったりして(あるいはあぶり出し?)。脅迫状みたいに新聞の切り抜きでできてたりして。数秒間で実にさまざまな憶測がよぎった。
「––––は?」

これは、手紙、なのか。
(2,1)(4,1)(5,8)(11,7)(11,8)(12,21)(13,10)(16,8)
それだけだった。単なる数字の羅列。これこそ、「ご用事なあに?」ってやつだ。何だよ回りくどい暇つぶししやがって。何らかの暗号だろう、とは分かる。でもそれだけ分かったところで意味がない。
また、まる一日、自分なりに思い当たる数字を考えてみて、スパイ映画さながらに水蒸気でふやかして切手の裏を確かめたり封筒を展開して裏を確かめたりもしたが空振り。俺の頭じゃ無理だわと早々に見切りをつけ、お知恵を拝借することにした。写メって「これの意味分かる?」と志緒にメールを送った。ひょっとすると他人に解読されたらものすごく気まずい内容かもしれないが、もうしーちゃんだったいいや、ごめんな、と開き直って。
小一時間して、電話があった。え、もう分かったとか? すげえなしーちゃん。それとも単に、俺がものすごくバカなだけだったりして……可能性高いな。
「もしもし」
『あのさ』
志緒の声はため息まじりだった。
『妹がお世話になってるしこんなこと言いたくないけど、やめたほうがいいよ、ほんとやめといたほうがいいよ、ていうか早く目を覚まして』
たたみかけるように言われてしまった。
「え……もう解けた?」
『解けない、でもそもそも誰が寄こしてきたのか想像できるから言ってる』
「ご、ごめん」
『謝らなくていいから縁切ってほしいな。……これ以外に、ヒントになりそうなものは?』
「ない。まじでこんだけ」
『単純に考えると、この数字と文字が対応するようにできてるっていうのがいちばんありそうだけど……アルファベットだったら……やっぱり意味不明だな』
何だかんだ言って考えてはくれるらしい。
『かっこでくくってニコイチにしてるってことは……カレンダーと関係ない? 13と16は繰り延べて、次の年の一月と四月とか』
「後ろの数字が日付ってことだよな?全然心当たりない」
『じゃあ何かの行と列に対応してんのかな』
「どういうこと?」
『五十音を表にすると、「あ」は「1、1」で「か」は「2、1」になるって意味……それでも数字のほうが大きいんだよね。あかさたなはまやらわで十、が、ざ、だ、ば、ぱ、を足しても十五』
「あー、そうだなー」
としか言えない自分が申し訳ない。
『作り手の設定次第だから、いくらでも難解にはできるだろうけど、でも、そこまで凝ってないって気がするんだよね。町村さんがまったく歯が立たないものじゃ意味がない』
「現状立ってないけど」
『いや、絶対あるよ。町村さんに解けて、尚かつ町村さんにしか分からないんだと思う。俺がどんなにいじくっても無理で』
「ますますプレッシャーが……ところでしーちゃん、やぎさんゆうびん知ってる?」
『歌でしょ』
「そうそう」
栫の疑問を話すと「相変わらず頭おかしいね」と容赦ない。
「いやまあそうだけど……しーちゃんはどんな手紙だったと思う?」
『……ラブレター、とか?』
「え?」
『黒やぎさんは白やぎさんを好きだったから手紙を書いた、白やぎさんはうすうす気づいてたけど友達でいたかったから手紙を食べた。でも、別の用事だったかもしれないと思い直して返事を書いた。黒やぎさんは、告白の結果を知るのが怖くて食べた。で、やっぱり思い直して返事を書いた。その繰り返し』
「なるほどー。いいな、それ」
宙ぶらりんの片想い。自分の借金説よりはお子さまにも差し支えないだろうし。
「でもちょっと意外だな、しーちゃんからそういう発想が出てくんのって」
まさか実体験……じゃねーよな。告るにしても告られるにしてもはっきり白黒つけるに違いない。
『……たまにはね』
志緒は照れたのか、怒ったように言った。電話を切って寝転がり、暗号を眺めてみたが解法の鍵は一向に浮かんでこず、正直な身体がじきに眠気を訴えてまぶたが重くなってくる。いかん。嵐は頭を打ち振り起き上がった。きょうは、美夏に手紙を書こうと決めていたのだから。布団に行きたがる肉体をどうにかテーブルまで引きずり、前にもらった手紙を封筒から出す。その時、志緒の言葉がぱっと脳内で響いた。

––––町村さんに解けて、尚かつ町村さんにしか分からない。

行と列。表。

嵐は美夏の手紙と栫の暗号を交互に見比べ、白紙の便せんに文字を拾い上げる。二行目の一文字目、四行目の一文字目、八文字目……。一読しただけの手紙を、改行や表記の仕方も含めてすべて覚えていると想定するとなかなかぞっとするが、残念ながら大抵の事案は「栫だしな」と呑み込めるようになってきてしまった。

縁を切って、って、とっくに手遅れなんだよな。たぶん、出会ってしまった時点で。

抽出されたのは八文字、一応意味も分かるからきっとこれで正解。だけど嵐は思わず「アホか」とつぶやいた。

『おなかがすいたね』

どうしろと。この手紙をむしゃむしゃ食べてやればいいのか、返事を食べるつもりなのか。するめでも送ってやろうか、それとも志緒の「片想い説」を書いて送ってやろうか。

そんなことを、あれやこれや考えている間に、そしらぬ顔の本人がやってくるような気も、しているのだけれど。

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