見出し画像

ナイーブとイノセンス

「志緒ちゃん」
「なに?」
「折り入ってお願い、ていうか提案があるんですけど」
「どんな?」
「あ、そんな構えなくていいから。……君ももう卒業したことですし、『先生』って呼ぶのやめない? っていう」
「やだ」
「そんな即答しなくても」
「今さらほかに何て呼べばいいの」
「名字でも名前でもお好きにどうぞ」
「…………んん?」
「おい、めちゃくちゃ眉間にしわ寄ってますけど。そんな無理難題か?」
「だってもう慣れちゃったし、ほかにどう呼んでもしっくりこない」
「そらー呼ばれる俺だってそうですよ」
「ならいいじゃん」
「だーめ、まだ今なら修正効くと思う。すぐだって。このまま十年とか経ったらもう絶対矯正できない」
「何で駄目なの? 先生は『先生』って呼ばれたくないの?」
「うーんそわそわするっていうか後ろめたさがやっぱり……」
「え、そういうのが好きなんじゃないの」
「おいっ。人前っていうか、店とかだとちょっと焦るんだって」
「じゃあ外では『おい』か『ねえ』にする」
「いやいや。……逆にさ、もう好きに呼んでいいんだー、とは思わない?『先生』なんか職業的な記号に等しいじゃん、誰だって呼ぶだろ」
「今のままでいい」
「頑固……」
「頑固だよ。そんなのよく知ってるじゃん」
「いや知ってるけど。ほら、『先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし』って言うし」
「馬鹿じゃん」
「……しーお」

「志緒ちゃん、もう寝よう。……もう『先生』って呼ぶなとか言わないから––––……志緒。どんな喧嘩しても無視だけは駄目だよ。お前なんかいなくていいって言ってるのと同じだ」
「……そんなこと、思ってない」
「うん、分かってるよ。おいで、寝よう」
「……うん」
「寒くない?」
「寒くない。……せんせい」
「ん?」
「『先生』って呼ぶのが、いちばん安心する」
「うん、ならいいよ」
「学校で、『英ちゃん英ちゃん』って、友達みたいに言われてんの聞くと、確かに、何だよってむかついたけど、でも……」
「でも?」
「……あの人は『先生』ってだけは呼ばない」
「え?」
「あの人は、『先生』の『先生』だから……『先生』のことを『先生』って絶対に呼ばない」
「––––ああ」
「だから、安心する……」
「そっか。……あー、ごめんな。俺、バカだな」
「だから言ってんじゃん……」
「うん、ほんとに。バカって呼んでいいよ」
「ばか……」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?